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三成の暗躍

なんだか最近「水戸黄門」の再放送見ながら泣いたりしちゃいます(´;ω;`)

人情ものに涙もろいとか、年なのかなぁ・・・。

家康はもはや行く所に敵は無しという状態であった。


家康は手始めに伏見城に居を構える事とする。


伏見城の留守居役は長束正家なつかまさいえ増田長盛ましたながもりの2名であった。


このうち前田玄以まえだげんいを味方に引き込んだ家康はその強大な武力を背景に伏見城の明け渡しを迫るのである。


伏見城には老練な本多正信ほんだまさのぶを遣わされた。


正家、長盛の両名は寝耳に水の出来事であり、最初は正信に対し強硬な姿勢を取っていた。


そんな中正信の琴線に触れた一言が長束正家の口から発せられた。


「取れるものなら取ってみよ!」


正信は即座に立ち上がり


「あいわかり申した、弓矢にかけても伏見城は明け渡さぬとの両名の御覚悟、立ちかえり主に伝えます故、次は戦場で相まみえましょうぞ」


この正信の一言に焦ったのは正家であった。


「何も弓矢にかけてとは申しておらぬ。」


正信は畳みかける様に


「各々がた、石田治部の二の舞になりたくば伏見にごゆるりと御逗留ごとうりゅうなさるが宜しかろう」


正信はそう言い捨て伏見城を後にする。


奉行たちは三成の前例もさることながら家康の使いである正信に到底逆らえず、伏見城を徳川家へとすごすご明け渡す。


その報を蟄居中の佐和山城で耳にした石田三成は


「内府殿の野望がうごめきだしたか・・・。」


と重臣である島清興と横山喜内に呟く。


石田三成は蟄居中の身とは言え19万8千石の領地を召し上げれられた訳では無く身分はれっきとした大名である。


なんとか徳川の野望を打ち砕かんと謀略に謀略を張り巡らせる日々をたんたんと送っていた。


家康は伏見城に入るないなや、朝鮮の役の論功行賞を改めて見直し、独断と偏見とも言える賞罰を発布した。


伏見に居を構えた家康は淀の方より「一日も早く秀頼に挨拶に来るように(臣下の礼を取る様に)」矢の催促をしていた。


これを長盛、正家、玄以は足繁く家康を訪ね願い奉っていた。


そもそも家康は大坂城へ上手く入城するにはどうすれば良いか思案していたところである。


家康は淀の方よりも秀吉正室・北政所を立て、何かといえば北政所に相談をしていた。


ある日そんな北政所がこう言った。


「内府殿は何故に動かぬ?」


家康は答える


「大阪には某を煙たがるものが大勢います故」


と笑いながら北政所に答えた。


北政所はもはややつれ、疲れた様子で


「わらわは大坂の暮らしに飽きた。立派な髭を蓄えた大名が淀の方になびく横目で見るのはもう歯がゆうて面白からず。内府殿、この西の丸をお使いなされ。」


大坂城での暮らしにうんざりした北政所に代わり大坂城へと居を移す計画を立てる。


この後、北政所は髪を降ろし以後、高台院こうだいいんと号する。


高台院から西の丸を譲られた家康はすぐには大坂へ出向かなかった。


これに難色を示したのは淀の方はじめ増田長盛、前田玄以、長束正家の三奉行である。


「何故、大坂城へ御登城されぬのか内府殿の存念を伺いたい!」


三奉行は淀の方と家康に挟まれて必死であった。


ここで家康は加賀大納言が存命の際に命を狙われた事を蒸し返す。


「昨今、大坂にて容易ならざる風説あり、大坂にて家康の命を断とうとする一派がいるというでは無いか?」


三奉行は顔を見合わせ笑いながら


「風説にすぎませぬ、安心して御登城召されよ」


家康は三奉行を睨みつけ


「もしや、各々方、不埒なる輩の一派であるか!!!」


三奉行は「とんでもない」と各々口にし正信に助けを求める。


「殿は加賀大納言の御屋敷にて御命を狙われた経緯これあり、その様な輩が巣食っているやも知れぬ城中に臣としてむざむざ送り出すわけにはいきませぬなぁ。」


三奉行は家康に


「ここで内府殿が秀頼君との謁見なくば天下に無用な騒乱を生みましょうぞ!!」


三奉行は必至である。


ここで家康は一つの条件を出す。


