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【闇の章】解放者

 ピタン、ピタン。

 水の滴るような音が聞こえる。


 ここは、一切の光が存在していない真っ暗な空間。そのせいで、ここが地上なのか地下なのか、はたまたこの世なのかどうかさえも分からない。

 ただ…一定のリズムで聞こえてくる水の音だけが、そこが『無』の空間でないことを示していた。


 普通の人間がその場所に居たら、すぐに狂ってしまいそうな異質な空間。そこに、突然変化が訪れた。


 ガチャリ。なにかが開く音が聞こえて、空間の…天井と思しき一角が、まるで光が爆発したかのように明るくなった。差し込んでくる僅かな光…恐らくは太陽の光が、それまで暗黒に支配されていたこの空間を、一気に照らし出した。


 どうやらここは、異空間などではなく、ただの部屋ようであった。薄っすらと差し込む光が、室内の様子を浮かび上がらせる。


 そこは、ちょっとした会議が開けるくらいの大きさの地下室だった。むき出しの配管やそこから時折滴る水滴、ホコリまみれの調度品などが、ここが忘れ去られた場所であることを示していた。



 長い間、誰も訪れたことがなさそうに見える地下室。その天井に開いた入り口付近に、新たな変化が訪れた。黒く輝く粒子…魔力が集まり、なにかが具現化していく。黒い魔力は、まるでピアノの鍵盤の黒い部分のように形作られ、やがてそれは…『黒い階段』となった。


 階段が完成するのとほぼ時を同じくして、一人の人物が、天井にある入り口に姿を現した。残念ながら逆光のため、その姿形はハッキリとは分からない。ただ、シルエットから女性であると想像された。

 突如入り口に現れたその女性は、ゆらりと揺れたかと思うと、出来上がったばかりの真っ黒な階段をゆっくりと降りてきた。



 カツーン、カツーン。

 恐らくは…黒い魔力の発する光であろうか。まるでスポットライトでも浴びているかのように、女性の周りだけが黒くぼんやりと輝いていた。その輝きが、これまでハッキリとしなかった彼女の全身の輪郭を、地下空間の中に浮かび上がらせた。


 この女性は、目立つことを避けるかのように、真っ暗なローブを身に纏っていた。頭にすっぽりと被ったフードから零れ出ているのは、黒いローブより…いや、この部屋の暗闇よりも真っ黒で、艶やかに輝く黒髪。


 太陽の光さえも一切受け付けないような、永遠の闇の塊のような黒髪を持つ彼女の顔は、不思議な仮面によって隠されていた。

 目の部分だけを覆った、銀色の鈍い光を放つ仮面。貴族の貴婦人が仮面舞踏会マスカレードで身につけるような、気品と妖艶さを併せ持つその仮面で覆うことで素顔を隠す彼女は、誰もいないこの部屋をゆっくりと闊歩する。


 そのまま部屋の一番奥までいくと、そこに設置された…暗い地下室には不釣り合いな、紅く染められた革張りの大きな椅子に腰掛けた。


 まるで玉座。彼女が椅子に腰掛けた瞬間、そう思わせるような気配が、辺り一面に漂った。

 誰もいない部屋に君臨する闇の女王、それが…彼女に相応しい名前であるかのようだった。




 続けて、空いた天井の入り口から、二人の人物がこの部屋に飛び込んできた。一段飛ばし、二段飛ばしに黒い階段を駆け下りてくる。

 先ほどの女性とは対照的に、弾けるような瑞々しさを感じさせるその動作は、二人がかなり若いことを感じさせた。


 勢いよく女性の前まで駆け寄ってきた二人は、勢いそのままに『玉座』の直前で膝をついた。まるで…女王に傅く家来や家臣のように。

 パサリと衣擦れの音がして、二人が目深にかぶっていたフードが外される。そこにあるのは…顔全体を覆う仮面だった。



「参上しました、【解放者エクソダス】様」

「来ましたのー!」


 声の感じから、二人はどうやら年若い少年と少女のようだった。目の前の深紅の椅子に座る女性…【解放者エクソダス】に向かってそれぞれが声を上げる。

 少年の方が、目と口の部分に線が入っただけの無機質な仮面を、少女のほうが、涙を流す女性の顔が表現された仮面を被っていた。明るい声からは想像できないような、不気味な仮面だった。


