【アナザーサイト】 フランシーヌの憂鬱
「雨、止んだみたいね」
わたしは、窓の外を見ながら…息を吐くように呟いた。
問いかけた相手は、わたしの愛する人。彼は今、"魔族のゾルバル"と名乗っている。
もちろん、その理由はよくわかっている。きっと彼は、名を捨てたかったのだ。
だからわたしも彼のことを"ゾルバル様"と呼ぶようにしている。
たとえ…わたしの気持ちが彼に届いていないとしても、それはかまわない。
なぜなら、わたしは彼の魂に惹かれたのだから。
最初から見返りなど求めていない。
彼…ゾルバルは、わたしの問いにうわの空で頷いた。
「ああ、そうだな」
わたしは、どうやって彼に問いただそうかと考えていた。
なにせいきなり、"人間の女の子"を連れ帰ってきたのだから。
…なんの説明もなしに。
しかもあの子は…自分のことを『アキ』と名乗った。それだけではない。あれ…”レガリア”と、同化までしていた。
これはいったい、どういうことなのか。何があったのか。これからどうするつもりなのか。
…いろいろと彼に確認する必要があった。
「…ゾルバル様、わたしびっくりしましたわ。あなたがいきなり"女の子"を連れて帰ってくるなんて…」
彼が連れ帰った少女は、今はぐっすりとあてがわれた部屋で寝ている。
きっと疲れていたのだろう。でも若いのだ、明日の朝になればもう少し元気になるだろう。
…人間の子供の面倒見るのは、これが初めてではない。
それくらいの勝手は分かっている。
「…ふんっ。アキが"レガリア"と同化してしまっていたから、仕方なく連れ帰ったまでだ」
「…本当にそれだけ?だってあのとき、ゾルバル様ったら『こいつが目覚めたら…どうするかはワシが対応して決める。だから何も聞かずにワシに任せろ』で、あとはだんまりですよ?事情を何も知らないわたしは本当に困ったわ」
「…説明が後手に回ってすまなかった。ただ、ワシも確証が欲しかったのだ。だからお前に予断を与えたくなかった」
彼の言い分は分かる。
わたしの"能力"は…予断が入ると鈍る。その状況を避けるために、予備情報をシャットアウトしたかったのだろう。
だからって、他にもっと良いやり方があるだろうに…
不器用な彼らしいと言えばそうなのだが、やっぱり腹は立ったので、もう少しやり返すことにした。
「…わたしはてっきり、ゾルバル様が亡くなった娘さんのことを思い出して連れ帰ったのかと思ったわよ?」
次の瞬間、猛烈な殺気が彼の身体から噴き出した。
あまりに強烈なオーラに、窓がビリビリと震えている。
だけど…わたしには、あまり効果がない。
そのような脅しは、"魔獣"であるわたしには無意味だ。
そのことを十分に理解している彼が、諦めたかのような表情を浮かべた。
全身から噴き出していた殺気が…まるで何事もなかったかのように消え去る。
ふぅとため息をつくと、彼は懐から葉巻を取り出し…指を鳴らして火をつけた。
「…ごめんなさいね、ゾルバル様。嫌なこと聞いちゃった?」
「…ふん。お前が気にするようなタマか。それに、娘の…グィネヴィアのことは、もう終わったことだ」
ぶわっと一気に葉巻を吸い、ゆっくりと吐き出す。
…この話はこれで終わりだ、という意味だろう。少しわたしの心がざわめいた。
これは…嫉妬?アキに?それとも…今は亡き彼の娘に…?
いらだちを抑えるために、わたしは立ち上がって彼の葉巻を奪い取った。
取られたほうのは、少し目を丸くしたものの…なにかを言うでもなく、また新しい葉巻を取り出して火をつけた。
…本当に、動じない男ね。
「フーッ。煙たいわ」
「だったら吸うな」
少しだけ溜飲が下がった気がした。
だから…彼をからかうのはこのくらいにして、本題に入ることにする。
「…あなたがアキと"あれ"だけを持ち帰ってきたってことは、彼は…シャリアールは、やっぱり死んでいたのね?」
「…ああ。死んでいた。ワシが着いたときにはもう手遅れだった。上半身が無くなっていたからな」
そう話す彼の目に浮かぶ色は…後悔?
