【断章】フランフラン
行き交う人々が活気溢れる、交易で栄えた国『ハインツ公国』。
三方を大国に囲まれたこの国は、言わずと知れた『ハインツの双子』カレン王子とミア姫の故郷である。ハインツ公国は国の規模こそ小さかったものの、名君と名高い公王"クルード王"のもと、ファッションと文化、そして美味しいワインの国として近年大きく発展してきた。
ハインツ公国の公都ハイデンブルグから少し離れた小高い丘の上に、公都を見下ろすように不気味な塔が建っていた。
その塔はかなり古くからそびえ立っており、近隣の住人たちからは畏敬を込めて【還らずの塔】と呼ばれていた。
この塔がそのような不気味な名前で呼ばれるのには、それなりの理由があった。実際に還らなかった人がいるわけではない。むしろ全員無事に帰ってきていた。ただし、その中に無傷のものは一人もいなかったのだが。
故にこう言われている。『一度入ったら無傷で帰れるものが居ない塔』、すなわち【還らずの塔】と。
近隣住人でもあまり知る者は多くなかったが、実はこの【還らずの塔】にはとてつもなく有名な人物が住んでいた。住人の名は【塔の魔女】ヴァーミリアン。クルード王の妻であり、『ハインツの双子』の母親でもあり、ここハインツ公国の公妃である"七大守護天使"の一人だ。
ヴァーミリアンは、ずっとこの塔に住んで生活していた。その生活は、結婚し子供が生まれてからも変わることなく、そのまま現在に至っている。
そんな曰く付きの【還らずの塔】に、いま一人の人物が訪れていた。その人物は、魔法学園の生徒であり、黄金色の髪を持つ絶世の美女…その人物の名をティーナ=カリスマティックといった。
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塔の外観とは裏腹に、室内がピンク色に統一された少し乙女チックな部屋で、ヴァーミリアン公妃とティーナは対峙していた。王妃は口元に嬉しそうな笑みを浮かべながら、テーブルを挟んで対面にある椅子に座るよう指し示した。
「…ここは涼しいね。生活するには最適な場所だ」
「うふふ、そうでしょ?ここには【超文明ラーム】時代の空調施設が整っているから一年中快適なのよ。
…それにしてもよく来たわね、ティーナちゃん。大したもてなしもできないけど、あなたのことは歓迎するわ」
「突然の訪問を歓迎してくれて感謝するよ、『塔の魔女』ヴァーミリアン王妃」
「…でもさ、思ってたよりもずいぶん早くわたしの予言が的中したわね。あのときわたし、あなたに言ったでしょ?あなたは近いうちにもう一度ここに来ることのなるってね」
「…ああ、あなたの言う通りだよ。ボクは…あのときの言葉を思い出して、今日ここに来たんだ」
ヴァーミリアンが口にした通り、二人がこの塔で会うのは2度目だった。もっとも前回会ったのは偶然に近い形であり、ティーナとしてもヴァーミリアンに用があったわけではなかった。
しかし今回は違う。ティーナは明確な目的を持ってヴァーミリアン公妃に会いに来ていた。
ギィィ、ガシャン。
鈍い音が響き渡って、ヴァーミリアン自慢の魔道式機械人形が二人にお茶を運んでくる。黙ってティーカップを受け取りながら、ヴァーミリアンが口を開いた。
「それで…ティーナちゃん、あなたがわたしに会いに来たのは何の用?というよりもわたしに何を聞きに来たの?」
促されて魔道式機械人形からお茶を受け取ったティーナは、一口だけお茶に口をつけるとすぐにヴァーミリアンに向き直った。
「あなたに…20年前の"魔戦争"のことを教えて貰いに来た。具体的には…『魔傀儡』フランフランのことを、あなたの知る限りで教えてほしい」
ピクリ。
フランフランの名前を出した瞬間、ヴァーミリアンの片眉がわずかに動いた。
「ティーナちゃん。その質問に答える前に一つ聞いて良いかしら?…あなたはなぜフランフランのことが知りたいの?」
