19.魔王
「ゾルバル!!」
あぁ、こんなにも…安心できる存在が、他に居るだろうか。
俺の身を庇って、包み込むように抱きしめていたのは、最強の戦士。
『七大守護天使』の一人、『断罪者』のゾルバル。
その男が、俺やスターリィを護るためにやってきてくれたのだ。
だけど…なんか様子が変だ。
ポタリ…ポタリ…
何かが滴る音。
俺の額に落ちてくる、真紅の雫。
その正体に気付いて、歓喜の渦から一転、一気に全身の血の気が引いた。
あぁ、なんてことだ。
ゾルバルの全身から…血が吹き出しているじゃないか。
「ゾルバル!?そ、そのケガはっ!?」
「ふん、気にするな。思ったよりも強烈な一撃だっただけだ」
そう言いながら、懐から葉巻を取り出し、火をつけるゾルバル。
そんな彼の、片方しか光が灯っていた左眼が…
ドス黒く染まっていた。
「そんな、目が…潰されて…」
「…左足もヤられたようだがな。まぁ問題ない」
問題ないわけあるか!
完全に視界を失ったうえに、左足も半分くらい”消滅”しているじゃないか!!
そんなボロボロになってまで…俺たちを庇ってくれたのかよ!!
「くふっ、くふふっ。これは…想定外の収獲だったよ!まさかゾルディアークがスカニヤーを庇って大怪我をしてくれるなんてね!これで…ボクの勝ちは確定だ!!」
狂ったように笑う魔王。
ちくしょう…俺のせいだ、俺のせいでゾルバルが…
「アキ、もしかしてお前は自分のことを責めてるのか?だったらそれは違うぞ」
血まみれのまま、動じた様子もなく紫煙を吐き出すゾルバル。
その姿は、本当にカッコ良かった。
でも『それは違う』って…どういうことだ?
「そもそもこの事態を招いたのはワシのミスだ。それに…この程度の傷で、ワシはこのガキには負けん」
ピクッ。
カノープスが笑いを止めて、鬼の形相を浮かべた。
睨みつけるその眼に浮かぶのは…激怒。
「…あぁ?なんだって?ゾルディアーク、そんな身体でボクに…『次世代魔王』たるカノープスに勝てるというのかい?眼も見えず、ろくに動くことも出来ないってのに?」
「ふん、笑止。なにが『魔王』だ。キサマ如きが魔王を名乗るなぞ、おこがましいにも程があるわ」
「ボ、ボクをバカにするなぁぁぁぁあぁぁあ!!」
さっきと同じ黒い魔力…『消滅空間』を腕に纏って襲いかかってくる魔王カノープス。
いけないっ!これ以上あの攻撃を食らったら、さすがのゾルバルだって…
バキッ!
「ふぐぅ!?」
だが、予想に反して勢いよく吹き飛んでいったのは魔王の方だった。
的確にカノープスの動きを察知したゾルバルが、アッサリと交わしてカウンター気味に殴り飛ばしたのだ。
「くそッ…なんで、なんでボクの動きが分かるんだぁ!?オマエの眼はもう見えてないはずだろうがぁぁ!!」
「…愚かだな、カノープス。魔力と空気の流れさえ分かれば容易なことだ。視力など…判断を惑わすだけのくだらん要因に過ぎん」
「ぐっ…そ、そんなバカなことがあってたまるかっ!」
「…だからお前は三流だというのだ、カノープス。そんな奴に…”魔王”を名乗る資格は無い」
「ふっざけるなぁぁ!!ボクは、ボクは全てを超えるんだ!ボクを見下してきたヤツらを、みんな殺して…」
ドガッ!
