66.学園長の授業
窓の外は大雨が降っていた。この世界にも梅雨はあるのだろうか、そんなことをふと考えてしまう。
俺は今、全体を石のブロックで囲まれた屋内競技場のような場所に来ていた。
この場所には俺以外に、ブリガディア王国のレドリック王太子、ハインツ公国の双子…"ミア王子"に俺の魂の盟友"カレン姫"、エリス、プリムラ、スターリィ、カノープスが居た。この場に集う8人こそが、今年の『魔法使い上級』コースに配属された全生徒だった。
本当はもう一人…ナスリーンも上級コースだったんだけど、先日の事件のあと自ら願い出て上級コースを辞退したのだそうだ。色々あったとはいえ、本人の希望だったら仕方ないよな。
そして、俺たちの前にはロジスティコス学園長が、嬉しそうに白いひげを撫でながら立っていた。
「ふぉっふぉっふぉ、今年は上級コースに8人もおるんじゃな、実に豊作じゃのう。しかもおなごが多くてなんとも華やかなことで」
たしかにこの場の女子率は高かった。俺については…精神的には男子だから実質男女半々と言えなくもないけど、肉体には女子だ。だから、”男”という意味ではレドリック王太子、カレン姫、カノープスの3人しかいない。
もっとも、カレン姫なんて見た目超絶美少女だから、まともな男の子に至っては実質二人しか居ないような感じだ。ガンバレ、男の子。
そんなことより気になるのは、このジイさんの視線の向けられた先。
長い眉毛に覆われているせいで、ジイさんの視線がどこに向けられているのかハッキリとは分からないものの…なーんとなくスターリィの胸に視線が注がれているような気がするんだよなぁ。
ちょっとイラっときたので、視線を遮るようにスターリィの前に立ってみると、ピクッと学園長の白い眉が揺れやがった。ケケケ、ざまーみやがれってんだ。俺の薄い胸でも拝んでな、エロジジイめ。
「大変失礼ながら、学園長に質問がございます。この『魔法使い上級』コースの人選はどのように行われているのでしょうか?」
俺と学園長の”無言のバトル”に終止符を打たせたのは、レドリック王太子のなにげない質問だった。そうだよな、他のメンバーの能力を知ってる俺たちならともかく、殆んど何も知らないレドリック王太子だと、この人選を疑問に思うのは至極自然なことだよなぁ。
「うむ、中には察しているものもおるようじゃが…ここに選ばれたメンバーは、『天使に覚醒もしくはそれに準ずる能力、資格を持つもの』じゃ。細かくはワシの独断と偏見じゃがのぅ」
まぁ選定条件としては、そのあたりが妥当な線だろうと思ってた。しかし、レドリック王太子は俺の方をチラチラと見ながら、”信じられない”といった感じの表情を浮かべている。
…お願いだからそんな目でこっちを見ないでくれよ。俺だって好きでこのコースに来たわけじゃないんだからさ。
ただ、よくよく考えてみるとここのメンバーって俺以外全員”天使”か”魔族”なんだよなぁ。だとすると、俺っていったい”何枠”なんだろうか。異世界人枠、とかかな?
「…彼女のような大人しそうな子が選ばれていたのは驚きだったのですが、学園長がそのように判断されたのであれば特に申し上げることはございません。ただ、最後に一つだけ…私の友人であるブライアントもそれなりの素質を持っていたと思っていたのですが、彼でもこのコースに参画するには足りなかったということでしょうか?」
あー、ブライアントっていつもレドリック王太子と一緒にいたあの金髪イケメン君のことね。ブリガディア王国の上級貴族だって聞いてたけど…たしかにこの場には居ないな。
「うむ、ブライアントは選ばれておらん。残念ながら彼ではここの授業は荷が重すぎる」
「そう…ですか、わかりました。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」
渋々といった感じで引き下がるレドリック王太子。その様子に、最初俺は「友人が落とされたのに、俺みたいなちんちくりんがこのコースにいることがよっぽど納得できない」のかと思ってた。
…ところがよくよく観察してみると、どうやらそういうわけではないようだった。彼は、友人ですら選ばれないようなハイレベルで過酷な授業に、俺みたいなか弱い娘が選ばれて大丈夫かってことを気にしているようなのだ。
その証拠に、えらく心配そうな表情で俺のことをみつめている…かと思ったら、すぐに通り過ぎていった。
レドリック王太子が熱い視線を送る先に居たのは…カレン姫?いや違う、なんとその横にいるエリスだったのだ。
おいおい、なんだよあのエロ王太子。お前さんは俺じゃなくて本当はエリスのこと気にしてたのかよ!
