18.カノープス
放物線を描きながら、吹き飛んでいく悪魔。
胸の中心を貫かれ、驚きの表情を浮かべたまま、ヤツは吹き飛ばされていった。
やった…!
悪魔を仕留めたぞっ!
まず湧いてきたのは、安堵。
続けてガタガタと足が震え出す。
そう。
-- 《上手くいった!倒した!》
-- 《初めて人の命を奪ってしまった》
そんなことよりも先にに浮かんできた感情が、”安堵”だったんだ。
やっぱり俺って、最低な人間なのかな。
あぁ、でもそんなことで思い悩む前に、まずはスターリィの無事を確認しなきゃ!
フラフラの身体を引きずるようにしながら、なんとかスターリィの元まで辿りついた。
彼女は、吹き飛ばされた状態のまま地面に倒れていた。
気絶してグッタリとしたままの彼女の姿を確認して…思わず息を飲む。
綺麗だった栗色の髪は煤にまみれ、額や頬からは血が流れていた。
特に酷いのは右腕。酷い火傷を負って、醜く爛れている。
なんとか息があるのが唯一の救いと言えるくらい、目も当てられない酷い状態だった。
ゴメンよ、スターリィ。
俺が不甲斐ないばっかりに…こんな惨い目に遭わせてまって。
でも、君が居なかったら、ヤツは倒せなかったかもしれない。
悔しいが、本当にギリギリの勝利だったことを痛感させられた。
とりあえず、このままだとかわいそうなので、彼女の頭をゆっくりと持ち上げると、ハンカチで顔の汚れや傷をやさしく拭った。
本当にありがとう…スターリィ。
しかし困った。これからどうしよう。
スターリィの無事を確認して一息ついたところで、現状の悲惨さに気付いた。
なにせスターリィはこの状態だし、プッチーニさんも気絶したまま、オマケに俺の魔力も空っぽときたもんだ。
スターリィの怪我を一刻も早く治療したい。
だってスターリィは…どんなに頑張ってるからといっても女の子なんだ、火傷の傷痕とか残したくないしね。
だけど、魔力も無い俺が二人を抱えて行ったことも無い街に行くなんて不可能だ。
このまま誰かが来るのを待っていたほうがよいのか、それとも引きずってでも二人を連れてすぐにでも逃げ出したほうがよいのか…
ガサリ。
そんな音が耳に飛び込んできたのは、スターリィの頭を撫でながら思案に暮れていたときだった。
「ぐ、ぐそぅ…キサマ…ぜったいに、許さん…ぞ……」
続けて聞こえてきたのは、地獄の底から絞り出すかのような唸り声。
ビクッ。
こ、この声…聞き覚えがある。
まさか…
最低な予感がして、声をする方に視線を向けた。
そこに居たのは…口から血を吐き、同じく血が溢れ出ている腹部を抑えながら、こちらに近寄ってくる者の姿。
…『化け猫』のヴァイロン。
―― まじかよ…悪魔のやつ、生きてやがったのか。
―― さっき確実に仕留めたと思ったのに…あれでもダメなのかよ。
「スカニヤー、キサマだけは道連れに……ゲホッ…してやるっ」
だが、よくよく見てみると…土手っ腹に開いた風穴は、どう考えても生きているのが不思議なくらいの致命傷。
それなのに、立ち上がって、俺のことを道連れにしようとしている。
なんちゅう執念だよ…この悪魔。
たぶん、命が尽きる前に最後の力を振り絞っているのだろうが…本当に恐ろしい執念だ。
しかしどうしようか、もう魔力もほとんど残ってないのに…
そのとき。
俺の目に、悪魔の背後に立つ人物の姿が映った。
「キサマを殺して……ぐえっ」
スッと伸びてきた手が、そのままヴァイロンの首を掴む。
「…まったく、"未覚醒者"にやられちゃうなんて…本当に残念なやつだね。ボクはがっかりしたよ。これ以上醜態をさらすのはやめてほしいな」
ベキッ。
聞きたくもない、嫌な音が森の中に響き渡る。
悪魔の首が、ありえない方向にねじまがっていた。
俺たちを散々苦しめた悪魔ヴァイロンは、こうしてあっけなく絶命した。
「…使えないヤツは、ボクの部下には要らないよ。じゃあね、ヴァイロン。バイバイ」
片手でヴァイロンを絶命させた存在が、もはや動かぬ物体となった悪魔を放り投げる。
突然現れた新たな存在に、俺は全身を強張らせた。
敵なのか?それとも…危機を助けてくれた味方なのか?
