誰も知らない誕生日 8
この二日間で、俺の精神はかつてない勢いで摩耗した。俺を強くしてくれるのは嬉しいが、大人二人が手加減しているとは思えなかった。特にユリシス。ラックのあの台詞は冗談だとしても、あいつは自身の目的もあって、俺を本気で殺す気でいたと思う。
「友貴から話は聞いているが、気を付けたまえ」
作戦立案の礼を言いに、友大の家に顔を出すと開口一番こう言われた。
「心配する気持ちは分からないでもない。死なない程度に踏ん張るさ」
「君なら引き際を弁えていると分かっているとも。僕が言っているのは、あの女だ」
それが指すのはただ一人。ユリシスだ。元来ラスボスレベルの巨悪にして、たったひとりのために軍が編成される、文字通りの化け物。隣にいるアリスも、名前を出されずとも察して表情が険しくなる。
「あいつは必ず何かを起こす。約束事を反故にするような奴ではないが、その隙を、穴を見つけて必ず君に手を出してくる。敵は衛界省だけではない」
いやまあ、衛界省も敵とは言い難いんだが。衛界省を敵にして、敵の敵は味方理論を展開すると、ユリシスも衛界省も味方になるとかいう、わけのわからない状況になる。
衛界省が敵かはともかく、ユリシスに気を付けるべしという忠告は素直に受け入れる。
「逃げられる状況なら逃げるさ」
「それでいい。あいつと真っ向から戦うには、君は未熟だ」
友貴とアリスもいるのに、単数形ってことはそういうことだ。
自分の弱さを噛み締めつつ、一番の年長者として、改めて気を引き締める。
「ありがとう。明日、酒でも飲もうぜ」
「ああ、帰ってきたら一杯やろう」
超弩級のフラグをおっ建てつつ、俺達は芝邸を出る。
この街には、既に衛界省の監視の目が張り巡らされていると、ラックから聞いている。嫌な視線を感じるのか、アリスは居心地が悪そうに辺りを見渡している。その辺りは一般人と相違ない俺と友貴は、索敵をアリスに任せて心を落ち着ける。
俺たちの役目はあくまで陽動。ラックとユリシスが衛界省本部を荒らすまでの、時間稼ぎだ。ユリシスがここの街を中心に活動しているおかげで、本部もここにある。俺たちが稼ぐべき時間は、多めに見積もっても一時間半程度だ。
時刻はおおよそ二三時。街灯と家屋の明かり以外、光源はない。
「来るよ」
「どれぐらい来る?」
「一人だけ。気配もそれだけしかないと思う」
こちらへ向かって来る気配を感じ取ったアリスに、友貴が問いかけた。未成年三人とはいえ、随分と強気だ。それだけの実力があるのだろうか。一人だけしかおびき出せていないとなると、陽動としての役目が潰れてしまう。
「……やるべきことをやるだけだ」
一人しかいないのなら、その一人をぶっ倒して、援軍を呼ばせればいい。
どういう現象か、黒く光るサイリウムの底にあるスイッチを一度押す。黒から赤へと変光したサイリウムは、瞬く間に辺りを照らした。
誘蛾灯の如く光るサイリウムに引き寄せられて、一人の男が姿を現した。
「あんたか」
「明司 生。何故君は」
きっとこいつは根っからの善人なんだろう。前回の逃走劇からして、確かに実力もある。衛界省が信頼に足る人物であるに違いない。眉を潜めて俺を咎めるそいつに、俺はきっぱりと自分の答えを突きつける。
「決まってる。自由に生きたいからだ」
逆手に持ったサイリウムの底を二度叩く。緑へ変光したサイリウムを剣としてではなく、ナイフとして使う。俺が必死に、死なないように努力した結果のひとつ。
「こんなクソリーチ武器を、剣として使おうとする方が間違ってるよ」と、半笑いのラックに、的確な指摘をされたのがきっかけだった。ならこうしてやるよ、と半ギレになりつつ試してみると、予想以上に噛み合った。距離を詰めたラックを、一方的に攻撃できる程度に。
「友貴は後方支援、アリスは挟撃を頼む」
事前に友大から託されたインカムを通じて、衛界省の男には聞こえない声量で指示を出す。あっちでは別段珍しくない機器だが、こっちではこうした無線機器は未だ発達していない。ぶっちゃけ、他の点では魔法の方が利便性高いし当然だ。
無線機器が発達してないのに異世界に行けるとか、技術の発達の仕方がおかしい気もする。この世界の技術者は変人ばかりなんだろう。
「っ!?」
「一瞬で終わらせてやるよ」
ついこの間までの俺と、今の俺を一緒にしてもらっては困る。死線を超えてきた俺は、動きがより戦闘に適化した。それは、サイリウムの制御技術もだ。適化したとはいえ、まだまだ荒削りな俺を、緑の強化で誤魔化している。この手は、アリスをして厄介と言わしめた。
