憧れの帰路 後編
僕は生来、下らない争い事は好まない性質だ。
それに、自分の好きな物は自分で選び取り、その結果に後悔という文字を刻む事を忌み嫌っていた。
だからカナの提案は僕にとっては、とても飲み込めるものではなく、当然のように、それを否定する形と相成った。
でも……
この悪ふざけこそが、いはいダイアリーの一枚になり、そも完成した暁には、笑って思い返せると考えてしまった僕は現在、好きな物のひとつとて入っていない幕の内弁当を前にして、ただただ、打ちひしがれるしか出来なくなってしまっていた。
「いっただっきまーす!」
いまだかつて、隣人をここまで荒んだ視線で見つめたことはあっただろうか。
天真爛漫、遠慮無縁と和牛弁当を口へと運ぶカナに、僕は一端の怒りの感情を隠せないままでいた。
幕の内弁当というものは、これ一つで芸術であり、完成された代物だと思う。
でも、僕のように、まだまだ世間を知らずにいる若造にとっては、こっれぽっちも魅力的に感じられる部分がなく、高い料金を支払ってまで購入したいとは思えない代物であることは間違いない。
結論からいえば、カナのチョイスは最低最悪の一手だと言っても過言じゃない。
空腹時にこそ増長されてしまったこの怒り具合を、はてさて、僕はどうやって消化してしまえば良いんだろうか。
「むほっ! これ美味しいよ! りっくん!」
育ちが悪ければ、「黙れ、この馬鹿」とでも口にしてしまっていだだろう。
それほどまでに、カナの笑顔は僕の逆鱗を擽り続けていた。
「? りっくん、食べないの?」
「……うるさいよ、カナ」
僕は思いの外、我慢が足りない人間だったみたいだ。
心の声はあっさりと僕の内側からこの身を破り、カナに向けて辛辣に放たれてしまう。
「もう、りっくんは子供だね〜」
さらに追い討ちを掛けるような挑発を繰り出してくるのは、果たしてカナの意図したことなんだろうか?
僕だって、怒るときは怒るんだよ?
「りっくんはさあ、自分主義が過ぎるんだよね〜。 他人の意見を寄せ付けず、自分の意見ばっかりに耳を貸し続けてる。 でも、それって素敵なことだよね〜。 だって、だからこそ、りっくんはりっくんでいてくれるんだから」
意味不明過ぎて、僕にはカナの言っていることが百分の一も理解できそうにない。
そんなことよりも、その食欲をそそり続ける肉の匂いをどうにかして欲しいと切に願っていることを、僕は彼女に伝えるべきだろうか。
「知らないもの、知ろうとしないもの、前人未踏とはかけ離れてそれでも、りっくんは他の誰よりも、私の側にいてくれる。 そしてだからこそ、私はそんなりっくんにも、広い世界を見て欲しいと思うんだ」
僕の葛藤を他所に、カナは僕の手元から幕の内弁当を取り上げると、おもむろにその中から、人参の煮物らしきものを箸で差し出してくる。
「挑戦なんて不要なんだって思う。 それでも、知って欲しいと思う気持ちも嘘じゃない。 ねぇ、りっくん、私、本当はね、幕の内弁当が好きなんだ」
随分と強引に、それでいて、どこか切実に口の中へと運ばれた人参は甘く、僕はここで、ようやくカナの本心を垣間見てしまった事に気が付いた。
その真実に僕は仮面を剥ぎ取られそうになり、思わず列車の窓へと目を向ける。
そこにはとても、とても綺麗な夕焼け空が広がっていて、なおさら、僕の心を締め付けるように、ただただ赤く、染まり上がっていた。