ったく、エリスみたいなタイプの子に目をつけるなんて、油断も隙もねえヤツだな。真面目そうに見えたのに、ほんっと男ってスケベばっかりだよな。
「…話の腰を折って申し訳ありませんでした。それで…ロジスティコス学園長、これからどのような授業を行うのですか?私はてっきり座学が中心になると思っていたのですが」
気を取り直したレドリック王太子が、俺たちを代表して質問を投げかけてくれた。こういうところは優等生だから便利なんだけどなぁ。
「ふむ、ワシも最初はそう思っておったのだがな、ちと最近開眼した面白いことをおぬしらに見せてやろうかと思ってのぅ…
なぁレドリック。おぬし、このワシに一度全力で攻撃してくれんか?」
「えっ?」
突然の学園長の申し出に、レドリック王太子は戸惑いの声を上げた。そりゃそうだ、いきなりジイさんからシバいてくれって頼まれたら、誰だって引いちまうだろう。
そもそも最近開眼って、ジジイが何に開眼してんだよ。おっぱい好きだけじゃ飽き足らなくなって、マゾッ毛にでも覚醒したんか?
「へー、なんか面白そうじゃん。そしたら俺がやってみるかな」
学園長の要望に反応したのは、不敵な笑みを浮かべたミア王子だった。この人、カレン姫と正反対でつくづく好戦的なタイプだよなぁ。
ミア王子は勢いよく右手を掲げると、背中に白く輝く翼を具現化させ、すぐに天使の姿になる。続けて両手を広げると、目の前に…先日の戦闘において披露した『白銀色の太陽』を出現させた。
眩しく輝く光の玉に目を細めながら、ロジスティコス学園長は「ほほぅ、さすがはヴァーミリアンの子じゃな」と嬉しそうに笑っていた。
へー、世界最高の魔法使いと言われるだけあって、ミア王子の技を見ても学園長は余裕の表情を浮かべたままだ。
「ふーん、なかなか凄い魔力だね」
横にいるカノープスが、珍しく感嘆の声を上げた。そういやこいつがミア王子の固有能力を見るのは初めてだったな。
「…どうだ?お前が正面から戦って勝てそうか?」
「んー、どうだろうね。戦術のレパートリーなら引けを取らないと思うんだけど、純粋な魔力量だったらさすがにぼくのほうが劣るかもね」
ほほぅ、こいつが素直に負けを認めるなんて珍しいな。そういやどうもプリムラの姿を見てから、カノープスにいまいちいつものキレが無い。
…そういえばこいつ、この場所に集合してかららしくもなく大人しくして俺の後ろにずっと隠れている。なんとなくプリムラを避けているというか、ギクシャクしている感じだ。
「そういやカノープス、プリムラのことは知ってたのか?」
「え?あ…まぁ、うん。入学式当日に、ね」
なんだよこいつ、初日から知ってたのかよ。だったらちゃんと説明しろよな。
「ごめん、アキ。ぼくは、なんというか…彼女が昔から苦手なんだよ」
「…苦手?なんでだ?あんなに真っ直ぐで気の良さそうな子なのに」
「それはそうなんだけど…以前、魔界で色々あってね」
へー、こいつがこんなにも苦手そうにしてるのってなんか意外だな。前にプリムラが召喚されたって知ったときは血相変えて「自分が行く!」とか言ってたくせにな。
「でもさ、プリムラのほうはそう思ってないみたいだよ?ほら、こっちをなんか嬉しそうに見てるし」
「そ、そんなの気のせいだよ!ほら、そんなこと言ってる間に始まるよ?」
カノープスの言葉に視線を戻すと、ちょうどミア王子が白銀色の強烈な光の球をロジスティコス学園長に向かって放ったところだった。
「いっけー!【太陽神の微笑み】!」
「ふぉっふぉっ、甘いわっ!