「以前にも話したとおり、ボクはデイズおばあちゃんの仇を討とうとしている。その仇が【解放者】という名の女悪魔であることが最近の調査でほぼ確定的となったんだけど、その【解放者】の正体が…どうやら【魔傀儡】フランフラン本人、もしくはその緊密な関係者である可能性が極めて高いんだ」
「…あなたがそう考える理由は?」
「この前【解放者】の部下を名乗るミザリーって悪魔と交戦したんだけど、そいつが【マリオネット】という他人を操る能力を使ったんだ。それだけじゃない。ミザリーはその技を『【解放者】様から頂いた』と言った」
「…なんですって?」
「だからボクは、【解放者】=【魔傀儡】フランフラン、もしくはその関係者である可能性が極めて高いと判断したんだ。これが…あなたにフランフランの話を聞きたい理由さ」
ティーナの説明を聞いて、ヴァーミリアンは完全に押し黙ってしまった。同時にヴァーミリアンの両眼に灼熱の炎が宿る。それはまるで全てを焼き尽くしてしまうような、怒りという名の炎だった。
二人の間に流れる、沈黙の時間。ときおり魔道式機械人形が動く不気味な機械音が、この部屋の中に響き渡るだけだった。
…どれくらい経っただろうか。それまでじっと下を向いて何かを考え込んでいたヴァーミリアンが、ゆっくりと顔を上げた。今度はじっとティーナの目を見つめてくる。そのときティーナは、ヴァーミリアンの瞳の中に今度は薄暗い光が灯るのを見た。
「…フランフランは20年前の魔戦争で【星砕き】シャリアールに滅ぼされたはずよ?それでも…あなたは知りたい?」
「あぁ。ボクはそのときフランフランを"討ち漏らした"可能性を考えているからね」
「うーん、あたしは確かにフランフランの死骸を確認したんだけどねぇ…まぁいいわ」
ヴァーミリアンが無造作に髪をかきあげた。ボリボリと頭をかきながら、改めてティーナに向き直る。
「分かったわ、ティーナちゃん。あなたに教えてあげましょう。…【魔傀儡】フランフランのことをね」
コクリ、ティーナが無言で頷いた。
「あの外道はね…【原罪者】アンクロフィクサが最初にこの世界に喚び出した"魔族"よ」
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「フランフランはね、小柄な女魔族だった。一見すると幼女のような、か弱そうに見える存在。…だけどその実態は、”悪意の塊”そのものだったわ。
フランフランがアンクロフィクサに召喚されたとき、他の魔族と同じように”狂っていた”のかどうかは…今となっては正直分からない。だけどわたしは、あの外道は最初から最期まで”正気”だったんじゃないかと思ってる。そして…アンクロフィクサを悪の道に狂わせた張本人だともね。
なぜならあのクソ魔族は…”悪夢がこの世に実体化した存在”みたいなものだったから」
そう口にするヴァーミリアンは、これまでほとんど誰にも見せたことのないような表情を浮かべていた。それは…普段の明るく陽気で無鉄砲な彼女を知る者が見たら驚愕するような、苦々しく重苦しい表情だった。
「フランフランは上級魔族だけあって、確かに高い魔力を保有してたわ。だけど決して戦闘が得意なタイプではなかった。あいつの真骨頂は、ずば抜けた知能と…その能力にあった。それが【魔傀儡】という、他人を意のままに操る能力よ」
「その能力の片鱗はこのまえ見たよ。相手の意思に関係なく、完全に自在に操っていた。…まさに外道の技だね」
「ええ。フランフランの使う【魔傀儡】は防御不能の絶対的な能力だった。あの【原罪者】アンクロフィクサでさえ、少なからずフランフランに操られていた部分があると考えられているくらいよ。なにしろそれくらい…アンクロフィクサの人格が、魔戦争の前と後で変わってしまっていたようだから。
…話が逸れちゃったわね。そんな恐ろしい能力を持ったフランフランだったんだけど、最終的には【星砕き】シャリアールが…【魔傀儡】の射程外から『流星』という遠距離攻撃を行うことで、なんとか仕留めることに成功したって聞いてるわ。
