39.弔い
「私と戦って、勝ち取ってください」
俺の発した言葉に、その場にいた皆は驚きを隠せないようだった。戸惑いが、空間を支配していく。
「おいアキ!なにいってんだよ?レイダー様がより強くなるために必要なものなんだぞ?なんで素直に渡さないんだ!?」
ボウイの言葉は、たぶん万人の気持ちそのものだろう。レイダーに求められれば、断るようなやつはいないんじゃないか。
でも…俺は違うんだ。簡単に渡すわけにはいかない。
俺自身が、レイダーさんにこの剣を受け取る資格があるのか、確認するまでは。
「分かった。それが君の意思なのであれば…尊重しよう」
俺の気持ちを察してくれたのか、レイダーさんが同意してくれた。
ありがとう…感謝するよ。
俺のわがままに、付き合ってくれて。
俺たちは場所を、いつも模擬戦を行っているトレーニングルームに移した。さっきまでスターリィとレイダーさんが戦闘訓練していたのもここだ。二人の戦いの残滓が、ヒビの入った壁や少し欠けた床に残っている。
「きみは本当にバカだね。だけど…そんなところ、嫌いじゃないよ」
カノープス。おめーなんかにそんなこと言われても、なーんも嬉しくないんだよ。
「アキ、本当に戦うの?あたしが言うのもなんですけど…兄は強いですわよ?」
不安そうな表情を浮かべたスターリィが俺のそばによってくる。申し訳ないんだけど、このことに関しては誰にも譲れないんだ。
覚悟を決めた俺の様子に諦めたのか、スターリィがポニーテールにしているリボンを解くと、俺の髪を結んでくれた。
「がんばって…アキ」
「うん、ありがとう」
心強いな…悔いが無いよう、全力を尽くすよ。
そしていよいよ、肩をくるくると回しているレイダーさんと対峙した。
真正面から向き合うレイダーさんは、立っているだけで強烈な存在感を放っていた。
かつて、これに似た存在感を持つ人と対峙したことがある。
それは…ゾルバルやデインさんといった英雄たち。レイダーさんは既に過去の英雄たちに匹敵するだけの強さを持っているように感じられたんだ。
「決着のつけ方はどうする?降参と言うか、戦闘不能状態になったらってことで良いか?」
そう口にするのは、たぶん余裕からではなく…自分が勝つことが当然だと思っているから。レイダーさんは完全に俺の力を読みきっているかのようだった。
「ええ、それで…お願いします」
…正直、俺のことを舐められるのは別に構わない。
だけどな、それは大きな勘違いだ。
見極めようとしてるのは…俺の方なんだよ。
「レイダー。相手は女の子なんだから手加減をしなさいよ?」
俺のことを気遣ってくれたのか、ベルベットさんが耳打ちしているのが聞こえてくる。
だけど、そんな彼女をたしなめた人がいた。…ガウェインさんだ。
「…バカ言え。あいつはなぁ、ミーハーな気持ちや中途半端な想いでレイダーと戦り合うなんてこと言ってねぇんだよ。お前、あいつの目を見てもそんなこと言えるのか?」
「あっ…」
「わかったか?わかったら黙ってろや」
ありがとう、ガウェインさん。やっぱりあなたは、あの人の弟子だよ。
「じゃあ、私がコインを投げます。落ちた瞬間から戦闘開始でよろしいですか?」
場を仕切ってくれたウェーバーさんの言葉に、俺たちは同意した。
チン。
ウェーバーさんの指から放たれたコインはクルクルと宙を舞い…地面に落下した。
その瞬間、俺は全身の魔力を一気に解放し【魔纏演舞】を発動させた。同時に『禁呪』を唱え始める。
レイダーさんはまったく動かない。…余裕か?あるいは観察してるのか。だったら…今のうちに一気に畳みかけてやる!
「"地を這う虫。鋭く留める牙。今其れを突きたて、留めよ。"
…禁呪【地這虫】」
俺が禁呪で創り出したのは、ムカデの背中が全部口になったような魔虫【地這虫】。相手の足止めをする役目を果たすのだ。
「あの子、【禁術使い】なんだ」
ウェーバーさんの驚く声が耳に届く。レイダーさんの眉がピクリと動いた気がした。だけど、気にしていられない。
レイダーさんには『物理攻撃』も『魔法攻撃』も通じないと聞いている。彼の持つ二つの固有能力である『絶対物理防御』と『絶対魔法防御』の効果だ。
だから…苦肉の策で足止めをしようと試みた。その目論見は見事成功して、【地這虫】がガッチリとレイダーさんの両足に喰らいついた。
よし、動きさえ止めてしまえば、あとは物量で押し切ってやる!
