55.ルール違反
異変に気付いた生徒たちが、少しざわつき始めていた。
落ち着きをなくしつつある彼らを押しのけながら、俺は慌ててナスリーンたちの近くに駆け寄る。そこでようやく状況が見えてきた。
模造剣を持って荒い息を吐くナスリーンと、それを必死になだめ、抱えるように押さえつけているリグレット。
二人の目の前には、頭から血を流しながらうずくまる男子生徒。
…どうやらナスリーンとこの男子生徒が”模擬戦”をしていたところ、ナスリーンが『天使化』した上で彼の頭に模造剣を叩きつけたようだ。
普通の人相手に『天使化』するのは反則だ。
ただでさえ魔力による【物理障壁】ができるうえ、【魔纏演武】ほどではないにせよ、多少は身体能力は向上するのだ。そんなの普通の人が太刀打ちできるわけがないに決まっている。
「ナスリーン!なにやってるんだ?」
俺が声をかけると、ハッとしたナスリーンが手に持っていた剣をポロッと地面に落とした。そのスキに、リグレットがナスリーンの両手を抱えるようにして抑え込む。
「あれ?ウチ…」
「ナスリーン。おまえは普通の人相手に『天使化』して、剣を打ち付けたのか?」
俺が強い口調で状況を確認すると、ナスリーンはサッと顔色を青ざめさせ、視線を地面に落とした。うーむ、どうやら図星だったようだ。
「ナスリーンちゃん、大丈夫?なんだかわたしの声が耳に入ってなかったみたいだけど…」
「リグやん、ウチ…」
リグレットが必死になってナスリーンを押さえつけながら、言葉で優しくフォローしている。そんな彼女に虚ろな表情のまま返事を返すナスリーン。
…それにしても、ナスリーンのこの反応が気になる。まるで自分でも「今の状況が信じられない」といった感じで動揺しているのだ。
これは一体どういうことだ?頭に血が上って、リグレットの声が聞こえてなかったってことか?
そのうち、俺を追ってきたスターリィたちが遅れて到着した。すぐにスターリィとボウイが倒れている男子生徒のケアに入る。
「大丈夫ですか?どうしてこんなことに?」
「いてて…あ、スターリィさん!ええ、大丈夫です。あの女の子が俺に模擬戦を挑んできて、俺剣術得意なんで彼女を追いこんだら…突然"天使化"してきて、気付いたらこの状況でした」
横耳に入ってくるこの男子生徒の言葉の通りであれば、やはりナスリーンはこの生徒に敵わないと思って"天使化"までして打ち倒したようだ。天使の風上にも置けないような、情けなく大人げない行動と言えた。
ったく、このアホギャルはなに面倒事を起こしてくれてるんだか。ナスリーンのことはそんなに変なやつだと思ってなかったんだけど、もしかしたらその認識を改めないといけないのかもしれないな。そんな考えが一瞬脳裏をよぎる。
そのころには二人の王子の競演の興奮も冷めやり、周りの生徒たちが事態の異常さを認識してきていた。落ち着きをなくし、ざわめく生徒たち。ったく、講師たちはなにをやってんだよ?
そんな異質な状況を変えたのは、他の誰でもない…なんとボウイの発言だった。
「…おい、お前!いくらなんでもこれはやり過ぎだろう!ルール違反だっ!」
倒れている生徒の治療をスターリィにまかせたボウイはすっと立ちあがると、ナスリーンを指さしながら…睨みつけるようにそう宣言した。
言われた方のナスリーンはカチンと来たのか、ボウイのことを睨み返した。
「うっさいわ!なにがルール違反や、そんなん誰が決めたんよ?だいたいなんやねん、アンタは関係ないやろ?」
「関係なくはない!ここにいるのはみんな同級生、俺たちの仲間だ!その仲間が傷ついてるのを黙ってみていることなんて、俺にはできないんだよ!
