星の光 3
俺はまた、あの日と同じ実験室で目を覚ました。あのクソ女に切り飛ばされたはずの手足は、そんな事実などなかったかのように元の姿を取り戻している。
俺は瞬時に、自分の境遇を理解した。
「生、くん」
戸が開かれ、友貴が実験室に入ってくる。その目は赤く、涙が溜まっている。どうやら俺は多くの人間に心配をかけてしまったらしい。
薄れていく意識の中で朧げに見えた、友貴の泣き顔、アリスの怒声が想起する。
「ありがとう」
台から降りた俺は友貴の脇を抜ける際に、感謝の言葉を呟く。そのままリビングへ歩を向けると、俺の後ろを友貴も着いてくる。
あれだけの大怪我を負ったんだから、心配する気持ちは分かる。死んでいてもおかしくなかった。いや、もしかすると俺は死んでいたのかもしれない。血と共に流れていったのは意識だけではない。命の炎を維持するための燃料も流れ出ていた。
誰もいないリビングに鎮座する冷蔵庫を勝手に開け、適当なコップにスライムを注ぐ。
「飲むか?」
「あ、いえ……」
「そうか」
行き場を失ったスライムを一気飲みする。どろりとしたのど越しがやけに美味く感じた。
「じゃあ、行ってくるわ」
テーブルにコップを置く。あいつらがどこに行ったのかは分からないが、俺が生きているとユリシスが知れば、放ってはおかないだろう。そう思って、俺は外を目指す。
「……私も一緒じゃ、ダメですか?」
袖を掴んで俺を引き留めた友貴は泣いていた。真っ直ぐに俺を見つめて、ボロボロと。
友貴の泣く姿を見て、しばし逡巡した俺は友貴から視線を外して答える。
「お前の好きにしろ、って言いたいんだけどな」
過去にそう言った手前、俺からその言葉を否定するのは格好悪い。だが、俺は否定せざるを得なかった。誰かが傷付くことが確約されている戦場に、この繊細な少女を連れて行くことを、俺は良しとできない。
「お前はここにいてくれ。お前のためにも、俺のためにも」
友貴の手を振りほどいて、俺は玄関へと向う。玄関にある、靴が収納されている棚の上に一枚の置手紙があった。それには汚い字で「ショウへ」と書かれていた。この、教師のものとは思えないレベルで汚い字は、紛れもなくラックのものだ。
その手紙を広げて見れば、案の定煽り混じりの文が書かれていた。内容を要約すれば、「君はどうせ私達を追いかけるだろうから、ユリシスの研究所載っけとくね」というものだ。文面は非常に腹立たしいものだったが、内容自体は非常に嬉しいものだった。
クラック邸を出た俺はすぐに緑のサイリウムを光らせる。記載されていた住所まで一気に駆ける。越えられる民家はすべて跳び越えて、ショートカットを図る。
正統派マッドサイエンティストの隠れ家だけあって、近付くにつれて家屋と人気が減って行く。目的地の周辺は廃墟が立ち並ぶ、ゴーストタウンのような場所だった。
「ここだな」
葛のような植物に覆われ、おどろおどろしい雰囲気を放つこの研究所こそが、ラスボスの根城だ。俺は、ラストダンジョンに一歩を踏み出した。
サイリウムを解除一旦解除し、警戒しつつ進んで行く。しかし、ここにあるのは小型のキメラや死体だけで、他には何もない。二人が倒していったキメラは、一撃で殺されていた。それが温情二人にある、ほんのわずかな温情なのだろうか。
通路の先に、見覚えのある白衣が佇んでいた。その向こうには、また見覚えのある男の姿があった。アリスは先に向かわせたのか、ここからでは姿が見えない。
男が臨戦態勢に入る。同時に、背を向ける白衣が纏う雰囲気も剣呑なものになる。その一触即発の空気の中、俺は踏み込んだ。
「そいつは、俺が倒す」
俺がそう言って現れると、真っ先に声を出したのはやはりラックだった。
「手足の調子はどうだい?」
「良好だ。お陰様でな」
ラックに向かって掌を開いては握る。流石のクソマッドにも、若干罪悪感があるのか、俺が皮肉を言うと表情が少しだけ曇った。
「気にすんな。ああするしかなかったんだ」
「はあ……どうしてまた同じ台詞を言われるかな、私は」
ラックは特大のため息を吐いて、やれやれと言わんばかりに肩をすくめた。そう言いたいのは俺の方だっつーの。
