23.ノーザンダンス村
一面に広がる草原に寝転がりながら、空を流れる雲を見つめていた。
雲は、遥か上空にほんわかと浮かんでいる。
すぐそばを、小鳥たちがピチピチ歌いながら飛び回り、蝶々が顔の前を通り過ぎていった。
ここ…『ノーザンダンス村』のそばにある草原は、俺のお気に入りだった。
ここで、何も考えずにぼーっとしているのが、最近の日課になっていたんだ。
ここは、本当にのんびりした村だ。
まるで、一カ月前のあの戦いが夢かなにかだったんじゃないかって思うくらい、ゆっくりと時間が流れてゆく。
ただ…左の腰に感じる”重さ”が、俺に現実を実感させた。
そこに在るのは、一本の剣。その名は『退魔剣ゾルディアーク』。
…今は亡きゾルバルが、この世界に存在していた証。
--- ゾルバル、俺はまだ……
--- 自分がどうすればいいのか、見失ったままだよ。
「おい、アキ!やっぱりここにいやがったか!」
すぐそばから威勢の良い声が聞こえてきたので、億劫な気持ちのままそちらに視線を向ける。
立っていたのは、ツンツン頭の少年。
「なに?ボウイ。私に何か用?」
「何か用じゃねーよ!オレと勝負しろよ!勝負!」
彼の名はボウイ=バトルフィールド。
ここ『ノーザンダンス村』に住む、俺と…いや、俺の体の元の持ち主であるスカニヤーと同じ14歳の少年だ。
この歳の少年らしく元気の塊みたいなやつで、有り余るエネルギーを持て余しているみたいだった。
「…なんで私が、きみの相手をしないといけないの?」
「ぬー、うっさい!黙って俺の相手をしろっ!」
こいつは出会ったときから、なにかと俺につっかかってくる。
その理由については…実は心当たりがある。
「俺が勝ったら、その腰の剣は俺のもんだからな?」
そう、これが…ボウイが何度やられても繰り返し挑んでくる理由だったのだ。
実は、ボウイが『退魔剣ゾルディアーク』を一目見てものすごく欲しがった。
確かにこの剣、カッコいいんだよ。厨二心をくすぐるというか…
でも、いくらたのまれてもこいつなんかに剣をあげるつもりはなかった。
そもそもボウイはこの『天使の器』に選ばれた存在でもなかったしな。
「ボウイ、君はこの『退魔剣ゾルディアーク』に選ばれてない。そんなやつにこの剣は渡せないな」
「そ、そうかもしれないけど、その剣『魔剣』だぜ?しかも付加能力はひとつではなさそうじゃん?+2…下手すると+3かもしれないし。それだと、ただの剣として使っても十分使えると思わねぇか?」
「たとえそうだとしても、この『退魔剣ゾルディアーク』は選ばれた相手にしか渡さないよ」
「なんだよ!お前みたいなヘタレブスが持ってるより、俺が使ったほうがぜったい役に立つだろー!?」
…ヘタレブスとは酷い言い様だな。
まぁ実際、あれ以来引きこもってたからな。強く言い返せる訳でもないし。
暴言は我慢するとしても、こいつの申し出はきっぱりと断ったものの、なかなか諦めない。
あまりにしつこいから、仕方なく「もしわたしに模擬戦で勝てたらあげても良いよ?」と条件を付けたら、飛びついてきた。
結果、あまり機嫌が良くなかったせいもあって、こてんぱんにしてやったのだった。
…それ以来、毎日俺に挑みかかってくる。
根性だけは認めるけど…こいつ、マゾかよ?