ーーーー
個別能力:『新世界の謝肉祭』
【右腕】…『シャリアール』発動。
ーーーー
右手を銃の形にして、魔力を右手に集中させた。右手首に"天使の翼"が具現化し、さらに指先に光り輝く魔法陣が出現する。
これだけじゃ足りない。さらに左手で同時に禁呪を発動させる。
「"黒い霧。闇夜の誘い。拡がれ広まれどこまでも。我が意の赴くままに。"
…禁呪、【黒霧丸】」
現れたのは、黒い毛玉みたいな魔虫。真ん中からぱっくりと割れて、中から黒い霧が噴出した。
…本当は相手を眠りに誘う禁呪なんだけど、レイダーさんにはそんなもの効かないだろう。だったら、こいつは目くらましだ。
あっという間にレイダーさんの周りを黒い霧が囲う。レイダーさんは、目の部分まで黒い霧で覆われる寸前までじっと俺のことを見ていた。
さすがだね、だけど…それを逆手に取ってやる。
彼の目の部分まで完全に霧で覆われた瞬間、俺は全身の筋肉をバネのように弾かせて、一気に反対側へと移動した。
絶対に、想定できないスピードのはずだ。同時に…右手に準備していた『流星:星銃』を放った。
…実は俺はひとつの仮説を立てていた。
あらゆる攻撃を無効化するレイダーさんの能力【絶対防御】。いくらなんでも規格外すぎるから、何かリスクがあると考えたんだ。
その仮説のうちのひとつが『意識した方向にしか【絶対防御】できない』のではないか、ということ。
今回の攻撃なら、完全に想定外の方向からの一撃になるはずだ。うまくいけば、届くのではないか。
だけど…その考えが甘いことをすぐに思い知らされた。
斜め後ろ上からの『星銃』は、黒い霧を押しのけるように突き進んだものの…レイダーさんに届く寸前に消滅したのだ。
結局彼は微動だにしないどころか、見向きすらしないで『星銃』を防いでしまったことになる。
…さすがだよ、レイダーさん。
でも、そうでなくちゃ。そのくらいは想定済だ。
「"月の光。輝く泉。反射し照らし、映し出せ。四方八方に"
…禁呪、【万華鏡】」
休む間もなく俺が創り出したのは、七色に輝き幻覚を作り出す魔虫【万華鏡】。
それだけじゃないぞ、こいつもだ。
ーーーー
個別能力:『新世界の謝肉祭』
【左腕】…『ゾルディアーク』発動。
ーーーー
「…ゾルディアーク格闘術、『瞬身』」
幻覚と分身の同時使用だ。これでレイダーさんの目には俺の身体が何十にもぶれて見えているはずだ。
そこに俺は、最大側にまで高めた攻撃を連続して仕掛けた。
殴る、蹴る、ひざを打つ、ひじうち。
…だけど、その攻撃を全部レイダーさんはかわした。足が【地這虫】で止められているというのに。
かわしているのも、決して危ないからではない。【絶対防御】を使う必要がないことを俺に分からせるため、あえてかわしているだけだった。
…見せ付けられる、圧倒的な実力差。
だけど、簡単に諦めるわけにはいかない。俺は、ゾルバルから託されたんだから。
彼の想いを、彼の魂を。
「うわぁあぁあぁぁあ!」
そのとき。たぶん、俺の攻撃は大振りになってしまったんだと思う。
あっさりと見切ったレイダーさんが俺を掴むと、そのままくるりと後ろ手に周りこんで右腕を捻りあげた。右腕に走る激痛。
「ぐぅぅ」
「…どうだい?これでもう十分に分かっただろう」
あまりの激痛に身動きが取れなくなる。正直…完全に仕留められた状況だ。
まいった…正直ここまで圧倒的な実力差があるとは思ってなかった。もう少しくらいは苦しめられると思ってたのに…
やっぱりレイダーさんはさすがだ。『勇者』と呼ばれるだけはある。
これだけの強さがあれば十分なんじゃないか。素直にゾルバルの剣を渡したほうが良いのではないか。
そんな気持ちが心を支配しようとした、そのとき。
俺の脳裏に、ひとつの光景が…まるでフラッシュバックのように蘇ってきた。
それは、ゾルバルの最期の姿。
彼は、俺たちのために…そして狂ってしまったカノープスをも救うために、その身を投げ出してくれた。
自ら傷つくことすら省みらず、助けてくれた。
今の俺は、そこまでしてくれたゾルバルに申し開きできるような状況なのか?
