決戦・関ケ原
関ケ原の戦いを書ききったら真っ白に染まった様に筆が進まない・・・
しかし、主人公を出さずに終われない!!!
頑張ろうっと。
慶長5年(1600年)9月15日
真っ赤な具足を着けた一団が福島正則の陣営を横切ろうとする。
これに気付いた福島家の武将・可児才蔵が真っ赤な具足の部隊を率いる男に声をかける。
「本日の先鋒は福島正則があい務め申す、どなたであれ御通行は遠慮いただきたい。」
真っ赤な具足の集団を率いる男が答える。
「通行ではない、物見なり」
才蔵は強く牽制する。
「物見もご無用!」
ここで真っ赤な具足の集団を率いる男・井伊直政が松平忠吉を才蔵に面通しし
「こちらにおわすのは松平忠吉公である、忠吉公は初陣にて、戦の始まるを御見物なさり後学となさんが為にここまで参った次第である」
才蔵は家康の4男である忠吉の名前を出されればもはや何も言えなかった。
畏まりましたと疑念の目を向けながら道を譲るのである。
忠吉は才蔵の視線を感じながら一言「許せ」と言いながら、直政と赤備えと共に福島正則の陣の先頭へ向かう。
霧に紛れ、赤備えが直政の采配で鉄砲を構える。
「放て!」
直政と忠吉と少人数の赤備えは対岸の宇喜多秀家の軍勢に向かい鉄砲を放った。
宇喜多勢は反撃として福島勢に鉄砲を返す。
正則は激怒し
「仕掛けたのは誰だ!!!」
と怒鳴り散らす、そこに才蔵が
「井伊直政の軍勢でございます!」
と申し渡すが、戦は始まってしまったのだ。
正則は成すがまま宇喜多勢と戦闘状態に入ったのだ。
その頃、鉄砲の音を静かに聞いていた黒田長政も戦が始まった事を察し
「始まったか、狼煙を上げよ」
と指示を出す。
長政の狼煙は全軍に戦の開始を知らせる合図でもあった。
そこに一番最初の速報が本田正純によってもたらされる。
「本日の先陣は松平忠吉殿!井伊直政殿!にございます!殿!おめでとうございます!」
その報告に家康は大層機嫌を良くした、しかしながら平原盆地である関ヶ原の戦場は桃配り山の本陣では戦の内容がが霧で見えず、戦の状況は「一進一退である」との正純の報告を聞くばかりであった。
業を煮やした家康は爪を噛みながら
「ええい!こんな所でくすぶっていられるか!!全く戦の様子がわからぬではないか!!本陣を移すぞ!!」
と言い桃配り山を下山する。
その間にも、福島正則と藤堂高虎、京極高知は宇喜多秀家と交戦状態に入り、田中吉政、井伊直政、松平忠吉は小西行長と交戦。
黒田長政と細川忠興は石田三成と交戦し始めた。
合戦はいまだ一進一退。
本営を関ケ原の平地へと移した家康は本陣の真ん中で使い番を方々に走らせ指示を出す。
「寺沢広高を藤川へ!大谷吉継を撃滅せよ!」
指示を出しながら正純に問う。
「南宮山の毛利勢は動いたか?」
正純は答える。
「未だ動かざる様子!」
家康は苛立ちながら
「小早川はどうした!!」
と怒鳴りつける。
正純は「戦況を伺っている模様」と答え、家康は大いに立腹し
「あの小童が!!」
そんなやり取りの最中、徳川の使い番である野々村四郎右衛門は未だに迷っていた。
自分が家康公に接近してからどちらの家康もまだ爪を噛んでいないのだ。
野々村は「くそッ!どちらが影だ?」
実は次郎三郎、家康のこの爪を噛むという癖だけは好きになれなかった。
大人が爪を噛む癖として「欲求不満」「苛立ち」「情緒不安定」などが上げられる。
家康が爪を噛むのは常に徳川家という家を背負いこれを発展させなければというストレスからくるもので、次郎三郎はそんな「お家の存亡」というストレスとは全く関係ない生活を送っているので、必然と爪を噛む癖はなかったのだ。
家康の爪を噛む癖は直接家康と接見する諸大名の中では有名な話であり、諸大名の中では影は爪を噛まないというのが家康の見分け方であった。
次郎三郎の影武者としてはこの癖を真似ないというのは影として失格であるのだが、そんな周囲の声に家康は、
「わしと次郎三郎はこれだけ似ているのだ一つくらい真似なくとも良いではないか」
と笑いながら周囲の者に言い聞かせていた。
しかし今回が初陣であり、また家康と直に接見した事もなく家康の爪を噛む癖を深く知らなかった野々村は命令の通り「爪を噛む方の影武者」を殺害する仕事を淡々と遂行するだけであったのだ。
