学園の傀儡 4
「ねーえ、せんせえ。朝一緒にいた女の人って誰?」
「さあ、誰のことかな」
「私見ちゃったんだよねえ、金髪碧眼の、きれーな女の人!」
アルマの赤紫色の瞳が私を覗き込む。まさか、ユリシスが一般人に見つかるなんていう、ヘマをするとは思っていなかったから、私もこの質問には虚を突かれた。
今日の授業はとっくに終わっている。空は既に、夜に向けて赤らんでいる。だから私は帰りたい。なのにアルマが帰してくれない。私の周りをくるくると回って、暗に逃がさないぞと言っているようにも思える。
「ねえったら、せんせえ? あの人、誰?」
小柄ながら、女としての恐ろしさを既に持っているとは驚きだ。笑顔の中に、明らかな怒りを孕ませている。うーん、やっぱり女の人って何かしらを孕むものなんだなあ。
「何でもないよ。彼女は昔の知り合いさ」
「……どんな関係だったの?」
「いやあ、そこはプライバシーの保護に抵触しちゃうなあ」
ああ怖い恐い。私は教師だから手出しはできないのに、生徒から手を出してくる。
どす黒いオーラのようなものが、アルマから漂っているように見える。あれ? 私ってアルマの恋人だったけかな?
「……ま、いいや。さよなら、せんせえ」
急に雰囲気が普段のものへと変わる。別れを告げたアルマは、軽やかな足取りで去って行った。私が教師を辞める羽目になるのも、そう遠くはない未来のように思えた。
ユリシスといい、アルマといい、どうして私を好く女性はまともじゃないんだろう。やっぱり、私がまともじゃないからかな。私の女性遍歴を見るに、その考えは正しい。
何にせよ、今日もよく働いた。帰ったら次元跳躍の研究を進めないといけない。ショウのこともある。研究は変遷する私の趣味のようなもので、今は次元・異界研究に没頭中。その熱が冷めないうちに、ショウのことを何とかしないといけない。
いっそ、こっちに永住してくれないかなあ、とか考えながら校門を視界に収めると、そこには件のショウともうひとり、三年生の女子の姿があった。
どう考えても私を待ち伏せしている。今日職員室で一部の教員がざわついていたから、何かしらのトラブルだあったんだろうなとは思っていた。まさか、今日の今日でショウが巻き込まれるとは思っていなかった。ショウのそれが二次的と言うのなら、私のこれは三次的被害だ。となれば、アリスにも危害が及んでいる可能性がある。ショウが無事なら無事だろうけど、少しだけ心配だ。
とりあえず、私は三次的被害を未然に防ぐため、正門からでなく、裏門から出ようと踵を返した。
「お兄ちゃん、今帰るところ?」
「そう、だね」
振り返ったところに、アリスがいた。年齢に限らず、生徒の多くはいくつかある門のうち、正門を最も多く利用する。アリスもその例に漏れなかった。
今日はツイてないなあ。
「あっ、あっちにショウもいる!」
ショウを見つけるなり、アリスは私に対する興味を失い、彼のもとへと向かった。逃げるなら今このタイミング以外ないが、私の帰る家はあそこ以外にない。ここで逃げれば被害が四次にまで広がってしまう。それだけは避けたかった。
大人しくアリスの後を追った私は、ショウに見つかるなり激しく睨みつけられた。
「おいクソマッド」
「せめてサイエンティストは残してくれない?」
「今日俺を襲ってきた奴の正体は何だ」
心当たりがありすぎて逆に心当たりがない。今日ということはユリシスの一派? でも彼女がどこでショウを嗅ぎ付けたか分からないし……こういう時の判断材料はアリスだ。
「アリスは今日誰かに襲われたり、着けられたりした?」
「してないわ」
物理において並外れた実力を持つアリスに襲いかかる悪漢がいること自体疑わしいけど、アレな組織は大体学習しないで刺客を放つ。その刺客が今回アリスを襲わなかったなら、ユリシスの一派でまず間違いない。彼女はアリスには手を出したがらない。
「じゃあ、変態マッドストーカーの仕業で間違いないね」
「誰だよ」
「私のちょっとした知り合い」
「お兄ちゃんのちょっとは信じちゃ駄目よ」
私の言葉を即座に否定するアリスはどこか呆れていた。まあ、アリスもユリシスを浅からぬ縁があるし、気持ちは分からないでもない。
「ところで、君はショウの友達かい?」