ゾルバルの託した思いを…俺はこんなに簡単に明け渡して良いものなのか?
いや違う。
そんなわけはない。
ゾルバルは…文字通り命を懸けて俺たちを救ってくれたんだ。
だったら俺も、そうすべきじゃないか。そうだろう?
右腕を掴まれている?そんなもの…関係ない。
こんなことで、俺は縛りつけられたりはしないんだ!
ベキッ。「っ!?」
響き渡る鈍い音。驚きの表情を浮かべるレイダーさん。
その顔面に、俺は左足で強烈なハイキックをかましてやった。
ガッ!という衝撃音とともに吹き飛んでいくレイダーさん。追い討ちをかけようとして…右腕に走る激痛にその動きを止めてしまう。くそっ、せっかくのチャンスで動けなかった。
「…アキ、きみは…正気なのか?」
そのスキに吹き飛ばされた先で体制を整えながら、俺に問いかけてくるレイダーさん。
そう、俺は…レイダーさんに一撃を加えるために、右腕を犠牲にして無理やり攻撃を仕掛けたのだ。
結果、俺の右腕は完全に折れてしまっていた。
正直、メチャクチャ痛い。だけど…この程度の痛み、あのときゾルバルが感じていた痛みに比べたら、たいしたこと無いよな?
右腕は…折れてるせいで使い物になりそうもない。だけど、ゾルバルは出会ったときから右腕は無かった。問題ないよな?
「あぁ…正気だよ。レイダーさん。さぁ、第二ラウンドといこうか?」
俺は…どこかで自分が可愛かったらしい。なんとか自分の身が安全なままどうにかならないかって、無意識のうちに考えていたみたいだ。
だけど…レイダーさんのような人を相手にして、その考えは虫が良すぎたんだ。この右手は、その代償。
痛くないかというと、そりゃ痛いに決まってる。
でも、だからといってギブアップする気はさらさら無い。
俺がゾルバルから、あの偉大なる戦士から受け継いだ魂はなぁ…
この程度で折れるほど、安っぽいもんじゃねぇんだよ!!
これからは…もう自分の身のことなんか考えない。
本当の全力で当たってやる。それこそが…ゾルバルの魂に報いるための、せめてもの餞なのだから。
そしてここから、壮絶な戦いが始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーー
兄とアキの戦いを、スターリィは最初はハラハラしながら見ていた。
自分の兄ではあるが、レイダーはもはや別次元の存在だ。さきほどの模擬戦闘でも、"天使"に覚醒した自分でさえ軽くあしらわれてしまったほどだ。
そんな相手に、いくらアキとはいえまともに相手になるとは思えなかった。とにかく大きな怪我さえしなければ…そんなことばかり考えていた。
案の定、戦闘は一方的なものになった。
アキは"禁呪"と固有能力を駆使して戦っていた。一見、一方的に技を放っているように見える。
だけどその実態は、兄であるレイダーがなにも動いていないだけだった。おそらく動く必要すらないと考えているのだろう。
無防備に相手の技を受け続ける行動は、つい先ほど自分と戦ったときもそうだった。
この先も同じであれば、おそらく一通りの攻撃を見たあとで…兄は一撃で決めにくるだろう。そのときは、なるべく穏やかに決めてほしいですわ。スターリィは心の底からそう願っていた。
そして、スターリィが想定していた事態はすぐにやってきた。
打つ手が無くなって肉弾戦を挑んできたアキを、あっさりと捕まえるレイダー。今のスターリィには本気を出したアキの接近戦のスピードにはついていけないので、それすらも捕まえる兄には恐ろしささえ感じる。
しかし、そこからが完全に想定外だった。
なんとアキが、捕まえられた右腕を無視してレイダーに攻撃を仕掛けたのだ。
響き渡る鈍い音。アキの右腕の骨が折れた音だ。スターリィは思わず顔をしかめた。
「…アキ、きみは…正気なのか?」
兄がそう口にする気持ちは分かる。
アキ、どうして…?どうしてそこまでして戦うんですの?