俺の成長に目を剥いた衛界省の隙を突く。強化系魔法も、発動するまでは若干の時間が必要になる。この距離、俺の身体能力から鑑みるに、この一撃で終わらせられる。
逆手に持ったサイリウムを衛界省の腹に叩きつける。殺さないように、失神させないように、絶妙な加減で。
「がっ、はあっ!」
アリスの隣を抜け、マンションの壁に背を強かに打ちつけた衛界省は激しく咳き込む。
鳩尾を殴り抜いたから、しばらくは激痛で動けないだろう。加えて、背から壁に衝突したことで肺の空気も抜けているはずだ。
「アリス、友貴、行くぞ」
「はい」
俺を見上げる衛界省に背を向け、俺たちは夜の街に姿を眩ます。と言っても、完全に撒いてしまうと陽動の意味がない。俺は常に、サイリウムを光らせておく必要がある。白では街灯に埋もれてしまう。だから、夜の光の中でも異質で、かつ目立つ緑を光らせておく。
初見時はあれだけ酷評した緑が、今や最も有能な武装になっている。他の武装も使えないことはないが、赤は高すぎる威力故に対人で使えず、黒は使うタイミングがシビアすぎる。結果的に近接では緑、中、遠距離では青、防御で白。この三色の使用頻度が高くなっている。
「ショウ、もう三人ぐらい来てる」
「早くねえ?」
アリスが追っ手の気配を感じ取り、その数を告げる。俺は衛界省の手の速さに疑問を呈さずにはいられなかった。何度も言うように、この世界に情報を無線で通達する手段はない。あるにはあるが、友大が造ったインカムだけで……
強化系魔法に明るくないために、俺に抱えられている友貴が、非常に居心地の悪そうな表情をしている。
「……すみません、お父さんが一年ぐらい前に技術流してました……」
「あの野郎!」
ユリシスに気を付けておけとか言いながら、てめえがポカやらかしてんじゃねえか! 流したのは仕方ないにしろ、せめてそれぐらい覚えとけよ!
となると、衛界省達もある程度の距離は無線通信ができる。俺達が使っているものが本人曰く最新式だから、衛界省の型落ちのはず。その通信距離は、良くて一キロ程度だろう。
まあ、本部まで届かなかったことに喜ぶべきだ。
「ここで撃退しますか?」
「いや、複数人なら広いところまで誘き寄せよう」
アリスの索敵は魔法によるものではなく、技術によるもの。一度交戦状態に入ればその精度も落ちる。狭い場所で戦ってバックアタックを食らえば、近接戦が苦手な友貴はひとたまりもない。
事前に人気のない場所は洗い出している。今は追っ手をそこまで誘導すべきだ。
「茨木公園まで飛ばすぞ。行くぞ、アリス!」
「うん!」
この一帯で最も人気が少なく、そして広い場所。それが茨木公園だ。過去に殺人事件があったとかで、心霊スポットと化した公園には、寂れた遊具が残っているだけだ。
緑による強化は明後日にまで飛んで行っている。制御を取っ払えばアリスの強化ですら、余裕で飛び越えられる。今の俺が制御できるのは、アリスよりも少し上程度。精神を磨り減らすから、あまりそこまでは使いたくない。
その制御を若干緩めて加速する。俺達が強化系を主に使っているとみた衛界省は、それに真っ向からぶつかってきた。下手に搦め手を使っても突破されると踏んだのか、それとも実直な馬鹿なのか。
「茨木公園に着いたら青で視界を覆う。友貴は氷に隠れるように魔法を撃ってくれ」
「分かりました」
茨木公園はもう既に目と鼻の先だ。待ち伏せされている可能性も十分にあるが、その場合はアリスに特攻を頼んである。並みの軍人数人程度、アリスであれば余裕を持って倒せるとラックは言っていた。俺が言えた立場じゃないが、とんでもない中学生だ。
「あー、五人ぐらい、いるわ……」
視界に茨木公園を捉えると、人影が五つ見えた。アリスの面倒そうな表情を見るに、全員衛界省だろう。
「じゃあ、先に掃除してくる。ショウとユウキはさっきの通りお願い」
「オーケー。後ろは任せろ」
この状況だと籠城ではないが、茨木公園で衛界省を延々と迎え撃つ展開になりそうだ。そうなると俺やアリスはともかく、友貴の魔力残量が気にかかる。友貴も友貴で一般人の域からはみ出ているが、術式魔法は有限だ。これは俺も青をメインにしていかなければ。
腕時計で既に二三時半を過ぎていることを確認する。作戦が上手くいっているなら、あいつらは本部に潜入している頃だろう。
馬鹿やってなければいいんだが……