「ここでお三方を手ぶらで帰すのは忍びないという思い、家康に無くはない。」


三奉行の顔も明るくなり「しからば!」


と家康に伺いを立てる。


そこで家康が出した条件というのが


「しかし、家康とて謀反の噂のある城中に入りむざむざ死にとうはない、三河より引き連れた手勢をもって大坂に参上したいがその儀ご承知願えるか?」


三奉行はとにかく家康と秀頼の対面さえなれば万事うまく行くと考えていたのだ。


ここが武将としての「格」の違いであたのだろう。


秀頼と家康の対面はつつがなく行われた。


家康が秀頼を立て、それに気を良くした淀の方は「家康殿は秀頼殿のおじじ様になるのですよ」などと口にしていた。


三奉行も家康はこれで大坂から伏見に戻るものであると思っていた。


しかし今度は家康は大坂城から動かず、軍勢を率いてやって来ている家康に三奉行は暗に伏見に帰る様に説得しに行く。


家康は三奉行に「家康暗殺未遂事件」の犯人を捕らえ、罰するまで大坂を動かないと言いはじめた。


家康はこの機に大坂に巣食う反徳川の武将を大坂から一掃しようと目論んだのだ。


この時、家康側近・本多正純は三奉行に助言する。


「落としどころは浅野長政あさのながまさ様」


三奉行は長政を事情聴取した結果、長政は罪あるを認め、この企てに参画した大名の名をを次々と自供し始める。


浅野長政は家康側の「囮」であった。


長政は高台院の実弟であり、大坂の内部で高台院が淀の方の権勢に押されつつあるを面白く無く思っていた。


そんな正室・高台院として礼節をわきまえ接する家康に少なからず好意を抱いていた。


そして何より長政を家康派とさせたのが高台院の「これからは徳川殿に全てを任せなさい」の一言であった。


長政の口から家康暗殺未遂に参画したる大名は小者から大者まで出てきた。


すなはち首謀者は加賀の大名・前田利長まえだとしなが


彼は前田利家の長男にて五大老の地位と加賀を継いだ男である。


長政の自白からは他にも大野治長はじめ土方勝久(ひじかたかつひさ)等の大名の名が出てきた。


この中で土方勝久は長政と同じく徳川側の仕込みであった。


今回、家康の目的は加賀・前田家の力を削ぎ、前田家を徳川家に屈服させる事と、淀の方の側用人である大野治長を大坂から追放する事にあった。


治長は淀の方と不義密通ふぎみっつうを重ね、豊臣秀頼とよとみひでよりは実は治長の子では無いかと民衆から噂をされる程、淀の方の治長に対する寵愛ぶり常軌を逸していた。


家康は三奉行を通じ「前田利長」「浅野長政」「土方勝久」「大野治長」を初めとする諸将に罰を与えた。


浅野長政は所領で謹慎、大野治長、土方勝久は所領没収の上常陸の佐竹義宣さたけよしのぶに身柄を預けるとの沙汰が下った。


この処置に怒ったのは前田利長であった。


これを不服とし家康が送った召喚状を無視したのだ。


家康は見せしめの為として「加賀征伐」の計画を練る。


そんな中もう一方この処置に怒りをあらわにする人物が居た。


「淀の方」である。


寵愛の治長を常陸の国に流されようとしているのだ。


淀の方はもしやと思い、治長に確認をとる。


「治長や、そなた誠に内府殿暗殺の企てに参画しておらぬだろうな?」


治長にとっては正に寝耳に水。


「その様な大それたこと考えた事もござりませぬ!」


淀の方に訴える。


淀の方はその足で家康の下へと向かおうとする。


その着物の袖をつかんだ男がいた。


秀頼傅役・片桐且元かたぎりかつもとである。


「御方様、どちらへとお向かいですかな?」


淀の方は且元をキッと睨みつけ


「無論、家康殿の所へ向かうに決まっておろう」


且元は真剣な目をし


「此度の家康殿の振る舞いは何か底意がある様に思えます、今動けば術中に嵌る恐れこれあり。」


淀の方は且元を見て


「しかし治長は無実と申しておるでは無いか?」


とにこやかに且元に答える。


「此度、罰を受けたる大名は治長のみにあらず」


その言葉を聞いてもなお家康の下へ向かおうとする淀の方に且元は最後の切り札を切った。


「御方様、秘密事が明るみになっても宜しゅうございますか?」


これには淀の方も驚いた。


「且元殿?秘密とは何ですか?」


