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3-2

 翌日、佐口は登校するのを酷く嫌がった。両親が許せば間違いなく家に閉じ篭っただろうし、不在であれば勝手に籠城を決め込んだだろう。そうでなくとも、遅刻するぞと急かしてくる親の言葉に、しばらくの間は抵抗を見せたほどだった。

 しかし結局のところ欠席が許されなかったのは、佐口が両親に対して事の次第を説明しなかったためでもある。

 佐口は友人の唐突な暴力に対し、誰に何をどう話していいかもわからなくなるほど混乱し、当惑していた。加えてそれを人に話し、ましてそれによって友人と距離を置くことを許可されるということは、彼との関係修復を困難なものにするような気がしてならなかった。己の中に湧いた感情を別人に預け、それによって行動を決するというのは、その後の行動や感情までもその別人に依存し、決定されてしまう気がしたのだ。

 そのため佐口は己の感情を他者には漏らさず、自分自身によって解決しなければならなかった。解決方法の模索は重労働であり、酷い頭痛を伴い、陰鬱に身体の動きを抑制し、少なくとも登校したのは予鈴の数分前になった。

 それでも全くなんの妙案を思い浮かべることもできなかったのだが……佐口は重苦しい気持ちで恐る恐る教室のドアを開けると、そこで奇怪な現象と遭遇し、それを身に受けることになった。

「よお、今日は遅かったな。なんかあったのか?」

 そう挨拶して気軽に片手を上げてきたのは、他ならぬ深沢だったのである。

 佐口はますますもって混乱した。深沢はまるで昨日などなかったかのように、今まで通り、全く平然として話しかけ、会話を広げようとしてきたのだ。今朝テレビ番組で仕入れたばかりの話や、それに関連して思い出した、ずっと以前の話、果ては昨日の帰り道で和久井と話したらしい内容など、昼休みの瞬間以外にはわだかまりを抱いていないような話し口だった。

 あまりに普通に接するため、最初は佐口の登校によって険悪な雰囲気になるのではないかと懸念し、警戒していたクラスメイトたちも、昨日のことは悪い夢だったか、すぐさま仲を取り戻すほどの友人関係だったと思ったに違いなく、誰しも安堵混じりに苦笑して、深く構ってくることはなかった。

 また佐口にしても、深沢との関係修繕を望んでいたことは間違いなく、彼の平然とした態度は驚かされると同時に、幸運でもあった。修復のための解決方法が自ずからやって来たか、最初からそうしたことに頭を悩ます必要などなかったのだと言えるのだから。

「そんでさ、和久井さんがそんなこと言ってくれたから、俺もこう、なんていうかさあ」

「嬉しくなった?」

「そりゃ当たり前だろ! 和久井さんが認めてくれたんだぜ?」

「よかったじゃないか、深沢」

 相槌を返しながら、やはり今まで通りの関係であることを再認識する。全くもって変わりなく、あの昼休みの一瞬だけなんらかの悪霊が深沢の心に憑り付き、彼からしばし記憶と身体の権限を奪っていたのではないか。そんな風にさえ思ってしまう。

 もちろんそんなことが現実にあり得るはずもなく、紛れもなく彼自身の意思に他ならないだろう。そして当然、記憶も持っているはずである。それは深沢が、自分たちの喧嘩に一切触れないのが証拠だと言えた。記憶がないのなら、疑問に思うはずだ。そうでないのは、記憶を持った上で、あえて無視しているからに他ならない。

 佐口がその時のことに触れず、どうでもない話題に花を咲かせたのは、まさしく深沢のそうした態度によるためだった。どういった意図があるのかわからないが、深沢が無視するのなら、自分があえて掘り起こし、険悪にする必要もないだろうと思えたのだ。あるいは深沢も、そうした考えによって触れぬまま、関係の修復を図ったのかもしれない。だとすれば、それはおおむね成功したと言えるだろう。

 ただ、それでも佐口は気がかりというか、わだかまるものを感じていた。全く無視するということは、それについての謝罪や弁明も聞くことができないということだ。

 そしてそうした結果は、僅かずつではあるものの確実に、佐口の意識や行動を強制的に変えさせるものだった。

「お前ってさ、最近誰かに褒められたことある?」

 深沢がそう聞いてきた時、佐口は嫌な予感を抱いた。その語り口と、言ってきたのが昼休みだったというせいもあるだろう。そのため、佐口は問いに答える前に逡巡しなければならなかった。時間にすれば数秒となかっただろうが、慎重を期し、対応と言葉を選ぶ必要があった。そうして導き出した結論は、頷くことだった。

「最近は……あんまりないかな」

「はは、そうだよな。だろうと思ったよ」

 上機嫌な声音は、正解を意味するのだろう。佐口は安堵したが、話がそこで終わるわけではなかったため、完全な正解だったとも言いがたいと思えた。深沢は言うのだ。

「お前って、人に褒められることできそうにないもんな。強みっていうかさ、そういうのがないんだよ」

 今度は、その対応について迷う必要はなかった。今まで、彼とこういった話をすることはあったし、その時にも迷いなく返答をしていた。往々にして、こうしたやり取りで話を弾ませていたと言える。

 もっとも、今の迷いのなさはそれとは違う意味である。正反対と言ってもいい。佐口は小馬鹿にする調子の言葉に対し、ただ「そうだな」と頷いて曖昧に笑ったのだ。

 これは紛れもなく、昨日の喧嘩に由来するものだった。佐口は明らかに、またしてもこうした会話によって深沢が怒り狂うことを恐れていたし、それを避ける必要があると感じていた。暴力を受けることはもちろん、そうした事態に発展することがなによりも不快だったのだ。全くの穏健派、事なかれ主義と言っていいだろう。当然として、自分が対抗して暴力を振るうことなど考えられなかった。

 深沢はそれをどう受け取ったのかわからないが、「素直だな」と感心するような、意外に思うような顔をしてから、笑い始めた。

「まあ安心しろって。和久井さんも言ってたけど、今の世の中ならお前みたいな奴でも生きていけるからな。ははは!」

 そうして話は打ち切られたのだが、その拍子に強く叩かれた背中の痛みは、じわじわと身体の奥底へと響いていった。

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