だから、もしあの外道と戦うことがあるとするならば…近距離での戦闘は絶対に避けることね」
「…なるほど、わかった。貴重な情報ありがとう」
「それと…あなたにこれをプレゼントするわ。今のわたしにはもう無用の長物だから」
そう言うとヴァーミリアンは自身の耳に取り付けられていたイヤリングを取り外すと、ティーナに向かって無造作にぽいっと放り投げた。
「…これは?」
「ロジスティコスのジジイが遺跡から発掘した遺物をベースに魔改造して作り上げた、世界で唯一フランフランの【魔傀儡】を限りなく無効化できる、精神操作系排除の効果を持った魔道具よ。…気休めに持ってなさい」
「これは…すごいな。ありがとう。それにしてもどうしてこんなものをあなたが持っているんだい?」
渡されたイヤリングを、『黄昏の憂鬱』という耳飾りを装着していない方の耳につけながら、ティーナが疑問を口にした。
「それはねぇ…わたしがかつてフランフランに"操られていた"からよ」
「っ!?」
驚きの事実に、ティーナが初めて絶句した。彼女の驚きを横目に、ヴァーミリアンは遠い目をしながら話を続ける。
「わたしはね、かつてフランフランに操られてこの世界の人々を襲っていたの。…フランフランの忠実な手駒としてね。そんな状況からわたしを救ってくれたのが、クルードや…ロジスティコスのジジイを始めとする"七大守護天使"のやつらだったわ」
こうして…ヴァーミリアンの口から語られたのは、関係者以外誰も知らない"歴史の裏側にある真実"だった。
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「ところでティーナちゃん。あなたは…フランフランがこの世界で一体なにをしていたと思う?」
「…さぁ?魔王と一緒に人類に戦争を仕掛けていたとしか知らないけど」
ヴァーミリアンの問いかけに、首をかしげるティーナ。
「あの外道はね、人体実験をしていたの」
「人体…実験?」
ヴァーミリアンの目に、再び黒い炎が宿った。
「そうよ。あの外道はこの塔をアジトにして、近隣の…特に小さな子供達を攫っては、様々な処置を施したわ。生きながら解体したり、くっつけてみたり…。中でもあの外道がはまっていたのは、"遺伝子操作"と"異種間肉体合成"だった」
「"遺伝子操作"…?"異種間肉体合成"?」
「ええ。ちなみに"遺伝子操作"とは、【肉体の設計図】といわれる部分を根本から弄ったり他の生物と掛け合わせることで、本来は持たないはずの異形の能力を発揮させること。
そして"異種間肉体合成"とは…本来別の生命であったはずの生き物同士を掛け合わせて、全く別の生命体を作り出すことよ。
あの外道はね…自分の手で、新たな生命を創造しようとしていたの」
「…そんなこと、許されるのか?」
「いいえ、絶対に許されることはないわ。…決して人の手の触れざるところ。それをヤツは冒涜し、魂そのものを弄ぶような史上最低の行為を…この場所で行っていたのよ」
新たな生命の創造。それは本来であれば人の手の範疇を超えた領域。【魔傀儡】フランフランは、まさにその"神の領域"に手を出していたのだった。
「…なるほど。それにしても、なんであなたはそんなにフランフランのことに詳しいんだ?」
「それはね…まさにわたしがフランフランの『実験体』だったからよ」
ヴァーミリアンの言葉に、その場の空気が一瞬にして凍りついたかのように激変した。
「わたしはね、村ごと焼かれてフランフランに攫われた、たくさんの子供たちのうちの一人だった。その中でわたしに与えられた役目はね…【遺伝子操作】の実験体。
知ってる?わたしにはね、【魔族】の遺伝子が注入されているのよ。そのおかげで、普通の人間では使うことのできない『禁呪』なんかが使えるようになったのは皮肉なことなんだけどね。