家康はまた苛立ち始めとうとう野々村の前で爪を噛んでしまう。
野々村は「間違いない!あいつが影だ!」と確信し、暗殺の機会を伺う。
南宮山の毛利勢が動かないと悟った家康は人生最後の指示を出そうとしていた。
「南宮山の山内勢を関ヶ原へ!!有馬勢も同じく!!」
正純から「畏まりました!!野々村!!」と声がかかった。
戦況に夢中になっていた家康と正純にはこの時の野々村の殺気に気付かなかった。
ただ一人、野々村の異変に気付いた者がいる。
世良田次郎三郎元信だ。
家康からすれば天下一番の大戦だが次郎三郎からすればただの一つの戦に過ぎなかった分、殺気に敏感になっていたのだ。
運命のいたずらか、次郎三郎は家康の右側に控えていて、野々村は家康の左側から家康に向かって行ったのだ。
野々村はこれが好機と言わんばかりに家康に馬をぶつけ家康を左下腹から右上に向かい短刀を突き刺した。
次郎三郎が刀を抜き野々村に切りつけた時にはもう既に家康は虫の息であった。
「次郎三郎、徳川を、天下を。」
これが家康の最後の言葉であった。
次郎三郎と正純は家康の遺言を聞くも一瞬その場から動けずにいた。
既に下手人の野々村四郎右衛門は指示を出した男の元に報告に向かっていた。
唯一の救いであったのは濃霧のおかげで、家康の殺害現場を周囲の兵に見られなかった事である。
正純は衝撃のあまり倒れそうになったが、次郎三郎が、別の使い番に先ほどの家康の命令を伝え、正純に言う。
「正純殿、申し訳ないが忠勝殿をここにお呼び下され。」
正純はすぐさま気を持ち直し、単騎で本多忠勝の陣へと向かった。
次郎三郎はまず一番最初に家康の遺骸を隠した。
次郎三郎は自らを責めていた。
「わしが爪を噛まずにいたから殿は・・・。」
その時初めて次郎三郎は泣きながら爪を噛んだ。
「今日死んだのは殿ではない、世良田次郎三郎元信が死んだのだ」
心の中で自分に言い聞かせ忠勝の到着を待つ。
一刻もせず正純が忠勝を連れ本陣へ到着する。
正純は言う事も言わず忠勝を連れてきたため、忠勝は何が何だかわからずにいた。
その頃には霧もわずかに晴れ周囲の兵が影武者の不在に気付き始めざわつき始める。
忠勝が問いかける。
「殿、いかがなさいました?この様な前線近くまで、それに次郎三郎の姿が見えませぬが・・・」
次郎三郎は忠勝に答える。
「平八郎(忠勝の事)分らぬか?わしが死んだのだ。」
次郎三郎の顔を注意深く見た後、軍旗にくるまれた遺体を見て忠勝の顔色がみるみる青くなる。
次郎三郎が釘をさす。
「今気取られるな、気取られれば負けぞ。」
忠勝は怒り狂いながら軍旗にくるまれた遺体を名槍・蜻蛉切で叩き始める。
「次郎三郎!貴様!!この大事な一戦で殿を守り切る事無く先に死ぬとは何事か!!」
家康が消えた事に不安を感じていた周囲の兵はこの忠勝の行為に影武者が殺されたのだと安堵した。
そんな忠勝は蜻蛉切を家康より拝領した時の事を思い出してしまう。
家康が忠勝に名槍であると与え、それに感激した忠勝は槍を掲げた、その時にふと蜻蛉が槍の穂先に止まったのだがその蜻蛉は音もなく二つに割けたのだ。
家康はそれを見てにこやかに、
「その名槍、蜻蛉切と名付けよう、古今無双の平八郎に相応の槍ではないか」
次郎三郎はそんな忠勝を止め
「次郎三郎はよくやってくれた、その辺でよいであろう。」
次郎三郎は忠勝に本陣に留まるように言う。
「殿は常々忠勝殿の武運を誇っていらっしゃった、この一戦で良い、その武運をわしに貸してくれ」
と頼む。
忠勝も勿論承知し、本陣にとどまった。
合戦も膠着状態が始まると、次郎三郎はふと松尾山に光るものを感じた。
松尾山に陣取っていた小早川秀秋である。
秀秋は遠眼鏡で石田方、徳川方のどちらに付くか未だ悩んでいたのだ。
いち早く秀秋の監視に気付いた次郎三郎は忠勝に言う
「平八郎、そなた、そろそろ自分の陣に戻れ。」
と言った、忠勝は次郎三郎が3万の軍勢を差配出来る訳も無いと知っている、驚きながら「そなた、自ら采配を振るうつもりか!?」と小声で聞いてきたので次郎三郎も小声で返す。
「金吾殿(小早川秀秋の事)が遠眼鏡でこちらの様子を伺っておる、先手旗本大将の忠勝殿がここに居れば怪しまれる」
