4.出会い
ぱち…ぱち…
かすかに聞こえる、何かがはじけるような音。
これは…何かが燃える音だろうか?
そんなことを意識したら、徐々に意識が覚醒してきた。
どうやら眠っていたらしい。
あぁ、気持ちいいなぁ…ふかふかの布団。
ちゃんとひなたぼっこの匂いがする。
こんな匂いの布団で寝るなんていつぶりだろうか。
あれ?
ここは…どこだ?
そもそもなんで…ここで寝てるんだ?
たしか…森の中に居なかったか?
そこでようやく、意識を失う直前の出来事を思い出した。
突然”異世界”に飛ばされて、気が付くと見たこともない森の中。
目の前には惨たらしい”屍体”。
突然現れて、襲いかかってくるライオンのような化け物。
やばい!って思ったら、右手にものすごいエネルギーが集まってきて…一か八かでそいつをライオンもどきに解き放った。
だけど、それをあっさりとかわされて。
そしたら全身の力が抜けて倒れてちまって。
そのまま今にもライオンもどきに喰われそうになって…
って、俺はなんで生きてるんだ?
あのままライオンもどきに喰い殺されたんじゃなかったのか?
その事実にようやく頭の中がたどり着くと、布団をめくってゆっくりと起き上がった。
とたんに頭がクラっとする。
いかん…立ちくらみだ。
ブラックアウトしそうな視界。深呼吸してゆっくりと気持ちを落ち着かせる。
すると…次第に周りの状況がはっきりと見えるようになってきた。
そこは、思ったより広い部屋だった。普通の一軒家のリビングくらいの広さだろうか。
壁はすべて木製。少し古びた感じがある。
薄暗いものの、天井についた照明が室内を照らしている。
パチパチという音は、暖炉で炎が燃えている音だった。
その前に置かれたソファーの上で、布団をかけられて寝ていたようだ。
「…ここは?」
声を出してみると、やっぱり女の子の声だった。
自分の体は…残念なことにまだ女の子の体のままのようだ。
どうやら先ほどまでの出来事は、夢ではなかったらしい。
それであれば…どうして助かったんだ?
「あら、目を覚ましたの?」
必死になってさっきまでのことを思い出していると…ふいに、とても柔らかい女性の声が耳に飛び込んできた。
ハッとして声がした方を向くと、そこには…一人の妙齢の女性が、ガラスの飲みさしのようなものを持って立っていた。
…不思議な雰囲気の女性だった。
年齢は…おそらく三十代くらいだろうか。腰くらいまである薄水色の髪をなびかせ、優しげな表情を浮かべている。
目鼻立ちは整っており、スタイルは…出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいる。モデルみたいに抜群だ。
これまで出会った中でも、かなりの美人の部類に入るだろう。
…ただ一点を除いては。
彼女の頭には、尖った二本の”ツノ”が生えていた。
…まじかよ。
「…どうしたの?口がきけないの?」
「…え?あ、いや。すいません。思わずあなたに見とれてしまって…」
ウソは言ってない。
彼女の”ツノ”に目が吸い寄せられていたのは事実だ。
都合の良い言い訳に気をよくしたのか、金髪の彼女は満面の笑みを浮かべながら、すすっと近寄ってきた。
「あーら、まだ子供なのに上手なのね。ありがとう。とりあえずこれでも飲んで落ち着いてちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
すすめられるままに飲み物を飲んでみる。
…とっても冷えていて、美味い。
リンゴのような果物の果汁の味がする、あっさりとした飲み口だ。
「…とってもおいしい、です」
「でしょう?冷蔵庫から出したばっかりだから、冷え冷えなのよ」
…ん?冷蔵庫?