ちなみにボウイ、筋が悪いわけではない。そこそこの腕は持ってると思う。
ただ、剣を欲しがる本当の理由が透けて見えるのが、単純というかバカというか…
「威勢が良いのはいいけど、またボコボコにされてスターリィにカッコ悪い姿を見せたいの?」
「ぬぐっ!?ス、スターリィ様はかんけーねぇだろ!」
…とまぁ、こんな感じだ。
このガキ、いっちょまえにスターリィに惚れてるみたいなんだ。
まぁどちらかというと『崇めてる』に近いような気がするけどね。
だから、この剣を手に入れて『強い冒険者』としてスターリィに認められたいらしい。
そんなことしたって、スターリィは靡かないと思うけどなぁ。
「こーら!ボウイ!まぁたアキに絡んでますのね!」
「げげっ、スターリィ様!?」
ほーら。噂をしてたら、スターリィがこっちにやってきた。
それまで威勢の良かったボウイが、急にしおらしくなるのを見ると、あまりのボウイの単純さと分かりやすさになんだかホッコリするな。
「アキ、探しましたのよ。そろそろお父さんとお母さんが戻ってきますわ」
「おおっ!パラデイン様とクリステラス様が帰ってきなすったんだ!さっそく稽古つけてもらおうっと!」
「ボウイったらもう、そればっかりですわね。あたしが相手しますから、もう少し大人しくできませんの?」
「そ、そんな…スターリィ様を相手するなんて恐れ多い!ってか、女の子と剣を打ち合うなんて、『勇者』の名が廃るよ」
「ちょっと?だったらなんでアキにはつっかかってますの?」
「そ、それは…」
どもってしまったボウイを無視して、俺たちは…とりあえずノーザンダンス村に戻ることにした。
ノーザンダンス村は、100人くらいが暮らす小さな村だ。
のんびりとして、すごく居心地の良い場所だった。
もっともこの村は少し特殊な事情を秘めた村なんだけど、それを抜きにしても心休まる雰囲気を醸し出していた。
別の用があるというスターリィと、当然のようについていくボウイに別れを告げ、スターシーカー家へと向かう。
スターリィの家であるスターシーカー家は、こんな田舎の村にしてはかなり大きな屋敷だった。
「おかえりなさいませ、アキお嬢様」
そう言いながら出迎えてくれたのは、家令のプッチーニさん。
例の出来事の後遺症も無く、元気にスターシーカー家の家令に復帰している。
それは良かったんだけど、プッチーニさんには一つだけ問題があった。
それは…
「お身体の調子は大丈夫ですか?なにかありましたら、すぐにお伝え下さいね。このプッチーニが命を懸けてアキお嬢様のために…」
「いやいや、そういうのいいんで」
っとまぁ、こんな感じに…俺のことを猫可愛がりすることだ。
たぶん…不本意とはいえ、例の事件の発端になってしまったことを深く気に病んでいるんだろうな。
でも、”お嬢様”って呼ばれるのはかなり背中がむず痒くなるから、正直勘弁してほしい。
プッチーニの過保護を振り切って、デインさんとクリスさんの待つ部屋の前まで着くと、今度はまた別の問題児が近寄ってきた。
「おかえり、アキ」
松葉杖をつきながら近寄ってくる男の子の姿を見て、ついギロッと睨んでしまう。
真っ黒の髪、真っ白な肌。真っ赤な唇。
冷ややかな顔をした美少年が、そこに立っていた。
「…なんだ、カノープスか。いたんだ」
「その言い方、ひどいなぁ。ぼくはアキを守るためだったら何でもするって言ってるのにさ」
そう言って頬を膨らます美少年。
正直、鬱陶しいったらありゃしない。
あのあと俺たちと一緒にこの屋敷に運ばれたカノープスは、一カ月近く昏睡状態だった。
ようやく最近覚醒したんだけど、意識を取り戻したとき…こいつは完全に『普通の大人しい性格』になっていた。
本人に話を聞くと、やはりこの世界に来てからの記憶がかなりあいまいらしい。
ただ漠然と…心が狂っていたことは覚えているのだそうだ。
そのくせ、なぜか俺にすごく懐いた。
ずっと寝たきりだったくせに、勝手に「ぼくがアキのことを守るよ」とか言って、俺に絡んでくるようになったんだ。
召喚で狂った心が、俺の固有能力で消滅したんなら、もはやこいつが悪いやつではないってことは、頭ではわかっている。
だけど…あのときは命を奪わなかったとはいえ、正直カノープスに対するわだかまりが完全に消えたわけじゃない。
だから、カノープスに対しては、どうにも冷たく当たってしまう。
それなのにこいつは…みょうに俺になついてやがったんだ。
「…クリスさんたちの検査は終わったのかい?」
「うん、もうぼくは正常らしいよ。めでたく”魔力の翼”も白色に戻ってたしね。あと数日したら歩くのも支障がなくなるってさ」
正常だと言われても、カノープスに対する負の感情をぬぐい去ることはできない。