それを判断のため、あらゆる感覚を集中する。
「……それにしても、大きな音が聞こえたから慌てて来てみたんだけど、驚いたよ。まさかヴァイロンがやられちゃうなんてね」
「誰…?」
立っていたのは、真っ黒な衣服に身を包んだ…背の低い男の人。
若いぞ?子供…?
だが、彼の魔力を俺の目が感知した瞬間、恐ろしいまでの戦慄が全身を突き抜けた。
なんだ…なんなんだ、こいつの魔力は。
真っ黒。
何も見えないくらい真っ黒なのに、圧倒的なまでに暴力的で強大なエネルギーを感じる。
こんなもの、まともな存在だとは思えない。
「もしかしてボクのことを忘れたのかい?スカニヤー。この…『次世代魔王』となった”カノープス”のことを」
---- カノープスだって!?
---- こ、こいつが…例の”魔王”かっ!
その男は、とても若く見えた。下手すると年下に見えるくらいだ。
だが…"魔族"であれば、年齢も見た目通りじゃないんだろう。
身長は、今の俺の身体より少し高いくらいかもしれない。
真っ黒な髪に真っ黒な服、対照的なまでに真っ白な肌。
相当な美少年で、目だけが紅く光る姿は、妖しい魅力を携えていた。
一見すると、中学生くらいのか弱そうな美少年。
だけど、その身から放たれる真っ黒な魔力が…この男が”化け物”であることを示していた。
さっきの悪魔でも圧倒的だと思ってた。
だけどこいつは違う、桁違いだ。
ヴァイロンでさえ片手でいなしてしまうだろう。そう思える程の魔力量。
なにより恐ろしいのは、魔王の腕に宿る”ドス黒い魔力”だ。
周りを全て飲み込んでしまいそうな獰猛な凶悪さをヒシヒシと感じる。
俺が導き出した結論。
---- こいつは、本当にヤバい。
---- 下手すると、ゾルバルよりも強いかもしれない。
「それにしてもスカニヤー。シャリアールと一緒にゾルディアークに殺されたのかと思ってたけど…生きてたんだね。なんでスターリィと一緒に居たのかは知らないけどさ」
さっきの言い方で気になってたんだけど…どうやらこの身体の持ち主である"スカニヤー"と、『次世代魔王』カノープスは顔見知りのようだ。
しかも、さっき魔王は…俺に襲いかかろうとしていた悪魔にトドメを刺した。
部下であるはずなのに、なぜ?
もしかして…守ってくれたのか?
だとしたら、話し合える可能性もある。
…少しでも話を聞き出してみよう。
「…あなたは、なぜこんなことを?」
「なぜ?なぜって…それは、ボクの強さを認めさせるためさ。ボクは強い。『魔王』を名乗れるほどの力を手に入れたんだ。君の父親に殺されかけた…あのころとは違う」
そういえばゾルバルは『カノープスはシャリアールによって"召喚"された』って言ってたな。
そのときに『期待はずれだったから、切り捨てられた』とも…
「スカニヤー。君はあのときボクを庇ってくれたよね。人のことを無理やりこの世界に”召喚”しておきながら、勝手に失望して殺そうとした君の父親。その父親を、君が…止めてくれた。そういう意味では、君はボクの命の恩人かもしれないね。だから…今回だけは見逃してあげるよ。どこにでも行くが良いさ」
そうか…身体の主は昔、こいつ命を救ってたんだな。
だからさっき、魔王が俺のことを助けてくれたのか。
詳しい事情は分からない。結果的にこいつは人類の敵になってるから、その対応は間違っていたのかもしれない。
だけど…図らずも俺は、ここで初めてスカニヤーの実像を一つ知ることになった。
スカニヤーはたぶん…すごく心の優しい娘だったんだろう。
「私を…見逃してくれるの?」
「今回だけはね。…もっとも、この世界のクサレ人間どもは、このボクが皆殺しにしてやる予定さ。だから、次に会ったときはどうするか分からないよ?」
「じゃあ…スターリィは?」
その言葉に、残忍な笑みを浮かべるカノープス。
顔が美形だけに、その凄惨さが際立っている。
「…もちろん、予定通り"人質"になってもらうさ」
ちらりとスターリィのほうに視線を向ける魔王。
その眼は、まるで虫ケラでも見るよう。
「ふふっ、さすがスターリィは『英雄の娘』と言うべきかな。相打ちとはいえ”未覚醒”なのにヴァイロンを仕留めたんだからね」
ん?こいつ、勘違いしている?
