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豊臣秀頼

おはようございます(o^―^o)ニコ

豊臣秀頼は物心ついた時には諸大名が平伏し、母が高慢な物言いで立派な髭を生やした男達に自分の名を使い命令していた。


母は「手に入れた権力を決して離さぬ」という様に自分の手を離さなかった。


夜になれば大野治長が母の寝所を訪ね、ごそごそ何かをしていた。


噛み殺すように小刻みに悲鳴を上げる母、秀頼は見て見ぬふりをしながら誰も信用することなく育って行った。


そんな秀頼には、いつしか人の嘘を見抜く目が備わっていた。


初めて見た嘘が母の「そなたは太閤殿下の申し子なのです」とにこやかに語り掛けられた言葉であった。


秀頼は驚愕し、また恐怖した。


自分の父親は豊臣秀吉では無いのだ。


では誰だ?嘘を見抜く目を使えば自分の親がすぐに大野治長であるという事が判明した。


秀頼は泣きたくなった。


こそこそ夜這いに来る卑怯な男が自分の父親であると思うと情けなくなるのだ。


秀頼は治長を反面教師とし、勉学に励んだ。


「危ないから」との理由で淀の方に禁じられていた剣術、兵法も独学で学んだ。


秀頼は前田利家によく懐いた。


利家は豊臣秀頼を一人の人間として扱い、嘘をつく事が極端に少ない人物であったからである。


石田三成は自分を通して「豊臣秀吉」を見ている男であったため、秀吉の実子ではない秀頼にとっては何となく三成に申し訳ないような気がして、騙しているような感覚に陥った。


北政所きたのまんどころ様は時々悲しそうな目で自分を見ていた。


恐らく真実を知っているのだろう。


秀頼は淀の方が大野治長に注いだ愛情が自分の方に向かなくても曲がって育たなかったのは、北政所の存在が大きかった。


彼女は秀吉の息子ではないと知っていながらも、秀頼の境遇に同情したのか秀頼を殊の外可愛がった。


「そなたを見ておると秀吉を思い出すのじゃ」


恐らく生前、物心つかない自分を可愛がってくれた秀吉を思い出すのであろう。


秀頼は自分が甘えている事を自覚していたが、北政所も自分に懐く秀頼が可愛らしかったのだ。


そんな秀頼が初めて見た徳川家康は恐怖の対象でしかなかった。


家康は好々こうこうやの顔をして「豊臣家大事」と言うが真っ赤な嘘であった。


秀頼は家康を前にすると平常心で居る事すら難しい程に恐ろしかったのだ。


「この様な殺気を放ちながら優しい顔をして嘘を言える人物がいたのか」


秀頼の家康に対する評価である。


そして自分の許嫁はこの人物の孫娘なのかと怖いもの見たさの様な興味もそそられたのだ。


慶長5年(1600年)石田三成が蟄居となり大野治長が常陸国に配流となった時、秀頼は正直嬉しかった。


治長の不在で母の愛情が自分に向くかもしれないと期待したのだ。


しかし母の愛情は怨念へと変わり、同年に「謀反の兆しあり」と上杉景勝を征伐に行くという家康公に淀の方は大坂城の金蔵から会津征伐の為の軍資金を勝手に自分の名前で家康公に渡し、会津征伐の土産として治長を連れ帰れと交渉したのだ。