「よく来ました、【暗号機エニグマ】に【悲惨ミザリー】。二人とも、わざわざこんなところまで呼び出して悪かったわね」


 仮面から覗く口元だけを笑みの形にしながら、【解放者エクソダス】は二人の名前を呼んだ。

 恐らくは通称コードネームであろうか。【暗号機エニグマ】と呼ばれた少年のほうが、さらに頭を下げて服従の意を表した。


「問題ございません。【解放者エクソダス】様のお呼びとあれば、俺はどこにでも参上します」

「あー、エニグマだけずるーい!あたしだって参上するもーん!」


 負けじと声を張り上げる【悲惨ミザリー】と呼ばれた少女。その仕草は、まるで幼い子供のようである。


「ふふふ。ミザリー、あなたは『魔法学園』への入学準備で忙しかったでしょう?それなのに来てくれて、私はとっても嬉しいわ。ありがとう」

「えへへ、あたしエラい?エラい?」


 泣き顔の仮面に似合わずヘラヘラした反応をするミザリーに、苛立ちを隠そうともせずチッと舌打ちするエニグマ。そんな二人をフォローするかのように、【解放者エクソダス】は立ち上がると、二人の頭をそっと撫でた。


「二人とも、偉いわ。私はあなたたちが居てくれて、幸せよ」

「【解放者エクソダス】様…」

「えへへ…」


 満足げな笑みを浮かべる二人に対して愛おしげにその頬を撫でると、【解放者エクソダス】はそれぞれの目を見つめながら口を開いた。


「今日はね、二人に改めてお願いがしたかったの。まずは…【暗号機エニグマ】、あなたは引き続き『うつわ』の監視をしながら、【悲惨ミザリー】のサポートをしてあげて」

「な、なんで俺がミザリーのサポートなんか…」

「そうよー!あたし一人でも平気だもんっ!」


  【解放者エクソダス】の話に、一斉に不満の声を上げる二人。しかし彼女は、そんな二人を黙らせるかのように唇に指を当てた。

 その仕草だけで、二人はピタッと静かになる。


「ダメよ。私たちには”魔王様を復活させる”という『大義』があるの。そのためには協力しなきゃいけないわ」

「……わかりました」

「はーい、ミザリー我慢するー!」


 優しく…まるで子供に言い聞かせるような言葉に、しぶしぶ二人が納得したのを確認して、【解放者エクソダス】がさらに説明を続ける。


「それでは【悲惨ミザリー】、あなたは学園で…『扉を開ける鍵』を探すのです。困ったときは【暗号機エニグマ】の助けを得るのですよ?」

「……はーい、わかりましたー」

「…チッ」


 こうして、二人に必要なことを話し終えた【解放者エクソダス】は、さらにいつくかの『魔道具』を持たせると、最後にギュッと二人を抱きしめた。


「…二人とも、元気でね」


 親愛の情がこもった【解放者エクソダス】の言葉と行動に、二人はそれぞれ感激したようであった。



「【解放者エクソダス】様、必ずや貴女様の悲願を叶えられるよう、全力を尽くします」


 表情の見えない仮面を被ったままの少年【暗号機エニグマ】は、それでも伝わってくる親愛の情を言葉に乗せながら、【解放者エクソダス】に向かって別れを告げた。



「へへーんだ、あたしもがんばっちゃうからねー!」


 対照的に、仮面を付けていることから表情は分からないものの、いたずらっ子のような態度を終始崩すことのないまま、【悲惨ミザリー】は手をブンブン振って部屋から飛び出していった。




 二人ともその胸に、青い色の表紙の本を大事そうに抱きながら。










 二人が出て行ったのを確認して、【解放者エクソダス】はゆっくりと深紅の椅子に腰掛けた。ぎしっ、と椅子が軋む音が響く。

 ふっ…。空気が漏れ出たかのような笑い声が、彼女の口から溢れ出た。


「ふふふ…ふふふ。可愛い子たち、私の人形」


 まるで雪原に積もる雪のように真っ白な肌、その肌に映える深紅の唇を、【解放者エクソダス】は奇妙な形に歪ませた。

 そこに浮かんでいるのは、満足げな笑み。それは…嘲笑?


「踊れ、舞え。可愛い人形たち。そして…あの方の悲願を達成するための礎になるがいい」


 肌の色とは対照的な真っ黒な瞳。そこには…何も映っていない。

 彼女は何を見ているのか。彼女は何を考えているのか。その瞳から…何一つ読み取ることは出来なかった。


「あと1年…そうすれば、時は満ちる。『器』は既に手中にあり、『扉』の目処も立った。あとは、それまでに『扉』を開く『鍵』さえ見つかれば…」


 ぶわっ。

 音もなく、【解放者エクソダス】の背中に”黒いもの”が拡がっていった。それは…真っ黒な翼。夜の闇を溶かし込んだかのような、暗黒よりも暗い黒。

 彼女は…『悪魔』だった。しかも、部屋を覆い尽くすほどの巨大な翼を持っていた。それだけで、彼女が強大な魔力を持つことを証明していた。



「サトシ、もうすぐですよ。あなたは…準備できているのですか?間に合わなければ…ふふふ。この勝負、私の勝ちです」


 誰もいないこの部屋の中に、【解放者エクソダス】の不敵な笑い声が響き渡った。


 それは、平和になったはずのこの世界に混乱をもたらすものからの、狂気に満ちた宣戦布告のメッセージだった。




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