”万物の知恵よ…学びの本よ、今こそ綴じられた頁を開けよ。”
検索せよ!【真理の書物】=『白の章』!」
ロジスティコス学園長の背に天使の翼が具現化した。同時に、足元に光り輝く巨大な魔法陣が組み上がっていく。
学園長がしゃがみ込みながら魔法陣にバンっと手を付くと、そこから…なんと巨大な一冊の本がムクムクと起き上がってきた。
ミア王子の放った白銀色の太陽が、巨大な本に直撃した。ばちばちっという衝撃音が屋内競技場の中に鳴り響く。
…だけど、ミア王子の攻撃がその”本”を突き抜けることは無かった。パチパチと電撃の残滓を時折放ちながら、まるで何事も無かったかのようにロジスティコス学園長の目の前に鎮座する”巨大な本”。
なるほど、こいつが…学園長の『天使の歌』か。いまのはたぶん、防御に特化した能力だろう。
「そうじゃ。ワシがこの手に持つのが『インドラの書』という名の『天使の器』でな。ワシはこの本の章ごとの固有能力を使うことが出来るんじゃ」
おいおい、章ごとに能力が使えるって、いったいいくつの技を持っていやがるんだよ。彼が持つ『インドラの書』は、ざっと見数百ページは軽くあるように見える。
とんでもないジジイだな、さすがは世界最高の魔法使いと呼ばれるだけはある。
「さて、ところでエリス。お主にひとつ質問をしよう。『天使』とは…どのようにして成るものだと認識しておる?」
「それは…自身の波長に合った運命の『天使の器』と出会うことで、天使に覚醒すると認識しています」
「うむ、そうじゃな。その認識で正しい」
うん、俺もそう聞いていた。
もっとも例外もあって、カノープスやプリムラみたいな魔族は『天使の器』無しでも固有能力が使えたし、俺に至ってはなぜかシャリアールから喰い取った【流星】を、覚醒すらしていないのに使うことができた。
そういう意味では…人間と『天使の器』の関係ってどうなってるんだろうか。
「さて。それではここでお主たちに、さっきも言った”新しく開眼したこと”を見せようではないか。では…レドリックよ、すまんがこの『インドラの書』をちと預かっててくれぬか」
返事も待たずに『インドラの書』をレドリック王太子に放り投げる学園長。
ロジスティコス学園長の持つ『天使の器』といえば、おそらくは国宝級の魔道具だ。そんな凄いものをいきなり放り渡されて、慌てふためくレドリック王太子。
一方、渡した方のロジスティコス学園長は、天使の翼が消え去って、通常モードになっていた。
「それではカレン王子よ、さっきと同じ『天使の歌』を、もう一度ワシに放ってくれんか?」
…おいおいこのジイさん、本気か?まさかマジで真性のドMさんじゃないよな?