と答え、その後「誠に申し訳ないが殿の鎧を脱がし奉り、わしの影を作ってくれ」といった。
忠勝は次郎三郎の洞察力、観察眼、機転に驚いた、そして納得し頷くと家康の遺体を幕外に運び、
「殿、誠に申し訳ございませぬ」
と泣きながら家康の鎧を脱がし、自分の一度自分の本陣へ戻る。
その頃、松尾山の小早川秀秋は家康の影武者が居ない事を大いに怪しんでいた。
戦況は膠着状態、今自分が付いた方が勝つしかし、家康の方に影か本人のどちらかが居ない、もし家康に異変あれば三成方に付けば自分は関白になれる。
18歳の子供ゆえその夢を捨てきれないのだ、鼻歌交じりに
「ふふん、本多忠勝が本陣にいるのも怪しいなぁ」
焦ったのは既に家康と内応の約束を交わしていた稲葉正成と平岡頼勝である。
石田三成と徳川家康では大名としても武将としても格が違うのだ。
それに三成方、家康方との出馬の合図である再三の狼煙を秀秋は無視し続けている。
遠眼鏡で徳川本陣を見続けていた秀秋は未だ迷っていたのだ。
一方その頃、南宮山の毛利勢、長宗我部勢は山を下りれずにいた。
先鋒の吉川広家が何故か一向に動こうとしないのだ。
長宗我部の使者が出馬の催促に来たのだが広家が言うには
「わが軍はこれより行厨(お弁当)をつかわす、ざっと一刻はかかろう」
長宗我部の使者は落胆したように
「それでは戦に間に合わん」
広家は悪びれもなく
「南宮山の麓には池田輝政、浅野幸長など1万5千近くの兵がひしめき合っている、これを釘付けにする事も立派な手柄では無いのかな。」
という。
広家以外は三成方への参戦に前向きであった毛利勢と長宗我部勢だけに、もし出馬する気が無いのなら、我々が山を下りて出陣するから陣をよけてくれと広家に申し出る。
その言葉に広家は大いに怒り
「この度の毛利勢の先鋒は広家に任されている!もし広家を差し置いて兵を出すというのなら味方といえど討ち果たすぞ!!」
と恫喝した。
南宮山はこうして未だに兵を動かせずにいたのだ。
再び戻って、家康陣。
家康の鎧兜を本多忠勝が身にまとい、次郎三郎の影として代役を務めていた。
その間も松尾山からは、遠眼鏡が反射し光をこちらに向けている。
次郎三郎はわざと爪を噛みながら光を睨み続ける。
これには松尾山の小早川秀秋も驚愕した。
「内府(家康の事)が、内府がわしを睨んでいる!!」
正成と頼勝はわざとらしく
「いや、内府殿では無く影の方ではないのですかな?」
と秀秋に聞く、秀秋は蛇に睨まれた蛙の如く
「いや、内府の影は爪を噛まぬ!!あれは内府だ!!」
そんな松尾山の様子を見ながら次郎三郎は決定的な決断をする。
「正純、鉄砲隊をこれへ」
正純も忠勝も次郎三郎が何を考えているかわからなかった、だが正純は家康の遺言を聞いている身として鉄砲隊頭を連れて来た。
「松尾山に鉄砲を放て!」
次郎三郎の指示は正純と忠勝を驚かせるに十分だった。
忠勝は
「そんな事をしたら金吾の1万5千がこちらに殺到するぞ!?」
と次郎三郎をなだめるが次郎三郎は
「いや、殿ならば必ずそうされた!」
と答える。
正純も忠勝も確かに18歳の金吾が模様見なぞしていたらそうなさるかも知れんと思い直し腹を括った。
こうして家康の鉄砲隊の松尾山への攻撃が始まる。
これに恐怖したのが小早川秀秋である。
「やはりあれは内府なのだ!!内府でなければわしを撃てるはずが無い!!」
正成と頼勝ももはや聞くことは無いだろうと思ってはいるが一応了承を取る。
「撃ち返しますか?」
と、秀秋は顔を真っ青にしながら
「何を言っておる!早く松尾山を下りるぞ!!」
両名はもう一度聞く。
「どちらにでございますか?」
と、秀秋は興奮しながら
「大谷吉継を攻めるに決まっているだろう!!!」
と小早川1万5千は大谷吉継の陣を目指し殺到するのである。
これにて関ヶ原の戦いの勝敗はほぼ決まったも同然であった。
次郎三郎と忠勝は無事に戦を乗り越えた事に安堵するが、正純だけは今後起こる苦難に対し次郎三郎に同情の念を抱いていた。
ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。
誤字脱字等ありましたらご指摘頂ければ幸いです。
これからも「闇の葵」をよろしくお願いします。




