34.パシュミナ
今から20年前の魔戦争。
そのとき、人間に敵対した『魔王』グイン=バルバトスには、7人の将軍が仕えていた。
その名を…七魔将軍という。
『魔獣王』 ガーガイガー。荒ぶりし魔獣の王
『土龍』 ベヒモス。古より生きし邪悪なる龍王。
『魔貴公子』 スケルティーニ。魔法を拒絶する魔族の貴公子。
『凶器乱舞』 パシュミナ。千の武具を操る、歴戦の武人。
『魔傀儡』 フランフラン。悪魔の化身、災厄の道化師。
『暁の堕天使』 ミクローシア。金色の原罪に導かれ、堕ちた英雄の娘。
『原罪』 アンクロフィクサ。諸悪の根源、魔王を召喚した者。
彼ら七魔将軍の中には、魔族が三体含まれていた。
その中の一人が…『凶器乱舞』と呼ばれたパシュミナである。
パシュミナは、魔戦争を歌うサーガではこう伝えられていた。
”千の武具を操る、歴戦の武人”と。
だけど今、俺の目の前にいるのは…
腰くらいまである黒髪のロングヘアーの、落ち着いた雰囲気の女の人。
とてもではないけど、そんな人物には見えない。それどころか、剣さえも持てないくらい華奢に見える。
それに、カノープスの言う通り、七魔将軍はすべて『魔戦争』の折に死んだと聞いていた。
だったら、目の前にいる人物は何者なんだ?
それに、なぜカノープスと彼女は知り合いなのか?
「感動の再会はあとでゆっくりとやってもらっても良いかな?これからの話をしたいんだが」
そんな疑問をすべてぶった切って、マイペースに今後の話を進めようとするデインさん。
いきなり魔迷宮に連れてきたかと思えばこれだ。ったく、この人も大概だな。
「これからきみたちは…そうだな、半年から一年くらいこの『迷宮』の中で過ごしてもらう。その間、きみたちの世話や教育、ついでに戦闘術の講師をしてくれるのが…ここに居るパシュミナだ」
「改めまして、パシュミナです。ここ【図書館】の司書をやっています。これから当面の皆さんのお世話を任されました。どうぞよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるパシュミナさんにどう接して良いかわからず、戸惑いながらもとりあえず頭を下げてみた。
なんというか…微妙な空気。
完全に置いてけぼりのカノープスだけが、ぶるぶる震えてる。さすがにちょっと可哀想だ。
まぁ…この二人の関係については、落ち着いたところで今度ゆっくりと聞いてみることにしよう。
「それじゃあ俺たちはもう立ち去るから、あとは関係者同士でよろしくやってくれ!」
「たまに様子を見にくるから、元気でね」
デインさんたちはそれだけ宣言すると、さっさと魔迷宮から出て行ってしまった。
…まじかよ、完全丸投げかい!
まさか本当に案内するだけで帰っちゃうとは思わなかったよ。
取り残されたのは、俺たち四人とパシュミナさん。
なんだか微妙な雰囲気が漂う中、口火を切ったのは、我慢できなくなったカノープスだった。
「パシュミナ…幽霊じゃなくて、本物なの?」
「カノープス、元気そうでなによりです。あなたが最近この世界に”召喚”されたと聞いて、すごく心配していたのですよ」
「そ、そんなことよりパシュミナは何で生きてるんだよ?プリムラだって毎日泣いてたんだぞ?」
「…妹とあなたには心配かけましたね。
わたしは…パラデイン様とクリステラ様に救われたんです」
それからパシュミナさんは、このようなことになった事情について話してくれた。
なぜ”七魔将軍”の1人となっていたのか。
死んだと言われていたのに、なぜ生きていたのか。
どうしてこんな魔迷宮に、たった一人で居るのかを。
それは…20年前の魔戦争の、知られざる裏側の物語だった。
「わたしは…今から20年前、『原罪』アンクロフィクサによってこの世界に召喚され、七魔将軍の一人『凶器乱舞』パシュミナとしてこの世界の人たちの敵となっていました。
ですけど、そのときのわたしは…心を”洗脳”され、操られていたんです。
その結果、自分で望んだことではないとはいえ、たくさんの人たちにご迷惑をおかけしました」
そう語るパシュミナさんは、とても悲しげだった。憂いを秘めた瞳で、誰もいない空間を見つめている。
「ただ…洗脳されていたことによって、一つだけ良いことがありました。この世界に来る途中にある『狭間の空間』を渡るときに、わたしの心は狂わずに済んだのです。
おそらくは、洗脳されていたことで逆に精神を汚染されずに済んだのではないかと考えています。
それは本当に…不幸中の幸いでした」
