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6-5

 結局のところ、直樹はその食事の間、電話の相手についてやその会話の内容について何も聞いてこなかったし、いつも通りのぶっきらぼうな口調で他愛ない会話や冗談めかした話をするだけで、松原の懸念を現実のものとするような話題は一切出さなかった。

 例えば――彼は今まで何度もやってきた、”元彼”に関することを何一つとして口にしなかったのである。

 それがなんらかの意味を持つのか、あるいは単なる偶然なのか、混乱して青ざめ、正気を失いかけている松原には判断することができなかった。

 深夜になる頃まで、他にいくつかの場所を巡ってから、松原は直樹の家に招かれた。最初からその予定ではあったことだ。もっとも今は少しだけ抵抗があったのだが、直樹は全く構わない様子だった。リビングには向かわず、脱衣所へ案内され、日中の汗を流すことになる。最も多く滲んだのは冷や汗や脂汗で、それはどれほど熱いシャワーを、どれほど強く打ち付けさせたところで全く落ちた気がしなかったのだが。

 リビングの手前にあるのが寝室である。明かりは点いておらず、ダブルのベッドとサイドテーブルが置いてあるだけの部屋が、青黒い夜の色に沈んでいる。松原が白いシーツを持ち上げて、身体にかけるようにしながら、その暗がりを恐れるような心地でいると、やがて直樹がやって来る。

 松原が緊張、あるいは緊迫していたのは、これからの時間を想像してのことでもありながら、それと関連しながらも全く別の理由だとも言えた。頭の中にどうしても、夕刻の電話が反響してしまうのだ。そしてそれに直樹が何も言わなかったことも、松原の混乱と不安を大きくさせていた。

 直樹は「待たせたな」と言い、松原は首を横に振る。そうして彼は、ベッドに座る松原の方へと歩み寄ってきたのだが、それを途中で引き止めるように、ベッドサイドに置かれていた彼の携帯電話が鳴り始めたのだった。

 驚いたのは松原である。着信音が、他人のものといえど一種のトラウマになっているのではないかと、我ながら思ってしまうほどだった。ただ、当の直樹は全く動じていなかった。邪魔をされたと憤ることもない。むしろ歩みを全く止めることなく、電話が掛かってくるのを予測しており、最初からそちらへ向かっていたのではないかと思うほど、彼は自然な足取りで躊躇なくそれを取った。

 そしてそのまま、松原がいることも気にせず話し始めたらしい。むしろ見せ付けるようですらあった。彼は薄ら笑いを浮かべている普段の顔を、それまで以上に強烈なものに変えて、ちらりと松原の方を見やったほどである。

 電話相手の声は聞こえなかったが、当然だが直樹の声は聞こえた。彼が「知らないということになっている」と言った時、松原は総毛立ち、全身から血の抜けるような感覚を抱いたが、それは最も想像したくない事態を想像してしまったためだった。思わずベッドから抜け出し、立ち上がってしまったほどであり、直樹はそれを横目に見ながら、今度は「今から忙しくなるんだ」と言って話を打ち切ったようだった。

 電話を切ると、直樹は異常なまでに不敵な笑みを浮かべていた。何があったのかと聞くのは、夕刻の自分を思い出すと躊躇われたが、彼は先回りするように答えてくる。

「怖がる必要があるか? 俺は常にお前の”救い”だったはずだ」

 奥にある薄いカーテンから入り込む夜の色が、彼の姿におぞましい影を生み出しているようだった。それはなんらかの怪物や、得たいの知れない人間外の恐るべき神性のように思えるほどで、松原は全身を震わせて身動きが取れなくなってしまったほどである。

 その身体を、直樹は奇妙なほどに優しく抱き締めてきた。

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