70.モヤモヤ
灼熱の太陽が天頂に登るより前の午前中。
照りつける日差しを避けるようにして、木々が生い茂る【薬師の森】の中に、俺は立っていた。全身を耳のようにして周りの気配を探りながら、いつどこから仕掛けてくるのか…油断なく身構える。
ガサリ。
草木が揺れる音がして、3つの影が木陰から飛び出してきた。あいつらめ、同時に仕掛けて来やがったなっ…!
「忍法、『千本針』!」
「喰らえ、アキ!だーっ、【真空切り】!」
「…【消滅空間・黒き雨】!」
プリムラ、ボウイ、カノープスの連携攻撃を感じながら、俺は【魔眼】を発動させて三人の攻撃の軌道を先読みする。
彼らの攻撃は確かに危険だが、【魔眼】さえ発動してしまえば、あとは流れに沿って躱していくだけだ。まずはプリムラの放った針を軽く弾き、カノープスが降らせた消滅性の雨を手に集中させた魔力で拡散させたあと、ボウイの放った空気の刃を半身で躱す。
「くそっ、アキめっ!相変わらずちょこまかと…クソっ、三人同時に行くぞ!」
遠距離からの囲い込み攻撃が上手くいかずに痺れを切らしたボウイが、二人に声をかけて近距離戦で勝負を仕掛けにくる。
…だがなボウイ、そいつは悪手だぜ?ゾルティアーク流格闘術はな、近距離戦でこそ真価を発揮するんだよ。
なだれ込むように襲いかかってくる、俺は攻撃に移ることにした。
「龍魔法【そよ風のダンス】」
俺は手を前に出して、魔力を空気に溶かしこむように放った。大気にじんわりと俺の魔力が浸透していくのを感じる。
…よし、上手くいったぞ。龍魔法の発動を確信したとたん、一瞬にして三人の動きが鈍くなった。たぶん彼らは、粘液質の水の中に飛び込んだかのような動きにくさを感じていることだろう。こいつが龍魔法【そよ風のダンス】の効果だ。
龍魔法に絡め取られて体制を崩した三人が”射程範囲”に入ったことを確認すると、満を持して技を発現させた。
「…ゾルティアーク流格闘術、【空震】!」
ビリリッ!空気が震えるような音がして、三人が同時に吹き飛んでいった。
この技は周りの空気を神速で震わせることで、半径3メートル以内のものに強烈な威力の衝撃波を放つ技だ。魔法障壁など無関係の技だから、さすがの三人もアッサリと吹き飛ばされる。
慌てて姿勢を戻しながら着地したプリムラの喉元に、俺はすっと手刀を突きつけた。
「…参りました、アキ様。今日もまた完敗でございます」
アッサリと敗北を受け入れるプリムラを確認して、俺は微笑みながら手を引いた。これで…この模擬戦は終了だった。
パチパチパチ。
その様子を観戦していたティーナ、カレン姫、ミア王子、エリス、そしてなぜか最近この場にいることが多くなったナスリーンから拍手が起こる。ちなみにスターリィはなにやら呼び出しがあったらしく、今朝は不在にしていた。
「あーあ、やっぱりアキに肉弾戦は無茶だったなー」
「そんなこと無いで!ボウイはようやったと思う!ただ相手が悪かっただけや。あんなゴリラ女、ただの化け物やで」
おいおい、誰がゴリラ女だよ。ナスリーンのやつ、ボウイをフォローするのは構わないんだけど、俺のことを露骨に目の敵にするのは勘弁して欲しいぜ。
「カノープス、あなたはなんでいつもそんなに投げやりなんですか?もう少し真面目に拙者らと連携を取って…」
「…煩いなぁ、もう」
あっちはあっちで、プリムラがカノープスにお説教をしていた。
この二人、なんだかんだで仲良さそうなんだよなぁ。若干カノープスが嫌がってる気配はあるんだけど、そこまで拒絶しているわけでもないし…イマイチよく関係性が分からない。
「いやぁ、アキは強いなぁ。可愛いなりしてるのに、動きは完全に人間離れしてるね?」
「ちょ、ね、姉さま。さすがにそれは失礼だよ!」
ハインツの双子がそれぞれの言葉で労ってくれる中、俺はエリスが渡してくれたタオルで軽く汗を拭いた。さほど激しい動きじゃなかったんだけど、せっかく渡されたからには使わないとね。
「…さすがアキだね。だいぶん落ち着いて龍魔法を出せるようになったのが分かるよ。次は…禁呪との組み合わせかな?今度ボクが見たことあるヤバめな禁呪を教えてあげるよ」
最近はアドバイザー的に俺に助言をくれているティーナ。彼女のおかげで以前よりもだいぶん能力を使いこなせるようになってきた。
それにしても…最後の一言がちょっと気になるぞ。なんだよ、ヤバめの禁呪ってさ!