ちなみにわたしに遺伝子を提供させられた【魔族】は、わたしをかばってフランフランに始末されたわ。…いまでは私の『天使の器』となって守ってくれているけどね」
少し寂しそうな顔をしながら、ヴァーミリアンは手に持つ杖型の【天使の器】を優しく撫でた。ヴァーミリアンを守って、最後には命を落とした名も知らぬ【魔族】の女性。彼女が命を賭してヴァーミリアンの遺伝子に順応してくれたおかげで…ヴァーミリアンはかろうじて生き永らえることができた。
だがそれは、フランフランが行った数多くの実験の中の"唯一の奇跡"でしかなかった。
そう、ヴァーミリアンは…かつてフランフランによって誘拐され実験台にされた数多くの子供達の中の"ただ一人の成功例"であり、かつ"唯一の生き残り"であったのだ。
「フランフランによって改造されたわたしは、実験の後遺症である"虚弱な肉体"と引き換えに膨大な魔力を手に入れた。その結果、フランフランに操られて世界中で大暴れをしたのよ。そのころのわたしはね、フランフランの片腕…【雷帝】って呼ばれていたわ。
わたしはフランフランの部下【雷帝】として、クルードたちと何度も戦うことになったわ。でもね…なかなか彼らには勝ち切れなかった。日に日に力をつけていくクルードたちに、次第にわたしは追い込まれるようになっていった。
やがてわたしが操られていることを知ったクルードたちは、さっき渡したイヤリングを開発して、ついに捕らえられたわたしに装着してくれたの。そのおかげで…ようやくわたしはフランフランから解放されたのよ。
その後の話はご存知の通り。一度は死を覚悟したわたしを、クルードが守ってくれた。それだけじゃない、一緒に戦おうと言ってくれた。だからわたしは"七大守護天使"の一人となって魔王軍と戦い…なんとか今の平和を手に入ることができたわ。
…だけどね、改造されたわたしのこの肉体が元に戻ることはなかったんだ」
「そう…だったんだ」
最後のほうはヴァーミリアンの話をただ黙って聞き入るだけだったティーナが、ようやくその一言だけを口にした。
一方ヴァーミリアンのほうは、これまでの重苦しい空気を追いやるように、ケラケラと笑いだした。
「ま、ぜーんぶ昔のことなんだけどね。気にしないでー、わたしはもう慣れてるから」
「…ヴァーミリアン公妃、辛いことを話させることになってしまって本当に申し訳なかった。あなたがフランフランを深く憎んでいることはなんとなく知っていたんだけど、まさかそんな事情があったとは…」
「でもさ、ティーナちゃんはあんまり驚いてないみたいね?」
「…まぁ、ね。なんとなくそんな事情は察していたよ」
「ふーん、じゃあこの塔の秘密にも?」
「ああ。以前ここに来たとき、この塔の装置を見てもしかしたら…って思ったよ。この塔は、あなたの"生命維持装置"なんだろう?」
「そうよ。わたしはこの塔の機能によって生かされてるわ。わたしは…この塔を離れて長時間生きていくことができない。せいぜい…そうね、3日間くらいが限界かしらね。ふふふっ」
ヴァーミリアンはそう口にすると、自嘲気味に笑い声をもらした。
…これこそが、ヴァーミリアンに隠されていた本当の真実だった。彼女は、フランフランの実験によって膨大な魔力を得た代償として、この塔を離れて長く生きられない体になっていたのだ。それは…あまりにも酷い代償だった。
「こんな身体だから、わたしは"人並みの幸せ"なんて諦めてたわ。だけどね、こんなわたしでも、旦那は『お前がいい』って言ってくれたのよ。おかげで可愛い子供を二人も授かって、それなりに幸せな人生を送れているんだけどね。
まぁ…クルードや他の周りの人たちには随分迷惑をかけちゃってるかな?」
「…あなたの傍若無人っぷりはすべて演技だったってわけかい?自分一人が変わり者を演じることで、あなたをかばってくれたクルード王たちに迷惑がかからないようにと…」
