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戦後処理

関ケ原で勝利を収めた家康方諸将は家康の首実検くびじっけんに付き従い、実検が終わった後、家康の陣で戦勝祝いを行おうとする。


次郎三郎じろうさぶろうは「戦勝祝いは大坂城と諸将の妻子を取り返した後に行う」と明言した。


これには次郎三郎と本多忠勝ほんだただかつ本多正純ほんだまさずみが「家康の死」という動かざる事実とその後の戦の気の疲れがもはや限界に達していたのも理由の一つである。


次郎三郎と忠勝と正純は中納言ちゅうなごん徳川秀忠とくがわひでただが参着するまで時間を稼ぐ為の策を練り、結果として先に三成の居城である佐和山さわやま城を攻めるという方針を立てたのだ。


次郎三郎は床几しょうぎ(簡易用の椅子)に腰かけた諸将の中で、ひときわ小さくなっている人物に目が行った。


視線の先にいたのは小早川秀秋こばやかわひであきである。


秀秋はただでさえ土壇場の寝返り者として肩身が狭かった上に、また戦の終盤まで模様見もようみをしていた行為自体が諸将の反感を買い卑怯者ひきょうものあざけりを受けていたのだ。


見るに耐え忍んだ次郎三郎は秀秋を真っ直ぐ見て発言する。


金吾きんご殿!(金吾中納言きんごちゅうなごんというのが秀秋の通称である)此度こたびの戦、金吾殿の御助勢ごじょせい無くば覚束無おぼつかなきものであった、金吾殿にはこの家康、重ねて礼を申す」


秀秋を嘲っていた諸将も次郎三郎のこの言葉に対し何も言えなかった。


次郎三郎のこの一言で今回の「小早川の寝返り」に対して諸将は表立って秀秋を嘲る事が出来なくなったのだ。


しかし秀秋の家康に対する恐怖は絶対であり、未だに顔は真っ青である、秀秋は震えた声で


「勿体なきお言葉、秀秋、過日は伏見城ふしみじょう攻めに参加した事を深くお詫びいたします。」


秀秋は涙を流しながら次郎三郎に謝辞を述べる。


次郎三郎はそんな秀秋に対し


「此度の戦功せんこうはその罪を償って余りある!」


と声をかけたのだ。


秀秋も深く頭を下げ、なお涙しながら「ありがたき幸せ」と答えた。


次郎三郎は忠勝と正純で申し合わせ、誰に行かせるか未だ決まっていなかった佐和山攻めの先鋒せんぽうを秀秋に命ずる事にする。


忠勝と正純は次郎三郎の突然の決断に驚きはしたが、それより次郎三郎の機転を高く買い口を出さなかった。


秀秋はじめ戦国武将にとって「先鋒」は重要な役割であり、任されるのは名誉でな事であった。


「寝返りの将」の汚名を返上する機会を与えられた秀秋は次郎三郎の心遣いに感謝し、先鋒を謹んで受けるのである。


寝返り組の他武将たちも「我らにも御奉公をさせて頂きたく!」と続々と佐和山城へと出陣していくのである。


次郎三郎は軍監ぐんかん(戦の監督の様なもの)として未だ家康の死を知らない井伊直政を付け、佐和山へ向かう将らを見送った後、自らは忠勝、正純と共に大津城おおつじょうへと向かうのである。


この時まだ次郎三郎、忠勝、正純は気づいていなかった。


大津城に入れば次郎三郎の正体を一発で見抜く人物が急接近してくる事を。


佐和山城は文字通りの山城やまじろで、五層天守ごそうてんしゅを持つ近代城郭きんだいじょうかく堅城けんじょうであった。


「三成に過ぎたるものが二つあり、島清興と佐和山の城」


とまでうたわれた名城であったが、関ヶ原で散り散りになった兵は行き方知れず、佐和山を守るのは三成の父・正継まさつぐと兄・正澄まさずみ、三成の妻・おりん等と約3千の城兵のみであった。


