その光の名前は 1
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一月の末。細雪降る夜。俺は休日にしては珍しく、外出していた。今日はとあるアニメのライブイベントが開催されていた。それに参加した俺は大変はしゃいだ。興奮冷めやらぬまま、盛況のうちに終了したイベントは、人気に恥じない内容だった。
SNSを通じて仲を深めた友人と別れ、今夜は適当なネカフェにでも宿泊する予定だ。本来なら早めに電車を使って帰宅するつもりだったが、友人との会話があまりにも弾んでしまい、終電を逃してしまったからだ。
「どこも空いてないな……」
マップアプリを使い、近辺のネカフェを虱潰しに電話していくも、どこも満席ばかり。予約を入れておかないと、イベント後は満席になってしまうことは分かっていた。
一応金はある。逆に言えば金ぐらいしかない。持ち物はサイリウムと財布のみ。必要最低限の持ち物で、ライブに行くのは俺の習慣だ。適当なゲーセンで時間を潰してもいいが、俺は夜更かしが得意ではない。できる限りは眠れるところで眠りたい。まともなホテルに泊まるだけの予算がないことが本当に恨めしい。
「ゲーセンか……」
近辺のネカフェをすべて潰してしまい、残された選択肢はゲーセンのみになってしまった。途方に暮れつつ、アプリで調べた近場のゲーセンへと歩を向けた。
雪に肩を濡らしながらゲーセンへ向かう道中、俺はふと視線をある方向へ向けた。その先に明滅する看板を見つけた。「Sisters」と印字された、如何にも怪しい看板の端には、しかとネットカフェの文字があった。
マップアプリには表示されていなかったそこは、営業している可能性が非常に低い。しかし、看板が曲がりなりにも点灯している以上、そこには一分の可能性があると確信して、入り口を目指した。細い路地に入り口があるらしいそのネカフェは、雰囲気がおどろおどろしい。治安の悪い地域であれば、強盗やクスリの売人に引っかかりそうだ。
多少の埃は気にせず、古ぼけた戸に手をかける。電気に頼ろうとしない、アナログな姿勢に少しだけ好感が持てた。戸にはやはり、「Sisters」と印字されている。妙な名前のネカフェだとは重々思いつつ、藁にも縋る思いで、俺は戸を開けた。
開いているということは営業していることだと思い込んだ俺は、そのまま室内に入った。いいや、違う。入ってしまった、と言うべきだ。
「……あ?」
俺の視界に広がったのは、外見から予想されるオンボロな内装ではなく、どこかの研究施設のような白い壁と床。そして、圧倒的な存在感の暴力がそこにいた。
何に似ているか。何にも似ていない。何種かの生物の特徴を持つ。という形容が最も正しい。同じ特徴を持つものに、多くのゲームに登場する「キメラ」がいるが、あいつの尻尾は蛇だ。こいつの尻尾は人の腕のような何かだ。ああ、まるで全然違う。
顔面は鮫、胴は巨躯を持つ陸上生物――恐らくは象――脚は虎のようで、前述した、臀部から生えた、関節の増えた人の腕のような何かは、先で手を結んでは開いている。
そいつは、俺をじっと見ている。
B級映画ですら、鮫にここまで混ぜ込まない。俺は、何故か第一にそう思った。
「SN-006、部外者の侵入を確認。事前の命に従い、排除を行います」
女性の声が響いた。その発生源は紛れもなく目の前のキメラだったが、それと断定するには、キメラはあまりにも醜く、声は透き通っていた。
まず俺は振り返った。そこに戸はなかった。
「部外者は抵抗を行うことを許可されています」
「ギャグセンスあるぜ、お前」
自分の内心に余裕があることに自分で驚く。抱腹絶倒もののギャグを聞いて、笑えるだけの余裕はないようだったが。
