三成の最後
三成、死す。
石田三成捕縛!
この報は徳川陣営を戦慄させた。
正信が次郎三郎と顔を見合わせ「不味い事になった」と苦虫を嚙み潰したような顔をする。
てっきり正信も次郎三郎も三成は切腹して果てていると思ったのだ。
そう、石田三成に生きていてもらっては困るのだ。
福島正則や黒田長政、藤堂高虎はそれほど顔を合わせていない故、家康と爪を噛み始めた次郎三郎の区別が付かないし、もはや次郎三郎が本物の徳川家康であると思い込んでいるが、五奉行として国政を司る家康と何度も対面し、次郎三郎とも何度も顔を合わせている石田三成は両者の違いが判るのだ。
しかし捕らえられた以上、会わないわけには行かない。
しかも関ヶ原で大乱を起こした張本人として諸将の前で会わねば徳川家の信用にもかかわる事態なのだ。
流石の次郎三郎も三成に会うのは気が進まず
「何とかならぬのか?」
と正信に尋ねるが、良い案が思い浮かばない。
そんな時である、三成捕縛の報に能天気に喜びながら秀忠が
「わしが諸将の前で将器を発する場が設けられたな!」
と宗矩を伴い次郎三郎の所へとやってきた。
正信が呆れたように
「しかし中納言様、そう簡単に事は・・・」
と言いかけた所に秀忠がしたり顔で
「次郎三郎の事であろう?」
と言った。
「要は治部は父上と次郎三郎の顔の区別がつくから諸将の前で据え置くには憚ると言う事であろう?」
次郎三郎も正信も目を見開いて驚いた。
秀忠にここまで考える力があるとは全く思っていなかったのだ。
それもそのはず、これは天海の入れ知恵なのだから。
そして天海の入れ知恵は続く。
「奥の間で次郎三郎と治部を会わせよ、父上が亡くなった事も話せ。次郎三郎は会話の中で豊臣家を潰したくないと匂わせよ、さすれば治部も余計な事は致すまい」
次郎三郎と正信は各々が最善と考えていた手を秀忠の口から出た事に驚愕した。
同時に正信は秀忠の裏に誰かが付いた、それも宗矩の様な小僧ではなく、かなり知恵の回る老獪な人物だと察知する。
次郎三郎は次郎三郎で、ただの無能でもない様だ、今後は中納言様にも気を配らねばならないなと秀忠の評価を改めるのだ。
次郎三郎と本多正信、本多忠勝、榊原康政、井伊直正、そして徳川秀忠の6名は大津城の奥の間で密かに三成を引見した。
今回の会見の真の内容は次郎三郎、正信、秀忠の三名しか知らなかった、忠勝、康政、直政ら3将は豊臣家存続を匂わせ三成に家康の死を告げ目の前の人物は影武者である事をばらす策を知らないのだ。
石田三成は平伏していた。
次郎三郎が「面を上げよ」と声をかけ、三成は頭を上げる。
石田三成は一瞬目を見開いたが動揺する事も無く、口を開く。
「いつ変わられた?」
三成は開口一番で核心の質問をしてきた。
3将は焦ったが、心構えが出来ていた秀忠と正信、そして次郎三郎が答えた。
「関ヶ原にて陣を張った時にございます。」
三成は驚いた、自分が戦ったのは家康ではなく影武者であったのだ。
家康が死んだ事を隠匿しながら関ヶ原で合戦を続け、小早川陣への鉄砲撃ち掛けという見事な采配、世良田次郎三郎元信という男はいったい何者なのだと興味を持ち始めたが、もう今生で関わる事は無いのであろうと少し寂しさもあった。
三成は次郎三郎の目を見て懇願する。
「そこもとが如何なる思想、経験、信念をお持ちの御方がは存じ上げないのは三成の痛恨の極み、しかしながらそこを曲げてお願い申す、少領でも良いので何卒、天下の遺児たる秀頼君のお命を御救い下され」
三成は涙を流しながら次郎三郎に懇願する。
次郎三郎は急に立ち上がり三成に歩み寄り語り掛ける。
「安心めされよ」
三成は救われた様な顔をしながら「かたじけのうござる」と次郎三郎に礼を言うのだ。
忠勝は次郎三郎の行動に心打たれたが、康政、直政が騒ぎ立てた。
「影の分際で勝手な事を致すな!!」「殿にでもなったつもりか!!」
などと次郎三郎を叱責するのだ。
忠勝が止めようとすると意外な人物が二人を止めた。
中納言秀忠である。
