誰も知らない誕生日 5
俺は逃げていた。正体不明のスーツから。
いつも通り、五限終わりに友貴と帰ろうとしたところ、校門前に怪しい車と男が立っているのが見えた。最初はこの学園も規模が大きいし、どっかの金持ちの護衛かと思ったが、そいつが俺を見つけた瞬間に、その予想が間違いだと気付いた。
スーツの男は俺を見つけるなり速足で、一直線に俺に向かってきた。ならば三十六計、逃げるに如かず。俺は友貴に一声かけ、逃走を図った。
俺を追う奴にロクな奴はいない。これは俺がこっちに来てから得た教訓のひとつだ。
少なくとも、ユリシスとかいう奴の関係者ではないことは現状から推理できる。今までいつもの男を、人気のない時と場を選んで派遣してきたそいつが、唐突に手段を変えるとは思えない。今回のこの男は普段のそれとは別件のはずだ。
「俺も術式魔法が使えれば……っ」
具象魔法と術式魔法を重ね掛けができる。サイリウムを緑に光らせて、人気のない道を疾駆する俺だが、緑の強化を十全に扱えているわけではない。慎重に、制御できるだけの強化だけ行っている。対して、俺を追う男は具象魔法らしきものを発動していない。恐らくは強化系の術式魔法だけで、俺と鬼ごっこをしている。
ラック曰く、術式魔法の大半は凡人でも簡単に扱える。その筆頭が強化系だ。現に男は制御しているとはいえ、俺の馬鹿げたサイリウムの能力に着いて来ている。いや、スタートした時に作った距離を詰めてさえいる。
「止まれ 明司 生! 私たちは君の敵ではない!」
「アポ取ってから来やがれ!」
捕まれば俺にとってマイナスなイベントが起こるのは確かだ。ラックたちと学園関係者以外知り得ない、俺の名前を知っている部外者なんだから。
決死の覚悟で緑の出力を上げる。最初は一〇〇倍程度だったこいつの強化は、「使えば使うほど強くなる」というラックの弁の通り、今では約二〇〇倍になっている。二センチ跳ぼうものなら、二メートル跳ぶ。俺はそ攻撃時以外、一〇倍も使っていない。今でやっと五倍程度だ。
「曲がり角っ!」
速度が上がれば慣性が乗る。強化された体では、方向転換が普段の比ではない。だからと言って無理に曲がろうとして壁を蹴れば特撮のように壁を蹴破ることになりかねない。なので、距離を詰められるのを覚悟で減速する。
詰められた距離を離すために、角で思い切り地を蹴った俺だが、それは悪手だった。
「泣けるぜ」
正面にあったのは行き止まり。俺はそこに、自分から思い切り突っ込んだ。
逃げること能わず、瓦礫から顔を出した俺は、遅れてやって来た男に見下ろされる。
「明司 生。君の身柄は我々衛界省が保護する」
ほら、言わんこっちゃねえ。政府がしゃしゃり出てきやがった。
衛界省と名乗った男は、若干息を切らしながら俺に手を差し伸べた。表情や仕草から見ても、悪意や敵意の類いはまったくなさそうだ。瓦礫の山から這い上がった俺はその手を
「誰が着いて行くかヴァ―カ」
弾いて、衛界省の足元にサイリウムを振るう。放たれた氷の刃は秒を跨がずに、アスファルトと衛界省の足を繋いだ。その隙に俺はサイリウムを緑へ変えて脇を通り抜け、再び住宅街を駆けた。移り行く代わり映えのしない景色の中、俺は今回の件について思考を巡らせる。
政府が俺に干渉しようとする理由は言わずもがな。だが、今更俺を保護しようとする理由が見当たらない。ラックの下での監視か管理かができなくなったのか? そんなことを考えるだけの容量はないだろうがラックが裏切ったか? それとも俺の知らないところで何かが起こったか?