且元も「これ以上は言わせないで頂きたい」と辞退するが、淀の方はそれを許さず且元を問い詰める。


「ならば申し上げます、三奉行の仄めかすには大野治長、本丸にて行い正しからず、主従を弁えぬ、不義密通はこれ万死に値するとの事ござります」


淀の方は一瞬目の前が暗くなり、その後治長を見た。


治長は悔しそうに歯を食いしばり俯いていた。


淀の方は家康の決定に逆らわず、治長を常陸へと送り出すのだ。


一方、前田利長の方は利長の妹婿である細川忠興の周旋で何度も家康に説得を申し言えれていた。


「忠興殿、利長は召喚状を不服とし内府様と一戦交える覚悟と伺ったが?」


家康の御前で三奉行が問い詰める。


「利長殿は気が動転し、思いもよらぬ事を口走ったやも知れませぬが、内府殿と一戦交えるどころか、今や居城で謹慎しております。」


正純が忠興に一言申した


「忠興殿、内府様の前にて頭が高こうございます。」


忠興は家康に「何卒利長をお見限りの無い様に御願い奉ります。」


と言い平伏する。


家康はそんな忠興に利長の処遇を言い渡す。


「利家殿とは数十年来苦楽を共にした仲でもある故、罪一等は差し許す。次いで利長に伏見城にて近しく面談したいと申し付けよ、最後になるが利長の生母を江戸城にて身柄預かりの事とする」


これに驚いたのは三奉行である。


「内府様、江戸城と申されましたか?」


家康は「そうじゃ江戸城じゃ。」


と答えた。


なぜ三奉行が驚いたかというと、豊臣政権以来、大名の妻子を人質に取るのは大坂であった故、家康の「江戸城」という発言は暗に政権は交代しつつあるとの発言とも取られかねないものなのであった。


「これがすべて叶えば利長の罪をすべてさし許すと申し伝えられよ」


家康の言葉に忠興は「ありがたき幸せ」と早速加賀へと向かうのだ。


利長は家康の言う通り神妙に全ての条件を飲み、すべての罪を許され「加賀征伐」は計画段階で霧散した。


ここまでの流れを黙ってみていたのが石田三成であった。


もはや家康の傍若無人と言える振る舞いにはらわたが煮えくり返る想いをしていた。


「おのれ!!家康!何様のつもりだ!!加賀百万石が屈服したとなると、家康に逆らえる大名はそうそうおらぬ!!」


側近の島清興は名だたる大大名をあげつらう。


「会津の上杉景勝殿はいかがでございましょうや?」


三成が景勝を「上杉殿は所詮田舎大名じゃ」と評する。


「安芸の毛利輝元殿はどうでございましょう?」


ついで輝元を「毛利殿は右顧左眄うこさべんする」


「では宇喜多秀家殿は如何にござりましょう?」


三成は一言放つ「秀家殿は若すぎる。」


清興は最後に一言放つ。


「然らば殿が立ち上がるのみにござりましょう!!」


三成は目線を落とし「某は蟄居中の身じゃ」と悲しそうに答えた。


「殿は忘れましたか?太閤殿下の恩顧に報いる為にはどんなことも厭わないと!」


それらの会話を横で聞いていた横山喜内が清興に「馬鹿を申すでない!今立ち上がったとて無駄死にでは無いか!!」


と一喝する。


清興も「何も今すぐとは申しておらん。」などと喜内をなだめる


三成はそれらのやり取りから何かをつかんだ様子にて


「そなたらのおかげで一計浮かんだぞ。」


清興はその三成を見て安堵した。


喜内は清興に「そなた、けしかけたな?」などと憎まれ口をたたいていた。


それからの三成は大量の書状を書く事に忙殺された。


まず、策の要となる会津あいづ(現在の福島県西部辺り)の大大名・上杉景勝うえすぎかげかつの側近中の側近・直江兼続なおえかねつぐ、西の大大名・毛利輝元もうりてるもと、その毛利家に仕える外交僧がいこうそう安国寺恵瓊あんこくじえけい、この二人に真っ先に書状を書いた。


三成の策とは、家康を関東のはるか奥地である・会津へと引き付け、その隙を突き、大坂城に毛利輝元が入城、秀頼君ひでよりぎみを補佐し戴いて家康を東と西から挟み撃ちにするというものであった。


三成はまず、毛利輝元、宇喜多秀家うきたひでいえ、上杉景勝の三大老を説得、以前より友誼ゆうぎを結んでいた大名である佐竹義宣さたけよしのぶ小西行長こにしゆきなが等の説得に成功する。


