憧れの花 後編
まず初めに、話しておかなければいけないことがある。
カナには、とても出来た姉がいて、それはそれは万能で、比べられれば足元にも及ばないほどの、遠い存在の姿があった。
だからといって、それでカナが劣等感を抱いていたかと言われれば、そうでもないと断言できる。
それほどまでに姉は妹を溺愛し、妹もそれに倣い、姉のことを溺愛していたはずなんだから……
だからこそ、僕にはその瞬間が理解出来なかったんだ。
カナが愛する姉の頬を殴りつけ、その場から足早に立ち去ってしまった事が……
「あーあ……、やっちゃったかなぁー」
カナの姉ーーエミさんは、殴られた頬を押さえながら、独りごちている。
この様子だと、どうやら殴られた理由に心当たりがありそうな雰囲気だ。
「……何をキミは『無関係だ』なんて顔をしてるのかなぁ」
そんなじっとりと視線を向けられても、僕には何が何だか分かるはずもない。
「無神経とも、無自覚とも、大馬鹿野郎とも言えるよねぇー」
言い回し方こそカナのそれとそっくりだが、彼女の言葉には、いちいち艶めいたものがあって困る。
それに、そんな一方的に非難の視線を向けられようと、僕には何が何だか分からない。
「エミさん、カナと喧嘩でもしてたの?」
だから、思い当たる原因なんてものは、僕を除いた二人にあって、自分とは関係のないものだと、本気で思い込んでいた。
「ふぅ……、キミは無自覚な罪人だよねぇ」
でも、そうじゃないんだと、エミさんはあくまでも、僕に対して責を押しつけてくる。
「今のキミは、いつも通りのキミじゃなくて、カナにとっての要なんだから……。 ほら、はやく行ってあげなよ」
エミさんは強引に僕の背中を押しながらそう告げると、この時間はこれで終わりだと言わんばかりに、僕のことを視界の中から消し去ってしまった。
『ドォーン! ドォーン!』と派手な音を立て、夜空には満開の花火が咲き誇っていく。
僕はその情景に目を奪われながらも、何とか幼馴染の背中に追いついていた。
「……綺麗だねぇ。 見てるだけで、心がどんどんワクワクしてくるみたい」
カナの視線の先には、大空に打ち上げられた芸術的な花模様が映り込んでいるだけだ。
その中に僕の姿はなく、けど、僕の事を意識的に感じ取ってはくれているのは分かってしまう。
どうしてだろうか?
僕には今のカナの状態が、分かりすぎるほどに分かりきってしまう。
いや、どうしてもこうしてもない。
これは所謂、『逃げの精神』だ。
見たくないものから目を逸らし、意図的に目を塞いでまでしても、現実の一部を拒絶しようとする、僕にとっての悪癖と同じものが感じ取れる。
「ねぇ、りっくん。 私にとっては、今年の花火が一番綺麗に見えるんだ。 だって……ううん、理由なんてどうでもいいよねぇ。 でも、この気持ちはきっと、嘘じゃなく、私にとって真摯なものなんだって思う」
カナの視線が花火から逸れ、ここでようやく、僕の視線と絡み合う。
「……りっくんの見た花火はさぁ。 きっと、今までもとっても綺麗だったんだろうねぇ。 でもさ、りっくんにはどうしても、今日この日を過ごし、今日この日に散り咲いた花火の事を覚えておいて欲しいと思っちゃうんだよ」
僕には、カナの言っている事が百分の一ほどしか理解できていなかったんだと思う。
それはとても大事な言葉で、その時その大切さに気付く事が出来ていたのなら、僕はもう少し上手く、自分に対して嘘をつき続けられたんじゃないかと思うんだ。
「……りっくんは、お姉ちゃんの恋人さん。そんな事は、私だって知っているのにねぇ」
その呟きは当たり前の事を告げられただけだっていうのに、どうしてか、僕の頭をズキズキズキズキと痛め続けた。