一通りの模擬戦が終わると、【白銀同盟】の午前中のトレーニングが終了となり、俺たちは一旦解散となった。
特に予定もなかった俺は、一人でポツンと寂しく図書室に向かうことにした。
…だってさ、ティーナは双子やエリスとなにやらワイワイ楽しそうに話してたし、カノープスはプリムラに説教されてたし、ボウイはボウイでナスリーンにまとわりつかれててさ…なんか俺の居場所が無かったんだよ!
図書室に向かう途中に喫茶室の側を通ったとき、ふと窓際の席にいる人物に気づいた。
あれは…スターリィだ、こんなところに居たんだな。そういや今日は誰と会ってるんだろうか。もしかして…男と会ってたりして?
ムクムクと湧き上がる好奇心のようなものを抑えきれずに、俺はこっそりと窓から喫茶室を覗き込むことにした。
「…げっ、マジで男だった」
スターリィの対面に座っていたのは、見たことのない男だった。しかもイケメン。ネクタイの色が青だからおそらく三回生なのだろう。
あ…もしかしてこいつ、この前レドリック王太子やブライアントとここで話してた上級生じゃないか?
二人がなにを話しているのかは、窓の外からでは分からない。でもなんとなく楽しそうに話していたし、ときおり笑い声まで聞こえてくる。
…なんだよこれ、なんかモヤモヤするな。
------
「それで…ずっと窓の外で聞き耳を立てていたの?」
「う、うん…そうだけど…」
最近は打ち解けて敬語を使わなくなってきたエリスが、俺の話を聞いてはーっと大きなため息を一つついた。
今は午後の授業の合間の休憩時間。久しぶりに一緒に初級の授業を受けたエリスと食堂でお茶しているときに、なんとなく午前中の出来事を相談してみたんだけど…まさかため息までつかれるような反応をされるとは。
「…なんか私、マズかったかな?」
「えーっと、さすがに窓の外から聞き耳を立てるのは良くないと思うなぁ。それに、もし他の人に見られたらどうするの?仮にもアキは女の子なんだから、そういう行動は慎んだ方が良いと思うよ?」
女の子云々は良いとして、【白銀同盟】イチの常識人であるエリスにこんな風に窘められるとさすがに堪えた。うん、このような行動は以後慎むようにしよう。
エリスにそう伝えると、彼女は嬉しそうに微笑みながら頷いてくれた。
「ふふふっ、アキは…スターリィのことが大好きなのね」
「…えっ?」
エリスの言葉に、俺は返す言葉を失ってしまった。
「だって、スターリィが他の男の人と仲良くしているのを見てヤキモチを焼いてるんでしょ?」
「ヤキモチ?私が?」
完全に想定外の単語だった。まさか俺が、ヤキモチを妬いていたと思われていたとは。
いかん、これはすぐに否定しなければ!