その三成の動きに一番最初に気付いたのは皮肉にも徳川家康であった。


「治部め、身の程も知らずに愚かなことを、しかし、治部が挙兵に及べば勿怪もっけの幸い、誰と誰がこれに加担するのか、時を与えじっくりと見極めようぞ、あとで十把一絡じっぱひとからげに葬れば、手間も省けるというもの」


家康はにやにや笑いながら三成をあえて泳がすことにしたのだ。


「足元をすくわれねば良いですがな?」


家康の影武者・世良田次郎三郎元信せらだじろうさぶろうもとのぶは家康に釘を刺す


「わかっておるよ」


全く同じ顔に説教されたのであれば家康とて怒り様もない。


そんな家康の思いも全く読めず、三成は安国寺恵瓊のほか豊臣政権の三奉行・増田長盛ましたながもり前田玄以まえだげんい長束正家なつかまさいえ等と大いに語らい、策を更に練り上げる。


「家康殿の専横は各々方の熟知するところなり、今!三奉行立たざれば、やれ腰抜けよ、やれ臆病者よと子々孫々迄語り継がれるは必定!」


三成の気迫にて三奉行は三成への加担を内々に決心する。


家康は断られると分かっていながらあえて上杉景勝に上洛を命じる文を送る。


景勝側近・直江兼続はこれに対し激烈な返書を送った。


かいつまんでここに記す


「内府殿はそもそも豊臣を蔑ろにし、五大老誓紙を会津の道路整備は謀反の証と申されるが、謀反の意思があれば道幅は狭くし、橋は打ち壊すものでありましょう?武器弾薬の購入でござりますが、坂東武者は上方武士とは違い、茶器や芸術を愛でずに武具・鉄砲・槍を愛でるものにてこれを咎められるは迷惑千万、場合によっては家康公御自ら会津御下向の機会もあるやも知れませぬ故、その際は上杉流の馳走を用意し家康公をお迎えいたしたく候」