どれにも可能性があるせいで、確信が持てず核心に迫れない。だから俺が向かうべき場所はひとつしかない。
「ラックゥゥゥッ!!」
家の戸を乱暴に開け、リビングまで一気に駆け抜ける。こと原因は大方あいつで、ことの渦中は大方俺だ。ラックなら絶対に俺の知り得ない情報を持っている。
「やあ、おかえり」
「俺を何に巻き込んだ!?」
呑気にスライムを啜っているラックは、俺の咆哮とテーブルに叩きつけられた拳にまったく動じない。
「私が巻き込んだのは最初の実験だけだよ」
「ホラ吹くのもいい加減にしろよ、衛界省って何だ」
「最近新設された省庁でね、ものすごく大雑把に言えば、世界を護るための省庁さ」
そんなもんちょっと考えれば分かる。俺の巻き込まれた状況からして、衛界省の字面なんざ、簡単に予想できた。
「ぶっちゃけて言えばそれは建前で、ユリシス・フライハートという、一人の女を止めるためだけの簡易的な軍隊だ。だから君も彼らの監視下に置かれる」
ユリシスが自身の目的のために、俺を利用しようとしているという話は散々聞いている。何でも、人柱を立てて異界へのゲートを安定させるとかなんとか。
怨敵が狙う俺を、手元に置いておきたい気持ちは分からないでもない。だが、それに従うかはまったく別の問題だ。俺はユリシスとやらへの対抗策を持っている。保護されるほど貧弱じゃない。
「……ユリシスって、どれぐらい強いんだ?」
こっちの軍があっちの自衛隊と比べて、どれぐらいの力量差があるかは知らない。それでも軍と言われるだけあって、個々もそれなりの実力は持っていそうだ。
「その気になると世界を壊せるよ」
「は?」
「彼女の具象魔法は世界でね。説明するのが面倒な魔法だ」
具象魔法が世界? ラックが何も説明しないせいで何も分からない。時を止めるのかと一瞬思ったが、それではラックが避けられると言った対処に合致しない。
「ま、最優先事項はユリシスじゃない。衛界省だ」
「そう、だな……」
今回に限って、ユリシスは俺に手を出していない。いや、手を出したのかもしれないが、直接的なものじゃない。目下対処すべきは衛界省、広義では政府だ。今までのような力技でことが上手く運ぶとは思えない。
「私も私で、金さえ積めば言うことを聞く猿だと思われたくない。ここらで衛界省――いいや、政府の吠え面を拝まないと、私の気が晴れない」
金さえ積めば言うことを聞くのは、何もお前だけじゃねえだろうに。
「そのために、そのためだけに、スペシャルゲストを呼んでいるのさ!」
こいつの交友関係は今までの生活で、完全に把握していると言っても過言ではない。スペシャルゲストと言っても、呼ばれて出てくるのは、俺が知っている奴でもあることは予想がついていた。
「さあ来てくれ!」というラックの掛け声と共に、奥の部屋から戸を開けて現れたのは、白衣を着た金髪の女。歳はラックと同じか少し下程度、二〇代前半ぐらいだ。目を見張るほどの美人だが、俺はその女を見て既視感を覚え、眉を寄せた。
「誰だよ」
どこかで見たことがあるような気がするが、絶対にこの女とは顔を合わせていない。一度面と向かって顔を合わせれば霞程度でも覚えているもんだが、それすらない。
ラックの交友関係はすべて把握したつもりになっていたが、どうやらそれは違ったらしい。白衣を着てるし、同じ研究職の知り合いだろうか。
「そういえばショウは会うの初めてだったね。彼女がユリシス・フライハートだよ」
「こうして直接顔を合わせるのは初めてだな、アカシ ショウ」
その名前を聞いて、俺は自分の耳を疑った。目の前にいる女がそいつだと脳が認識するまで、実に十数秒の時間を要した。
「ラスボスじゃねえか!!」
大きく飛び退いた俺は、手元に白く光るサイリウムを召喚する。距離を取ることは無意味だと言われていたが、これは気持ちの問題だ。
「安心するといい。今の私は貴様に手出しはしない」
「そうそう。私がちゃんと話を付けておいたから」
「そういう問題じゃねえだろ!」
こんなん友大が聞いたら卒倒するんじゃねえのか。それとも、そっちにも根回ししてんのか?
俺が頭を抱えているとアリスが帰ってきたらしく、玄関の戸が開くを音が聞こえてきた。こんな状況見たら殴りかかるんじゃないのか。いくらラックが大丈夫だと言っているとはいえ、信じ切ることができない。




