51.鉄仮面
こうして始まった魔法学園での日々は、勉強に勉強の毎日だった。
なんか俺、こっちの世界に来てから勉強ばっかりしている気がする。ただ、なぜか昔やっていた受験勉強みたいにイヤではないんだ。
なんでかな?ただ、自分自身が明確な意思をもって『必要だ』って思うことを学ぶのは、受験勉強みたいに『ただなんとなく勉強』するのに比べてモチベーションが違うのは確かだ。
俺の学園での1日は、基本的には『魔法使い初級』コースや、全員参加の『必修授業』…基礎学習とかを受講し、空いている時間は図書館での調べものと、体が鈍らないようにスターリィやカノープスたちとのトレーニングに費やしている。そして夜は『龍の力』の解析に充てることにしていた。
…え?『魔法使い上級』の授業はどうなってるのかって?
それがどうも、上級コースに関しては…ロジスティコス学園長が自ら教鞭を取るらしいんだけど、肝心の学園長が長期の出張に出ているそうで、しばらく開催されないのだそうだ。なんだそりゃ。
なお『真能力』についてはあれ以来試していない。
なぜか…身体が試すことを拒絶するんだ。やっぱり身体に影響が出すぎて、無意識に拒絶しちゃってるのかな?一度食中毒になった食べ物を、胃が拒否するみたいな感じ?
そのせいで、あのとき感じたもう一体の『魔族』については、結局何も分かっていない。カノープスに相談してみようかと思ったんだけど、どうにも気が向かなかった。
なんとなく心の中で、カノープスが知らない方が良いんじゃないかと思ったんだ。だってカノープスは、もはや魔界に未練が無さそうに見えたから。
それから、魔族の存在自体が悪いというわけではないのと、魔族は見た目…真っ黒な髪と抜けるような白い肌でだいたい判別が付くので、操られているわけでないのであれば、そんなに危険度は高くないだろうと判断したってのもある。
だからこの件は、とりあえず放置しておくことにした。そのうち…なにか分かることもあるだろう。
エリスとは、あのあともたまに授業で一緒になっている。
俺も毎回初級コースに出ているわけではないし、エリスもたまにサボっているようなので、毎回一緒というわけではない。
それでも一緒になったときには、隣同士に座って色々と雑談したりしている。ただ、ミア姫やカレン王子が初級コースに出席することは無く、以後は比較的平凡な日々が続いていた。
たまーに食堂で、リグレットを引き連れたナスリーンを見かけることもあったけど、見つかると面倒だからコソコソ隠れることにしたので、あれ以来絡まれたことはない。面倒ごとは御免だからな。
そんな日々が続き、学園生活にもだいぶ慣れてきたある日のこと。いつものように図書館に篭っていた俺は、ある人物と偶然出会うことになる。
この日の俺は、図書館で『霊山ウララヌス』について調べていた。その理由は、この山が『異世界間移動』に関わっていそうな気配があったからだ。
ここ『ユニヴァース魔法学園』は、元々『霊山ウララヌス』を調査するために出来たのが発端なだけあって、この山に関する書物はけっこうたくさんあった。その中の一つ…今から100年くらい前に書かれた、とある研究者の考察にいまは目を通していた。
この研究者によると、霊山ウララヌスは『古代文明が造った古代遺跡』らしい。
有史以前に繁栄していた文化があって、その残骸がこの山に残っているのだそうだ。いつも霊山ウララヌスを覆っている厚い霧が晴れたときだけにうっすらと見える遺跡群は、その文明が遺した遺跡らしい。