なるほど、それで彼女はカノープスみたいに”狂う”ことが無かったんだな。
一度”狂う”と、治療方法が無いみたいだからな。
「20年前に、わたしはクリステラ様たち二人に『洗脳』を解いてもらって、なんとか心は解放されました。ですけど、いくら操られていてのこととは言え、わたしが犯した罪は罪。取り返しはつきません。
ですからその罪を償うために、わたしの命を差し出そうとしたのですが…七大守護天使のみなさんは、わたしのことを許してくれました。
わたしは…生き続けることを許されたのです」
「そうか、それで…パシュミナは死んだことになってたんだな」
カノープスの呟きに、申し訳なさそうに頷き返すパシュミナさん。
ただ、それには別の理由もあるのです。
そう口にしながら、もう一つの理由についても説明してくれた。
「魔戦争の際、洗脳によって操られていたわたしの心は、ひどく傷付いていました。そのまま壊れてしまってもおかしくないような状態だったのです。
そこでわたしは…この『魔迷宮』でしばらく”冬眠”させてもらうことになりました」
「冬眠…ですか」
「ええ、クリステラ様の特殊な魔法で、わたしは永い時間眠りについていたのです。その間、ゆっくりと…わたしの傷付き壊れかけていた心は修復されていきました。
そして、およそ15年ほどの冬眠を経て、ようやくわたしは普通の状態で目覚めることができたのです。
それ以来わたしは、ここ【図書館】の司書として生活しています」
なるほど、それがこんな場所で生活している理由だったんだ。
…なんというか、パシュミナさんも壮絶な人生だな。
それにしても…”召喚”てのは、された魔族にとって本当に辛いことだらけだということが改めて分かった。
基本的に、召喚された魔族は狂ってしまう。
それを治療する手段は無い。(唯一、俺が狂った心を喰らったカノープスだけが治癒した例外だ)
ただし、”洗脳”されたうえで”召喚”された魔族は、その洗脳のおかげで”狂わ”なくて済む。
でも、洗脳によって傷付けられた心の傷を治癒するのに、かなりの時間が必要となる…
なんというか、酷い。惨すぎる。
召喚された時点でほとんど詰みゲーじゃないか。
そんな酷い状況を魔界の住人たちに強いる魔本【魔族召喚】は、やはりこの世界から消し去らないといけないな。
パシュミナさんの話は、そんな思いを改めて思い抱くきっかけとなったんだ。
こうして始まった【魔迷宮】での俺たちの生活。
最初は地下の…それも魔迷宮での生活なんて不安要素しかなかったんだけど…
これがまた、予想してた以上に充実した日々だったんだ。
まず、ここ【図書館】の本の量。これが本当にすごい数だった。
たぶんこれまで見てきた中で最大の図書館なんじゃなかろうか。数万、数十万といった単位の本が置いてあった。
これを読むだけで、軽く一年なんて過ぎてしまいそうだ。
本の分類はパシュミナさんがしていたようで、綺麗に整理されていた。
彼女き「こんな本を探してるんだ」って伝えると、すぐに案内してくれた。
さすが司書さんだと思って感心してると、「ここの整理がわたしのお仕事でしたからね」と言って微笑んでいた。
…ほんと、この人がかつての”魔将軍”だったなんて信じられないよ。
そして、肝心かなめのパシュミナさん。
この人が…びっくりするぐらいおっとりとして、優しい人だった。
「本当はわたし、誰かを傷付けたりするのがすごく苦手なんです。
むしろ人の傷を癒すほうが得意なんですよ?」
そう言って、俺たちのご飯を作ってくれたり掃除洗濯までしてくれた。
トレーニングでやりすぎたときは、治癒魔法まで掛けてくれた。
…さすがに申し訳なかったから、家事全般は俺たちも手伝ったんだけどね。
嫌な顔一つしないで世話をしてくれるパシュミナさん。そんな素敵な彼女と、俺たちはあっという間に仲良くなっていったんだ。
…ただ一人、カノープスを除いて。
そんなある日、【図書館】の片隅でぼーっと適当な本を読んでいたカノープスを見つけた。
この【図書館】、はっきりいってメチャクチャ広い。かくれんぼしても1日じゃ見つからないんじゃないかってくらいだ。
こんな機会も滅多にないので、カノープスにこれまでの疑問を聞いてみることにした。
「やっ。ちょっといいか?」
「やぁアキ、わざわざぼくに会いに来てくれたのかい?」
嬉しそうな顔をして立ち上がると、俺にすっと近寄ってきた。
相変わらず乙女殺しの対応だよな。俺じゃなかったらこの態度だけでイチコロなんじゃないか?