如何いかな名城と言えども、寝返り組の将兵が2万以上で「お家安泰の為に軍功を上げねば」という必死の猛攻撃には流石の佐和山城も全く歯が立たず、再起を図る石田三成いしだみつなりが佐和山城に落ち延びて来た時には既に佐和山は落城し、三成の父も兄も自害して果て、おりんは落城の混乱で行き方知れずになっていた。


三成には重家しげいえという嫡男ちゃくなんが居た。


重家は関ヶ原にて三成敗北の報を受けてすぐ乳母と共に密かに佐和山を出て、京都・妙心寺に入り住職の伯蒲慧稜はくほえりょうの機転により重家は剃髪、仏門に帰依させた。


佐和山落城を見届けた三成は帰る所もなくもはや覇気もなく、方々を逃げ回りその姿をくらませた。


大津へ向かう道すがら忠勝と正純は次郎三郎の顔色を見て、「存外良い顔色をしている」などと思う。


その視線に気づいた次郎三郎は頬を指でなぞり、化粧を塗っている事を見せて


「寝ておらぬよ」


と一言。


正純、忠勝も寝られなかったのだ、特に次郎三郎は自らを責める気持ちもあったのだろう、関ヶ原から後、深い眠りにつく事が出来なかったのだ。


目を閉じれば家康が刺殺された時の光景がまぶたに浮かぶ、現場にいた正純もまた同じ思いであった。


それがしもですよ、しかし後は大津に腰を据え、大坂の毛利輝元もうりてるもとを追い出せば亡き殿の大望である徳川の天下が見えてまいります」


その正純の言葉に次郎三郎は引っかかるものがあった、それは「大津」という単語であり、「大津」に対して何かを忘れている気がして、心がざわつくのだ。


次郎三郎はおのれの脳内で「大津」という言葉を何度も反芻はんすうし、これから来る絶望的危難を思い出してしまった。


つい今しがたまで、平然と会話をしていた次郎三郎が急に黙り込み、次に顔色を真っ青にしたので忠勝と正純は驚きいよいよ心配になり、「殿、いかがなされました?」と問う。


次郎三郎は一言答えた。


「今、最大の危機は大津にある」


この一言で「危機」について感じ取った正純も見る見るうちに真っ青になる。


忠勝は「大津には味方勢しかいないではないか?」「どうした?」などと言っていたが、次の次郎三郎の言葉を聞いて忠勝も青くなる。


「おかじがくるぞ」


その言葉を聞き忠勝も事態の重大さに気が付いた。


「お梶の方」とは家康の愛妾あいしょうの一人である。


数多く側室を持った家康であったが、その中でもお梶の方の聡明さは他の側室の追従を許さない程であり、家康をして「梶が男であれば一国一城の主になれたろうに」と言わせるほどの女性である。


次郎三郎は二人に問う。


「誰がお梶に告げる?」


正純、忠勝共に頭を悩ませた。


「あれは尼になるぞ。」


次郎三郎の言葉は的を得ていた。


お梶の方とはそういった女性なのだ。


しかし正純には庶務全般の他に、未だ大坂城で陣取っている毛利輝元に大坂退去の交渉をしている、黒田長政くろだながまさ福島正則ふくしままさのりの対応もしていた。


そんな正純にお梶の方の事まで任せるのは次郎三郎と忠勝は気が引けた。


三人は密かに合議し正純は引き続き大坂の折衝せっしょうを、そしてお梶の方の対応は次郎三郎と忠勝に任せる事にする。


お梶の方への対応を相談しようと次郎三郎は忠勝に声をかける。


しかし忠勝は「わしはお梶殿が苦手でなぁ」などと言う。


苦手で済めば自分も苦手と言いたいところだが、お梶の事である、どんな手を使っても大津城に来るであろう。


次郎三郎と忠勝は「最悪の状態になれば斬る」という結論にたどり着き重い足取りで大津城に向かうのであった。

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。

これからも「闇の葵」をよろしくお願いします。

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