57.味方
「心配ございません。拙者はアキ様とスターリィ様をお守りするために参上つかまつりました」
口を黒いマスクで覆ったその姿は、一言で言うと忍者?
そんないでたちの女性が、俺の右拳を…優しく包み込むように両手で抑え込みながら、穏やかな口調で語りかけてきた。
「あんた…このピンクの霧の中で大丈夫なのか?」
「ご心配には及びません。拙者にはナスリーンの固有能力…『天使の歌』は、効きませんので」
ナスリーンの固有能力が効かない?断言するような言い方に、引っかかりを覚える。
その理由として思い浮かぶものは、ただ一つ。こいつは…ナスリーンの能力の正体を知ってるんだな。
「はい、アキ様のご推察のとおりです。拙者は、ナスリーンの能力を存じ上げております。
彼女が使っている『天使の歌』は、【桃色吐息】という…”人間の女性だけを行動不能にする”固有能力です。このピンク色の霧に触れた人間の女性には『手足の麻痺』『神経毒』『睡眠』『混乱』等、あらゆる状態異常が発生します」
「なっ!?」
俺が喉から手が出るほど欲していた情報は、驚くほどあっさりともたらされた。それにしても、女性限定で状態異常を起こす能力だったとは…
「ナスリーンの能力は、【魔法障壁】をもある程度突き抜けます。そんな状況なのに動き回れるアキ様の生命力には感服いたしますが、いくら非凡なるアキ様といえど、既にその影響が出ているのではありませんか?」
生命力…もしかしてフランシーヌがくれた【龍の力】のおかげかな。だとしたら、フランシーヌには感謝しないとな。
それにしても、なんでこいつはナスリーンの能力をそんなに詳しく知ってるんだろうか。っていうか、そもそもこいつはいったい何者なんだ?
「あっ、これは大変失礼つかまつりました。拙者、まだアキ様に名乗っておりませんでしたね。お初にお目にかかります、拙者は…この学園ではプリシラと名乗っております」
プリシラ?その名前、どっかで聞いたことがあるぞ。俺は頭をフル回転させて、その名を聞いた場面の記憶を呼び起こす。
……あっ、思い出したぞ!プリシラといえば確か、エリスのルームメイトじゃないか!
ようやく思い出して安堵するとともに、なぜエリスのルームメイトがこんなところに居るのか、改めて疑問が湧いてくる。
「はい、拙者はエリス様のルームメイトです。ただ、本当の名前は別にあります。拙者の本当の名前は…」
『コラッ、どこにおるんか?!まだ出てこんのかいっ!』
そのとき、黒髪の女性が本名を名乗ろうとするのを遮るかのように、苛立つナスリーンの声が更衣室の中に響き渡った。あぁしまった、完全にあいつのこと忘れてたわ。
「どうしたんや?コソコソ隠れて出てけーへんのか?」
苛立ちを隠しきれないナスリーンの声に、俺がいよいよ立ち上がろうとすると、黒髪の女性が首を横にフルフルと振った。なんだ?なにか他に手があるのか?
「ほんだら、そっちがその気なんやったら、この【魔法の矢】をブチかまして…」
『横暴は、そこまでだよ』
シャリーン。
ふいに、聞き覚えのある優しげな声が、ナスリーンの演説を遮って響き渡った。同時に、まるで鈴の音のような綺麗な音が、この場一体に拡がっていく。
「ほえっ!?だ、誰やっ!?」
『……全ての力を、その月明かりで打ち消せ。【満月の夜光】!』
掛け声にあわせるように、ナスリーンが具現化させた【魔法の矢】の一つ一つに、光り輝く丸い輪のようなものが出現した。慌てふためいていたナスリーンが「うきゃあっ!?」と、奇妙な声を上げる。
気がつくと、全ての【魔法の矢】の周りに光の輪が出来上がっていた。
「…あっ、あのお方の対応が始まりましたね。でしたらもう大丈夫です」
横の黒髪の女性が、安堵したように言葉を漏らす。あのお方?あのお方って誰だよ?
俺が戸惑っている間にも、事態は急激に進行していった。
「ど、どうなってん!?ウチの【魔法の矢】が…」
『発動せよ、いまここに!』
パリーン!