「なぁカノープス、おまえとパシュミナさんの関係って…なんなんだ?ただの魔族ってだけの繋がりじゃないだろう?」
「…ふふっ、髪を無造作に束ねてメガネかけてるアキも素敵だね。なんかグッときたよ」
俺の問いかけを完全に無視して、腰に手を回してくる。
だけど、俺は…あえてされるがままにした。
調子に乗ったカノープスが、髪の毛を触ったり顔に手を添えてメガネに触れたりしてくるが…それでも俺は何の反応もせずに、じーっと見つめる。
「…どうしたの?そんなに見つめられたら…ぼくは我慢できなくなるよ?きみの唇を奪ってしまいそうだ」
ゆっくりとカノープスの顔が近付いてくる。
それでも俺は、目を逸らさない。
今にも唇同士が触れ合ってしまう、その寸前で…カノープスの動きが止まった。
至近距離で見つめ合う、互いの瞳。
「…そんなに見つめられたら、キスなんて出来ないじゃないか」
「…プリムラって、誰だ?」
俺の一言に、カノープスの表情が一瞬で凍りついた。
誤魔化すように、サッと顔を逸らす。
「たしかパシュミナさんの妹だって言ってたな。おまえとどういう関係なんだ?」
「…もしかして嫉妬してるの?大丈夫、ぼくはアキ一筋で……」
「そんなことはどうでもいい。そういえば…私はカノープスの魔界での生活の話は聞いたことが無かったよな。よかったら…私にも教えてくれないか?」
ハッキリとした俺の態度に観念したのか、カノープスは視線を逸らしたまま頭をかきむしった。
そのままゆっくりと俺から離れていくと、椅子にもたれかかって「はぁ…」と息を漏らした。
「まったく、アキには敵わないな。
わかったよ、話すけど…大した話じゃないよ。
ご推察のとおり、ぼくは魔界で、パシュミナやプリムラと知り合いだったんだ」
そうして、カノープスは渋々といった感じで…俺の知らない”魔界”のことを話し始めた。
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「アキも少しは話を聞いているだろうとは思うけど…魔界は基本的に弱肉強食でさ、強い人間がそのまま王となるんだ。当時の王は、きみもよく知っているゾルティアークさ。
そして王の周りには、王に次いで力のある人たちが貴族…ようは魔族として存在していた。
その中でも、ぼくや兄のスケルティーニが居た家と、パシュミナやプリムラが居た家とは、魔界でも屈指の魔族の名門だったんだ。
それこそ、次期魔王候補筆頭として名が挙がるほどの、ね」
ほほぅ…なるほど。
ってことは、こいつは簡単に言うと…大貴族のボンボンだったんだな。
どうりで貴公子的な雰囲気してると思ったよ。
「だから、小さな頃からパシュミナや、その妹のプリムラとも交流があってね。なにより…兄のスケルティーニとパシュミナは親が決めた婚約者同士だったんだ」
そう、だったんだ。
…なんとなく想像してしまう。
かつて”魔将軍”と呼ばれていた人たちが、狂うことなく平和に暮らしている世界を。
俺はスケルティーニという人を知らない。だけど、カノープスの兄貴だったらたぶん相当なイケメンだったんだろう。
そんな人と、穏やかな性格のパシュミナさんだったら、きっとお似合いだったんだろうな。
…悲しいかな、実現することは無かったんだけど。
「…優しくも強き『魔王』、【闘神】ゾルティアークによって、魔界はそれなりに平和だったんだ。
だけど、そんな平和な魔界が…ある日を境に激変することになる。
人間側に生まれた魔の天才…アンクロフィクサによって、兄貴やパシュミナが”召喚”されたんだ。
それを手引きしたのが…同じ魔族の『魔傀儡』フランフランさ」
カノープスにも詳しい事情は分からないらしいのだが、まずスケルティーニが強制的に”召喚”されて、それを探していたパシュミナがフランフランによって”洗脳”されたのだそうだ。
そして…ゾルバルの娘グィネヴィアたちと一緒に『この世界』に召喚されていったのだという。
実はこのとき、有力な魔族たちが複数”召喚”されたらしい。
だけど、実際に人類の敵として現れた魔族は…『魔王』グイン=バルバトスを含めても四体だけ。
他の召喚された魔族たちがどうなったのかは、歴史の闇の中なのだという。
…恐らくは、もう生きていないんだろうな。
「そう…だったんだ」
カノープスが初めて語った魔界の悲劇は、本当にいただまれない内容だった。
同時に、ゾルバルが命を賭して魔本【魔族召喚】を燃やして回ったり、狂ったカノープスを助けようとした理由がすごく良く分かった。
ゾルバルは…魔界の住人を、護りたかったんだな。
ここまでカノープスの話を聞いて、ひとつ思い浮かんだことがある。
それは…カノープスの行動原理について。
俺にはこれまでこいつの考えがイマイチよく分からなかった。
ふざけた態度はよく取っているけど、その裏に…決して明かさない想いがあることには薄々気付いてはいた。
それが、今の話をしているこいつの様子や態度を見ているうちに、ある考えが浮かんできた。そしたら…いてもたってもいられなくなって、気がついたら問いただしてたんだ。
「なぁ、カノープス。もしかしておまえ…ゾルバルのこと、気に病んでるんじゃないのか?」
口をついて出たのは、そんな考え。
だけど、大きく外れてない気がする。
たぶんこいつは…自分がゾルバルの命を奪うきっかけを作ってしまったことを、悔やんでるんじゃないだろうか。
他の誰にも分からないかもしれない。
だけど、俺には…俺にだけは分かる。
なぜなら俺も…こいつと同じ想いを抱いていたから。
言われたほうのカノープスは、目に見えて動揺していた。
それを悟られまいと、必死になって取り繕っているのが分かる。
「…別にぼくは気に病んでなんかないさ。さっきも言った通り、魔界は弱肉強食。生き残ったやつが強くて、死んだやつは弱いんだよ」
「…だったらなんで、おまえは俺のそばにいる?おまえは…ゾルバルの意思を継ごうとしてるんじゃないのか?俺たちを守ろうとして散っていった、ゾルバルの想いを…」
「違うっ!」
ドンッ!
