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学園の傀儡 1

 俺がこの世界にやって来てからちょうど二十四時間が経過した。俺はあの日、あの年なら理解できないだろうと思い、源氏物語を語ったことを後悔した。端的に言えば、アリスが源氏物語にハマった。あんな昼ドラもびっくりの泥恋愛に、女子が気に入る要素はなかったと思うんだが。


 源氏物語に関する授業を受講していた俺も、端々まで暗記しているわけではない。『記憶している範囲だけでも』、とせがむアリスに付き合って語った。その結果がこの時間だ。


「いやあ、ショウも運が悪いね。よりによって学校が休日の今日に、アリスに捕まるなんて」

「……しばらく源氏の名前は口にしたくねえな」


 ラックからコップを受け取りながら、俺は吐き捨てた。コップの中身は昨日と同じ、スライムのようだった。飯時に普通のお茶が出ていたんだから、そっちを出してほしい。


「さて、昨日は話しそびれた話をしよう。具体的には、この世界と、君の世界について」


 平然とスライムを一気飲みしたラックは、俺の疑問の確信に迫る議題を提示した。


「まあまず、この世界の世界地図を見てもらうのが一番手っ取り早いね。はいこれ」


 ラックはそう言って、教科書らしき本の戦闘に付属されている地図を広げた。俺はその地図に見覚えがあった。つーか、これは……!


「多少の地形、言語名称は違えど、そのすべてが同じはずだ。ちなみに、ここはそっちで言うところの日本、それも大阪府というところにあたる」

「こりゃ魂消たな……」


 地図にはその国の公用語での「こんにちは」も記されている。日本と合致するこの国は、ニギアというらしい。他にも、アーリア合衆国はアメリカで、思い切り「Hello」とある。

 一種の平行世界(パラレルワールド)ってやつか? 俺の中で新たな疑問が産声を上げる。


「まあ、同じでもまったく同じじゃない。僕の主観だけど、建築技術はそっちの方が上だ」


 大阪や東京は人口がおかしなことになっている。特に後者の二三区。それや純粋な土地不足が要因となり、日本は高層ビル群が立ち並ぶ地域がある。こっちでは、そういった人口土地問題は抱えていないらしい。上手くまばらに人口が散っているのだろうか。


 こっちはドーナツ化とか過疎化とか、人口に関する問題は多く抱えているから、政治家からすれば羨ましいだろうな。


「なるほどな。これで疑問の大部分は消化できた」


 平行世界で、地形まで大した差がないのなら、ある程度単位が同じ理由になる。言語も、ここが曲がりなりにも大阪なら、日本語で通じるのは当たり前だ。二人の話し方から、方言はなさそうだ。


 残った疑問は、俺が何故具象魔法を使えたかだ。術式魔法が使えるかはまだ試していないが、魔術式なるものを理解していない俺では使えないだろう。ますます謎が深まるばかりだ。


「さて、粗方の問題が片付いたところで、ショウのこれからの話をしよう」

「俺のこれから?」

「ショウも、ずっとここに引きこもってるだけじゃ暇だろうと思ってね。今日の昼、こっそりとある手配をしておいた」


 日中、姿を見かけないと思っていたら、そんなことをしていたのか。そんな暇があるなら、アリスをどうにか対処してほしかったんだが。


「学園に、興味はないかい?」





「さあショウ! いざ出立の時だ!」

「黙れクソサイエンティスト」


 ショウに学園生活の詳細を話してから、やけに当たりが強い。まあ、わざと期待させるような物言いをしたから、当然と言えば当然だ。自らの手で求めるべくして求めた結果だ。


 やはり、あっちの少年からすると、異世界での学園生活というものは魅力的らしい。

 私がショウに提示した「学園生活」の詳細は、学生としての生活ではなく、用務員としての生活だった。学のない人間が編入できるはずもないから、私としても苦肉の策だった。ああ、本当に心苦しい!

 もちろんアリスにもドン引きされ、残っていたかどうかも分からない、兄としての尊厳はいよいよもって完全に消滅したと言えよう。


 そして今日は記念すべき、ショウの初出勤の日。妹とショウから、冷ややかな視線を浴びながら、私は大声で宣言したのだった。


「何か問題が起これば、私の名前を出すといい。有効に働くかは分からないけどね」

「お前ほど頼りにならない大人は初めてだ」


 罵詈雑言なぞなんのその。そんな言葉は学生時代に聞き飽きた。

 私は既に、今日の授業に必要な持ち物は揃えている。初日の用務員に何が必要かは分からないけれど、私には何も伝えられていないので、きっと何もいらないのだろう。


「本当にごめんね。こんなお兄ちゃんで」

「プラスに考えれば暇潰しにはなる」

「そうそう。暇潰しでお金が稼げるんだから、一石二鳥だよねー」

「お兄ちゃんは黙ってて」


 どうやら、ここでは人間は私の味方ではないようだ。まあ、私に味方する人間がいたかどうかが分からなけれど。


 朝食を摂り終え、全員の支度が終わったことを確認して、漸く出発する。この研究所は外見上、何の変哲もない住宅地に偽造されている。偽造していると言っても、何かから隠れているわけではなく、街の景観を損なうという理由から。この国はやたらと景観を気にする。断る理由もなかったので、上からの命令に従った結果だ。


「錦学園はここからすぐ近くにある。私は少し野暮用があるから、先に行ってて」

「サボるつもりじゃないよね?」

「これ以上サボったら解雇通牒を食らうからサボれないよ」


 ここ数年で、人間の指の数だけでは足りない回数、私は仕事をサボっている。学校側としても私の頭脳は手放したくないようだけど、これ以上サボるようなら処分の可能性もあると、三日前――ショウと出会った日――に電話越しに宣告された。

 副職とはいえ収入が減ると困るので、私はこれ以上サボらない決心を固めたのである。


「じゃあ、ショウ、私に着いて来て」

「ん? アリスは案内して間に合うのか?」

「大丈夫だよ。うちの学校は小から高まで一貫だから」


 アリスに連れられて行ったショウを見送る。感性がまともだからか、アリスもショウのことをよく思っているようで何よりだ。

 二人が遠く離れたことを確認してから、私は虚空に向けて声をかけた。


「まだ君は私のストーキングを続けているのかい」

「……尾行とは心外だな。勧誘と言ってはくれないか?」


 空間の裂け目から現れたのは金髪碧眼の女性。私は彼女のことをよく知っている。何せ、元同僚だ。名は、ユリシス・フライハート。

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