私は、さっきから気になっていた少女に声をかける。まともに戦えるはずのないショウが無事だったのは、他ならぬ彼女のおかげだろう。
腕を組んで壁に背を預けていた少女は、私を見ていないような気がした。
「『僕は芝 友貴だ。貴方の話はよく聞き及んでいる、ラッキー博士』」
「芝っていうと、先生の娘さん?」
「『そうだ。父はよく、貴方の話をしている』」
先生、まだ生きてたんだ。てっきり五年前に死んでると思ってたのに。あの人はあれでしぶといというか、執念深いところがあるし、生きててもおかしくないか。
しかしよく似た娘さんだ。外見は母似で、内面は父似らしい。こんな凝り固まった、眠たくなるような口調はあの人以外に聞いたことがない。ユウキちゃんに至っては声色が優しいから、催眠効果にも拍車がかかっている。
「……先生?」
「そう、先生。私の学生時代の恩……恩師、だね。うん」
「『今少し悩んだだろう』」
まったく全然ちっともそんなことはない。先生、芝 友大は紛れもなく私の恩師だ。
彼は時として私に怒り、時として私を叱り、時として私を怒鳴り、時として私を窘めた。
ああ、紛れもなく恩師さ。
「さあさ、積もる話もあるだろう。ユウキちゃんは門限とかあったりする?」
「『いいや。特に設けられてはいない』」
「ならよかった。じゃあ私の家で、詳しい話を聞かせてもらおう」
ユリシスからの刺客という情報は九割九分確定だ。問題は目的。それが読めなければ対策も取りにくい。目的がショウの殺害か誘拐かで、対策は大きく変わってくる。
子供三人が帰路で談笑をする中、私はユリシスが考えそうなことをひたすらに考える。私はユリシスを読めないのに、ユリシスは私の思考の大部分を読んでくるから、入念に、深く入り込まなければならない。
あのサイコパスは独占欲が異様に強い。まあ、それは私を好く女性に対して、おしなべて言えることだけど。アリスにさえも、時折敵意を剥くことすらあった。その敵意が、男に対して向かないとは断言できない。一応、私は同性愛者ではないと断言しておく。
けれど、本気で殺す気なら本人が出向くはずだから、目的は誘拐のはず。だったら囮にはできないか。囮にしてそのまま攫われてしまうと、目も当てられない。
学校から徒歩一〇分にある我が家にユウキちゃんを招き入れ、私は四人分のコップに冷蔵しておいたスライムを注ぐ。ショウは一度も飲んでくれないけれど、それでもこれの美味しさを理解してほしい私は、スライムを提供し続ける。
両手いっぱいにスライムを抱えた私は、三人が待つリビングの戸を足で開ける。一瞬アリスに睨まれたのは気のせいだろう。
「おまたせ。我が家自慢のスライムだよ」
全員分のスライムを各々の正面に置いていく。現地人である私を含めた三人はすぐに口を付けるも、やはりショウは匂いを嗅ぐまでに留まる。無臭だから意味はない。薬を入れているわけでもないんだから、安心してほしいんだけどなあ。
さて、全員落ち着いたことだし、彼女についての話を始めようか。
「今回の襲撃、目的はショウの誘拐と私は睨んでいる」
「根拠はともかく、理由は?」
「犯人は変態マッドストーカー、もといユリシスだ。私の昔の助手だった。彼女は次元・異界に関する研究を主題としている。君を攫う理由としては十分だろう」
「……『僕には話が見えないな』」
「うん、まあそうだろうね。ショウは異世界人で、ユリシスは私の家を四六時中見張っていると言えば、見えてくるんじゃないか?」
私は五年前の事件があった後も、ここに住んでいる。住み続けている。それを知らないユリシスじゃない。何らかの方法でここを見張っているのは、彼女の言葉の端々からも散見できる。
どこか他人事な様子の少年少女に対して、アリスは非常に顔色が悪い。それも仕方のないことだ。ユリシスが成した悪行の、最たる被害者はこの子とも言えるのだから。
「……また、あの人は誰かを殺すのね」
「ショウが捕まれば、まず生きて帰って来られないだろうね」
ユリシスは他人という存在をおしなべて同じものとして扱う。私やアリスは事情が違うにしろ、先生の例がそれを示している。私だけでなく、彼女にとっても恩師であるはずの先生を、ユリシスは何の迷いもなく襲ったらしい。関わりがまったくないショウが、どんな目に遭うかは想像できない。