「ふふっ、それは買いかぶりすぎだわ。わたしはね…好きでこんな態度を取ってるのよ」
「ううん、そんなことはないさ。ボクはあなたのことを…心の底から尊敬するよ」
ティーナのまっすぐな言葉に、ヴァーミリアンはふっと笑みをこぼした。
「…よしてよ、照れるじゃない」
「ははっ、本心だよ。でも…さすがに"双子の入れ替え"はやりすぎなんじゃないかなぁ?」
「あーあれはね、わたしの趣味よ。別にいいじゃない、老い先短い人生なんだからわたしの好きにしても」
「…おかげでずいぶん苦労してるみたいだけど?」
「…それで"真実の愛"でも見つけられたら、本望なんじゃない?」
やってられない、そんな感じのティーナが降参といったふうに両手を挙げた。
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さすがに話しつかれたのか、ヴァーミリアンが片手を挙げると、魔道式機械人形が新しいお茶を持ってきた。
【超文明ラーム】時代から現存する魔道式機械人形は優秀で、ヴァーミリアンの指図ひとつでお茶を持ってくるように調整されていた。…もっとも、お茶しか持ってこれないのが難点であったが。
二人は気分転換に魔道式機械人形が持ってきたお茶に口をつける。
「それにしても……フランフランのやつは、なぜ今になってこの世界に魔族を放つようなことをしているんだろうか?ヴァーミリアン公妃、あなたにはなにか心当たりはある?」
「それは…わたしにもわからないわ。でもわたしの知る以前のフランフランはそんなことにまったく興味がなかったんだけどね。あいつにあったのは…『究極の生命を創造する』という狂った願望だけ。
でも今のフランフランは…一説によると【最凶の魔王】グイン=バルバトスを復活させようとしているそうね。だけどそいつは疑問だわ。どうしても以前のフランフランと結びつかないもの」
「…だとしたら、どういうことだと思う?実際、ミザリーの暴走以来【解放者】側に特に動きもないし…ボクにも相手の考えることがよくわからないんだ」
「さぁ?気が変わったのか、それともよく似た別人なのか…。だけどティーナちゃん、くれぐれも気をつけることね。相手が何者であったとしても、何を考えていたとしても…フランフランは魔族の中でも群を抜いて強い【魔王級】であったことに変わりはないわ。その実力は、今のあなたよりもはるかに上よ」
「あぁ、それはわかってる。すでに対抗策は考えているさ。少なくとも…あなたのお子さんたちを巻き込むようなことは極力しないようにするよ」
カチャン。ティーナが手に持っていたカップをテーブルの上に置いた。聞きたいことはすべて聞いたと態度で示していた。
「…ありがとう、ヴァーミリアン公妃。言いたくないことまで話してくれて本当に感謝してる。おかげでいろいろとよく分かったよ」
「ティーナちゃん、あなた絶対に無理はしないでね。あと…これは余談なんだけど、パラデインからの情報によると、世界中でいろいろな異変が起きようとしているらしいわ。狂った魔獣の活性化や悪魔の頻出などの現象が、以前よりも多発しているそうよ。
それらのすべてを【解放者】が裏で手を引いているとは思わないけど、そのせいもあってなかなかあなたたちのほうのフォローができないみたい。
だから…なにかあったらロジスティコスのクソジジイを頼りなさい?ああ見えてあのクソジジイ、意外と強いからね」
「…わかったよ、でも大丈夫。降りかかる火の粉くらいは自分たちでどうにかするさ」
「…ねぇティーナちゃん。わたしはね、うちの子だけじゃなくて…エリちゃんやあなたのことも大切なんだからね?だから…絶対に無茶はしないでよ?」
ヴァーミリアンの最後の言葉に、ティーナは最高に魅力的な笑顔で返した。
美女については自分の子供で見慣れていたはずのヴァーミリアンでさえ、美の女神の寵愛を一身に受けたかのような美貌のティーナの笑顔に、一瞬目を奪われたのだった。