「そう…あれほどの使い手なのに、無残な最期だったわね」
「…ワシはまた、止めることができなかった。いつもあと一歩届かない。そのために…生き長らえてきたというのに」
彼は、ずっと縛られていた。彼ほどの男が…だ。
きっと彼は、"魔獣"ほどドライには割り切れないのだろう。
わたしに"後悔"という言葉はない。ただ、同じ轍を踏まない"誓い"をするだけだ。
だからわたしは…もう人間の子を育てない。あのときそう"誓った"から。
だけど彼は、過去を引きずる。わたしには理解できない思考だった。
…でも、そこがまた彼の魅力でもあった。だからこそ、惹かれたのか。
そんな彼を愛すること。それが…今のわたしの"誓い"。
「ところで…シャリアールを殺したのは誰なの?あなたでないとしたら、もしかして例の…最近出てきた"魔王"とやらの仕業?それとも…"解放者"?」
「いや。違う。”奴ら”ではないな。そう判断できる明確な根拠がある。まず…アキが”あれ”をつけたまま居たこと。それから…”アポカリプス”はシャリアールが持ったままだったことだ」
あぁ、それであれば…奴らではない。
なぜなら、奴らの目的は”アポカリプス”と”レガリア”だったのだから。
「そうなの?じゃあ”アポカリプス”は?」
「…燃やした」
「そう…お疲れ様」
確かにシャリアールは救えなかったかもしれない。でも…”アポカリプス”を消したのなら、最低限の目的は達したと言っていい。
だけど、彼の顔色は冴えなかった。
「じゃあ、いったい誰がシャリアールを…」
「…わからない。奴らでないことは確かだが…まぁまともな死に方じゃなかったな」
シャリアールを殺せる存在が、”奴ら”の他に存在する。
わたしには、それがにわかに信じられなかった。
相手はシャリアールだ。わたしやゾルバル様と同等か、それ以上の力を持っているといっても過言ではない。
そんな彼が…彼ほどの使い手が、そう簡単に殺されるとは思えなかった。
いったい何があったというのか…
謎を解く鍵は、おそらくアキにあるのだろう。
なぜならアキは……
「…シャリアールは、”儀式”をやったのね?」
「おそらくそうだろう。それで呼び出されたのがアキではないかと思う」
「でも…アキの特徴を見る限り”召喚者”ではないわね。どちらかというと…”漂流者”?」
「そうだな。ただな…さっきワシは、とんでもないモノを見た」
「とんでもないもの?」
わたしは彼の言葉に少し驚いていた。
この男…ゾルバルは、そう簡単なことでは動じない。
それだけの経験を積んできた男だし、だからこそ惚れたのだから。
…その男が、『とんでもない』という表現を使った。
それが…容易には信じられなかった。
「あぁ。アキがな、ワシに…【流星】を使ってきたのだ」
「…………えっ?」
その言葉の意味を理解するのに、2~3秒かかっただろうか。
わたしの思考は完全に停止していた。
今…彼は、なんと言った?
アキが……【流星】を使った??
「なにをバカなことを…そう言いたそうな表情をしているな。フランシーヌのそんな表情が見れただけでめっけもんだぞ」
「ゾルバル様、ちゃかすのはやめて。あなた…自分が言っていることの意味が分かっているの?」
「あぁ、もちろんわかってる。もう一度はっきりと言おうか?アキはな……ワシに対して【流星】を使ったのだ。もちろん、本家には遠く及ばない威力のものだがな」
「だってあれは…シャリアールの"天使の歌"でしょう?なんでそれをアキが?」
「さぁ?奪ったのか、それとも…元から持っていたのか。それは分からんがな」
そんなの、考えられない。
わたしは長く生きてきた。その中で…"天使の歌"が被った話を聞いたことがない。
"天使の歌"は"固有能力"だ。被ることなど、決してありえない。ましてや"人から奪う"など…いくら不可能を可能にする"天使の歌"でも考えられない。
「…アキは、自分のその能力についてどこまで理解しているの?」
「さっき話して確信したが、あいつはまったく理解していない」
「そう…それじゃあアキがシャリアールを殺した可能性は?」
「ゼロでない。だが…今の力では無理だな。ワシでも目を瞑って躱せるレベルだ。それに…そもそもアキは人を殺せん。お前もそう思うだろう?」
たしかに…彼のいうとおりだった。