だいたいお前は『天使』なんだろう?天使は皆に尊敬されるような存在でなけりゃいけない。それが、こんなつまんないことに力を示して良いわけがないだろうがっ!」
ほぉ、ボウイのやつなかなかやるじゃないか。こんなカッコいい発言を出来るやつだとは思わなかったよ。
つい数日前に「ほかの天使を打ち負かして勢力拡大しよう」なーんて下品なことを言ってたやつと同一人物とはとても思えない。
言われた方のナスリーンは、完全に頭に来たようだ。自分を抱え込んでいたリグレットを魔力を拡張させて引き剥がすと、酷い目つきでボウイのことを睨みつけた。
衝撃でリグレットのメガネがどこかに吹っ飛んでいったものの、ナスリーンはその様子に見向きもしない。
鬼の形相のまま背中に再び"天使の翼"を具現化させると、地面に落ちた模造剣を拾い上げ、ボウイに向かって突きつけた。
「だったらなんやねん!ウチとやりあうんか?『西の麒麟児』と呼ばれる、このナスリーン=ピーリーと!」
ボウイに対して射殺すような視線を飛ばすナスリーン。完全に戦闘モードだ。
…こりゃいかんな、俺が止めに入るか。
そう思って俺がナスリーンの前に出ようとすると…その動きを止めるヤツがいた。他ならぬボウイだ。
「おい、ボウイ?」
「…あぁ、わかってる。ここは俺に任せろ」
そういうとボウイは、俺を押しのけて腰に差していた自分の模造剣を抜き放つと、ナスリーンに向かって剣を突きつけ返した。
「おいこのクソ女、やってやろうじゃねーか!
俺の名前はボウイ=バトルフィールド、スターリィ様がリーダーを務める冒険者チーム【星覇の羅針盤】の切り込み隊長だ!
こと戦闘においては、なにも"天使"が最強ってわけじゃないことを、この俺が思い知らせてやるぜ!」
…おいおい、何もわかってねーじゃねーかこのバカ!
天使相手にケンカを売るだけに飽き足らず、ここでスターリィの名前まで出しちまいやがったよ。あまりのやらかし具合に、俺は思わず頭を抱えてしまった。
こうして、ナスリーンとボウイの間で…”ナスリーン”対”スターリィ軍団”という構図の模擬戦が行われることになってしまったんだ。
生徒たちが何重にも取り巻く中、いよいよナスリーンとボウイが模擬戦を開始しようとしていた。
"天使の翼"をはためかせ、俺が知るものとは違う濁った瞳でボウイを睨み付けるナスリーン。
…本当にあいつはどうしちまったんだ?
「おいボウイ、本当に大丈夫なのか?相手は”天使”だぞ?」
「あぁ大丈夫だ。俺はいっつも化け物を相手に戦ってきたからな」
一応心配して声をかけてみると、予想外の回答が返ってきた。いっつも化け物相手?なんなんだそれ?
「くふふっ。アキ、きみのことだよ?」
含み笑いをするカノープスにそう指摘され、ようやく化け物ってのが俺のことを指していることに気付く。おいおい、こんな可愛い子のことを化け物呼ばわりかよ?ったく、今度あいつと模擬戦するときは半殺しの刑だな。
不穏な空気を読み取ったのか、さっきまでこの場の主役だった人たち…レドリック王太子を筆頭としたメンツがこちらにやってきた。
天使の翼を具現化させたナスリーンの姿を見て顔をしかめたレドリック王太子が、たしなめるようにナスリーンに語りかける。
「きみ、ナスリーンと言ったか?正直普通の人に対して”天使化”するのはフェアとは言えないな。だから、通常に戻って模擬戦をしてはどうだろうか?」
「うっさいわボケ!黙っとれや!」
「そうだ!俺はかまわない、ほっとけ!」
わざわざこちらにやってきて仲裁に入ろうとしたレドリック王太子に対して、とんでもない暴言をかましてくれる二人。おいおい、一国の王子様に対してなんちゅうことやってくれるんだよ!