秀忠は康政、直政に
「三成の最後の願いくらい聞いてやらねば徳川家の秘事を諸将の前でさらされた時、その方らはいかがする?次郎三郎の此度の働きは行き過ぎた所もあるが、徳川家の為になる働きであるぞ?」
と康政と直政を意見でねじ伏せたのだ。
これには忠勝も驚いた。
後で次郎三郎と正信の所へ話を聞きに行くのだが、忠勝も秀忠にきな臭さを感じ始めたのだ。
こうして三成の引見は終わり、諸将を集め実検が行われる。
三成はまず次郎三郎に頭を垂れようとするが、次郎三郎がそれを止め
「床几を与えよ、仮にも19万4千石の大名じゃ、縄目を切って床几を与えよ」
と三成に床几を与えた。
三成は次郎三郎の気遣いに感謝し一礼する、その後口を開き始める。
「まずは内府殿がご健勝の様子にて羨ましくもあり、口惜しくもある。此度の大戦を太閤殿下にいち早くご報告出来る名誉を与えて頂き誠にありがたく存ずる、特に福島正則、浅野幸長、黒田長政、京極兄弟などは太閤殿下に取り立てて頂きながら内府殿に尾を振る不忠者として、太閤殿下が御自ら夢枕に立たれるやも知れぬなぁ」
と言い放つと福島正則始め名指しされた諸将は顔を赤くした。
しかし心の中ではわかっているのだ、自分が家康に屈服している事を。
家康は機嫌を損ねていないかと心中穏やかならない顔で諸将が次郎三郎の様子を伺うが次郎三郎はにこにこしながら三成の言い分を聴いていた。
次に三成は小早川秀秋を叱責する。
「特に太閤殿下に連なる者として金吾殿は太閤殿下のみならず我が友である大谷吉継殿が夢枕に立ちましょうぞ?おぉ、吉継殿!そこにおられたか!!」
小早川秀秋の右斜め後方を見ながら三成は秀秋を脅す。
小早川秀秋は恐怖で口もきけず、振り返るのが怖くて固まってしまう。
この時、秀秋はまだ10代後半、幽霊も信じられていた時代でもありこの三成の言葉は秀秋に怨念となり終生付きまとう事となる。
最期に三成は諸将に無駄だと分かってて懇願する。
「ここにお集まりの皆々様は少なからず豊臣家の恩顧を受けた方々、少しでも忠義の心が残っているなら天下の遺児、秀頼君の行く末を守って下され!!」
先ほどまでと打って変わって懇願する三成の姿は「忠義」の塊そのものであった。
諸将は一瞬目を奪われたものの、すぐに自我を取り戻し
「当たり前だ!そなたこそが大乱を起こした張本人では無いか!」「君側の奸とはそなたの事を言うのだ!」などと三成を罵倒する。
次郎三郎は諸将のうっぷん晴らしを暫く聞いていたが、頃合いを見てそれを鎮め、三成に声をかける。
「嫡男である重家殿は仏門に入られた、仏門に帰依した者に手は出さぬ、のう?秀忠?」
秀忠は名指しされ一瞬驚いた。
石田家は皆殺しにする予定だったのだ。
諸将の前で次郎三郎に聞かれた秀忠は否とは言えず、「はい、当然でございます」と言うしかなかった。
心の中では「クソッ!!次郎三郎め!!余計な事を!!」と思いながらも顔には出さなかった。
三成は「ありがたき幸せ」と次郎三郎に頭を下げる。
次郎三郎が最後の質問をする。
「他に何か言い残す事は?」
三成は目を閉じ首を横に振る。
次郎三郎は三成の傍に寄り
「さらばでござる」
と声をかけその場を立ち去った。
続いて秀忠も三成に頭を下げその場を立ち去る。
こうして三成の実検は終わったのだ。
その後三成は京に送られ、捕らえられていたキリシタン大名にして三成の友でもある小西行長と毛利家の外交僧で関ヶ原では毛利家を説き伏せ、宇喜多秀家も参戦させた安国寺恵瓊と共に三条河原で斬首となった。
その様子を編み笠を被った一人の男が一滴の涙をこぼしながら見ていた。
こうして石田三成の豊臣家への忠義の人生が終わったのだ。
編み笠を被った武者には「散り残る、紅葉は殊に愛おしき、秋の名残は、こればかりぞと」と豊臣家の将来を暗示するように三成の作句が耳に残るのであった。
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