わたしには判るが、アキは…とてもではないが、人を殺めることなどできない人間だ。
「そう…そうだったのね……」
彼の話を聞く限り、アキを放っておくのは危険だった。彼女については、判らないことが多すぎるのだ。だからこそ、彼はここに連れ帰ってきたのだろう。
「…いろいろと可能性として考えられることはある。そのあたりを判断するためにも、ここに置いておこうと思ってな」
さっきは悩んだ挙句面倒を見るような流れになったが、おそらく彼は最初からアキの面倒を見るつもりだったのだ。
…手元に置いておいて、どういう存在か判断するために。
アキの能力がいったいなんなのか、見極めるために。
「あいつの目的は、友人の捜索だ。放っておいたらすぐにでも飛び出していくだろう。だがそれでは…アキを死地に追いやるだけだ。死ぬだけならまだいい。…"奴ら”に見つかったら、どうなるか…。それだけは、そんな事態だけは絶対に避けなければならない」
そう語る彼から感じられるのは…静かな怒り。
「そうね…アキの話を聞く限り、彼はあなたと同じ"漂流者"の一種と考えられるわ。それに…どんな能力を持っているかわからない。わからない以上、”奴ら”に奪われるリスクは避けたいわね」
「うむ、そうだ。今のワシらはあまり動くことができん。ここから出て行かれたら、護ってやることもできんしな」
今は確かに、この場所からあまり動くわけにはいかない。そのために、こんな辺鄙な場所に居を構えているのだから。
「それだけではない。アキは…"あれ"と同化してしまっている。場合によってはアキは殺されて…"あれ"がまた"奴ら"の手に渡ってしまうだろう。それも避けたい。だから…アキを足止めした。ついでに簡単に死なんように鍛えようと思ったわけだ」
なるほど、それが先ほどのアキへの対応な訳だ。
…だけど、わたしには分かってしまった。
彼の今の言い回し。そして態度。
彼は……恐れているのだ。
”レガリア”が奪われることを、ではない。
アキが…自分の娘と同じような目に遭うことを。
だから彼は、アキを守りたいのだ。彼なりのやり方で…
彼にしては意外な提案をするなぁと訝しんでいたが、そういうことだったようだ。
本当に、不器用な人だ。
「嘘ばっかりつくのね。ズルい男。だけど…あなたがいくら庇ったところで、いつかはアキも知るでしょうね」
「…何をだ?」
「もちろん…自分の身体の秘密を、よ」
彼の身体が、ピクリと揺れる。世の人々に”金剛”とまで言わしめた、鍛え上げられた不動の肉体であるはずなのに。
「あの子がそれを知ったとき…現実を受け止めることはできるのかしら?」
「…お前の言う通りかもしれんな。だから、いずれアキがそれなりの力…資格を得たときには、フランシーヌの"能力"を借りたいと思う。そうすればたぶん、もう少し色々なことが分かるだろう」
「そう…ね」
「そのときには、またワシに…力を貸してもらいたい」
いまさらながらに気を使った言い方に、わたしはつい微笑んでしまう。
これだ…
どんなにぶっきらぼうにしていても、彼からは優しさがにじみ出ている。
これこそが、わたしが彼に惹かれる理由。
だからわたしは…いつも彼のことを許してしまうのだ。
「あなたがアキを助ける理由…それは、アキが…"レガリア”と同化してしまったから?それとも…亡き娘の姿を重ねたから?」
「まだ言うか?…前者に決まっておる」
「そう、あくまでそう言いはるのね」
本当に、素直じゃない人…
でもわたしだって、女。いたずら心もある。
そんな繊細な女心を、あのひとに分かってほしい。
だから、ひとつの爆弾をしかけることにした。嘘つきには、罰を与えないとね。
「…わかったわ。そのかわりひとつ、条件があるの」
「…ん?なんだ?」
「あの子を…アキをね、"女の子"として育てたいの」
「はぁっ!?」
ふふふ、困ってる困ってる。
ゾルバル様のそんな顔を見れるなんて、やり甲斐があるわ。
これは、わたしなりの嫉妬の表現。
あのひとが、過去の呪縛から解放されるために…打つ手のうちの一つ。
これでなにかが変わるかどうかはわからない。
だけど…これくらいやっても、バチは当たらないわよね?
困惑した顔を浮かべる彼を見ながら、わたしは心の中でうししと微笑んだのだった。