学園の傀儡 5
「捕まらなきゃいいだろ。具象魔法の残りの性能は知らねえが、今の二つから予想するに、まったく使えないってことはねえだろ」
ショウの言う通りではある。私はショウの生意気な態度もあって、建前をかざして隠している。確かに、ショウがあの具象魔法を使い込めば、ユリシスにも勝てる可能性がある。性能をそのまま言って、慢心されても困るから黙っておこう。
「勝てるとは言わねえ。俺の弱さは俺が一番知ってる。逃げるなら任せろ」
「悲しい自信ね……」
アリスの隣に座るユウキちゃんは腕を組んで目を瞑っている。肯定の意を示さないまでも、ショウの実力を見た以上否定もできない、難しい立場にいる彼女は黙秘を貫く。
誰も否定しない。アリスは他の面々と比べて、知識量が圧倒的に少ないから仕方ないにしろ、先生からユリシスの具象魔法を聞き及んでいないはずのないユウキちゃんも。
だから私が否定する。
「彼女と一対一で対面して、逃げられるとは思わない方がいい」
無情にも、非情に私は言い放った。誰も告げない現実を言葉にする。
「否定しねえ。が、それは絶対か?」
「絶対だ。ユリシスの具象魔法に距離は無意味で、防御はできない。対策は複数人で相対するか、彼女の視界から逃げるかの二択だけだ」
「……チートじゃねえか」
「ま、私は簡単に避けられるけどね」
ショウの『チート』という評価は実に正しい。実質、ユリシスの具象魔法は二つあるようなものだ。そんなことを言ったら、ショウの具象魔法は五つあると言えてしまうけれど。
空を裂くユリシスの具象魔法は若干のラグがあるとはいえ、発生源の特定ができない。私のように、相手を完全に理解しているか、未来予知でもできない限りは回避に間に合わない。空間に飲み込む彼女の具象魔法は純粋な戦闘になる。身体能力の強化、術式魔法の強化などの恩恵を手にした彼女に、正面から戦って五分以上に戦える者は少ない。
双方に対応できるのは未来予知か理解か身体能力。私は理解を、アリスは身体能力を以て、彼女の相手をする。それでも倒すことができないという現実で、ユリシスの化け物加減が誰にでも理解できる。
何で彼女は研究職なんかやってるんだろう。
「そんな壊れ魔法に対抗するために、私はショウにひとつ助言をしようと思う」
今現在、狙われる確率が高いのは私に次いでショウ、続いて生きていることが判明した先生だ。少なくとも、両脚を失っている先生の優先度は落ちるに違いない。
ショウの持つ色に対応した能力を持つ具象魔法。仮に光と私が名付けたそれは、最初から極まっている色が二色だけある。
白と黒。光の三原色から外れたその色には、成長の余地がなかった。
「助言? 何だ、筋トレしろって?」
「いやいや、そんな脳筋な助言を私がするはずないでしょ。それを言うのはアリスだ」
正面に座っているアリスに、脛を思い切り蹴られた。
私はあくまで薄い笑みを崩さずに、続けて言う。
「君の具象魔法。五色ある色の内の白。端的に言うと結界を張る能力なんだけど、それでユリシスの具象魔法を半無効化できる」
「『そんな魔法があるのか?』」
私の助言に言葉を送ったのは、ショウではなくユウキちゃん。相変わらず腕を組んだまま、私に怪訝な眼差しを向けている。当の本人は疑問の前に嬉しそうだ。
「正しくは周囲五メートルをこの世界から切り離す、っていう魔法だね。ショウが許可したもの以外、一切侵入できないから無効化できるけど絶対に勝てないし、逃げられない」
膠着状態を呼び込むだけの魔法だ。お互いに傷を負わないと言えば聞こえはいいけど、これは半永久的に戦いが終わらない状況を作り出すだけ。緊急時にしか使えないだろう。
嬉しそうな表情だったショウが唐突に手を挙げる。何を言い出すかと思い、私は疑問符を浮かべた。
「だったら、魔力が切れるまで耐えればよくね?」
その疑問は、異世界人特有のものだった。この世界の住人であれば、そんな疑問は浮かばない。浮かぶわけがない。対具象魔法において、魔力切れという策を提案する者はいない。
呆気にとられる私の代わりに口を開いたのはユウキちゃんだった。
「『具象魔法は空気中の魔力を使用する。魔力というものは本来人体が生成するものであるが、術式魔法を使用することにより空気中に霧散する。具象魔法はそれを使うわけだ』」