俺とラックがくだらない会話をする中、男は手を出さずに、黙って立ち呆けていた。適とはいえ、あまりにも放置するのは気の毒に思った俺は、先に行くよう、ラックに促す。
「……そうだな、ここは俺に任せて先に行けってとこだ」
「オーケー! 任せたよショウ! フラグを折れたらまた会おう!」
急にいつものテンションに戻ったショウは、目を瞑る男の脇を抜けて行った。馬鹿な俺には、これが演技か切り替えかの区別が付かない。今までの例からすると演技だが、今回は事態が事態だけに、そう断定することはできない。
だが、ラックのふざけた態度で、肩に入っていた無駄な力が抜けたのは確かだ。
「待たせたな」
「構わん」
俺達は似ているわけではない。ただ、数回袖を振り合っただけの仲だ。歳も違えば性格も違う。だが、言い知れぬ親近感を抱いている。それはきっと、男も同じだ。
来るべき戦いが漸くやって来たことに、俺は微かな高揚感を覚えつつ、サイリウムを――
「っ? サイリウム……具象魔法が、使えない?」
動揺を隠せず言葉に漏らした俺を見て、呆れ顔の男が口を開いた。
「あの男、要らん置き土産を……」
男の口ぶりからすると、ラックが余計なことをしでかしたせいで、俺の具象魔法が発動できないらしい。
ふざけるなとは言わない。死ね。
「しかしまあ、安心するといい。魔法を使えないのは、何も貴様だけではない」
「どういう意味だ」
「私も具象魔法が使えない」
例え具象魔法が使えなくても、術式魔法を使えば――
「……お前、まさか」
「ああ、私もお前と同じ世界の住人だ」
突如突き付けられた事実を、受け入れられないことはない。この世界における、俺の異質さを考えれば、むしろ当然だと言える。黒髪黒目、使える魔法は具象魔法のみ。これらの特徴を、こっちの世界の住人は持たない。前者は稀にいるとラックは言っていたが、具象魔法しか使えない人間は、実例がないと言う。
ここで、ひとつの仮説が生まれる。俺達の、具象魔法しか使えないという体質。それは、
「元来、具象魔法を使えるのは、あちらの世界の住人だけだった。だが、人類史が始まったばかりの頃、何らかの要因で世界が繋がり、双方の人間が行き交った」
「その血を引く人間が、具象魔法を使える。だとしたら、何であっちには術式魔法を使える人間がいねえんだよ!? 数千年前の血が今でも流れてるのなら、おかしくねえだろ!」
当然だと頭では理解しつつも、感情がそれを飲み込まない。その結果、感情が声となって吐き出す形になる。何も、男も始めからこの事実を知っていたわけではあるまい。ユリシスから聞かされ、俺と同じように狼狽したはずだ。そう理解しているからこそ、俺は男に答えを求めた。
俺の悲鳴を聞いて、再び瞼を下ろした男は言葉をひとつ、呟いた。
「魔女狩り。貴様も、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」
そんなものはオタクに爪先でも使っていれば聞いていて当然の出来事だ。多くはキリスト教の腐敗の側面として伝えられる、中世ヨーロッパの闇だ。
「……文字通りの意味で、『魔女狩り』だったってか?」
返ってくる答えは分かり切っていたのに、俺は問わずにいられなかった。
「ああ。そうだ」
こっちでは具象魔法を「使える魔法」として捉えられ、あっちでは術式魔法を「悪魔との契約」として捉えた。それが、二つの世界の分岐点。男は、語らずしてそう言った。
「だが、今はそんなものどうでもいい」
二つの世界の根幹に関わる事柄を、「どうでもいい」と一蹴し、目を開いた男の目には、強い決意と闘志が宿っていた。
……そうだ。深く考える必要はない。俺は、ラックやユリシスのような研究者じゃないんだから。俺がここに来た理由は、たったひとつだけ。
「私には、帰らなければならない場所がある」
「俺には、泣いてほしくない奴がいる」
魔法が使えない男が二人。その二人は決して相容れない。ならば、取るべき手段は、俺が生まれる前から決まっている。決まっていた。
「「その為に」」
俺はぐっと、拳を握った。
「貴様を倒す!」
「先に行く!」
宿命は己の拳で打ち砕いてこそである。誰に言われるでもなく、俺達は知っていた。




