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星の光 5

 皮肉全開の褒め言葉に、私は〈風斬(かざきり)――ウィンドカット〉でお礼をする。何の強化もかけられていない私の術式魔法では、悲しくなる威力しか出ない。そんな威力でも、ユリシスの気を逸らすだけの威力はある。


 ユリシスが一度に開くことができる世界はひとつだけ。それはこの中でも変わらないようだ。それができれば、私への牽制とアリスへの反撃の両方に、リソースを割くはずだ。しかし、ユリシスは私の機動力を削ぐため、足元に世界を開き、アリスへ術式魔法を放った。


 今までのようなミスリードという可能性もある。それを忘れないように念頭に置く。


「ふっ――!」


 一四の少女とは思えない、研ぎ澄まされた声。逃げるユリシスはもう一度術式魔法を放つ。アリスはユリシスが大嫌いで、だからこそ行動パターンのほとんどを把握している。テキトーで、不意打ちですらない攻撃を避けられないアリスではない。


「〈爆魔スプレッド〉ッ!」


 寸でのところで足元を爆破させたユリシスは、反動でアリスとの距離を開けるとともに、土埃を煙幕代わりにした。


「隠れたと思わないでよ!」


 気配を察知できるアリスはこの程度では止まらない。ユリシスが隠れているであろう場所に向かって爆ぜるように地を蹴った。私も棒立ちしていると文句を言われるので、〈風風(かぜ)――スイープ〉を発動して幕を払う。


 煙が晴れるも、現れたのはユリシスだけでアリスの姿はなかった。アリスの代わりに在ったのは、人一人が通れるほどの大きさをした、空間の裂け目だった。


「少し、厄介だったからな。アリスには退場してもらった」

「再入場っていくらかかる?」

「再入場は不可だ」


 冗談を言うだけの余裕はあるけれど、十分にまずい状況だ。この空間にいる限り、私はどう足掻いてもジリ貧に追い込まれる。術式魔法の発動にも余計に魔力を食うし、体力も貧弱だし――これはユリシスも同じ――で、絶望的に希望がない。


 いや、唯一、「星の光」がある。間に合うか、来てくれるかは、分からないけれど。ギリギリまで足掻いてみるだけの価値はある。


「なら、助っ人を待つことにするよ」

「夢は好きに見るといい」


 さっきの今で調子に乗れるところは私に似ている。今度こそ、私は何の手もないのは確かだ。魔法陣で何か仕込もうにも魔力が足りないし、発動前にユリシスが気付かないとも思えない。


 外に追い出されたアリスは無事だろう。外にユリシスに匹敵するほどのキメラがいるとも思えない。ショウがいた区画は魔力がないけれど、実験室前の区画はちゃんと魔力が充満していた。早ければショウも合流しているだろう。


 やはり、今考えるべきは、我が身のみ。


「〈風火(ふうか)――グレネード〉っと!」


 数分前にユリシスが取った戦法――雲隠れならぬ煙隠れを採用させてもらった。この世界はユリシスに恩恵を与えるけれど、その中に索敵は入っていない。こうして視界を塞げば、煙が晴れないうちだけ、ユリシスの目から逃れられる。


 人々の熱量、人々の残酷さ、人々の夢、人々の慈愛、人々の憎悪。清濁併せ呑む、たった一振りの頼りない剣に、私はすべてを託した。





 奥にある部屋に入るなり、アリスが飛び出してきた。俺に飛びついてきたのではなく、何らかの要因で飛ばされたのが、本人の表情から読み取れた。俺の胸の中で目を白黒させているアリスは、状況が飲み込めないのか、しばらく黙り込んでいた。


