憧れの街 後編
いはいダイアリー
それはカナが提案してきた僕達専用で、僕達だけの思い出日記の名称だ。
何とも酷い名前だとは思うが、いかんせん、これが的を得過ぎて怖くなる。
忘れない、忘れてたまるかという大事な事柄でさえ、僕達は稀に置き去りにしてしまう事がある。
そこに意志はなくとも、そこに時間の概念さえあれば、それは自ずと起こり得る事実だともいえよう。
カナの話が本当だとして、カナの寿命と呼ばれるものが、もう尽きてしまうとして、だからこそ、カナはそんな提案を思い付いたんだろう。
簡単にいえば、それを理由にはしゃぎたいだけなのかもしれない。
簡単にいえば、それを肴に盛り上がりたいだけなのかもしれない。
僕はそんな風に思いながらも、カナの提案を受け入れる立場をとった。
自分でも自分の甘さは理解出来ている。
こんな風にカナに付き合ってられるのも、こうした僕の甘さがあってこそなんだろうとも思うんだ。
いくつもの信号を越え、僕達はようやくお目当の場所にたどり着いていた。
大げさな言い方をするなと言われるかもしれないけど、信号待ちの度にはしゃぎ回る隣人の姿を想像してみて欲しい。
僕は早くも疲労困憊の状況で、ほとほと疲れ果ててしまっていた。
「ふわぁあ、大きな岩だねぇ……」
かといって、気遣いと無縁な幼馴染みが休む間を与えてくれる訳もなく、僕は感嘆の声を上げるカナに引っ張り回されるがままでいた。
それにしても、
「江戸城跡地っていっても、何も無いものなんだね」
「もう! りっくんは風情が足りないなぁ! こういう時は想像力の翼を広げて見るんだよ!」
心の声をハッキリと口にした僕に対して、カナは瞬発的に反論の声を上げてくる。
かといって、両手を大きく広げたカナの頭の中にいったいどれほどの光景が浮かんでいるのかなんてわかるはずも無い僕には、結局、それはただの石垣にしか見えようはずがなかった。
もちろん、ここまでのやり取りを見て貰えばわかる通り、この「江戸城跡地」を見てみたいと言ったのは、カナのほうだ。
しかし、僕の想像してたお城っていうものは、荘厳な佇まいで大地に鎮座し、見るものすべてを魅了してやまない堅牢な建物のことだった。
僕は、こんなものが見たかったわけじゃない。
これじゃあ、元々の歴史に詳しかったり、この建物の成り立ちに興味があったりとするわけじゃない限り、ただの観光名所の一つにしか過ぎない。
残念ながら、この建物は僕にとって、何の感情も感慨も浮かばせてくれるものじゃなかった。
「あのね、りっくん。 ここには昔、とっても大きなお城があって、とってもたくさんの人達が住んでたらしいんだよ?」
僕が閉口しているのを感じ取ったのか、カナは観光パンフレットの見開きにも使えそうにない言葉を口にしだした。
自然と僕の口からは小さな溜息がこぼれ落ちてしまったが、カナがそれを気にした様子はない。
「歴史っていうのはね、とっても昔にあったものを、今でもこんなにたくさんの人に思い出させてくれる」
そして、何か大切な事を訴えるかのように、大切な何かを伝えようとするかのように、カナは僕のほうをじっと見つめ、そんな言葉を口にしてきた。
「……じゃあ、カナにはここに歴史の深さや趣きってものが感じられるの?」
でも、僕にはカナの真意が飲み込めない。
分からないように、目をそらし続けているのだから、それはそもそも伝わるはずもない事なんだと、カナの言葉にそう返す。
「ううん。 私はそんなに此処に興味もないし、思い入れだって持ってもないよ」
だから、カナは僕の言葉に笑いながら答えつつ、聞きたくもない言葉を羅列し始めた。
「あのね、ここには何もないけれど、きっと、たくさんの思い出が詰まってるって思うんだ。 だって、たったこれだけの残骸だけで、こんなに多くの人達が集まってくるんだもん。 はっきりいって、少し異常だとも思う。 でも、覚えてくれる人がいる。 忘れられてしまっても、思い出そうとしてくれる人がいる。 贅沢を言うつもりはないんだよ、でもね、でも、それってきっと、素敵なことだって、思っちゃうんだよ」