「ぎゃっ!」
今度は”白いライオン”と化したゾルバルの体当たりを不意打ち気味に喰らい、盛大に吹き飛ばされていく。
すげぇ。片手片足なのにとんでもないスピードだ。
再び人型に戻ったゾルバルは、吹き飛ばされた魔王の方に顔を向けると、諭すように語り始めた。
「まだ分からんのか?カノープス。お前は…”先代の魔王”とは『生き物としての舞台』が違うのだ。それどころか、お前は…死んだ兄貴の足元にも及ばん」
「て、てめぇ…その名を出すな!」
「お前の兄、『魔貴公子』スケルティーニは素晴らしい戦士だった。彼であれば『魔王』を名乗ってもおかしくない実力を持っていただろう。もちろん、今のお前よりはるかに強かった。だからワシも全力で戦い…討ち倒したのだ。だがな、それだけの強さを秘めたお前の兄ですら、”先代の魔王”の部下でしかなかったんだぞ。この意味が…分かるか?」
「うるさい!だまれ!ボクをバカにするな!ボクは…ボクは…」
あぁ、そうだったのか…
《俺はあんたたちのオモチャじゃない!》
《勝手に期待して、勝手に見捨てるなよっ!》
胸によぎるのは、昔の記憶。
重なるのは、魔王から伝わってくる、必死なまでの想い。
カノープス、お前も…俺と”同じ”だったのか。
その間も、ゾルバルの必死の説得は続いていた。
残念なことに、ゾルバルの声は魔王の耳には届いていないようだった。
やはり…”狂って”いるからなのか。
それとも、まだ俺の知らない、違う理由があるのか。
「だまれっつってんだろ!!」
今度は両手に『消滅空間』を纏った魔王が…目にも留まらぬ速さの斬撃を放ってきた。
それを、人間の姿に戻ったゾルバルが、一歩も動くことなく捌いていく。
躱し、弾き、いなす。
空間を消滅させるという魔王の固有能力……『消滅空間』は、腕に集中させた魔力で巧みに弾いていた。
たぶん、俺の『星砲』を弾いたのと同じ方法だ。
それを、眼も見えてないのに、片手で見事にやってのけている。
恐ろしいまでの、戦闘センス。
それだけではない、スキをついて強烈な打撃を見舞っていた。
徐々に打撃を受けて、傷ついていく魔王カノープス。
…強ぇえ。
なんて強さなんだ、ゾルバル。
眼が見えないなんて関係ない。
足が動かないなんて関係ない。
眼も見えず、片手片足しか動かない。
そんな状態だっていうのに、カノープスを圧倒していたんだ。
これが、世界を救った英雄…七大守護天使『断罪者』ゾルバルの実力なのか。
ボグアッ!
「はぐうっ」
ゾルバルの裏拳を喰らい、地に打ち付けられるカノープス。
その姿に…もはや『魔王』としての威厳や威圧は無かった。
「さぁ、もう満足したか?できれば…お前を殺したくはないのだがな」
「ふざけるなっ!キサマも、ボクのことをバカにするのかぁぁぉぁぁあ!」
ゴツッ。
「がふぅっ」
もはや考えなしに殴るだけとなったカノープスの攻撃。それをあっさりかわし、脇腹に拳をめり込ませた。
苦悶の表情を浮かべながら、カノープスが…ゾルバルの足元に崩れ落ちた。
それでも…未だ輝きを失わない深紅の瞳。
呪いを吐き出すかのようにつばを吐きながら、キッとゾルバルを睨みつける。
「くそッ、クソッ!ボクは…ぐぅぅ」
「もうやめとけ、勝負は決している。実力差は…歴然だ」
ゾルバルの冷徹な一言に、くわっと目を見開いた魔王。
その瞬間、憎しみに染まるカノープスの眼が、偶然俺の姿をとらえた。
ヤツの瞳に…ドス黒い色が宿ったような気がした。
背筋に、嫌な予感が走る。
「…くふっ、くふふっ。そうだね、ゾルディアーク。君の言う通りだね。ボクが間違ってたよ」
「…そうか、過ちを認めるか?」
「あぁ、認めるよ!ボクが…とことん甘かったってことをねっ!!」
次の瞬間、魔王の手から放たれた『消滅空間』が、俺に向かって突き進んできた。
それは、完全なる不意打ち。
まったくの想定外の、急襲。
げぇぇ!?ヤツの狙いは俺かよ!?
こんなん、避けれるわけないじゃないか!
ゴォォォオオォォ!!
俺に突き進んでくる、魔王の固有能力。
ゾルバルが焦った顔でこちらに来ようとしているが、なにせ片足だ。踏ん張りが利かず、ガクッとなった。
必死の形相で左腕を伸ばしているのが見える。でも…間に合いそうもない。
今度こそ死んだ!そう思った。
だけど…
爆音とともに襲いかかってきた『消滅空間』は、俺をかすめるように…ギリギリの真横を通り過ぎていったんだ。
…あれ?外した?