壁にもたれかかっていた俺にものすごい勢いで迫ってきたかと思うと、逃げ道を塞ぐかのように両手を壁についてきた。
再び至近距離で見つめ合う、顔と顔。
その両目に宿るのは、いつものほほんとして見えるカノープスからは見たことないような、強い意志の光。
「ぼくがきみのそばに居るのは…きみのことが好きだからだよ!」
その瞬間。
ふいに…俺にはわかってしまったんだ。
もう一つの、こいつの行動原理が。
カノープスが…本当に守りたかったもののことが。
そうか、そうだったのか。
おまえは……
至近距離で必死な表情を浮かべるカノープスの両頬に、そっと手を添えた。
突然の行動に、さすがのこいつも驚きを隠せないでいる。
気が付けば、息も触れ合うほどの距離。
だけど、今となってはそれすら気にならなくなっていたんだ。
なぜなら…カノープスは……
「カノープス、おまえが本当に守りたかったのは……スカニヤーだったんだな」
「っ!?」
揺れる、カノープスの瞳。
確信した。
やっぱりこいつは…俺に、今は亡きスカニヤーの姿を重ねていたんだ。
カノープスは、狂っていたときの記憶を持っていた。それはつまり、シャリアールに喚び出されたときのことも覚えているということを意味していた。
この世界に召喚されたとき、こいつは危うく殺されるところだった。
そのとき、身を呈してカノープスを守った存在。
それが…俺の身体の主であるスカニヤーだった。
恐らくカノープスは、スカニヤーに対して特別な想いを持っていたんだろう。
実際、"狂って"いたはずのあのときでさえ、俺のことを見逃そうとしていたんだから。
それが、感謝の気持ちから来るものなのか、恋愛感情に近いものなのか…それは分からない。
だとすると、ひとつだけはっきりしていることがある。
そんなスカニヤーの命を…
こいつが大切に思っていた少女の命を奪ったのは、この俺だ。
「カノープス。私は…」
「アキ、それ以上は言わなくていい」
「でも…私は、スカニヤーの命を…」
次の瞬間。
黒く大きな何かが、とつぜん俺の目の前に迫ってきた。
それは、カノープスの顔。
こいつ…強引に俺の肩を掴んで、こともあろうに無理やりキスをしてきやがったんだ!
「っ!?」
パシーン。
鋭く鳴り響く音。
気が付くと俺は…反射的にカノープスの頬を叩いていたんだ。
「ちょっ!?おまっ!?なにを…」
「…チェッ、あと一歩だったんだけどな」
頬を抑えながら、ペロリと舌を出すカノープス。
こ、こいつ…いきなりキスしようとしやがったなっ!!
突然のカノープスの暴走に、驚くとともに怒りが込み上げてくる。
知らず知らずのうちに、【ゾルティアーク】と【魔纏演武】まで発動させてた。
だけど、カノープスはそれ以上なにをするでもなく、「あーあ、焦りすぎちゃったかな。続きはまた今度ね」とだけ言うと、そのままあっさりと立ち去っていった。
「えっ?あれ?」
気がつくと、俺一人ポツンとその場に取り残されてたんだ。
そのときになってようやく気づく。
しまった…誤魔化された挙句、逃げられちゃったよ。
「アキ、こんなところでなにをして…って、ケモミン!?」
ぼーぜんと立ち尽くしていると、突然やってきたスターリィに見つかっちまった。
ついでに獣耳を思う存分モフモフされちまったぜ。
くっそー、あいつ。一体なんだってんだよ!?
なんかモヤモヤするぞぉー!
壁ドン(≧∇≦)