誰も知らない誕生日 1
「その時、友達が女の声で言ったんだ」
暗い部屋。炬燵とひとつの蝋燭を囲んで、俺たちは座っている。
「『落ちればよかったのに』」
ありきたりな怪談話を終える。この企画の提案者はアリス。何でも、こっちの春は怪談のシーズンらしく、こうした怪談話を持ち寄るのが通例らしい。アリスが立ち上げたこの企画の参加者は俺とクラック兄妹と友貴。友大は雰囲気が出るだろうと、場所を貸してくれた。古き良き日本家屋での怪談は、確かに風情がある。
アリスと友貴は怪談が苦手なのか、二人で手を握っている。いくら創作物が好きでも、苦手なものに自分から触れていくのはどうなのか。
「はい質問! 男性の声帯から、女性の声が出るわけないと思うんですけど!」
「お前なんで来たんだ」
雰囲気ブレイカーのラックは、怪談に対して耐性があるのか――そもそも信じていない節がある――、話が終わった後一点でもおかしな点を見つけると、それを指摘してくる。これ裁判とかそういうやつじゃねえから。
加えて、ラックの怪談はすべてSisters関連のもの。恐怖にまともな耐性がない友貴を除いて、怖がるものはいない。あれは奇怪さ奇妙さ気持ち悪さを感じるものであって、恐怖を感じるものではない。Sistersは怖いのではなく、近付きたくない。
夜分遅くに始まったこの怪談会も終わりになる。月明かりと蝋燭の炎だけだった光に、陽のそれが加わり、東の空が赤く燃えている。
「あ、朝みたいだし、もうお終いね」
「そうですね……そうですよね」
声を震わせるアリスと、震えるものすべてが震えている友貴は、朝が来ると見るや否や安堵の息を漏らした。安心して気が緩んだ二人は、二人同時に大きな欠伸をした。友貴はともかく、アリスはまだ中学生だ。徹夜も慣れていないだろう。俺はコーヒーのカフェインが決まっているおかげで眠くない。代わりに利尿作用で何度も席を立つことになったが。
ラックは平均して一番テンションが高かったくせして疲れが見えない。やはり研究職というのは徹夜に慣れている。
蝋燭の火を消し、お開きとなった怪談会。帰路の途中、恐怖と寒さで震えるアリスは俺の手を掴み、白い息を吐いた。
「……お風呂、どうしよう……」
その台詞を聞き逃さなかったのがクズ。
「怖いならお兄ちゃんが一緒に入ってあげようか?」
見たこともない笑顔で、アリスの顔を覗き込むラックは下手な怪談よりも恐ろしい。こいつ自体が怪談になってもなんらおかしくない。むしろ推奨する。
そんな妖怪が眼前に現れたことで、一瞬たじろぐアリスだが頬を軽く叩いて顔をどけた。
「手は出さないだろうけど、生理的に無理」
今まで震えていたアリスは消え、早朝の空気以上に冷え切った台詞でラックを両断した。とはいえ、俺の手は未だに握っているから、完全に拭いきれたわけではないようだ。
帰宅した俺たちは、各人の予定を消化し始める。ラックはSistersの世話、アリスは風呂。そして俺は――
「見ないでね? でも行かないでね?」
「分かった。分かったから早く入れ」
アリスの身辺警備のようなものを任された。具体的には風呂場にいるアリスの姿が見えない位置で、最も近い位置に待機しているようにと言い渡された。一四歳がストライクゾーンに入る俺ではないが、見られる側としてはそういう問題ではない。
壁に背を預けて座り込んだ俺は、何をするでもなく呆けていた。
俺がこっちに来てから、もうすぐ一か月が経過する。時間の経過がやけに早く感じるのは、濃密だっただけではない。こっちとは多少暦がずれているが、あっちなら後約二週間で俺の誕生日がやって来る。
二十歳というひとつの区切りは、俺に何か変化をもたらすのだろうか。俺を取り巻く環境は目まぐるしい変化を見せたが、俺の精神は何ら変化していない。周りに合わせて、そつなく日常らしきものを過ごしているにすぎない。何も、変わってはいない。
「俺は、いつまで子供なんだろうな」
手の中で光るサイリウムがその象徴だった。
この趣味を恥じたことはない。つまらないと思ったこともない。けれど、大人になるには不要な気がしてならない。
「……まあ、あんな奴もいるし、案外大人って子供なのかもな」
揺れる銀色の髪、白い服。いつもつり上がっている口角。あいつの年齢は知らないが、外見だけで判断するに、二十代前半ぐらい。あれが大人の代表例だとは思わないが。
「私のことかい?」