最初はそう思った。
だけど…違ったんだ。
今度の攻撃もまた…ゾルバルが逸らしてくれたんだ。
でも、タイミング的には完全に間に合ってなかった。
では、どうして間に合ったのか。
間に合わないと判断したゾルバルは、左腕だけを『消滅空間』の軌道上に投げ出す方法を選んだ。
その結果、確かに軌道は逸れた。
だが、その代償はあまりにも大きかった。
ゾルバルに残された左腕の…
肘から先が、完全に"消滅"していたんだ。
「うわぁあぁあぁ!!ゾルバル!」
気がつけば俺は、泣きながら叫んでいた。
慌ててすがりつくようにゾルバルに近づき、自分の服を破ると、血の滴る左腕を止血のため包み込んだ。
片手を失っても、彼は毅然としていた。
まるで何でもないように、堂々と立っていたんだ。
「ゾルバル、どうしてこんなことを…」
「…気にやむな、アキ。ちょっと腕が無くなっただけだ」
「でも…でも…」
ゾルバルが片手を犠牲にして、なんとか俺たちへの攻撃を逸らしてくれた。
でもこれじゃあ、ゾルバルは…反撃すらできないじゃないか。
「くく、くくく…くはははは!!やったぞ!ボクはやった!!ゾルディアークの腕を奪ってやったんだ!!これでキサマはもう何もできない”でくの坊”だ!!あーっはっはっは!」
「……」
もはや壊れたおもちゃのように、ゲラゲラと笑う魔王カノープス。
対するゾルバルは、何も言い返そうとしない。
その代わり、俺の方を向くと…優しい口調でこう口にしたんだ。
「大丈夫だ、アキ。お前たちのことは何があってもワシが護る。何があっても…な」
「そんな、無茶だよゾルバル。そんな身体で…」
「くふふ、腕も使えなくなったのに、何を偉そうに?どうだい?悔しいだろう?散々バカにしてきたボクに、ここまでやられるのはさぁ!」
カノープスの安っぽい挑発を無視して、ぐいっと俺を自分の後ろに押しやった。
それはたぶん、俺のことを守るための動作。
なんだよ…そんな状態なのに、まだ俺たちのことを守ろうとしてくれるのかよ?
「…なぁアキ、頼みがある」
「な、なに?」
「ワシの懐から葉巻を出して、口に咥えさせてくれんか?腕が無いと不便でな」
「おい!ゾルディアーク!キサマ、ふざけんなよ!!」
ブチッ。
血管が切れる音が聞こえそうなくらい、分かりやすく魔王がブチ切れた。
「…困ったガキだな。静かに葉巻くらい吸わせてくれんのか?」
「てめぇ…とことんボクのことを舐めやがって……許さない!ぜったいに許さないぞ!!」
俺が火をつけた葉巻を美味そうに吸いながら、ゾルバルはあっけらかんと言い放つ。
まるで、近所の困った子供に向けられた言葉のよう。
血走った眼を向けていたカノープスだったが、ゾルバルの失われた左腕に視線が行くと、ふいに怒りが落ち着いた。
かわりに、にいぃと口角を上げる。
「くふ、くふふ……さーて、ゾルディアーク。その余裕がいつまで続くかな?」
「……」
「ねぇ、教えてよゾルディアーク。先代魔王…グイン=バルバトスに右腕と右眼を奪われたときの気分はどうだったの?」
ゾルバルの右腕と右眼は…グイン=バルバトスに奪われていたのか。
初めて知る事実。
なぜカノープスがそれを知っているのか、そして、なぜ今それを語りだしたのか。その意図は判らない。
それでも…顔色一つ変えることなく、葉巻をふかすゾルバル。
「そして『次世代魔王』たるこのボクに、残った左眼と左腕まで奪われた気分はどう?ねぇ?七大守護天使『断罪者』のゾルディアークさん。…いや、こう呼んだ方が良いかな?」
一呼吸置いて、十分もったいぶったあと。
最高にいやらしい笑みを浮かべながら…カノープスは次の言葉を発した。
「…『先々代の魔王』…ゾルディアーク=バルバトスさまってね!!」
な…ん…だって?
会心の笑顔を見せるカノープス。
魔王の口から放たれた、衝撃的な言葉。
その言葉は、俺の胸の中心を貫いた。
ゾルバルが、先々代の…魔王だって?
いや、問題はそこじゃない。
カノープスはゾルバルのことをこう呼んだ。
『ゾルディアーク=バルバトス』と。
…バルバトス。その名にもちろん聞き覚えがある。
かつて世界を滅ぼしかけた魔王の名前。
その名は、グイン=バルバトス。
ということは…
まさか、ゾルバルは…
ゾルバルの正体は…
俺の戸惑った表情を見て、満足そうに冷笑するカノープスが、俺の考えを見透かしたかのように言い放った。
「そうだよ、スカニヤー。こいつはねぇ、ゾルディアークは…先代の魔王グィネヴィア=バルバトスの父親なんだよ!あぁ、こっちではこう呼ばれてるんだっけな?『大魔王』グイン=バルバトスってなぁ!!」
ハッとしてゾルバルの顔をうかがった。
そこに浮かんでいたのは…初めて見る『苦悩』。
あぁ、そういうことだったのか。
ゾルバルが、危険を承知しながら『新訳・魔王召喚』と『グィネヴィアの額飾り』を持ち続けていた理由。
娘の遺品である『グィネヴィアの額飾り』が、『覇王の器』と呼ばれてた理由。
そして…ゾルバルがそれらに関する情報を、俺に隠していた理由。
一つのピースが埋まり、大きなパズルの全体像がようやく姿を現した。
そうか、ゾルバルは…
20年前に世界を滅ぼしかけた『最凶の魔王』グイン=バルバトスの父親だったのか。