誰も知らない誕生日 4
この学園のこの時期には、屋上以外にも生徒が近寄らない場所がある。正しくは、近寄りたくない場所、高等部体育館裏だ。漫画のように不良が潜んでいる、なんてことはない。不良も不良で、好き好んでこんな場所でたむろしない。
高等部体育館裏は、学園のすぐ近くに山がある関係で、山に面している。そして季節は最早春。ただでさえ少ない生徒が、最も少なくなる時期だ。
「ショウに頼んで、サイリウムブレードを使ってもらえばよかったかな」
ここはむやみやたらに虫が多い。山から伸びた木が茂り、日当たりは年中悪く、無駄に湿度が高い。挙句の果てに、直上の木から芋虫が落ちてくるなんてこともあるくらいだ。
だから私は、アルマを回避するためにここに来た。
「えへ、ふふっ」
はずなんだけどなあ……
どういうわけか私を嗅ぎ付けたアルマは、置き捨てられたブロックを椅子代わりにしている私の膝に座った。弁当なら食べられないところだけど、そこは用意周到な私、購買でパンを買っていたので、食べにくいまでに留まった。
「美味しいね」
「私も久しぶりに誰かの手料理を食べたいなあ」
最後に誰かの料理を食べたのは、本当に昔。両親が生きていたころまで遡ると思う。外食で誰かが作ったものをカウントするなら度々食べているけれど、それを手料理と呼ぶには違和感が大きすぎる。
私はもちろん、クレアもユリシスもアリスも料理を作ることができない。私と同じ屋根の下で暮らした人間のうち、両親を除いたすべての人間がまともな料理を作れない。クレアは一度も台所に向かっているところを見たことがないし、ユリシスとアリスは純粋に下手くそ。私は料理をすると味はともかく見栄えが悪くなる。
そういうわけで、私は一〇年以上、それらしい手料理を食べていない。その言葉を聞いたアルマは笑顔から一転、しゅんとした顔になる。
「ごめんね? 私、料理はまだ練習中なの」
「いや、アルマが謝るようなことじゃないよ」
そういえば、ショウは料理ができるんだろうか。優しいのか乱暴なのか、臆病なのか大胆なのか、二面性だらけで普遍に溢れたあの子なら、そつなくこなすとは思うんだけど。何でもできると言えば、友貴ちゃんも料理ぐらいはこなしそうだな。今度頼んでみよう。
アルマの甘い香りを感じつつ、カツサンドを咀嚼する。味を探すのに、少しだけ時間がかかった。
「せんせえって、何が好き?」
「好き、ねえ……」
私はあらゆる事柄、人物に対して、あまり好き嫌いを言う人間じゃない。はっきり嫌いなのはクレアぐらいなもので、他に嫌いと断言するようなものはない。苦手なものなら無数にあるけど。ユリシスとかアルマとか。
「ここはアルマって言った方がいいのかな?」
「嘘じゃないならいいよ」
嘘ではない。異性としてではないにしろ、一人の人間としてのアルマは好きな部類に入る。
再三述べるように、私が嫌いな人間はクレアのような、頭の中身を解剖したくなるほどの悪人ぐらいだ。
アルマは私の対する粘着を除けば、至って普通の女の子だ。具象魔法のような特別性もなく、成績が飛び抜けて良いわけでも悪いわけでもない、普通の子。だから、私にとっては少しだけ特別だ。
「さて、そろそろ授業も始まるし、アルマは教室に戻った方がいい」
「せんせえは?」
「五限は空きコマだから、もう少しゆっくりするよ」
「そっか」とだけ言ったアルマは私の膝から立つと、一度私に会釈を向けてから教室のある棟へ向かった。いつもこんな風に聞き分けが良いといいんだけどなあ。
ふう、誰もいないところへわざわざ来たのに、アルマが着けて来るものだから予定よりもかなり対応が遅れてしまっている。上空を旋回するシスティからの連絡によると、魔法陣は六割が完成しているようだ。
「こういう時の裏工作や小細工は得意分野だから、ちょっと張り切っちゃうなあ!」
白衣の袖を巻くって、触りたくもない湿気た地面に意気揚々と触れる。正しくは、地に描かれた魔法陣の一部に。すると、体育館裏一帯も魔法陣が妖しく光る。この魔法は完成すると、範囲内にいる者を昏倒させる。対処法はこうして事前に介入するか、生来の相性の二つだけ。性能に見合う時間と魔力の消費もある上、上空から見上げると魔法陣がバレバレなために人気がない。
私はこの魔法に耐性がある側の人間だけど、アリスにはない。恐らく、アルマにも。ショウに関しては異世界人だし、一回もかかったことがないから判断ができない。
術式魔法は基本的に、発動前に術式に介入することができれば、不発にすることができる。通常の術式魔法なら発動までの時間が短く、介入するなんて馬鹿げたことはできない。この技術はこうした魔法陣を描いてから発動する、術式魔法への対抗札だ。
「魔法名クリア。魔力量もぎりぎり足りるか……あとは術式だけっと」
私の具象魔法は理解。不発に終わらせるために必要なパーツ、魔法名と術式の解読は、張り切っているのもあって数秒で片付いた。私に言わせてみれば、こんな作業はジグソーパズル以下、児戯のようなものだ。
あと必要なのは時間だけ。そこが一番の問題だ。
お偉いさんには、ショウのことを報告している。お上はショウを保護すると言ってきたけれど、私はそれを突っ撥ねた。私自身が異世界人について知りたかったというのが八割。残りがショウ本人を思ってだ。クソが付くほどつまらない生活を送らせるには、巻き込んだ私としては非常に忍びない。あの子からはさんざクズと罵られる私にも、一応それぐらいの良心がある。
ショウの保護に関しては許可が下りたものの、経過報告が義務付けられ、ショウに危害が加わった場合は、即座に政府の管理下に置くようにと言われた。過去二回は規模が規模だけに何とか揉み消せたけど、今回ばかりは流石に隠しきれそうにない。お上に気付かれる前に、何とかことを済ませるしかない。
ユリシスからしてみれば、固いだけの政府の警備は逆に破りやすい。破られた後のことを考えておかないとユリシスには太刀打ちできないのに、頭が固い政府は思考を放棄して、その手を考えていない。
「……無理そうかな」
今のうちに、言い訳と適当な理由を考えておくのが良さ気かな。いつからユリシスがこの魔法を準備していたのかは知らないけど、相当な準備期間を設けていたに違いない。数十分かけてなんとか片付けたけど、政府がこれだけ大掛かりな魔法に気付かないはずがない。ショウに事情を話しておかないと。
場合によっては休日申請もしなくちゃいけない。また学園長から小言言われるんだろうなあ。
「面倒だなあ……」
システィに確認を取ってもらい、魔法がちゃんと無力化された連絡を受けてからこの場を後にする。いつもなら体育の授業にちょっかいをかけるところでも、今の私にそんな余裕はなかった。苛立ちから、らしくもなく髪を掻きまわす。
そろそろ本気で彼女を何とかしないといけない。ショウがやって来てからというもの、嫌がらせの頻度と規模が以前の比じゃなくなっている。本人に帰る気がないし、私も帰すだけの財もやる気もない。アリスとショウに手伝ってもらって、ユリシスをブタ箱に入れる方が手っ取り早い。
となるとやっぱり、先生にも協力を仰ごう。忙しくなりそうだ。