もっとも、俺が読んだ文献によると、多くの研究者たちがほぼ同じような結論に至っていた。そりゃそうだよな、遺跡があれば誰だって『古代文明だー!』って思うだろう。
そんな山ほどある研究書の中で、俺が彼の考察を手に取った理由は、記述の中にある『この古代文明が、初めて魔族をこの世界に喚び出したのではないか』という仮説の部分が俺の目に止まったからだ。
彼によると、古代文明の人々は『強大な魔力』を手に入れるために無理やり魔界とのトンネルを作ろうとし、逆に魔界から魔族たちに攻められてしまったらしい。
激しい戦闘…【聖魔戦争】と呼ばれる大規模な戦闘が行われ、結果として双方滅びることになった。そのとき、魔族の神が化身したのが、霊山ウララヌスの頂上に刺さっていると言われている『霊剣アンゴルモア』であり、その呪いによって霊山ウララヌスは護られているというものだった。
俺は常々疑問に思っていた。いったい『天使の器』とはいつ、どこから来たのだろうか、と。
そもそも『天使の器』の正体は、死んだ魔族が化身した姿だ。そのことは一般的ではないにしろ、明白な事実である。では、今世間で流通している『天使の器』は、いつの時代の魔族のものなのだろうか。
その答えの一つが、もしかしたらこの研究者の言う【聖魔戦争】によって召喚された魔族たちの化身したものだとしたら…少しは納得できる部分はある。
これにしても、【聖魔戦争】に【魔族の神】とはまたスケールの大きい話だな。でも、この著者の記載内容はイマイチ信用する気にならない。だってさ、考察に対する明確な根拠がどこにも記載されていないんだぜ?この程度の内容だったら『考察』とは呼べない。せいぜい『創作神話の書き写し』程だ。
そんなわけで、残念ながらこいつの本は期待外れだったみたいだ。
俺はほとんど読む気を失ってしまった本のページをパラパラとめくりながら、次は何の本を調べようかなぁと一人思い耽っていた。
…そのとき。
「キミはいつも図書館に居るよね。いったい何をそんなに調べてるんだい?」
と、ふいに真正面から声をかけられた。
驚いて顔を上げると、目の前の席に座っていたのは……黄金色のウエーブががった髪を持つ、無機質な仮面を付けた、いかにも怪しげな人物。こいつは…【鉄仮面】ティーナじゃないか!
まさか、向こうから声をかけてくるとは…。驚きのあまり、とっさに声が出ない。
それを誤解したのか、ティーナは少し頭をポリポリかきながら頭を下げてきた。
「ああ、すまない。急に声をかけて驚かしてしまったかな。ボクみたいにこんな怪しい仮面を付けたやつから急に話しかけられたら、普通はびっくりするよなぁ」
「あ、いや、そうじゃなくて…」
俺はティーナの誤解を慌てて否定した。わざわざ向こうから声をかけてきてくれたんだ。こんな絶好のチャンス、逃すわけにはいかない。
「驚かせて悪かったね。ボクの名前はティーナ、見ての通り2回生だ。この学園のやつらは『鉄仮面』なんて洒落た呼び名で呼んでくれるけどね。ちなみにこのマスクを着けてるのには大した理由はないよ」
おいおい、大した理由もないのに怪しいマスクなんてつけてんのかよ。もしかしてこの子はただの変人だったりするんだろうか。しかもボクっ娘だし。
「私はアキです。ちょっと色々と調べたいものがあって…」
「キミのことは知ってるよ。夜な夜な寮で怪しい実験してる子だろう?」
なん…だと?
ティーナが何気なく放った言葉に、俺は全身の毛が総毛立つのを感じた。
まさかティーナは、スターリィでさえ気づいていない、俺が部屋で行っている『龍の力』の検証作業に気付いていたというのか?だとしたら…どんな意図で俺に話しかけてきている?