「あぁ、ありがとう。絶対に…もう二度と、大切な存在を失うような事態は起こさせないから」
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ティーナとヴァーミリアンがハインツの地で会話をしていた頃…
時を同じくして、まったく別の場所に話題の中心となっていた者の姿があった。
ここは窓一つない薄暗い部屋の中。
部屋の一番奥にある深紅の椅子に、一人の女性が座っていた。
彼女の名前は【解放者】。真っ黒な黒髪を手で撫でつけながら、正面に膝まづく少年の報告を聞き入っていた。
「……報告は以上です。やはり【アンゴルモア】に選ばれるものは居ませんでした」
「そうですか。ご苦労様でした、【暗号機】。これで私たちの邪魔をする存在が生まれることは当面無さそうね、一安心だわ」
敬愛する人物からの思いもよらぬ労いの言葉に、思わず表情を崩す【暗号機】。そんな彼に【解放者】は機嫌よく語りかけた。
「ねぇ、私のかわいい【暗号機】や。ずいぶんと待たせたけど…ようやく準備が整ったわ」
「そ、それは本当ですか!【解放者】様、いよいよ…【最凶の魔王】グイン=バルバトスを復活させる時が来たのですね!この腐りきった世界を浄化するために…」
「ええ、そうよ。【暗号機】。だからそのために…まずは手始めとして、これまで実験を繰り返してきた【新魔獣王】と【冥府の使い】を同時に動かすわ。ほかにも…【悪魔軍団】も動員するわね。その上で…次は私たちが直接動きます」
「あ、あの…おれは…どうすれば…?」
「もちろんあなたは私の片腕として動いてもらうわ。あなたはそれで良い?」
「は、はい!もちろんでございます!」
「それじゃあ…そのときまでまた学園に戻って待機していて。近いうちに…私が直接征くから」
嬉しそうにそう語る【解放者】の前で深く頭を下げた【暗号機】の表情は、歓喜に満ち溢れていた。自分が敬愛する【解放者】から『片腕』とまで言われ、完全に舞い上がっていたのだ。
大声で別れの言葉を発した【暗号機】は、その場から勢いよく立ち上がると、歓喜を全面にふりまきながら元気に立ち去っていった。
「ふふふ…まるで尻尾を振る犬のようですね。汚らわしい畜生には相応しい姿だわ」
完全に【暗号機】の姿が見えなくなった後、【解放者】はそう毒を吐いた。
誰もいない部屋でひとしきり機嫌よさげに笑うと、【解放者】はゆっくりと深紅の椅子から立ち上がって、そのまま部屋の隅にある黒い液体で満たされた水槽に近寄って行った。水槽の水は黒く濁っていて、中にあるものははっきりとよく見えない。しかし…なにやら蠢いているようだった。
「さぁ、いよいよ時は満ちた。愚かな【暗号機】は私の言葉を信じているようだけど…もはや用済み。せめてもの情けとして、あの子の望む最期くらいは遂げさせてあげましょうかね。…【悲惨】、あなたもよ?"遺伝子操作"と"異種間肉体合成"の完成品たち…」
まるで汚物でも見るような視線を水槽に向けた【解放者】は、懐から取り出した瓶から黒い液体をゆっくりと垂らした。ぶくぶくと泡立つ黒い水槽を眺めながら、続けて独り言をつぶやく。
「さぁ、待っていてね。アンクロフィクサ。私があなたを…この世界に蘇らせてみせるわ。そのための【器】も用意してある」
ふふふっ。耐えられないといった感じで笑みを漏らす【解放者】。今だ波打つ水槽に軽く蹴りを入れると、残虐な笑みを浮かべながら部屋の中心へと戻って行った。
「…もうサトシには邪魔させないわ。どうせいまごろ"次元の狭間"でもがいてるでしょうけど、すでに手遅れ。あれだけ【魔族召喚】で邪魔したんですもの、簡単には出てこれないはず。その間に私が…いいえ、私たちが……」
グッと、手を握りしめる【解放者】。その瞳に映る色は…闇よりも深い黒。
「私たちが、このくだらない世界を終わらせるわ」