いや、違うな。こいつはたぶん、とばっちりを受けてる。
カノープスは、悪くない。原因は、俺だ。
本当は…俺は、自分自身を許せていないんだ。
その証拠に、他の誰より自分自身に対して、強い嫌悪感を持ち続けていたから。
「アキ、元気になった?」
部屋に入ってすぐのクリスさんの問いかけに、俺は曖昧な笑顔で応えた。
たぶん、引きつってたんじゃないかと思う。
最初に一通り身体検査をされた結果、「すこし痩せすぎだけど、一応身体的には大丈夫よ」とクリスさんに太鼓判を押された。
自分でもそれは分かってる。
だけど…胸にぽっかり空いてしまった穴は、未だに埋まる気配すらない。
それからデインさんとクリスさんが話してくれたのは、あの事件のその後の顛末だった。
なんでも一ヶ月前の事件のとき、世界中で異変が同時多発的に発生していたらしい。
とくに被害が甚大だったのが、ハインツという国に出現した『火龍』の出現だったそうで。
幸いにもそちらは、デインさんたち二人の息子…すなわちスターリィのお兄さんがリーダーを務める冒険者チームが成敗したらしい。
ただ、その陰で…以前ゾルバルの棲家にもやってきていたデイズおばあさんが、別の何者かの襲撃で亡くなられたそうだ。
口は悪いけど人の良さそうなおばあさんだったので、知人の不幸にまた少し気持ちが凹んでしまった。
「アキは、とりあえずしはらくこの村で療養するといいよ」
「…デインさん。ありがとうございます」
「ここは、子供を除いて冒険者ランクD以上のものしか住むことができない『冒険者村』だ。だからある程度安心して過ごせるしな」
「…はい、そうさせてもらいます」
冒険者、なんだろう。詳しくは俺は知らない。
今度スターリィにでも聞いてみようかな。
「君に教えてもらった事実…そのことは、もう気にするな」
「………はい」
その話題となると、俺はどうしても生返事になってしまう。
実は、この二人にだけは、あのとき起こったことをすべて話していた。
それでも俺のことを怖がったり警戒したりせず、自由にしてくれるのはありがたかった。
正直、フランシーヌが隠居してしまったことに酷くショックを受けていたから。
そう、フランシーヌは俺と顔を合わすことなく何処かへ行ってしまったんだ。
--- 結局、フランシーヌとは話すことができなかったな。
--- フランシーヌは、きっと俺のことを憎んでるだろうな。
フランシーヌのことを思い出し、沈んだ気持ちが晴れることがないまま、部屋を退出した。
部屋を出ると、そこにはスターリィ、ボウイ、カノープスの三人が待ち構えていた。
…結構話してたのに、ずっと待っててくれたのか。悪いことをしたな。
「アキ、どうでしたの?」
待ちきれないスターリィが、すぐに駆け寄ってきた。
俺の片手を握りしめてくる様子は、本当に微笑ましい。
「うん、もう身体のほうは大丈夫だって」
「そう…良かったですわ」
心の底から安堵しているスターリィを見ると、なんだか申し訳ない気持ちになるよ。
…スターリィには、ずっと心配かけっぱなしだからな。
なにせ、廃人同然になってた俺を、この一ヶ月親身に世話してくれたのは彼女だ。
本当に…ありがたいと思ってる。
本当に…俺にはもったいないくらいだ。
「よしっ!元気になったなら、俺と勝負しろっ!」
ボウイは相変わらず元気だ。
仕方ない。気分も滅入ってるし、少し揉んでやろうかな。
こいつなんか頑丈なんだよね。
この前も30回くらい投げ飛ばしたんだけど、次の日にはピンピンしてたし。
「きみは懲りないやつだね。アキだって嫌がってるだろう?かわりにぼくが相手しようか?」
庇ってくれるのはありがたいんだが、カノープスがやるとボウイが本当に『消滅』しちゃいそうなんだよな。
こいつはこいつで面倒くさいよ、カノープス。
なんか尻尾振りながらまとわりついてくる飼い犬みたいだし。
元魔王のくせに、あっさりとスターリィやボウイに馴染んでるし。
もっとも、ボウイのほうはカノープスの美少年ぶりに危機感を抱いて敵視してるみたいだし、スターリィはカノープスに何かを感じてるみたいで、少し距離を置いてる感もあるんだけどな。
「ふんっ、俺はケガ人は相手にしないぜ!さぁアキ!勝負だ」
「…分かったよ。いつものところに行こう」
やれやれ、面倒だけどこいつには骨の髄まで沁みこませないといけないみたいだ。
そんな訳で、やってきた村の広場。
ここで俺とボウイが”模擬戦”することが、ある意味最近の名物になっていた。
「いよっ!ボウイ!今度こそがんばれよ!」
「せめてかすり傷くらい負わせてみろよ!」
「男だろー?意地を見せろ!」
ヤジ馬たちの歓声に、気合を入れるボウイ。
荒い鼻息。顔は真っ赤。
腕まくりまでして…大丈夫かいな?