俺が悪魔を倒したことに気付いてないみたいだ。
相手の勘違いを活かして、なにか対応したいという想いはある。
でも、さっきの悪魔との戦いで、ほとんどの魔力を使い果たしてしまった。
それに、気絶したスターリィと、向こうで倒れたままのプッチーニさんも居る。
戦うことも、2人を置いて逃げることも…俺にはできない。
…いったいどうすりゃいいんだよ。
結論が見えないまま、時間稼ぎの質問を続けてみた。
「どうして人質なんてとるの?」
苦し紛れに出した結論は、”魔王の説得”。
なにせコイツは、一度”俺”のことを助けてくれたんだ。
もしかしたら、話が通じるかもしれない。
---- そんな淡い気持ちから、必死で会話の継続を試みる。
「そりゃ、今後殺りあうパラデインやクリステラ対策のためさ。あいつらは規格外だからね。何らかの”切り札”は持っておかないと」
…やっぱりそういう作戦だったのか。
魔王自らがこっちに来るなんて、相当デインさんたち二人を警戒しているのが分かる。
それだと、交渉は一筋縄ではいかないかも。
なんとか…魔王からスターリィを逃す方法はないのか。
悩んでいるうちに、『魔王』の手に黒い魔力が集まっているのに気付いた。
身震いするような…破壊だけに特化された凶悪な魔力。
あんなもの喰らったら、誰だってひとたまりもないぞ。
「その魔力は…?」
「…スカニヤーは知らないだろう?これはね、ボクがあのあと目覚めた唯一無二の固有能力…『消滅空間』だよ。こいつはねぇ、空間そのものを削り取る能力なんだ。だから、どんな防御を持ってたって無意味なのさ」
わざわざ教えてくれたのは、たぶん…俺なんかに教えたところで何の問題もないと思ってるからだ。
確かに、その通りだ。
そんなとんでもない能力だったら、知ってたって防ぎようが無いだろう。
「そんな技を使って…どうする気なの?」
「決まってるだろう?スターリィの手足をもぐんだよ。ヴァイロンが死んじゃったから、他におとなしくさせる方法が思いつかないしね」
平然と口にする魔王の眼に、何の感情も浮かんでいない。
こいつ…さも当然のように考えてやがる。
魔王の手に集まった黒い魔力が、まるで棍棒のような形になる。
あれに触れたら…たぶん形あるものは跡形もなく消え去ってしまうだろう。
そんなものを喰らったら、スターリィの身体も無事では済まないだろう。
だめだ…そんなこと、絶対にさせるわけにはいかない。
なんとしても、ヤツを食い止めないと。
「待って!スターリィはもう動けないんだから、そこまでしなくても…」
「ん?生きていれば"人質"としての価値は変わらないだろう?別に構わないじゃないか」
「そんな…だめだよ。生きてる人間にそんなことをしたら…」
「…ねぇ、なんでボクが人間なんかのために気を使わなきゃいけないんだい?それに…そもそも気をつかうこと自体無意味だよ、スカニヤー。なぜなら…さっきも言ったとおり、どうせボクは人間全てを殺すつもりだからね」
魔王の冷たい視線に、背筋に冷たいものが流れる。
「身勝手に人を喚び出した挙句、用無しだから殺そうとするような人間なんか…滅んだほうがマシだ」
「そんな…人間の全部が全部そんな奴らばっかりってわけじゃないだろう?それに…あなたが恨むべき存在であるシャリアールは、既に死んでるんだ。だったら…」
「いーや、関係ないね。あいつだって、ゾルディアークに殺られてなければボクが殺ってただけさ。いずれにせよ、今回の"儀式"を終えたら…人間どもは滅ぼしてやる!」
発される強烈な怒気。
まったく話を聞く耳もたない。
くそっ、これが”狂ってる”ってことなのか?
やはり、会話での解決は無理なのか…
それにしても”儀式”って何なんだ?
「それはね、ボクが…真の意味で”最強の魔王”となるための儀式さ。そのためには…今回ボクがゾルディアークを仕留めなきゃいけない」
なぜだ?
なぜここで、ゾルバルの名前が出てくる?
「それは…『新訳・魔王召喚』を手に入れるため?それとも…『覇王の器』を手に入れるため?」
「もちろんそれもある。だけどね、ボクが欲しいのは…『最強』の証さ。つまり…ゾルディアークの"器"だよ」
---- なんだ?ゾルディアークの器?
---- こいつ、何を言ってるんだ?