しかも、言われた方のレドリック王太子は明らかに動揺してる。あらら、王太子ちょっと凹んじゃったよ。
こうやって仲裁してくれようとしてるから良い人なんだと思うけど…ちょっと可哀そうだな。
落ち込んでしまったレドリック王太子を横目に、二人の間では戦闘の口火が今にも切られようとしていた。
「勝負は『参った!』って言ったほうが負け。それで良いか?」
「ああ、ええで!まぁウチは参ったなんて言わへんけどな!」
「じゃあ…戦るかっ!」
「あとで吠え面かいても知らへんで!」
どうやら二人の間で条件が整ったようだ。
こうして…ふたりの模擬戦が開始されたのだった。
戦闘開始を宣言するが早いか、ナスリーンが一瞬で魔力を全開にすると、ボウイに向かって素早く剣を振り下ろした。
虹色に輝く光の塊と化したナスリーンが放つ、おそらく素人であれば躱すことすらままならない鮮烈な一撃。
だが、これまでたくさんの敵と戦ってきてそれなりの戦闘経験がある俺たちからすると、彼女の剣は所謂”素人の剣”だった。
ただ魔力という名の才能に身をまかせただけの、つまらない一撃。そんなものを喰らうほど、ボウイはやわなやつではなかった。
「ふんっ、つまんねぇ一撃だな!」
正面から受け止めるのは危険と判断したボウイが、素早く横にステップして剣を躱した。ナスリーンは勢い余ってそのまま前につんのめってしまう。
そのスキを、ボウイは見逃さなかった。
「『追風』!」
ボウイ得意の風魔法を発動させ、ただでさえ素早いボウイの動きを加速させる。一気にナスリーンの懐まで入り込むと、下からカチ上げるように剣を振り上げた。
「んなっ!?」
慌ててその一撃を受け止めるナスリーン。鈍い金属音が響き渡り、ガッチリと剣と剣が交わり合う。さすがに天使だけあって、これで仕留めることは出来なかったようだ。
逆に足を止めて組み合った今の状態をチャンスと見たナスリーンが、力任せにそのままボウイを押し切ろうとする。天使化したぶん、身体能力が向上している彼女のほうが有利な状況に、強引に持って行こうとしているのだ。
だけど、それを許すほどボウイは甘いヤツではなかった。
「『空気箱』!」
ボウイがその状況で選択したのは、空気の足場を作る魔法だ。それを周囲に複数配置する。
「ふぇ??」
不意の魔法にナスリーンの意識が拡散したタイミングを突いて、ボウイはフッと剣の圧力を逸らした。剣に注いでいた力が急激に抜け、思わず力を緩めてしまうナスリーン。
そのスキに、彼女の懐から一瞬で抜け出すと、ボウイは周りに出来た【空気の足場】を活用して、一気に飛び回り始めた。
加速した上に、不規則な動き。ときおり放たれる、強烈な斬撃。
ヒットアンドアウェイを特化させたようなその攻撃は、ボウイが俺との模擬戦で鍛え上げた得意の戦術だ。
鍛え抜かれた戦士の攻撃に、ナスリーンは完全に防戦一方になってしまう。
「なんやアンタのこの動き!?ありえへんっ!」
「ふんっ。この程度の動きについていけないようじゃ、まだまだだなっ!」
「な、なんやてっ!?」
挑発するようなボウイの言動に、ナスリーンがついに切れた。全身から魔力を解き放って、その場の【空気の足場】を全て爆散させる。
チッと舌打ちしながら、ボウイが少しナスリーンと距離を取った。
そのスキに、ナスリーンがなにやら魔法を発動させようと素早く準備を整えた。ナスリーンの周りに、光り輝く幾筋もの”矢”のようなものが具現化していく。
「あれは…【魔法の矢】の魔法ですわ!あれだけの魔力が込められると、ボウイの魔法障壁ではひとたまりもありません!」
少し慌てた様子のスターリィが、ボウイを護ろうと自分も天使化しようとする。だけど俺は、彼女のその行動をそっと抑えた。
「…アキ?」
「あいつなら大丈夫。その代わり…逸れた【魔法の矢】が他の生徒に当たらないように援護してくれ」
「わ、分かりましたわ」
さぁボウイ、後ろは気にするな。あとは…思いっきりやってやれ。