一方、言われた方のミア王子はニヤッとドSな微笑むと、再び両手を広げて『白銀色の太陽』を具現化させていく。
「昇天しても知らないよ?そしたら…もっかいいけー!【太陽神の微笑み】!」
問答無用でミア王子の手から解き放たれた閃光の塊が、再びロジスティコス学園長に迫っていく。だが今度は学園長を守る”巨大な本の壁”はない。いくら”世界最高の魔法使い”とはいえ、超越した存在である”天使”が放つ魔法…『天使の歌』を真正面から喰らって防げるとは思えない。
さすがに死ぬんじゃないか?そんな考えが脳裏にチラついた、そのとき。
ロジスティコス学園長が右手を突き出すと、そのまま地面に叩きつけた。
「…検索せよ!【真理の書物】=『白の章』!」
次の瞬間、学園長の背中に再び”天使の翼”が具現化された。それとともに、足元に出現する光り輝く魔法陣。
続けて魔法陣から巨大な本が飛び出してくると、ばちばちっと大きな音を立てながら、ミア王子が放った光の球と激突した。
…目の前で繰り広げられる、先ほどとまったく同じ光景。
だが、決定的に違うことがある。それは、ロジスティコス学園長が『天使の器』を持っていないのに『天使の歌』を発動させたことだ。
結果もやはり同じだった。ミア王子の『天使の歌』は、再度防がれたのだ。
だけど、二度目の攻防によってもたらされた衝撃は、1度目の比ではなかった。
「…どういうことですの?どうして…『天使の器』も無いのに”天使”化を…」
スターリィの呟く言葉が、その衝撃の大きさを物語っていた。それはそうだろう、彼女たちはずっと『天使化する』イコール『天使の器』が必須だと教え込まれてきた。その”前提”が、たったいま目の前で覆されたのだから。
「ふぉっふぉっふぉ、驚いたか?もっとも、今のワシが『天使の器』無しで使える固有魔法は限られておるがのぅ。
…さて、レドリックよ。ここでお主に問おう。『天使の器』とは何じゃ?」
ロジスティコス学園長の問いかけに、それまで呆然としていたレドリック王太子がハッと正気を取り戻すと、慌てて口を開いた。
「…『天使の器』とは、人間を天使に覚醒させるための魔道具…だと信じていました。たったいまこのときまで」
「うむ、優等生な答えじゃな。それでは『天使の器』とは、どうやって産まれたのか知っておるか?」
「それは…古代文明の遺産であると習いました。今では喪われてしまった製法で作られたものゆえ、今の時代に新たに生み出す術はない、と…」
レドリック王太子の答えは、俺が初めて聞くことだった。どうやら世間では『天使の器』についてそんなふうに伝えられていたらしい。
もちろん俺は、『天使の器』の正体が何なのかを知っている。そして、この忌々しい魔道具がどのようにして創られるのかも…
「うむ。確かに世間ではそう言われているがな、実は…『天使の器』の正体と創り方は判明しておる」
「ほ、本当ですか!?それが真実なら、たくさん『天使の器』を創り出すことが…」
「『天使の器』の正体はな、”魔族の変わり果てた姿”なのじゃよ」
「…えっ?」
「分かりやすく言うとな、『魔族の亡骸』なんじゃよ」
「な、なんですって!?」
明かされた真実は、レドリック王太子にとって衝撃的なものだったようだ。手を震わせながら、腰に吊るした彼の『天使の器』である剣をじっと見つめていた。
「このことは、『上級コース』で学ぶ生徒に必ず最初に伝えるようにしている。自らの力を覚醒させる『天使の器』という存在が、いかに呪われた産物であるかを知ってもらうためにな」
ハインツの双子やエリスも、レドリック王太子と同様の反応をしていた。おそらく彼女らも知らなかったのだろう。
「ワシはこれからお主らに、過去に起こった大きな悲劇について語ろうと思う。
その中で、お主たちには力を得るということが何を意味しているのかを、自分の頭でしっかりと考えて欲しい。
それこそが、『上級コース』でもっとも学んで欲しいことであるから」
遠い目をしながらそう語る学園長。彼から感じられるのは…後悔?
おそらく彼は、過去に上手く伝えることができなかったことを悔やんでいるのだろう。その想いが、最初にこんな大事なことを話すことに繋がっているのかもしれない。
「まぁそのあたりのことを、これから場所を変えてゆっくり話そうではないか。そうすれば、なぜワシが『天使の器』なしで『天使の歌』を使えるのかも分かるじゃろうて。ふぉっふぉっふぉ」
ロジスティコス学園長の笑い声を聞きながら、俺は頭のスイッチを切り替えることにした。
どうやら俺は『 魔法使い上級』コースの授業内容を若干舐めていたらしい。もう少し穏やかな話から入ってくるかと思ってたんだけど、いきなり核心となりそうな内容から入ってきやがった。
これは…心して授業を受けないとな。学園長に先導されて別の場所に移動しながら、俺はこれから語られるであろう重要な話を聞くために、一人心の準備を整えたのだった。