「ち、違うよ!た、たしかにスターリィのことは好きだけど…変な男にちょっかいかけられてないか心配になっただけだよ?」
「でも、男の人と楽しそうに話しているのを見てモヤモヤしたんでしょ?」
「うっ…」
違う、違うんだ。それは見知らぬ男と軽々しく接触する、危機意識の低いスターリィに対して苛立ったというか、なんというか…
だけどなんだか言い訳がましい気がして、それ以上言うのをやめてしまった。
「ふふっ、顔を真っ赤にして照れるなんて…午前中の鬼神みたいなアキとはまるで別人みたいだね?」
「う、うるさいなぁ…だいたいエリスのほうはどうなのさ?そんなに詳しいってことは、もしかして誰かにモヤモヤしたことがあるの?」
「えっ!?」
苦し紛れに出した攻撃は、意外にもエリスに効いたようだった。急に顔色を変えて下を向いて俯いてしまう。
「あれー?もしかしてエリスってば、なんか心当たりあるの?」
「え?ないない!私は無いよ!別にカレンのことなんか…」
おいおい、勝手に語るに落ちてるじゃねーかよ。
なーんだ、全然気づかなかったけど、エリスはカレン姫のことが気になってるんだな。そういえばカレン姫はいつもエリスのこと気にしてたし…もしかして相思相愛だったりして?
「…あぁでも、ティーナがアキと仲良くしてるのを見たときには、ちょっと妬いちゃったかも?」
「うえぇっ!?」
なーんて思ってたら、思わぬ爆弾発言がエリスの口から飛び出してきた。も、もしかしてエリスはそっちの毛もあるのかよ?まぁでも確かにティーナは頭も切れるし男っぽいところもあるから分からないでもないなぁ。胸も俺と良い勝負だし…
「って、コラコラ!アキってば勘違いしないでよ?私が言いたいのは、仲の良い友達にもヤキモチは妬くよってこと」
あぁ、そういう意味ね。俺はてっきり百合的な何かがあるのかと思っちまったよ。
二人で微妙な笑みを浮かべていると、ふと誰かの視線が自分たちに向けられていることに気づいた。
ミザリーの一件があってから、俺はこの手の視線には常に注意を払っていた。今は広い食堂にいるから誰かに見られることはあるとは思うけど…さすがに今回のは露骨な感じがして視線のほうに目を向ける。
すると…視線の先に居たのは”紅茶色の髪の優等生”レドリック王太子と”金髪のナンパ師”ブライアントだった。俺の視線に気づいてか、レドリック王太子が慌ててサッと顔をこちらから逸らす。
「まーたあのスケベ王太子、エリスのことを見てたよ?」
「えっ?スベレオータシー?」
事態をイマイチ把握してないエリスに、俺はレドリック王太子がよくエリスを見ているってことを教えてあげた。
もしかしたら彼はエリスに気があるんじゃないかな?そんなジャブを入れて、さっきのお返しに困らせてやろうと思ったら…意外にも彼女は少し困ったような表情を浮かべただけで、すぐに首を横に振った。
「それは…たぶん違うと思うよ。勘違い」
「そうかなぁ?ぜったいあの王太子、エリスに気があると思うけどなぁ」
「アーキ、それだけはないったら無いんだからね?分かった?はい、じゃあこの話はおしまーい!」
結局強引にこの話を打ち止められてしまった。んー、なんか怪しい。まぁ別にエリスが話したく無いなら構わないんだけどさ。
どうやら…レドリック王太子とエリスの間には何かありそうだな。
その日の夜。
いつものように長風呂から上がってドライヤーで髪を乾かしているスターリィに、今日のことを何気なく聞いてみることにした。べ、べつに同室の友達が何してたのかを聞くのは普通のことなんだからねっ!
「そういえばスターリィ、今日の午前中は何の用だったの?」
「え?あ、午前中はですね…実は”生徒会長”とお話をしてたんですわ」
生徒会長?そんな存在がこの学園に居たのか?