次の瞬間、まるでガラスが割れるような音が鳴り響いたかと思うと、ナスリーンが出現させた【魔法の矢】が粉々に砕け散った。
ど、どうなってんだ?何が起こっている?
「だ、誰や!?そこにおるな!?出てこい!」
魔法の矢を全て消滅させられ、完全に動揺してしまっているナスリーンの絶叫に近い声が、俺たちがいる場所の反対側に向けられて発された。
カツーン、カツーン。
ナスリーンが声を飛ばした方向から、何者かがこちらに向かって歩み寄ってくる足音が聞こえる。
やがて、ゆっくりと姿を現したのは……
月夜の明かりを彷彿とさせる白銀色の美しい髪の持ち主。天の女神をも凌駕するほどの、絶世の美少女。
「あんたは…ミア姫!!」
そう。この場に現れたのは、背中に”天使の翼”を具現化させた、白銀色の髪を持つ美少女…『ハインツの月姫』こと”ミア姫”だったのだ。
おいおい、ここでミア姫の登場かよ!
神々しい姿の美少女の歩みよる様子を眺めながら、俺は無意識のうちにそう口走っていた。同時に、目の前の女性とミア姫が協力関係にあることを理解する。
「プリンセスがいらっしゃったからにはもう安心です。あの方の『天使の歌』は強大無比ですので…」
この女性が、ナスリーンだけでなくミア姫の能力まで知っている理由は気になるが、それ以上に気になるのは…二人がナスリーンの【桃色吐息】の中でも平然としていることだ。
「そもそも、なんでさっきからあんたとミア姫にはナスリーンの能力が効かないんだ?あんたのさっきの説明だと、『人間の女性は【魔法障壁】があっても麻痺する』んだろう?だったら…」
「プリンセスの事情については拙者からは答えしかねます。ですが、拙者についてであればお答えできます。率直に申し上げれば…拙者は人間ではございません」
そう言うと、プリシラと名乗った女性は口のマスクを外した。それまでマスクの下に隠されていた、抜けるような白い肌と、綺麗に整った顔立ちが現れる。
「あ、あんたは…」
そこに現れた顔は、もちろん初めて見る顔。
だけど、俺の記憶を強く刺激する容姿を持っていた。彼女の顔は…俺の知っている人によく似ていたんだ。
ああ、こいつの正体は…
「はい、拙者の本当の名前は…プリムラと申します。アキ様もよくご存知の…パシュミナの妹です」
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プリムラ。
名前だけは以前から聞いていた。俺たちが【魔迷宮】でお世話になったパシュミナさんの妹だ。
プリムラの名前を聞くことで、様々な疑問が解けていった。ナスリーンの能力が効かない理由。俺が以前感じたカノープス以外の『魔族』の気配。
…そうか、プリムラは”魔族”だから、『人間の女性だけを対象とした』ナスリーンの能力が効かなかったんだな。
「アキ様の噂は、かねがね姉のパシュミナや『明日への道程』の皆様から聞いておりました。誇り高い、尊敬すべき戦士であると」
そんな言われ方をするとちょっと照れちゃうけど、おかげでプリムラが俺のことを知っていた理由がよくわかった。
一方、俺が知っているプリムラについての情報は、【魔族召喚】を持った悪魔たちによって”召喚”され操られてしまったため、パシュミナさんたち『明日への道程』一行が救出に向かった…というところまでだった。
一応、風の噂で無事救出されたということは聞いていたけど、まさかこんな場所で出会うことになるとは…
「拙者は先日不覚を取りまして、悪魔どもに召喚された挙句、操られてしまうという失態を晒しました。ですが、『明日への道程』の皆様や、双子のプリンスとプリンセス。それにエリス様や…【大天使】様のおかげで、拙者は正気を取り戻すことができたのです」
魔本『魔族召喚』で召喚されたと聞いたときは最悪の事態も想定していたけど、ちゃんと救出されてたんだな。こうして無事な姿を確認できたことに、場もわきまえず喜びの笑みをこぼしてしまう。
「そっか、よかったね」
「はい、ありがとうございます。
そんなわけでして…”魔族”である拙者には、ナスリーンの『天使の歌』は効きません。それもあって先ほどの授業中にナスリーンが暴走したとの情報を得た時点で、【大天使】様の命により、ナスリーンの能力に相性の良い拙者とプリンセスが、不測の事態に備えて”配置”されたのでございます。
拙者が任命されたのは…優秀な人材であるアキ様とスターリィ様の護衛です」
なるほど。プリムラとミア姫がここに現れた理由が、偶然でもなんでもないことはよく分かった。だけど疑問点はまだまだたくさん残っている。そもそもあんたらは、どうやってナスリーンの能力を知ったんだ?