聞きなれた、それでいて”ツノの生えた美女”が言うには違和感がありすぎる単語が聞こえたような気がしたのだが、気のせいだろうか…
「あら?冷蔵庫知らないの?なんでも冷やしてくれる便利な魔道具よ。それとも…そんな魔道具すら見たことないくらい残念な生活をしてきたの?」
「あ、あの…いや…」
「魔道具は便利よぉ。魔力さえ注入すれば、ずっと動いてくれるからね。あ、ちなみに天井にあるのは照明の魔道具なんだけど、いまいちこの部屋のインテリアに合わなくてねぇ。変えたいのよ」
「は、はぁ…」
ダメだ。この”ツノ美人”(面倒なのでこう呼ぶ)、人の話全然聞こうとしないわ。
さっきから自分のペースで猛烈にしゃべりかけてくる。付け入る隙なんてありゃしない。
そういや、こういうタイプの女の人って居たよなぁ…どうも苦手なんだよな。
どう対処すれば良いか…途方に暮れていると、助け船はすぐにやってきた。
「フランシーヌ、そのくらいで止めておけ。そのお嬢ちゃんも困ってるだろう?」
重厚な…それでいて優しげな声。ハッとして声がした方を向く。
いつの間にやってきたのか、そこには一人の男性が立っていた。
…圧倒的な存在感で。
2メートル近い長身に、筋肉隆々の肉体。
真っ白な髪に、ざっくばらんに剃られた無精ひげ。
腰には重そうな剣がぶら下がっている。
年齢は、三十代後半から40代くらいだろうか。
最も驚いたのは、彼が片目だったことだ。
右目が…なにかに削り取られたかのような傷跡で潰されていた。
同様に、彼の右腕も存在していないようだった。本来であれば太く逞しい腕がありそうな服の右腕部分が…ひらひらと揺れていた。
それでも、その男が”戦士”であることは一目瞭然だった。
あらゆる修羅場をくぐり抜けてきたであろう、歴戦の猛者。
隻腕隻眼の戦士。
それが、彼の第一印象だった。
「あーら、ゾルバル様ったらヒドいですわ。わたしは彼女が緊張してそうだから、ほぐしてあげようと思っていろいろ話しかけてたのに…」
「ふふんっ。ツノの生えた女に一気にまくし立てられたら、誰だって何も言えなくなるだろうが」
ゾルバルと呼ばれた片目の男にそう言われて、”ツノ美人”ことフランシーヌはぷくぅっと頬を膨らませた。
あ、なんか可愛らしいな。
あれ?でも…瞳が、なんかトカゲみたいに縦に割れてきてるんですけど?
「おい、フランシーヌ。”本性”出てるぞ?」
「あら?」
慌てて顔をサッと撫でると、ツノ美人の瞳は元の状況に戻っていた。
あー、びっくりした。
それにしても、どこをどう突っ込めば良いのやら。
「…まぁ、とりあえずその嬢ちゃんが目を覚ましてくれて良かったな」
「そうね、ゾルバル様が貴女を抱えて帰ってきたときは『わたしってものがありながら、もしかして幼女趣味に目覚めちゃったのーっ!?』って思っちゃったものよ。内心ガッカリしたわぁ」
「…おいコラ。きさま何をほざいている?」
片目の偉丈夫にギロリと睨まれて、ペロッと舌を出しながら謝るフランシーヌ。
うーん。なんだろうこの、アメリカンジョークを聞いてるときのような違和感。ついていけない感満載なんですけど。
「…ところでお前ら、自己紹介は済んだのか?」
「あら、そう言えばすっかり忘れてたわね」
鈴が鳴るかのような綺麗な笑い声を上げて、居住まいを正した彼女がまずは自己紹介をしてくれた。
「自己紹介が遅れたけど、わたしはフランシーヌ。そして彼がゾルバルよ。貴女、名前は?」
「あ…お、俺は、アキっていいます。山田晶」
いかん、緊張して先にアキって言っちまった。
まぁいいか。外見が女の子になってるから、アキってほうが自然な気がするし。
…それはそうと、とりあえずここがどこなのかを聞かないとな。
「あのー。それで…ここはどこなんですか?」
「ここ?ここはね、ベルトランド王国の最深部…”大魔樹海”にある、ゾルバル様の棲家よ。倒れちゃった貴女をゾルバル様が放っておけなくて、ここに連れ帰ってきたの」
ベルトランド?
聞いたことない名前だな。やっぱ”異世界”なんだなぁ…
ってか、俺は…この怖い人に助けられたのか。
聞きたいことはいろいろあるけど、その前にお礼を言わなきゃな。
「えーっと、あの。俺、白いライオンみたいな獣に襲われて、気を失っちゃったみたいなんですけど…どうもあなたに助けていたいたみたいで。本当にありがとうございます」
ペコリと頭を下げ、再び顔を上げると、二人の顔を見る。
すると二人は…なぜか驚いた表情を浮かべていた。
あれ?なんか変な自己紹介したかな?