「あぁ…正気だよ。レイダーさん。さぁ、第二ラウンドといこうか?」
薄暗く輝く瞳でそう返事するアキに、スターリィは不安を覚える。
もうやめて!そう口に出しそうになって、誰かに腕を掴まれた。横を見ると、カノープスだった。
「カノープス、どうして止めるんですの?」
「ダメだよ、スターリィ。これは…アキにとって必要な儀式なんだ」
「必要な…儀式?」
「うん。アキが…ゾルディアークの魂を本当の意味で弔うための、ね」
その言葉に、ハッとするスターリィ。
アキが苦しんでいるのはずっと知っていた。でも最近は明るくなっていたので吹っ切れたのではないかと思っていた。
でも…実態は違っていた。アキはずっと苦しんでいた。悲しみを抱えていたのだ。
「アキ…」
スターリィの声が、その場に悲しく響き渡った。
その間にも、アキとレイダーの戦いは繰り広げられていた。
これまでの戦闘とは違い、それは…死闘と呼べるものに変化していた。
「『散弾星』!」
アキは、既に使い物にならない右手を左手で無理やり突き出して、そこから数十発の『流星』を放つ。同時に、そのレーザー群に紛れるようにしてレイダーの懐に飛び込んだ。
「ふんっ」
レイダーが気合とともにレーザービームを弾いていく。併せて懐に飛び込んできたアキを横に殴り飛ばした。アキの右の目尻から、血が吹き出る。
「禁呪、『化石柱』」
だがアキはそんなことにも構わず、吹き飛ばされた先で足場となる魔虫を創り出し、蹴り飛ばして瞬時にレイダーに肉薄した。
「『星銃』!」
至近距離で放たれるレーザービーム。それがレイダーに直撃するより前に後ろに回りこんだアキは、そこからさらに攻撃を仕掛けた。
「ゾルディアーク格闘術『艶陀』!」
折れた右腕までも振り回し、レイダーに対して嵐のように放たれる打撃。
普通の人であれば絶対に対応できないような、前後から放たれる攻撃は…それでもレイダーに届かなかった。
「はぁっ!」
気合をひとつ込めると、爆発的な魔力がレイダーの身体から放たれた。
その魔力の波に触れた瞬間、『流星』の魔力はかき消され、アキは身体ごと弾かれた。まるで風に飛ばされた雑草のように、勢いよく吹き飛ばされていく。
「アキっ!」
耐え切れなくなったスターリィが、アキのそばに駆け寄っていった。倒れている彼女を急いで起こそうとする。
だが…アキはそんなスターリィを手でどけた。
「え…アキ?」
「どけっ。まだだ…まだ、終わってない」
右の目尻や口から流れる血を、左腕で拭いながら再び立ち上がるその姿を、スターリィは制することができなかった。
なにか…神聖な戦いの邪魔をしているような気分になったからだ。
「きみはまだ…立ち上がるのか?」
驚きを隠せない表情で、アキを見つめるレイダー。彼もまた戸惑っているものの一人だった。
普通、これだけの打撃を受ければ諦めるものだ。実力差も歴然だ、いまさら埋め返しようも無い。
それでも…この少女は立ち上がってきた。どうやらこの少女は、とても大きな何かを抱えているらしい。
参ったなぁ。どうやって降参させるかな。
レイダーがそんなことを考えていた、そのとき。
状況が再度、劇的に変化を遂げることとなる。
最初に異変に気づいたのはスターリィだった。
それまでふらつきながらもなんとか立っていたアキの動きが、突然止まったのだ。
おやっ?と思った次の瞬間、アキの身体から…染み出すよう魔力があふれ出してきた。
その魔力を見た瞬間、スターリィは全身の血の気がサッと引くのを感じた。本能的に、アキからあふれ出す魔力の危険さを察知したからだ。
まるですべてを喰らい尽くすかのような、そんな異質な魔力。これまで見たことも触れたことも無い、おぞましいもの。
そんなものが、アキの身体からにじみ出ていたのだ。
アキの異変については、レイダーを含む全員が気づいていた。これはまずい…そう思わせるものが、アキからあふれ出る魔力にはあった。歴戦の勇者であるレイダーですら、ただならぬ魔力に全神経を集中させる。
「…アキ?」
スターリィがなんとか喉から絞り出した声は、しかしアキには届いていなかった。
なぜなら、そのときアキは、まったく別の声を聞いていたから。
突如襲い掛かってきた激しい頭痛のなか、アキの心の奥に響き渡る声を聞いた。
その声は…
『…届かぬのなら、喰ってしまえ』
「…もしかしててめぇは…『新世界の謝肉祭』か?」
アキにとっては忘れることができない存在が、今ここに再び現れようとしていた。