「アキちゃん、もうイタズラできないようにボウイのやつをコテンパンにしてやってね!」
「こんな細い子なのに、すごい戦闘力だよなぁ。あの暴れん坊ボウイを手玉だもんな」
「アキちゃんは女の子なんだから、無理しないでね!ボウイをけちょんけちょんにして!」
こっちはこっちで近所のおばさんたちから声援をもらう。
それにしても…ボウイって人気者だなぁ。
なんだかんだいいつつ、みんなボウイのことを気にしてるし。
「…じゃあ、このコインが落ちたら開始ね」
スターターを買って出たカノープスがコインを宙に投げる。
落ちた瞬間、模擬戦が始まりだった。
「いくぜっ!『気合弾』!」
ボウイが空気を魔力でぎゅっと固める。それを魔力で固めた拳で殴りつけて、こっちに飛ばしてきた。
--- 空気を触媒にするなんて、なかなか面白い発想だな。
--- こういうアイディアって汎用性があって面白そうなんだけどなぁ。
--- ま、魔法使えない俺にはあんまり関係ないか。
そんなことを考えながら、飛んでくる空気の球をひょいひょい避ける。
ちなみに避けた魔法は周りの人が魔法抵抗してくれている。
…なんだかんだでここの住人、すごいな。
「く、くっそー!」
業を煮やしたボウイが、今度は木剣片手に殴りかかってきた。
これまた軽く身をそらすことで交わすと同時に、平手で木剣を叩き落とし、ついでに足を引っ掛けて転がしてやった。
「ぐえっ」
地面に転がるボウイに、拾った木剣を放り投げてやる。
放物線を描いて飛んでいった木剣は、そのままボウイの頭にぶち当たった。
「いてえっ!」
おっし、ナイスコントロール!
「…どうだい?参ったかい?」
「ってめぇ…このブス!誰が参るかぁぁあ!!」
木剣を握り直して襲いかかってくるボウイ。
--- 本当にめげないやつだな。
--- もうちっとストレス発散するかな。
そんなこんなで、とりあえず20回くらい投げ飛ばしてやった。
…ちょっとだけ気分がスッキリした。
「…もう懲りた?」
感覚的に、ボウイは決して弱いわけじゃない。
たぶん、今の俺が強すぎるだけだ。
なにせ、”スカニヤー”の”魔眼”があれば、ほとんどの動きを見ることができる上に、ゾルバルの格闘術まで手に入れてるんだ。
これぞまさに鬼に金棒。
「…くっそー、なんで俺はこのブスに勝てないんだ?」
こいつ、これだけやられてまだ言うかよ。
めげないやつだな。
根性あるというか、なんというか。
「ボウイ!アキになんてこと言いますのっ!?」
「…きみ、アキを侮辱するってことは、このぼくを敵に回すってことになるよ?」
あらら、スターリィとカノープスのほうが切れちゃったよ。
鬼の形相の二人に詰め寄られ、ボウイはタジタジだ。
「…くっそー、なんでこんなにガリガリで弱そうなやつに勝てないんだ?」
それでもめげずに負け惜しみを言ってる限り、まだ大丈夫だろう。
…でもまぁ、ボウイの言うことには一理ある。
たしかに容姿とか服装は放ったらかしにしてるからな。
ついでにここ一カ月ろくに食べてないからガリガリだし。
んー、少しはこの身体の事も考えないとな。