憧れたエンディング 前編
『落ち着いて聞いて』
電話の向こうの声が遠い。
何だ? 彼女はさっき何て言った?
『しっかしりして。ゆっくり話してる時間はもうないの』
僕の本当の彼女――エミさんの声はとても落ち着いたものだった。
幾分の焦りは感じたものの、どうしてこの人はここまで冷静でいられるのだろうか?
『もう一回言うね、今しがた、香菜が倒れて病院に運ばれた』
カナが倒れた? 昨日まであんなに元気で馬鹿笑いすらしていたカナが?
『りっくん、動揺するのは分かるけど、今は落ち着いて話を聞きなさい』
頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなっていく。
嘘だろ?
これが現実の重み、これが僕の逃げ出そうとした未来だっていうのか?
『あの子は幸せそうだった。だからこそ、私は傍観者に徹して君達の蛮行を見守ったの』
逃げ道はどこだ?
回り道でも畦道でもいい、この道以外に進めそうな道筋は……
『最初っからこうなる事は分かってた。だからこそ、君はここで選択しなくちゃいけない』
いまさら何を選ぶ? ひょっとしてエミさんには僕の望んだ未来への道筋が……
『香菜が望んだ未来のため、君はこの先も走り続ける事が出来る?』
優しいようで、とてつもない刺を含んだ命題だ。
勿論、僕はカナが助かる道があるなら、そこに全力で……
――覚えてくれる人がいる。 忘れられてしまっても、思い出そうとしてくれる人がいる。
あれ?
――形があった方が良いと思うんだ。 りっくんはそんなだから、きっといつか忘れてしまうかもしれない。
そんな……いやいや待ってくれ
――挑戦なんて不要なんだって思う。 それでも、知って欲しいと思う気持ちも嘘じゃない。
どうしてこんな言葉が浮かび上がってくる! これじゃあまるで……
――りっくんにはどうしても、今日この日を過ごし、今日この日に散り咲いた花火の事を覚えておいて欲しいと思っちゃうんだよ。
嘘だ、冗談じゃない。
――だから……だからね、私がそれを与えてあげる。うん、きっとこれは私にしか出来ないはずだから。世界中のどこの誰にも出来なくて、それこそ、お姉ちゃんでも与えてあげられないことだから……。
カナは受け入れていた。紛れもなく間違いようもなく、この結末が訪れるだろう事を受け入れていたはずだ。
それとなく、何度も諭された。
それとなく、何度も僕は聞いていた。
僕はそれを受け入れたフリを演じ、仮面を剥がされた気になって浮かれてた。
僕は盛大に勘違いしていた。
カナの望んだ未来、それは……
『りっくん、これは君の好きな類のドラマじゃないの。これは――辛いだろうけど避けられない現実』
鼓膜の震えが鬱陶しい。
今はもう、そんな些細な事はどうでもいい。
そんな事は知ってるし、そんな事はとうに受け入れていた!
そんな事より、いま僕がやらなくちゃいけない事は…………!!!
僕は文字通り弾かれるように家を飛び出した。
靴は履いた、その方が速いから。
荷物は持たない、その方が速いから。
『ちょっと……、りっくん! どうしたの!?』
現実と自分を引き剥がさないように、携帯は耳にあてたまま走る。
涙が溢れた。情けないほどに大量の涙が溢れ出てきた。
ようやく分かった――ようやく理解する事が出来たよ。
カナ、君がそう望むのなら、僕は敢えてこの道を選ぼう。
これは確かに、『いはいダイアリー』の名に恥じないエンディングだ。