先に気を取り直したのはフランシーヌのほうだった。
瞳を…さっきみたいにトカゲみたいにしながら、ゾルバルさん?様?を睨みつけた。
「ゾルバル様?なんだかわたしが聞いた話と違うんですけど?」
「へ?いやいや、フランシーヌ。お前勘違いしてるだろう!」
「いいえ勘違いしてません!ゾルバル様、あなたもしかして本当に…この子を無理やり攫ってきたんじゃあ?」
「アホなこと言うなっ!」
ゾルバルが心底嫌そうな顔でつっこんでいる。
あーなんか、この二人に対する第一印象が変わってしまいそうだ。
「アキとやら。お前、本当にワシが分からんのか?」
「えっ?」
意味ありげに、自分の顔を指差すゾルバル。残念ながら、俺にはその質問の意味が分からない。
首をかしげると、二人は顔を合わせて驚いた表情を浮かべた。
え?どういうこと?
こんなおっかない顔のオッサンの知り合いなんていないんだけど。
それとも…もしかして、何か大事なことを見逃してる?
「…これでも、わからんか?」
そう言いながら、ゾルバルさんが急にニッと口角を上げる。
次の瞬間、ゾルバルさんの全身からはオーラのようなものがにじみ出てきた。
そのオーラのようなものによって、彼の白い髪が、まるで踊るようにゆらゆらと揺らめく。
あぁ、このオーラ。
白い髪,隻腕隻眼。
この感覚は…感じたことがある!
無意識に、体がガタガタ震える。
体は正直だ。覚えていたのだ…この感覚…すなわち”恐怖”を。
歯を食いしばりながら、改めてゾルバルを見る。
そして、瞬時にこの”恐怖”の意味を理解した。
あぁ、どうしてすぐに気づかなかったのか。
この人…ゾルバルさんは…!
「あ、あなたはもしかして…あのときの…ライオンもどき?」
「ライオンという生き物がどんなものかは知らんが、お前が言う『襲いかかってきた白い獣』だったら、それはワシだ」
ええーっ!?
マジですかーっ!?
ってか、なんでライオンさんがそんな人間の形をしてるわけ!?
「はっはっは。あれは戦闘モードだ。普通の姿がこれだ」
偉そうにふんぞり返って宣言するゾルバル。
なんだよそれ…勘弁してくれよ…
「じゃ、じゃああのとき、俺を食べようとしたのは…?」
「だれが人間なんか喰うかい!!ワシはお前のことを警戒して”戦闘モード”を取っていただけだ!」
「そうすると、あの”屍体”は…?あなたが食べたんじゃないの?」
「くどいわ!人間なんぞ喰わんというとるではないか!第一、ワシが着いたときには、既にあの状態で死んでおったよ」
なーんだ、そういうことだったのか…
どうりで無事に生きているわけだ。
ふと、意識を失う寸前の出来事が思い出される。
そういえば、なんかエネルギーの塊みたいなのをゾルバルにぶっ放さなかったっけ?
「じゃあ、もしかして俺は…ゾルバルさんにいきなり攻撃をしかけちゃったわけ?」
「そのとおり。とんでもないのが出てきたから少し驚いたぞ。まさかお前がいきなり攻撃してくるとは思わなかったからな。もっとも、わしレベルの戦士だと、躱すのはわけないがな。それよりゾルバルさんってのは気持ち悪いから、ワシのことはゾルバルと呼んでくれ」
「わたしもフランシーヌって呼び捨てで良いわよぉ。そのかわりあなたのことはアキって呼ぶわね」
にこやかにほほ笑みながら頭を撫でてくるフランシーヌ。
これまでわからなかったことが少しずつわかって…
思ってたよりも優しそうな二人に助けられて…
正直ホッとした。人心地ついたといっていい。
そんな様子を確認して、ゾルバルが頷きながら近寄ってきた。
「さて、自己紹介が終わったところで…」
いったん言葉を切るゾルバル。
すっと、顔を寄せてくる。
一瞬の無表情のあと…その表情を一変させた。
ゾワッと一気に背筋が凍る。
全身から発される殺気。
獲物を睨むかのような、鋭い眼光。
ちらりと口元から見える、鋭い犬歯。
…それはまるで、極上の肉を目の前にした肉食獣のよう。
…ブルブル。
何もしていないというのに、全身の震えが止まらない。
本能が…ゾルバルのことを恐れていた。
やばい…ぜったいに逆らえない。
ごくりと、ツバを飲み込む。
野獣そのものの表情を浮かべながら、ゾルバルがさらに顔を近づけてきた。
「…そろそろキサマの正体について、洗いざらい話してもらおうか」
それは、質問だった。
いや…この威圧感は、質問なんていう生温いものではない。もはや尋問とでも呼ぶべきものではないだろうか。
「アキ。…キサマ、何者なんだ?」
心の隅まで射抜くような強烈な眼光で、ゾルバルが俺のことを睨みつけてきた。