 俺は異性がいきなり飛びついてきたという状況に、言葉を失っていた。


「あ、えっと、ショウ?」

「ああ、俺だ。明司 生だ」


 俺の胸から顔を上げたアリスは依然として呆けている。先に我に返った俺は、現状がどうなっているかを訪ねる。


「変態マッドストーカーとクソマッドはどこだ?」

「多分、お姉ちゃんの世界の中にいると思う」


 俺の腕を切り飛ばしやがったユリシスの具象魔法。その内部で二人は交戦しているらしい。詳しい効果は俺も知らないが、あれをラック一人に任せて、ことが片付くとは思えない。アリスが世界から弾き出されたのは、二人がユリシスの手に余るからに違いない。こうして分断してしまえば、どちらか一方は倒せると踏んだのだろう。


 冷静さを取り戻したのに、俺の胸から離れないアリスは病衣をぐっと掴んでいる。俯く顔は見えないが、雰囲気からして悔しさが滲み出ている。


「わたしが、油断したせいで……っ」


 病衣が千切れてしまいそうなほど、力を込めている。声も心なしか震えている。

 自身の愚かさに打ち震えるアリスに、俺はひとつ、問いかけた。


「ユリシスの世界に、あいつの意思を無視して入る方法はあるか?」

「そんなの、あったらわたしが知りたいわ」

「そうか。じゃあ、教えてやるよ」


 手元にサイリウムを召喚する。その色は黒。今の今までただの一度も使わず、使えず、使われなかった哀れな色。その、待ちに待った出番が今やって来た。心なしか、黒い光という意味不明な現象が生き生きとしているように見える。


「まあ、できるかどうか分からねえけど、やるだけやってみるわ。ちょっと離れてろ」


 アリスが飛び出してきた辺りに立ち、サイリウムをぐっと握る。一度深呼吸をして、その黒光を思い切り振り下ろす。袈裟懸けに振り下ろそうとされたサイリウムは、最後まで振り切られることはなかった。


 ノイズのような音をけたたましく上げ、サイリウムは何もない空間とかち合った。おそらく、これがユリシスの世界とやらの表層だ。やはり黒は、世界に穴をあけることができるようだ。


「何が、起こってるの……?」

「黒の能力は、『光源に触れた、生物でないものを削る』。無茶な解釈をすれば、世界だって、空間だって、生物じゃない。だったら、削って当然だ!」

「本当に無茶苦茶な解釈じゃない……」


 ラックに、「髭剃りに使えるね」とか言われたのは絶対に忘れない。汚名返上、名誉挽回の、絶好の好機。無駄にするつもりは毛頭ない。アリスはこの馬鹿げた現象に呆れているが、これ以外に現状を変える方法がないのもまた事実。


 しかし流石に時間がかかる。緑を同時に併用できれば、こんな空間、一瞬で穴をあけてやれるんだが、生憎とサイリウムは二つ召喚することができない。


「でも、こうするしか、ないものね」


 籠手を装備したアリスがサイリウムを握る俺の手に、自身の手を添えた。


「ショウ、お願い」

「ああ、任せろ」


 アリスの手に力が入る。同時に、今までの苦戦が嘘のように、サイリウムが一気に振り下ろされた。サイリウムが通った軌跡には、陽が暮れかけている空間が覗いていた。そして、その先には俺を見て笑うラックと、俺に背を向けたユリシスの姿があった。


「ユリシスゥッ!」

「何っ!?」


 地を蹴った。二〇年間の半生、今まで培ってきたすべてが、俺の身に詰まっている。俺を信じた奴らの思いが、この一撃に込められている。裂帛の気合を以て駆け出した俺に、ユリシスは漸く気付くも、ラックと同じく身体能力は低い。


 サイリウムの底を一度叩いた。黒から赤へと変色したサイリウムの能力は、圧倒的な熱量。太陽とも思える右手に、俺はユリシスに肉薄する。


「かっ」


 その背に、サイリウムを突き立てた。

 短い声を上げたユリシスは、震える手をラックに伸ばす。


「悪いけど、その手を取るわけにはいかない」

 膝をついていたラックは、そう言って立ち上がる。そして、怒りが込められた、冷えた目線をユリシスに送る。その間、ユリシスは声にならない声をラックに向けていた。


「君は、ここで死ね」


 言霊なんて信じちゃいない。だが、この言葉にだけは、確かな力を感じた。

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