さっきアリスにしたように、俺の前に顔をぬっと出す。こいつは気配を消すのが無駄に上手い。その技術力は、魔法を使っているのではないかと思うほどだ。
俺が顔を顰めて少し引くと、満足気なラックは俺の隣に座った。
「風呂上がりの女の子って、良い匂いするよね」
「お前それアリスの前で言うなよ」
「当たり前じゃないか。下手するとブタ箱行きじゃん」
これは言うな。絶対に言う。
鼻歌を歌っている上機嫌なラックが着ている白衣は、毎日着ている割にはやけに綺麗だ。新品同様とは言わないが、くたびれて染みでも付いていそうなものだ。具象魔法はそういうものなのだろうか。俺のサイリウムも、電池が付いてるわけでもないのに光るし。魔法にあっちの常識を持ち出しても仕方ないか。
急に静かになったラックは、俺に質問を持ち出した。
「ねえ、ショウは悩みとかある?」
それは、予想以上に予想外だった。いや、ラックが予想外な言動行動を起こすのはいつも通りで、こいつはいる時は常に予想外すら想定して行動しているが、ラックの脳ミソに「悩み」という単語が刻まれていることは想定の外だった。
時間をかけてラックの言葉を飲み込んだ俺は、自身の悩みを探し始める。まあ、探すといっても大した時間はかからなかった。
「大人になりたいっつーか、子供を卒業したいっつーか、そんなんだな」
「ふーん、そうなんだ。私の悩みはね」
……こいつマジで一回ぶん殴ってやろうか。
人の悩みを聞いておいて、唐突な自分語りを始めやがったクソマッドの表情は、それなりに深刻だった。
「私とアリスは血が繋がってないんだけど、線引きが分からなくて困ってるんだ」
前者の事実は別に驚きはしない。あそこまで外見も性格も似ていないのなら、血縁でなくても、それこそ「ふーん、そうなんだ」で終わりだ。
問題は後者だ。あれだけからかい、セクハラをし、時には一緒に帰宅するような仲で、線引きが分からないとはどういうことだ。お前はいつもオーバーランしてるだろ。
「普段は普段通りの私で接してるけど、私としてはあの子が本心では嫌がってないか気が気でなくてね」
「嫌がってるようには見えねえけど」
「ユウキちゃん」
その名前を出されると、俺はぐうの音も出せなくなった。
「そんなわけで、あの子の本心を探ってくれないかな」
「それぐらいなら、まあ……」
「じゃ、よろしくぅ!」
一転して上機嫌になったラックは突然立ち上がると、スキップをしながらどこかへ消えて行った。人に面倒事を押し付けて楽しいのやら、悩みの解決の目処が立って嬉しいのやら。
ラックが消えてから数分もすると、アリスが上がってくる音が聞こえてきた。アリスは神が短いのもあって、年頃の女子にしては入浴時間が短いように思える。女兄妹とかいなかったけど、印象的に。
「ありがとう、ショウ」
「ん」
体を拭き、着替えを終えたアリスは戸を開くなり礼を言う。カフェインが切れてきた俺は若干眠い。元々徹夜には慣れている方だが眠れるに越したことはない。ラックに任された面倒事の処理は後回しにして、今日は眠ろうかと立ち上がる。
大きく伸びをした腕をだらりと下して、嫌がらせで割り当てられた、Sistersが住まう区画の直近にある自室へと向かおうと一歩踏み出す。
「あの、ショウ」
「ん?」
眠いので、発言行動はできるだけ手っ取り早く済ませたい。俺を呼び止めたアリスは何やら言いにくいことでもあるのか、呼ぶだけ呼んで口を噤んでいる。
「わたしが眠るまで、一緒にいてくれないかしら……」
「ん」
首から上だけをアリスに向けながら返事をする。今の返事には肯定の意が込められていることを、アリスは見抜いてくれただろうか。一応首を縦に振ったんだが。
「えっと、添い寝っていう選択肢も、あるんだけど……」
「いや、それはまずい」
主にラック的な意味で。恐怖か好意かの分別はつかないが、そのどちらにせよ、あいつに見つかるとロリコン認定された挙句、兄と呼ぶことを強要される未来が見える。眠いにもかかわらず、はっきりと条件反射的に返答したことから、俺がどれだけその未来を受け入れられないかを、推し量ることができるだろう。
「そ、そうよね。ごめんなさい。変なこと言って」
アリスが妙に落ち込む。フラグが云々は俺自身が恋愛を諦めている節があるので、特に気にしない。アリスに関しては俺よりも、同年代の方がいろいろとプラスになるだろう。
大欠伸をしてから、アリスの部屋に向けて歩き出す。独りが怖いアリスは、俺が歩き出すと慌てて俺を追い、隣にぴたりとくっついた。