秀頼は母に愛想をつかした。


実の母の様に可愛がってくれた北政所が京の三本木に移り、この大坂城内にて自分が信頼に足る人物はもう片桐且元くらいなのだと悟った。


秀頼の傳役もりやく・片桐且元は自分が秀吉の子ではないとうすうす知りながら豊臣家の御為と秀頼によく尽くしてくれる。


秀頼は実の父母では無く且元しか信用できない自分の状況を呪った。


そして石田三成が天下に大乱を起こし、秀頼を取り込もうとする。


母は乗り気であった、徳川家康を討ち滅ぼせば豊臣家の春が来たも同然と思ったのであろう、事実、治長に嫌疑をかけ追放してくれたのは家康公なのだから。


しかし且元はこの戦いは「家臣と家臣の争いであり主君が口を挟むべからず」といい北政所は母に「家康殿に滅多な手出しは無用」と言ったらしい。


淀の方は「自分の権勢」をどうにか見せつけたくて、この戦に一枚噛もうと試みようとするが、秀頼は母親にこう言った。


「母上、もし三成方に付き家康殿が負ければ治長も討ち死にですか?」


と判らない振りをし淀の方に言った。


淀の方は顔を青くしてそれ以降三成に会う事も関ヶ原に大坂方が協力するという事も一切なかった。


この様な意味合いでは関ヶ原にて大坂が参戦しないという大手柄を上げたのは秀頼であるともいえる。


会津へ遠征に行った徳川家康の代わりに大坂城には毛利輝元もうりてるもとが入城した。


毛利輝元は秀頼にとっては全く頼りにならない人物であった。


淀の方の質問をのらりくらりと巧みにかわし、決して自分から主体的に動こうとしないのだ。


関ヶ原の戦いにおいても三成と家康のどちらが勝利しても生き残る道を残し、三成が勝てば利益が大きいという何ともしたたかな賭けをしていたのだ。


この男は毛利家大事であり豊臣家がどうなろうと知った事では無いのだ。


案の定、家康が関ヶ原で勝利し三成の居城・佐和山城まで落城したのを見届けた後、体裁上は説得されて大坂城開城という形を取っていたが、「関ヶ原が負け戦である」と吉川広家の密使が到着次第、帰国の準備を始めていた。


その後、家康の名の下に論功行賞が行われ、その後、戦勝を祝う盃事が行われた。


秀頼は「またか」とため息をつきたい気持ちを抑え、いつものように淀の方に手を引かれ謁見の間にやってきた。


福島正則はじめ、秀吉に仕えた大名が淀の方の顔色を伺う中、一人だけ秀頼の顔を見ている者がいた。


徳川家康その人である。


しかしその家康は以前の殺気の塊の家康とは全く違った。


にこにこした本当の好々爺なのだ。


「そなたは誰だ?」


とよほど聞きたかったが、諸大名の前でそんな事を言うわけにもいかず、この疑問は胸にしまい正則らの関ヶ原談義に耳を傾ける。


その間も終始、家康はにこにこしていたのだ。


途中、淀の方が秀頼に家康の盃を受けよと言ってきた。


これは家康の下の立場になるという意味合いが暗にある、恐らく淀の方はそこまで考えていないのであろう、ただ一点「秀頼は自分の言う事を何でも聞く」と言う事を諸大名に再認識させるための儀式なのだ。


家康改め、次郎三郎は辞退しようとする、が秀頼は


「私が内府殿の御孫・千姫との婚儀が調えば内府殿は私の御爺様では無いか?遠慮の必要はない。」


と腹の中で浅慮な母親を馬鹿にし、秀頼は次郎三郎の盃を受けた。


次郎三郎はその夜、お梶を抱き寄せながら初めて会った秀頼の感想をこう述べた。


「三成殿が天下の孤児というのはこういう意味であったか」


お梶が「どういうことですの?」と聞くと


「淀の方、あれは駄目だ、女を捨てきれていない。母親としての自覚が無いのだ。その点、逆に秀頼殿は思った以上に聡明だ、恐らくわしの事に気付いたやも知れぬ。」


お梶は驚いた顔で「まぁ、私ですら近くで見ねば間違えたというのに、しかし今はもう次郎三郎を間違えません、私の初めて愛した人ですから」と顔を赤くして言うのだ。


次郎三郎は少々呆れ


「そう言う事では無い、秀頼殿を何とかして救って差し上げたいな、同年代の友が必要か、忠輝殿と歳近いな、遠くない将来、秀頼殿と忠輝殿を会わせてみるのも面白いやも知れぬ」


次郎三郎は男の友情の美しさを知っている、これは女性たるお梶に理解しろと言ってもなかなか難しいものなのだが、忠輝と秀頼は中々良い組み合わせだとしっくり確信したのだ。


「しかし、中納言様はこの企ては面白くないであろうな、忠輝殿も危険にさらす。」


次郎三郎は自分が長生きする為に少しでも長く豊臣家には存続してもらわねば困るのだ。


「この件は弥八郎やはちろう(本多正信の事)に相談してみるか」


と次郎三郎とお梶は床に就く。


秀頼はすっかり忘れていたが、次郎三郎の大坂入城と共に大野治長が戻ってきたのだ。


暫く離れていた分その夜の治長と淀の方の愛し合いは激しく燃え上がっていた、淀の方の漏れる吐息や腕か布を噛んでいるのだろう嬌声は、秀頼を十二分に不快にさせ「内府殿は関ヶ原で治長を最前線に配置し討ち死にさせてくれれば良かったのに。また三成も三成だ、豊臣家大事なら治長を最初に打ち取れば良かったのに」と心の中で呪詛をかけたのであった。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。

今後も「闇の葵」をよろしくお願いします。

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