「その理由は簡単でございます。拙者が…調べたのです」
調べた?それはどういう意味だ?なんかの書物にでもナスリーンの能力が載っていたのだろうか。
「いいえ、違います。文字通り”調べた”のです。
拙者は”忍”としてナスリーンの出身国であるフレイスフィア王国に潜入し、ナスリーンの能力を知る者たちに徹底的に情報収集しました。おかげで彼女の能力を知ることはできましたが…この時期まで学園を離れてしまうことになってしまいました」
あぁ、そういうことだったのか。確かにナスリーンが生まれ育った地元に行けば、ナスリーンの『天使の歌』についての情報も集まるかもしれないとは思う。
でもさ、普通そこまでするか?
「拙者がこの学園に入学したのには、幾つか理由がございます。その中の一つに…”忍”として『怪しい人物に対する調査・監視を行う』というものが含まれておりました。
今年の新入生には数多くの実力者が入学しておりますが、その中で唯一ナスリーンだけが『固有能力』が判明していなかったのです。
それもあって、念のため調査をしていたのですが…まさかこのような結果になるとは思ってはおりませんでした」
んー、そうなんだ。ナスリーンの能力をそこまでして知ろうとしたのには、プリムラなりの理由があったんだな。しかし”忍”なんて言葉、この世界に来てまで聞くとは思わなかったよ。
「拙者は、魔界でも屈指の武門の家系の出身です。生まれながらにして高い戦闘力を持ち、固有能力は”武”に関するものが発露することで有名でございました。特に姉パシュミナは【千の武器を操る者】として、幼い頃から神童とまで呼ばれていたくらいです。
拙者は…姉には及びませんが、幼き頃より【隠密】…すなわち”忍”としての修行を繰り返して参ったのです」
へー、なるほどねぇ。まぁ確かに【凶器乱舞】モードのパシュミナさんは凄かったけどさ、そういう家系だとは知らなかったよ。
まぁ、だいたいの理由は分かった。でもさ、いいかげんその【大天使】ってのが誰なのか教えてくれよ。
話を聞く限りでは、かなり頭の切れる人物のように思えるけど…そこまでして安全を図らなきゃならないような人物なのか?
「【大天使】様の素性については、拙者の口からは申し上げることはできません。
ただ、申し上げられるのは…【大天使】様は悪魔と完全に敵対しているので、いつなんどき危険に晒されるか分からないお方です。ですので、それをお護りするのが、拙者の使命だと考えております。
今回は【大天使】様の命がございましたのでアキ様の護衛に参りましたが…どうやら必要は無かったようですね」
んー、そう簡単には教えてはくれないか。でも『ハインツの至宝』とまで言われているミア姫を”手駒”として扱ってるくらいだから、きっとすごい人物なんだろうな。
「その点には誤解があります。プリンセスは【大天使】様の手駒ではございません。プリンセスは自らの意思で…拙者どものお手伝いをなされているのです。
一応【大天使】様からは、『プリンセスに傷一つ負わせないよう見守れ』との指示を受けておりますが、正直プリンセスはナスリーン程度に遅れをとるような方ではございません。
なにけあの方の『天使の歌』は…拙者など足元にも及ばないくらい強大ですから。おそらくそう時間もかからずに決着するでしょう」
決着…か。その決着の仕方が問題なんだよな。
チラリとミア姫たちのほうに視線を向けると、睨み合ったまま両者様子を伺っているみたいだった。
でもナスリーンのほうに打つ手が無いのは明らかだ。なにせ固有能力である【桃色吐息】は効かず、頼みの綱の【魔法の矢】はすべて打ち砕かれたのだから。
ただ単純にナスリーンを黙らせるだけなら、実に簡単だ。このまま3人で力を合わせれば、あっさりとナスリーンを捉えることが出来るだろう。下手すりゃミア姫一人でも大丈夫だろう。
でも…それじゃあダメだ。
俺は、ナスリーンには”黒幕”がいると確信している。そしてその”黒幕”は、この場にいる可能性が極めて高いと考えていた。
なぜなら黒幕は、ナスリーンを強引に操ってまでして、焦って『鍵』とやらを探していたのだ。であれば、実物をすぐにでも確認するために、近くに居ると考える方が自然だろう?