「そう警戒しなくていいよ。ボクは人一倍他人の魔力に敏感なタチでね、つい気付いてしまったんだ。そんなことより、なんでキミはこの部屋で調べものをしている?」
「へ?なんで?なんでって、ここは図書館だから…」
俺のごく当たり前な発言を、ティーナはフッと鼻で笑い飛ばした。どうやら俺の回答が面白かったらしい。
なんかこの子とはやり辛いなぁ。さっきから完全に手玉に取られてる感じがする。こんなタイプは初めてだよ…
慣れない相手に戸惑う俺に構うことなく、ティーナが畳み掛けるように話を続けてきた。
「ん?もしかしてキミは『奇書室』を知らないのか?」
「へっ?奇書室…?」
「ああ。キミは“上級“なんだろう?だったら奇書室で調べた方が必要な情報は集まるんじゃないかい?」
…だめだ、さっきからこいつの言ってることがサッパリ分からない。俺は観念してギブアップ宣言することにした。
「すまないんだけど、さっきからあなたの言ってることの意味がサッパリ分からないんだ。私はまだ入学してから日が浅いし…」
俺の言葉に、ティーナはどうやら大いに驚いたようだ。無造作に頭をボリボリと掻くと、黄金の髪がまるで生き物のように大きくうねった。
「…あれ?もしかしてキミは、学園長からまだなにも聞いてないのかい?」
「まだもなにも、入学式以来会ってないんだけど…」
「げっ。あのもうろくジジィ、なにやってんだか」
チッと舌打ちを打ちながらロジスティコス学園長を一言でこき下ろすと、ティーナは俺の方を向き直ってこう口を開いた。
「仕方ない、ボクが案内しよう。まぁこういうのも先輩の勤めってやつに当てはまるのかな?だったらかまわないか…」
こうして俺は、ブツブツと独り言を呟くティーナによって、別の場所に連れて行かれることとなった。
ティーナに連れられてたどり着いたのは、図書館の上のフロアーにある大きな扉の前。とても頑丈そうで、そう簡単に開けられそうにはない。
どうやら扉にはカギがかかっているようで、取手のところに鍵穴代わりに黒い板のようなものが張り付いていた。
「さぁ、ここが『奇書室』…簡単に言えば、下の図書館には置けないような本がたくさん置いてある場所だよ。もちろん…『魔迷宮』の『ライブラリー』にも置いてないような、希少な書物も、ね」
なんだって?こいつは『魔迷宮』のライブラリーまで知ってるのかよ!あそこは確か、ごく限られた人しか知らないはずなのに…
一体こいつはなんなんだ…?夜の実験に気付いていることといい、ライブラリーを知っていることといい、俺の心の警報機が、さっきからガンガン鳴り響いている。
こいつが味方だったら良い。だけど、もし敵だったら…
「そんなに心配しなくても、ボクは敵ではないよ。今のところは…ね」
「!?」
俺の心を読んだかのように、そう口にするティーナ。本当に何者なんだ?
「別に心を読んだわけじゃないさ。キミはなんでも表情に出すぎなんだよ。…さ、こんなところで立ち話も何だ、中に入ろうか。ここの黒い板に手を触れてくれ」
俺はティーナに言われるがままに、扉の取手のところにある黒い板に手を触れる。すると、黒い板がパッと光り輝き…ガチャっという音とともに、扉がゆっくりと開き始めた。
「こ、これは…?」
「よかったね、ちゃんと登録だけはされてたみたいだ。さ、中に入ろう」
そうして俺は、ティーナに背中を押されるようにして、『奇書室』の中へと入っていった。
「うわぁ…」
部屋に入ると、そこは大量の書物が積まれた本棚が、幾重にも並んだ書庫となっていた。パッと見、グイン=バルバトスの魔迷宮の『ライブラリー』に匹敵するくらいの書量があるように見える。
「なかなかすごいだろう?書の系統が違うから単純に比較はできないけど、たぶん『魔迷宮』のライブラリーと双璧をなすくらいの書物量があるんじゃないかな?」
俺の後ろから入ってきたティーナが、この場所のことを説明してくれた。
「ちなみにここの部屋は『上級』コース以上の人じゃないと入れない、特別な書庫…『奇書室』さ。入り口の黒い板があっただろう?あれは個体情報を識別する魔道具で、あれに手を当てることで認証された人だけが入室できる仕組みらしい」
…なんか、元の世界の指紋認証みたいな仕組みだな。そんな高度な魔道具とか、この世界には存在してるなんて初めて知ったよ。
「そしてこの『奇書室』には、古今東西の『学術書』が置かれているんだ。魔迷宮のライブラリーにあるのは、どちらかというと普通の本だから、一線を画してるよね。そういう意味では、ここでしか読めない本も存在している」
説明をしながら、ティーナはすぐそばにあるテーブルに置かれていた、なにやら光る水晶のようなものを手に取る。軽く魔力を込めると、うっすらと光り出した。
「これが、この部屋専用の『情報検索端末』さ。もし探したい情報があるならこれで探すといいよ」
ぽいっと無造作に放り投げられ、慌てて手に取る。おいおい、この高そうな魔道具をこんなに雑に扱って良いのかよ?