俺の怪訝な表情に気付いた魔王が、ふんっと嘲笑を浮かべる。
「…君は父親から何も聞かされてないんだね。たしか君も、シャリアールから無能扱いされてたしね。なのに、あのときはボクを守ろうとしてくれたのかい?君はただのバカなのか、それとも…底抜けのお人好しなのか」
スカニヤーのことは知らない。
だけど、たぶん…後者なんだろう。
なんとなくだけど、身体の主は優しい娘な気がするんだ。
「…せっかくだから、教えてあげるよ。あのね…魔族はね、死ぬと『天使の器』になるんだよ」
はぁ?なんだって?
人間が魔力覚醒するために必要な魔道具が…魔族が死ぬことで手に入るものだって?
ちょっと…それは、洒落になんない話じゃないか。
「そうだよ。だから人間どもは…力を手に入れるために、”天使に覚醒”するために、魔族をこの世界に”召喚”してるんだよ。そして喚び出した魔族を殺すことで、”天使の器”を手に入れてたんだ。どうだい?人間ってのは、本当に罪深いだろう?」
狂ってる魔族の…ましてや魔王の言うことなど、どこまで正しいのかなんてわからない。
だけど、簡単にウソとも断言できなかった。
むしろ、彼の言うことのほうが正しいのではないかと思えたんだ。
「じゃ、じゃあ、あなたは…」
「あぁ、ボクは元々シャリアールに『魔王』であることを期待されて召喚されたんだ。だけど…あいつからすると、ボクでは役不足だったらしい。すぐに用済み扱いさ。酷いもんだろう?だから…ボクを殺して『天使の器』にしようとしたんだ?フザケてるだろう?」
それは…酷い、酷すぎる。
そんな扱いって…考えられない。
「でもまぁそれはもう良いよ。いい勉強になったし、おかげでボクは生き永らえて、『消滅空間』という新しい力を得たからね。あとは…ゾルディアークを殺して、彼の『天使の器』と『グィネヴィアの額飾り』を手に入れれば、ボクは真の意味で『魔王』となる」
最後の方のは、なんの話なんだ。
たぶん、この話は…ゾルバルが俺に話してくれなかった真実の一端だ。
なにかが繋がりそうな気がする。
もう少し、もう少し情報が分かれば…
「まぁ、無駄話はこれくらいにしよう。ボクはこれからスターリィを”料理”するから、君はどこへでも行くがいい」
右手にある『空間を消滅させる黒い魔力』を大きくさせながら、気絶するスターリィに近寄っていく魔王。
-- ダメだっ!
-- させないっ!
気がつくと俺は…
スターリィを守るように、彼女の前に両手を広げて立っていた。
「…なんのマネだい?スカニヤー」
「…スターリィを、死なせやしない」
…作戦もヘッタクレもない。
ただの気持ちだけの行動。
狂った魔王にそんなことしたって意味がない。
そもそも空間ごと消滅させれる攻撃の前では、盾にすらなりやしない。
そんなことはわかってる。わかってるけど…
気がついたら、俺は両手を広げてスターリィの前に立っていたんだ。
「…もしかしてボクが見逃すとでも思ってる?残念だけど、チャンスは一回だけだ。そんなことしたってもう…無意味だよ?」
「……」
そうだろうな。
そんなことは分かってたよ。
でもな…ここで俺だけ助かったって、意味ないんだよ!
「…残念だよ。君の魔眼はちょっとだけ魅力的だったんだけど、”魔力覚醒”もしてないんじゃあ戦力にならないしね」
魔王の眼に浮かぶのは、興味すら失った色。
そっか、この身体は魔眼持ちだったんだなぁ。
だからあんなにも”良く見えた”んだな。
だけど…残念ながらこれで終わりみたいだ。
「君はあとのき、ボクのことを守ろうとしてくれたのかと思ってた。だけど君は…やっぱりただのバカだったんだね。サヨウナラ」
魔王の手が、俺とスターリィに向かってゆっくりと振り下ろされてゆく。
俺は…観念して、目を瞑った。
ふわっ。
何か暖かいものが身体を包んだような気がしたのは、気のせいか…
ゴオォォォォォォオォォォ!
猛烈な風が、俺の周りを吹き抜けていく。
あぁ、俺は死んだのか…
ズキッ。
頬が切れたのか、痛みが走る。
って、あれ?…感覚があるぞ?
恐る恐る目を開けてみる。
すると…そこには。
「あ…ああぁ……」
「遅くなってすまなかったな、アキ」
俺を包み込むように抱きしめる、大きな身体。
そこには見まごうことのない、心から安心できる存在。
「ゾルバルッ!!」
優しい瞳で俺のことを見つめる、最強の戦士…ゾルバルの姿があったんだ。
「…やっと来たかい、ゾルディアーク。待ってたよ」
魔王の歓喜の声が、”大魔樹海”に響き渡った。