誰にもバレないようにこっそり手に魔力を集中させると、俺はボウイの背中にそう念じたんだ。
「さぁ、謝るなら今のうちやで!この【魔法の矢】は、ウチの得意魔法なんや。10本も同時に襲いかかってきたら、かわされんで大ケガするで?」
もはや勝ちは揺るがないと確信したナスリーンが、不敵な笑みを浮かべながらボウイを挑発する。彼女の周りには、光り輝く10本の光の矢が、ナスリーンからの射撃の指示を待って待機していた。
だけどボウイは…彼女からの提案を即座に却下した。
「ふん。つまらない戯言を言うのはやめて、さっさとかかってきたらどうだ?」
「な、なんやて!?」
「俺はなぁ…これまでもっとヤバイ相手と、絶望的な戦いを何度も強いられてきたんだ。そいつに比べたらなぁ…そんなチンケな矢なんか、屁でもないんだよ!」
「だったら串刺しになりいやぁ!!」
飛び交うふたりの絶叫。
同時に、ナスリーンの周りに現れた10本の光の矢が、一斉にボウイに襲いかかっていった。
側から見たら絶体絶命のピンチ。だけどボウイは…まったく動じていなかった。
「こんな矢…アキのネコパンチに比べたら、ハエが止まっちまうぜ!」
そしてボウイは、不敵な笑みを浮かべると、一気に10本の矢に向かって突進したのだった。
1本を交わし、2本目を魔力を込めた剣で逸らした。3本目が頬をかすって血を滲ませるが、全く動じていない。
その勢いのまま…ボウイは全ての光の矢を交わし切った。
「アキッ!」
「あぁ、任せとけ」
ボウイに当たることが無かった10本の光の矢を、スターリィとカノープスが素早く空へ弾いていた。見ると、レドリック王太子やカレン王子も協力して、光の矢を弾いてくれている。
皆のバックアップに安堵した俺は、最後に飛んできた1本を、誰にもバレないようにサッと掴んで上に放りなげた。これで、誰にも被害は及んでいないはずだ。
こうして、俺たちがすべての光の矢の対応をしている間に、ナスリーンとボウイの戦いの方も決着がついていた。
カラーン。
金属音を鳴らしながら吹き飛ばされたのは、ナスリーンの剣。呆然とする彼女の首筋には、ボウイの剣が突きつけられていた。
「…これで勝負あり、だな」
「なっ…ウソや…」
そうやってしばらくは何も持たない手を見つめていたものの、すぐに気を取り直して睨みつけてくるナスリーン。そんな彼女に対して、ボウイは冷たく言い放った。
「納得いかないか?だけど何度やっても同じだぜ?
そもそもあんたは魔力の使い方を間違ってる。魔力ってもんはなぁ、弱い相手に振りかざすもんじゃないんだ。弱いものを…大切なものを守るための力なんだよっ!」
まるでマンガの主人公のようなカッコいいセリフを口にするボウイ。なんかこっちはイタくて見てらんないんだけど、なぜか周りの生徒たちはそのセリフにいたく感動したようで、歓声と拍手喝さいをしていた。
そんな状況が、ナスリーンには堪えたようだ。強気な表情がなりを潜め、ガックリと肩を落として項垂れてしまった。
「…ナスリーンちゃん、大丈夫?」
「…リグやん」
いつのまにやら吹き飛ばされていたリグレットが戻ってきて、項垂れるナスリーンのそばに寄り添った。それを見て、ボウイも首筋に当てていた剣を引っ込める。
これで決着かな?
場の空気が落ち着いてきた頃、講師を呼びに行っていた別の生徒が、講師フローレスを引き連れて戻ってきた。
「こらー!お前たち、何やってるんだー!」
どうやらこれで幕引きのようだ。だけど…これで本当にすべて収まったのか?
俺にはどうしても納得できないことがあった。これまで俺が知るナスリーンの姿と今の彼女の姿が、あまりにもかけ離れて感じられたのだ。
彼女の本性がこれだったら、それはそれで問題だけど仕方ない。でも、もしそうでないとしたら…
一抹の不安を抱えながら、俺は立ち尽くすナスリーンと、彼女をすがるように抑えているリグレットの姿を眺めていたのだった。