全長がやたらと大きいだけあって、キメラの行動速度は大して速くはない。ろくに運動をしていない俺でも、見切って攻撃を回避できたほどだ。ついさっきまで俺が背にしていた壁は、キメラの口撃(物理)を受けても傷ひとつ付いていなかった。ただし、その際に発生した音などの衝撃から、その威力を想像することは非常に容易いことだった。
「部外者は私に一撃で殺害されることを推奨します」
「馬鹿じゃねえの……!」
無機質な声で大人しくすることを勧めるキメラだが、そんなことを鵜呑みにできるわけがない。キメラに言葉を返しつつ、俺はここから脱出する経路を探す。
キメラの向こう側、今はもうない入り口から見て左側に、自動ドアのようなものを見つけることができた。他に通路はなく、ここから脱出するにはそこを通用する他ないようだ。
幸い、前述の通りにキメラの動きは鈍重だ。落ち着いて状況を見極めることができれば、「ここから脱出する」という第一目標の達成は容易い。
「部外者は行動を起こさないべきであると提案します」
「嫌だねっ」
思考と会話の内に後退し、距離を取っていた俺はキメラが行動を起こしたのを確認してから、一拍遅れて動き出す。一挙手一投足を見逃さないよう、互いにじりじりと距離を詰めていく。キメラは俺を殺害するため、俺はその先にある逃げ道へ向かうため。
俺たちが大きなアクションを起こしたのは、奇しくも同時だった。
キメラは俺から見て左斜め前方へ跳んだ。俺は右斜め前方へ向けて駆けた。
「かっ、ふっ!」
賭けに勝ったと思う間もなく、俺は何かに首を鷲掴みにされた。
俺の首を掴んでいたのは、キメラの尾――人の手だった。奇妙という形容詞では形容できない異質さを孕んでいるその尾は、俺を掴んだまま大きく振りかぶり、壁に向けて投擲した。
左肩から思い切り壁にぶつけられる。嫌な感触と強い衝撃が俺の感覚を圧迫する。感覚に隙間が生まれると、遅れて左肩を始点とした激痛が全身を襲い始めた。
「部外者は抵抗を行うことを許可されています。しかし、私はそれを推奨しません」
英文を直訳したような台詞が室内に木霊する。他に存在している音は、俺の呻き声だけだ。
ここが現実ではない夢だとは思えない。あまりにも鮮明過ぎる。ここが異界だと言うのなら、俺が異世界に迷い込んだと言うのなら――!
「……何でもいい、誰でもいいから……俺に手を貸してくれ……っ!」
壁を背に左肩を押さえながら、キメラの足音をじっと聴いている。ともしなくとも、死神のそれを同義である足音が近付いてくることに、気が狂ってしまいそうな恐怖に駆られる。
キメラが一歩踏み出すまでに、俺の心臓は幾度となく鼓動を刻む。呼吸が荒い、体が熱い。自分の体なのに、自分の言うことを聞かない。
「部外者は目を閉じておくことを推奨します」
「……うるさい、来るなっ……!」
俺の命令がキメラに聞き届けられるはずもなく、足音は徐々に大きくなっていく。それに比例して、鼓動も呼吸も加速する。
目と鼻の先にまで、鮫の顔が接近する。蛇に睨まれた蛙ではないが、俺は動けない。これを好機と見た鮫が、その大口を開ける。
瞬間、俺の恐怖が振り切れた。
「う、あああぁぁぁっ!!」
何も持っていないはずの右腕を振り上げ振り下ろす。何の意味もないはずなのに、俺は咄嗟にその行動を取った。何の意味もないはずなのに、肉を焼くような音が室内に響いた。
俺の手には、赤く発光するサイリウムが握られていた。
「……は?」
その瞬間だけは、痛みも、恐怖も、すべてが疑問に押し出された。
何故持っているのか、何故キメラを焼き斬れたのか、そこに疑問を持ったのではない。俺の中にまず浮上したのは、「何故、サイリウムなのか」という疑問だった。




