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1-3

 夏になり、大学受験――少なくとも悟は進学のことしか考えていなかった――が本格的に迫り来るのを感じた頃だ。

 ひな壇状の、段違いなった道の何段目か。少なくとも左手に見える擁壁の先にはマンションが立ち並び、それ自体が壁であるかの如くそびえ、反対に右手側は控えめな柵があるだけで、町をいくらかの高さから見下ろすことができる通りだ。

 悟は放課後、そうした道だけの段として独立した通学路を歩いていたのだが、隣に並ぶ女がふと思い出したように、いまさらの問いを投げかけてきた。

「悟さんは、進学するんですよね?」

 考えというほどの考えも持たない顔で――元より彼女が思慮深いようには見えたことなど一度もなかったが――、きょとんと聞いてくる。

 ただし彼女の心中には、まだ先の問いが潜んでいるのが明らかだったため、悟は「当たり前だ」と素早く肯定してそれを促した。

 すると彼女は奇妙にも期待というか好奇心というか、ひょっとすれば照れのようなものまで含んで言ってくる。

「じゃあ、どこの大学に行くんですか?」

「俺の好きなところでいいって言われたけど、そういうのが一番面倒で困るんだ」

 ふんっと鼻から息を抜き、しかし悟はそれを答える時、表層こそ悩ましそうだったが、内心では明らかに得意満面の様子だった。

「それでも一応、北信州大学か東上大学の経済学部辺りだろうな」

「東上大学って……確か、東京のすごいところですよね?」

「別の有名どころと比べるなら、兄貴のいる慶應とか早稲田辺りと同じ程度だろうな。偏差値七十前後ってところか」

「そんなすごいところに行けるんですか!?」

 愚かしい彼女には、そもそも偏差値の価値がわかっていないのではないかと悟はふと思ったが、それでも馬鹿正直に喫驚する姿には優越感も生まれた。

 ただ、悟はあくまでも平静として、そうした嘲りにも似た感情を表に出すことはなく、真摯めいて言う。

「何言ってんだよ、俺ができないはずないだろ。まあ本当は兄貴たちと同じところでもよかったけど、それじゃ芸がないしな」

「確かにそうですよね。私の後輩なんか、みんなやる気なく他の人と同じことばかりするせいで、顔と名前が一致させられないんですよ。もっと熱意を持って欲しいんですけど、なかなか受け入れられなくて」

「お前がその言葉を熱意持って伝え続ければ、きっと届くだろうよ」

「ありがとうございます、悟さん」

 悟の吐いた適当な序言に、律儀にも頭を下げて、彼女は照れたように微笑んでみせた。そうしてから話を元に戻す。

「それにしても、悟さんってやっぱり頭がいいんですね。そんなすごい大学にまで行けるなんて。こうして一緒にいられるのが幸せです」

「お前は東上大学の方がいいと思うか?」

「それはまあ……そうですね。そんな大学に行ってる恋人がいたら、周りに自慢できます」

 冗談半分に、けれど逆に言えば半分は本気でその目的を持ちながら言ってくる。

 ただ悟が聞きとがめたのは、そうした利己主義的な願望にではなく、その間に挟まれた彼女の勘違いだった。

 悟はそれを、やんわりとにでも叱咤し、訂正しなければならなかった。

「まだ恋人ってわけじゃないだろ? そういうのは、俺とお前の受験が終わってから、だ」

「あ、そうでしたね、すみません。でも……今だって、同じようなものじゃないですか?」

 彼女はなんらかの権利を主張するように、身体を寄せてきた。

 悟がその肩を抱いてやると、うっとりした顔で喜び、委ねるように目を閉じたらしい。そのため彼女には、自分の頭の上で悟が嘲るように、あるいは憮然とした顔をしているのが見えなかっただろう。

 ひょっとすれば彼女は、悟と同じ大学へ進みたいと考え、そのために進路を聞き出そうとしたのかもしれない。

 もっとも悟は、彼女程度の頭ではどこであれ――例えば北信州大学は偏差値の上では平凡で、近隣の学生が滑り止めの第一候補として選ぶ場所だとしても――自分と並ぶことなどでき得るはずがないと、常に嘲っていた。

 悟は声の上ではそうした思いの一切を隠して、どうでもないことのように呟いていた。

「まあ俺としては、地元の北信州大学もいいかと思ってたんだけど、お前がそんなに言うなら東上の方に行ってやってもいいか」

 その言葉の意味もわからず、なんとなしに喜ぶ彼女を横目に……悟はふと、自分ならばそんな予防線を張る必要もないはずだとかぶりを振ったのだが。

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