深谷での日々
久しぶりに忠輝の話です。
家康は子供たちの勉学の教育方針として3つの学問を推奨している。
「目学問」これは文字通り書物を読んだり、様々な職人の技を目で見て学習する学問である。
「耳学問」これは様々な人の言葉に耳を傾け、自分の知らない事にはきちんと礼をもって教えを請い、学ぶ学問である。
そして家康が最も重要とし子供らに推奨したのは「体学問」であった。
この体学問は様々なものを体験をする事によって、体に直接覚えさせ、学んだものがいざという時に真価を発揮するのが真髄の学問である。
忠輝は体学問を積極的に実践した。
農民と共に畑を耕し作物の実るまでの大変さを学び、町民に混ざり町民になり切り生活したり、勿論武将として欠かせない剣術をはじめとする武芸一般、馬術、兵法などといったものも意欲的に学んでいった。
いずれは家康と共に狩をしたいと考えながら鷹狩りも学んだ。
忠輝はその他にも医術に興味を持ち、薬草の種類や特徴、効能を学び、医師に師事し薬づくりを学ぶほどであった。
実は家康も医術に傾倒し薬を自作するほどの腕前であった。
家康は良い意味でも悪い意味でも猜疑心が強い所があり、医者を全く信用していなかった。
自分の体に不調があれば誰かが医者を取り込み自分を暗殺する可能性を考え生き延びる為に医術を学んだのだ。
こういった猜疑心やしつこさは秀忠にしっかり受け継がれていた。
さて、そんな向学心豊かな忠輝に刺激的かつ革新的な知識をもたらしたのは宣教師と共にやってきた紅毛人(当時のオランダ人の事)達の南蛮渡来の技術であった。
彼らの食する食べ物をはじめ、蘭学医術、錬金術(当時の科学)、航海術などの知識は忠輝にとっては何にも勝る興味深い宝の山であった。
始めこそ宣教師に通訳してもらい彼ら技術者の話を聞いていた忠輝であったが、彼らの全てが宣教師ではないと気づくと今度は宣教師の宗教を絡めた通訳が鬱陶しくなり、独学で紅毛人の言葉を覚える、という宣教師にとっても驚きの離れ業を見せた。
そんな忠輝をカトリック・プロテスタント両宣教師が見逃すはずが無く、忠輝のキリスト教入信を強く勧めるが忠輝は
「わしはそなたらの持つ技術に興味を持っただけであり、そなた達の宗教に興味を持ったわけではない。わしの領内での布教は許すが、他の宗教と差別、区別するつもりは全くないので勘違いするなよ?」
と断るのである。
忠輝は興味を持ったものを学び続け、気が付けば、「オランダ語」「ポルトガル語」「イギリス語」「中国語」など数か国の言葉を扱えるようになっていた。
忠輝の領地ではカトリックの宣教師もプロテスタントの宣教師も信者の奪い合いなどで争う事は決してしなかった。
忠輝は他宗教も公平に扱うと言ったからである。
と云う事は裏を返せば騒乱を起こせばどの宗教でも厳しく罰せられるからである。
それ以上に忠輝に失望されたくないという思いも強かったであろう。
カトリックの信者もプロテスタントの信者も宣教師たちも忠輝を「カルサ様(上総介が訛ったものと思われる)」として慕っていたのである。
こういった事実は忠輝の家老・皆川広照によって領内だけに秘匿された。
もしこの事が秀忠に知れれば忠輝は暗殺の対象になりかねないからである。
惜しむらくは忠輝も広照も関ヶ原で家康が戦死し、今は影武者である世良田次郎三郎元信が形式上ではあるが秀忠の傀儡となっている事実を知らなかった事だ。
この事実を知っていれば広照は本多正信に忠輝を家康の世継ぎとして強く推薦したであろう。
また正信も無能な秀忠の事と徳川家の未来で忠輝の方にまで気がまわらず失念していたのは痛手の一つだ。
こうした情勢は忠輝の不幸の一つであっただろう。
そんな忠輝の才能をいち早く見抜いた大名が居た。
奥州王・伊達政宗である。
政宗は五郎八姫の嫁入り相手として忠輝を見定める為に自らの隠密集団である黒脛巾組に忠輝の身辺を調査させていたのだ。
政宗は上がってくる報告をにわかには信じられなかった。
他の大名も家康から嫌われていると思い込んでいる忠輝がなぜ嫌われているかよくわかっていない。
政宗はただ自分の娘婿がどの程度の男なのかを測るため黒脛巾を放ったのだ。
それが無ければ政宗とて忠輝の才気には気づかなかったであろう。
そして政宗はこれほど武将としてだけではなく為政者としても才能がある忠輝をなぜ家康が忌み嫌っているという話になっているかという事に疑問を感じたのだ。
「なぜ、忠輝殿は内府(家康の事)に嫌われているのだ?」
秀忠の残忍な性格を全く知らない政宗は忠輝の有能さが秀忠に知れれば暗殺の対象になる事を知る由もない。
「忠輝殿は決して無能な6男では無い、忠輝殿には何か裏があるはずだ。」
政宗は黒脛巾組の頭に決して伊賀に悟られぬように徳川の内情を探れと指示する。
「さぁて、鬼が出るか蛇が出るか、忠輝殿を天下人にのし上げるのも一興やも知れぬな!」
政宗は忠輝を大いに気に入り、「上総介殿は五郎八の婿として出来過ぎた婿よ!」と評価したのである。
それから政宗は嬉々として正室・愛姫と五郎八に忠輝の話をし、特にキリスト教の事を知り、大坂での細川ガラシャの死を嘆いていた五郎八はいがみ合うばかりのカトリックとプロテスタントの双方に尊敬をされる松平忠輝という男に興味をもち、それは長じて淡い恋慕へと変わってゆくのである。
政宗は事ある毎に五郎八に忠輝の話をした。
これは政宗の一種の洗脳の様なものであったが、五郎八はその話が楽しみで仕方がないという様子、大人げなくも政宗は自分で五郎八の気持ちを忠輝に向けておいて、若干、親馬鹿な嫉妬するほど五郎八の忠輝への興味は強かったのだ。
しかし政宗は決まって五郎八に言うのである
「忠輝殿は五郎八にももったいないと言えるほどの男である、五郎八も負けてはならぬぞ?忠輝殿と共に歩める女子になるのだ!!」
五郎八も「はい!父上!」と花嫁修業に励むのだ。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
今後も「闇の葵」をよろしくお願いいたします。