もっとも、その場合には”黒幕”の正体は…ナスリーンの『天使の歌』が効かない相手…すなわち”人間の女性以外の存在”ということになるんだが、この際それは関係無い。
ようは、現在の状況は”黒幕”を捉える絶好の機会にあるということだ。このチャンスを逃せば、”黒幕”は逃げてしまってもう二度と捉えられないかもしれない。
俺一人だけだったら、恐らくこの場で”黒幕”を確認する術は無かっただろう。
だけど、今は違う。ミア姫という強大な力を持った存在がいる。横にいるプリムラも、漂う気配から相当な戦闘力を持っていることが分かった。
彼女たちを『味方』として考えられるのであれば…打てる手はある!
「なぁ、プリムラ」
「はい、アキ様。なんでございましょうか?」
「その…【大天使】とやらは、どこまで今の状況を想定していた?」
「【大天使】様は、黒幕の存在を示唆しておられました。ナスリーンが誰かに”操られている”可能性が高い。ゆえに、このままだと、そう遅くないうちに悪魔へと”堕落”するだろう…と。
そうなると打てる手が極めて限られるので、その前にどうにかしたいとおっしゃっておりました」
なるほど、思い描く未来予想は同じか。だったら…組めるかな?
「もう一つ聞いていいか?【大天使】は…黒幕の正体を何と読んでる?」
「はい。目的は不明だが、天使に害をなす存在…と読んでおられました。おそらく黒幕は【悪魔】だろう、と」
「その…【悪魔】に心当たりは?」
「そこまではございませんでした。ゆえに、この状況を招いてしまって非常に悔しがっておられます」
んー、さすがに黒幕の当たりまではついていないか。でも、今聞いた話の内容だけでも、【大天使】ってやつの凄さがよく分かる。味方につけたらきっと心強い存在になるだろう。
あとの問題は…こいつらが信用できるかだ。
「私は…あんたやミア姫、それに【大天使】とやらを、『味方』として信頼してもいいのか?」
俺は、真剣な瞳でプリムラの目をじっと見つめた。ウソは認めない、すべてを見通してやる。そんな気持ちで、瞬きすらせずに。
そんな俺の覚悟を察したのか、プリムラは俺の目をしっかりと見つめ返しながら頷いた。
「はい。プリンセスや【大天使】様は、もともとアキ様と友誼を結ばれたくお考えでした。そして拙者は…」
一度閉じたあと、再び開けたプリムラの瞳に宿るのは…強い意志の炎。
「アキ様の過去については、姉からお聞きしております。あなた様は、拙者らが敬愛していた先々代の魔王…ゾルティアーク様の魂を受け継がれた方です。
あなた様がこれからなさろうとしていることは、【魔本】の消滅だということもお聞きしました。それは…拙者を含めたこの地に在る魔族一同の悲願です。
ですから、魔界の人々のために心を砕くアキ様を、拙者は…その存在のすべてをかけて、お味方させていただきたいと考えております」
熱い…本当に熱い、プリムラの意思表示。
あぁ、魔界のやつらってのは、本当に気持ちのいいやつばっかりだな。あ、一部例外は居るけどさ。
…よーし、分かったぞ。彼女の…魔族の魂を、俺は信じよう!
だから俺は…彼女らに全幅の信頼をもって、この背中を預ける。
「ありがとう、プリムラ。きみたち…いや、きみのことを私は信じるよ。だから…私に協力してくれないか?これから、起死回生の策を実行したいんだ」
俺の言葉に、プリムラは満面の笑みを浮かべると、一片の迷いもなく…力強く頷いたのだった。