これが抜粋ではあるが世に云う直江状なおえじょうである。


これにて上杉家の徳川家に対する敵対姿勢が明らかになった。


家康はこの書状に大いに怒った。


逆に次郎三郎は大いに笑った。


家康は次郎三郎に「何が可笑しい!」と問い詰めると


「いやいや、治部もまさか上杉殿を巻き込むとは、これは他にも転ぶ大名が無きにしもあらずですぞ?」


などという。


家康は用心深い男である、次郎三郎の忠告を真摯に受け止め、


「さて、誰が治部に味方するかな?」


と先ほどまでの怒りを冷静さに変えて三成の動きを注視しつつ上杉の対策を立てた。


家康は公然と反旗を翻した上杉家をそのままにしておくことが出来なかった。


大坂城西の丸では三成に相通じている三奉行が


「上杉殿に上洛を迫り詫びを入れされせるのが常道ではござりませぬか?」


などと家康を止める「ふり」をする。


しかし、家康の気性は知られているため十中八九「上杉征伐」になるであろうと予想していた。


家康は三奉行に申し渡す。


「この家康、太閤殿下より国政を預かっておる身であるぞ?上杉はその国政に背いたのだ、これを征伐するに何の不都合があろうか?」


三奉行は黙して何も語らず、秀頼傅役・片桐且元に家康の処置を任せた。


且元は思いがけぬ言葉を発した。


「此度の会津の征伐、若君にはお耳に届かぬものとお心得あれ。」


家康が激昂し「上杉は国政を蔑ろにしたのだぞ!!」


と申すが、且元は一歩も引かず


「若君の上杉殿に対する信任と覚え、殊の外めでたく」


家康は且元の言葉に納得するように、


「そうかそうか、ならば淀の方に申し付けあれかし、今後、国政にまつわる事に関して一切の口出しは無用と。」


且元が「それとこれとは別儀にございます。」


と言いかけた時に家康は「別儀にあらず、役目大義!」


且元の言葉を目の当たりにして、三奉行は心中で安心したものがあった。


家康は「お三方、聞いての通りである、会津征伐に連署花押を」


と迫った時三奉行の態度が一変した。


「若君のお墨付き無くば、この度の連署花押は差し控え等ござりまする。」


家康は即座に三奉行が三成と通じている事を見抜いた。


「若君は若年とはいえ主君は主君、主君のゆるしなく連署花押は致しかねまする」


家康は三奉行に言い放つ


「ならば敢えてお三方の連署は求めぬ、此度の会津征伐はあくまで家康の一存で行う事といたす!」


その後、内々に片桐且元、淀の方、秀頼が家康を訪れ、大坂城の御金蔵から陣中見舞いを下賜する。


淀の方は家康の耳元で囁くように


「治長は何かと役立つ側用人にて、会津の手土産に常陸から連れ帰って頂きたく。」


さすがの家康もここまでされては「否」とは言えず、「は、はぁ。」


と生返事をするのであった。


公然と反旗を翻した上杉家に対し、三成は同時に毛利家の外交僧・安国寺恵瓊に送った密書の返事を佐和山で聞いていた聞いていた。


毛利家の要求は「家康亡き後、毛利家がその代わりを務める」という事であった。


輝元はここで天下に野心を抱いてしまったのだ。、


祖父である、元就の「天下を望んではならん」との言葉を忘れていたのだ。


恵瓊は次いで宇喜多秀家を説得し、三成方に付けた。


毛利家にはどうにも一人、家康征伐に煮え切らない人物が居た。


吉川広家きっかわひろいえである、彼は毛利家にありながら徳川家とも誼を通じ、徳川の戦上手や謀略を知っていた為、この事すら読んでいるのではと考えてた。


また三成の「一人くらい反対者が居てもよかろう」とう言う言葉が広家をまた頑なにした。


淀の方は此度の大乱について三本木の高台院を訪ねていた。


高台院は淀の方に言って聞かせる。


「此度の合戦は、家臣と家臣の争いじゃ、決してどちらにも取り込まれてはなりませぬ。もし、この動乱で家康殿が勝ったらどうなされるおつもりか?」


淀の方が答える


「豊臣家は滅びまする。」


高台院は淀の方をなだめる様に言い聞かせる。


「内府殿は、太閤殿下がお決めになった国政を預かる身、その上、そなたの妹は家康殿の嫡男ちゃくなん秀忠ひでただ殿の奥方です、また秀忠殿の長女・千姫せんひめと秀頼殿はいとこ同士、殿下がお決めあそばせた許嫁ではありませんか、徳川家との縁組は殿下の思し召しです、それはもう家康殿とて良く解っています。内府殿の下には正則(まさのり、清政きよまさをはじめ豊臣家恩顧の将が集まっておりますぞ?くれぐれも自重なさるがよろしかろう。」


淀の方は笑顔で「しかと承りました」


と高台院に挨拶をし茶室を後にする。


大坂にい戻った淀の方を待っていたのは石田三成と三奉行であった。


三成は「再三に渡る御面会のお許しいただき誠に有難うございます」と御礼言上を述べた。


淀の方は「再三に渡る」という所は全く知らなかった。


その顔色を見た且元は「時期が時期ゆえに私の方で面会を拒絶しておりました。」と申し上げる。


淀の方は「そうであったか、大義である。」


淀の方は三成の方を見直し直に声をかける。


「何故、三成殿、そなたはここに居るのか?」


三成に代わって三奉行がそれに答える。


「我ら三奉行の名において登城を許可した次第にござりまする。」


淀の方は鋭い目をし


「三奉行は三成殿に挙兵の企ても許したのか?」


と申し渡す。


そこで三成は淀の方に言上仕る。


「淀の御方様に言上仕ります。徳川殿の専横は見るよりも明らか、このまま徳川殿の勝手を許せばいずれは豊臣家に害を為すは必定!我ら元よりありったけの財をなげうって戦に臨む覚悟なれば、願わくば大坂城の御金蔵より然るべき軍用金を賜りたく存じ上げ奉ります!!」


淀の方は一瞬迷った目をしたが、その三成の言を且元は一喝した。


「お断り申し上げる。此度の戦は「家臣」と「家臣」の戦にて豊臣家の御意向がないまま始められており申す」


三成は「御意向はともかく、豊臣家の為を思っての挙兵にござります!」


且元は三成に返す。


「内府殿とて豊臣家の家臣、これに与する大名とて豊臣家の家臣、決して少なからず。」


三奉行が苛立ち「そなた!家康殿の回し者か!!」などと言うが、淀の方が場を収める。


「神妙に、若君の御前なるぞ」


こういって淀の方は謁見の間を後にする。


結局三成は豊臣家の軍資金を得ることが出来ず戦に臨まなければならなかった。


誤字脱字の訂正がありましたらご指摘頂ければ幸いです。

今後とも「闇の葵」を宜しくお願い致します。

(*- -)(*_ _)ペコリ

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