流石先生の娘だ。説明が上手い。口調が口調だから眠くなるけれど。
空気中に霧散した魔力は、数日経つと消失する。細かなことはまだ不明で、今は霧散した魔力は地球外に放出されているとする説が有力視されている。
「『具象魔法が使った魔力は消費されることはない。吸った魔力をそのまま吐き出すのだ。一説では魔力の運動によって、具象魔法が別のエネルギーを造りだしているとされる。それ故に具象魔法は特別視され、それを使える者は就職する際にも有利なる。少し話が逸れだが、これが具象魔法というものだ』」
完璧とも言える台詞に私は声を失った。確かに、具象魔法については高校でも習う。それでもここまで詳細かつ、簡潔に述べられる学生は非常に少ない。記述形式で出題しようものなら、満点阻止問題として扱われる代物だ。
「要約すると、魔力切れは起こさないってことか」
ショウはショウで大雑把なように見えて、その実自分に必要な情報を見抜く力がある。直感的にかあらゆる情報から取捨選択しているのかは本人のみぞ知るところだけれど、どちらにせよこれは立派な才能だ。
私の才能はすべて具象魔法の結果によるものだから、少しだけ羨ましい。
「私はよく分からないけど、ここにいる全員であの人と戦えば倒せるんじゃないかしら」
「『僕は具象魔法を持たない。知識だけの一般人だぞ』」
「そうだね、彼女の具象魔法に何の対策もない人間を対峙させるのはまずい」
アリスの提案は当を得ている。ユウキちゃんを除いた三人で一斉にかかれば、勝てる可能性は十分なものになる。前提が成立すること自体が難しい、という状況を無視すれば。
彼女はいつだって私たちを監視している。もしかすると研究所の中すら、盗聴盗撮されているかもしれない。この作戦会議が筒抜けなのだとしたら、彼女はそう簡単にことを運ぶことを許しはしない。屑さを自覚している私でも、この会合を無碍にするような発言はしない。
「対策の有無はともかく、友貴の知識は俺たちに必須だろ。こっちが何かやるなら、友貴の手? 頭? まあ、力を借りたい」
「『もちろんだ。個人的にもユリシス・フライハートには恨みがある』」
五年前なら、ユウキちゃんがおおよそ一〇余歳の頃。十分に物心がついているその時期に、父親が殺害未遂に遭ったとなれば、恨みを抱いてもおかしくない。だけどそれは、十代の女の子が背負うようなものじゃない。
……彼女は私が責任を持ってなんとかしないとなあ。
◆
その日は雨が降っていた。
突然の雨、ゲリラ豪雨に見舞われた錦学園。仕事が屋上の清掃のみの俺は、学園の許可を取り、雨が止んでから出勤した。ちょうど登校時間辺りに振り出した雨に見舞われたであろう三人はどうなったのだろうか。ラックは風邪でもひいて、辛い目に遭ってほしい。
つまらない願いは心のうちに留めて、俺は階段を登って行く。
「……うっおおぉっ!」
遅れて屋上へ続く階段にやって来た俺は、屋上前の踊り場の光景を見て大きく後退った。
屋上前の踊り場。そこは晴れている日でさえ薄暗い空間だ。ましてや、重い雲が陽の光を遮っている今では、夜と錯覚しても仕方がないまである。
踊り場には屋上へと続く扉以外には何もない。本来ならば。
「…………」
「えー、あー……し、芝?」
芝が屋上への扉の前で膝組み、顔を伏せて座っていた。普段の芝の様子からは想像もできないような、陰鬱な雰囲気を纏っている。いつも使っていた、イヤホンか音楽プレーヤーが雨で壊れたのだろうか。あまりにもどんよりしているものだから、話しかけ辛い。
何て言葉をかければいいか分からない。こういう時は近くに行って慰めた方がいいんだろうか。下着丸見えですよって注意した方がいいんだろうか。
この位置から芝を見ようとすると、どうしても下着を視界に入れることになってしまう。制服も濡れているように見えるし、とりあえず近くに行って服をかけてやるべきだ。こっちはあっちよりも、比較的暖かいとはいえ冬は冬。濡れ鼠のままでは風邪をひく。
「芝、濡れっ放しだと風邪ひくぞ」
「……あ……、生、くん……?」
俺が近寄って声をかける。そして漸く俺の存在に気が付いたらしい芝は、顔を上げて俺の名前を呼んだ。口調もいつもの硬く尊大なものではなく、おどおどしている。まるで、まったく別の人格のように性格が違う。