入学して3ヶ月ほど経過して、初めて知る真実。なんとこの学園には、生徒会および生徒会長が存在していたのだ!…まぁ正直どうでも良いことなんだけどさ。
「今の生徒会長は三回生のアークトゥルスさんという方なんです。二人しかいない三回生の『上級コース』の生徒で、魔獣を従えることができることから【魔獣使い】アークって呼ばれてる方なんですの」
ほほぅ、魔獣使いねぇ。なかなか大層な能力を持ってなさる。それにしてもあのイケメン、アークトゥルスって名前なのか。
「あのイケメンって…アキはアーク先輩のことをご存知なんですの?」
「ふぇっ!?あ、う、うん。前に…ほら、レドリック王太子とかと会ってるのを見たことがあってさ。そ、そしたら三回生の『上級コース』のもう一人ってのは、もしかして女性だったりする?」
「そうですわ。副会長である【精霊の使い】ルードリットさんですわね。なんでも精霊の声を聞くことが出来るそうなのです。お二人とも”天使”に覚醒はしていませんが、稀有な才能をお持ちの方々ですわ」
へーそうなんだ。それにしてもその生徒会長が、なんでまたスターリィに?
「実は…生徒会に誘われていたのです。ただ、申し訳ないのですがお断りしたんですけどね」
「そ、そっか。それは…お疲れ様」
そう答えながら、なぜかホッとしている俺がいる。
…なんでホッとしてるんだ、俺?
「あれれ?もしかしてアキ、心配してましたの?」
「えっ?いや、その…スターリィに何かあったらイヤだからね。ナスリーンのときの例もあるから、学園内だからって安心できないし…」
俺がしどろもどろになりながらそう答えると、スターリィがニヤニヤと嬉しそうな顔をしながらすり寄ってきた。そのままぐいっと俺の腕を掴む。ちょ、む、胸が…当たってるんですけどっ!?
「心配してくれてありがとう、アキ。でも大丈夫ですわよ。アークトゥルス先輩は代々が”魔獣使い”の家系というベルトランド王国の貴族出身ですし、ルードリット先輩は神聖スカイフォート帝国出身の巫女。お二人とも出自は確かです」
「そ、そうなんだ?」
ぐいっと顔を近づけてくるスターリィ。ヤバい、なんか意識してしまう。
「アーク先輩の魔獣も見せていただきましたけど、”剣牙狼”という種類の狼でした。自慢の魔獣だそうで、先輩の言うことを聞いてとても大人しくしてたんですのよ?」
「ま、魔獣にもいろんな種類がいるからね。でも…本当に気をつけてくれな?スターリィにもしものことがあったら…」
「あったら?」
ぎゅっ、とスターリィが俺の腕を抱きしめてきた。包み込むような柔らかな感触に、ごくりとツバを飲み込んだ。
俺は理性が吹き飛びそうになるのを必死で押さえながら、彼女に何かを伝えようとした。だけど今度は…少し見上げるようなスターリィの表情に思わずドキリとしてしまう。
スターリィは最近急に女性らしくなってきたような気がする。出会ったときは14歳だったから、たったの2年ほどの間なんだけど…もはや別人なくらいに大人っぽくなっていた。
ヤバい、このままだと俺は…
「だー!もう知らない!とにかく気をつけてくれよ!それじゃあおやすみっ!」
俺は必死にそれだけを言うと、スターリィを振り切るように引き剥がしてサッと布団に潜り込んだ。…ようは逃げたんだ。
あーそうさ、俺はヘタレだよ!だけど今の俺は女の子だし、なにより…自分自身のことに何一つ答えを出していなかった。そんな中途半端な俺が、スターリィに甘えることなんてできない。
そんなヘタレな俺に対しても…スターリィはすごく優しかった。
「…おやすみ、アキ」
布団の向こうから、スターリィが穏やかな声でそう囁くのが聞こえてくる。
…ゴメンよスターリィ、こんなんで。でも俺は、君のことを……
本当はわかってる。
だけど彼女は、俺のこの世界における最大の”恩人”だ。ゾルバルとは違う意味で…あらゆる場面で俺は彼女に助けられてきた。スターリィが居なかったら、間違いなく今の俺は存在していなかっただろう。
そんな存在に対して、中途半端な状態ではいけないと思っていた。少なくとも今はまだダメだ。だけどいつか…目的を達成したときには…
だからスターリィ、もう少し待っていてほしい。それまでの間、君のことは…何があっても守るから。