「さーて、これで一通りの説明は済んだかな。それじゃあ…」
「ちょ、ちょっと待って!ティーナ…さんっ」
ここまで完全に主導権を握られっぱなしの俺は、一瞬のスキを逃すまいと慌てて話を止めた。少し不満そうに、ティーナが口元を歪める。
「…なんだい?あと、ボクの呼び方はティーナで構わないよ。あるいは別に『鉄仮面』でも良いけどね」
「じゃ、じゃあティーナ、ちょっと色々と聞きたいことがあるんだ。だから教えて欲しい。
なんであなたは、夜の実験に気付いたんだ?なんで魔迷宮のライブラリーのことを知ってる?なんで私に色々なことを教えてくれる?そしてなにより…あなたは私のことをどこまで知ってる?」
ここで逃げられたらたまらないと、俺はまくし立てるように一気に質問を投げかけた。一方のティーナは、俺の必死な様子にフッと噴き出している。…くそぅ、失礼なやつめ!
「あぁ、ごめんよ。キミがあまりにも必死だったから、つい」
「…くぅっ。そ、それより私の質問に答えて欲しいんだけど」
「あぁ、そうだったね。キミは欲張りだな、いっぺんに全部聞いてくるなんて。
まぁいい、早速だけど答えてあげよう。まず、ボクがキミの『夜の実験』に気付いたのは、キミが色々と実験をやっているときに、キミの部屋から『変な魔力』が漏れ出てるからだよ」
変な…魔力?なんだそれ?
「変というのは、天使でも悪魔でもない…ボクが知らない質の魔力を感じたって意味さ。キミは巧妙に隠していたつもりかもしれないけど、気付く人は気付くよ」
…なんてこったい、俺が必死に隠しながら行っている実験は、外部にダダ漏れだったんだ。それにしても『変な魔力』っていうのは、やっぱり『龍の力』のことだろうな。
「つぎに、なぜ魔迷宮のことを知っているのかというと…答えは簡単、ボクも行ったことがあるからさ。おや、意外かい?」
意外というか、その考えが無かった。あんな場所の存在を知っている人が、他にもいると簡単に思えなかったんだ。だけど、そう言われてみたら、あの場所を知ってる人が居てもおかしくないわけで…
「あと…なんだっけ、キミに親切にする理由?さっきも言った通り、ボクが先輩だからだよ。先輩は後輩に色々と教えるものだろう?」
そりゃ、世間一般ではそうだろうけど、なぜかティーナに言われると、にわかに信じられないんだよなぁ。
「そして最後が…キミについて知ってることだったかな。その答えは『ほとんど知らない』だ。あぁ怒らないでくれ、キミが『上級コース』の子であることくらいは、じいさんから聞いて知ってるよ。でも本当にそれ以上のことは知らないんだ。だから知りたいと思っている」
「私のことを…知りたい?」
「あぁ、知りたいね」
そう言うと、ティーナはじっと俺の目を見つめてきた。交錯する視線と視線。
正直俺は困惑していた。まさかティーナから、俺のことを『知りたい』なんて言われるとは思ってなかった。
未だに主導権を握れず、茫然としている俺に対して、ティーナは…まるでなんでもないことを聞くような口調で、俺に問いかけてきたんだ。
「だからさっそく質問してもいいかな?
アキ……キミは、ボクの敵かい?」