16.罠
はぁ…はぁ…
荒い呼吸音以外なにも発せず、俺たち3人は暗い森の中を走っていた。
背後では、ときおり爆発音や何かが倒れるような音が聞こえるが、気にしない。
あれだけの強さを持ったゾルバルだ、魔獣なんかに遅れを取ったりしないだろう。
振り返ることなく、スターリィが生まれ育った村へと向かっていたんだ。
走りながら、頭の中では先ほどのゾルバルの話を反芻していた。
さっきは色々なことを一気に聞かされたので、頭が混乱していた。だけど、走っているうちに…だんだんと頭の中が整理できてきた。
すると同時に、色々な疑問点も湧いてくる。
気になったのは主に三つ。
まず…ゾルバルの戦う理由。俺はてっきり敵討ちかなにかかと思っていた。ところが、彼の口から語られた理由は『魔本アポカリプスをこの世から無くすこと』というもの。その割には『新訳・魔王召喚』を処分もせずにずっと保管していたという矛盾。
次に…俺が”スカニヤー”という少女の身体を乗っ取ってしまった理由。召喚されたときに、いけにえの身体を乗っ取ってしまうなんて話は誰からも聞いてないし、俺の能力的にも無理だ。
最後は…俺の能力の説明。彼は俺の能力を『見た能力を劣化コピーする能力』と言った。
だが俺は…『流星』を見たことがない。そもそも誰の”天使の歌”なのかも知らない。なのに、なぜ…使うことができるのか。
ゾルバルは…全てを話していない。
まだなにかを、意図的に隠している。
ただ、これまでの経緯から、彼が全てを話さないのは『俺を守るため』だというのは分かっていた。
だったら、無理に知ろうとする必要は無いのかな?
ゾルバルの件はそれで一旦整理するとして、次に気になったのは、一緒に走っているプッチーニさんのことだ。
スターリィの話によると、彼は元々は冒険者だったのだけど、縁があってスターリィの家で働き始めたのだそうだ。
普段は彼女の家の雑務をこなしてくれている人とのこと。執事的な感じなのかな?
その彼だが、なんとなく…印象が妙なのだ。
一言で言うと、魔力の動きがおかしい。
まるで、黒いモヤのようなものが…プッチーニの頭の周りを巡っていた。
さっきまでは考え事に夢中で気付かなかったけれど、気付いてしまったら気になって仕方がない。
本来なら信頼できる人なのだろうが…やっぱり確認してみよう。
「ねぇ、プッチーニさん。あなたは…なにか魔法を使ってるかい?」
「えっ?いいえ、私は魔法など使えませんが…」
俺の問いかけに、素早く反応したのはスターリィだった。
「ねえプッチーニさん、さっき聞きそびれましたけど、どうしてあんな時間にあそこにいらっしゃったんですの?」
「お嬢様、それは…パラデイン様に頼まれたからで」
「それは変ですわ。だってこの”大魔樹海”は、数多くの魔獣が生息する危険な森。そんなところに…お父さんがあなたを使いにやるなんて、ありえませんもの」
鋭いスターリィの指摘。
確かにそうだ。この森での生活が当たり前だったから感覚がおかしくなってるけど、”大魔樹海”は一般の人が近寄れないような危険な森だ。
いくら元冒険者とはいえ、たった一人で迎えに来させるにはさすがにおかしい。
…どうせだったら便乗して聞いてみようか。
「それに…あなたの周りにある”黒い魔力”、それは何ですか?」
「えっ?黒い魔力?」
「…」
驚くスターリィに、サッと目を逸らすプッチーニさん。
明らかに反応がおかしい。もう少し問いただしてみようかな。
そう決めて、額から吹き出す汗を拭い取る。
…って、あれ?
プッチーニさんの目が、俺の額に釘付けになってるぞ?
気がつけば、横のスターリィまで俺の額を見ちゃってる。
…あ、そういえば”額飾り”のこと、まだ教えてなかったや。
「アキ、あなたその額飾りは…何ですの?」
「あっ!えーっと、これは…」
「そ、それはレガリア!!」
驚くことに、声を荒げたのはプッチーニさんだった。
レガリア?なんだそれ?人の名前か?
「プッチーニさん、あなた何を言って…」
「なぜだ!なぜ貴様なんぞがレガリアを持っている!てっきりゾルディアークが…が、がッガガがッ」
絶叫しながら、なんだかプッチーニさんの様子がおかしくなってくる。
ガタガタ震えながら…おいおい、口から泡まで吐いてるぞ。大丈夫かこいつ?
そうこうするうちに、プッチーニさんは痙攣しながらパタッと倒れてしまった。
「…ちょっと?プッチーニさん?」
慌てて彼に駆け寄るスターリィ。
だがこのとき、俺にははっきりと”視えて”いた。
プッチーニの身体から、”黒い魔力のもや”のようなものが拡散して離れていく様子を。
確信した、あの黒い魔力は…プッチーニさんを操っていたものだ!
「スターリィ、気をつけて!彼は誰かに操られていたみたいだ」
「…えっ?」
「たぶん…操ってたやつは、近くにいる!」
俺の声が聞こえたのか、その気配はすぐに現れた。
「…ふふふっ。なかなか鋭いワねぇ、さすがは『星砕き』シャリアールの娘、スカニヤーってところかしら?」
森の中からゆっくりと現れたのは…奇妙な格好の男だった。
背は高いが痩せていて、ヒョウ柄の…まるでタイツのようにピッチピチの服を着ている。
特徴的なのは、その目。まるで糸のように細長い。
顔には猫のような化粧を施していた。
…なんだこいつ、変態か?
ついでに言うと、話し方も気持ち悪いし。
彼は、ニヤリと笑うと目をくわっと見開いた。
その目が、不気味に紅く輝く。
バキバキ。
嫌な音と共に、そいつの背中に”黒い魔力”が集まっている!
あぁ、あの魔力…プッチーニさんを操ってたのは、間違いなくこいつだ!
背中に集まっていったそれは、やがて…”黒い翼”へと変貌を遂げた。
「それは…”黒い翼”!?ということは…あなたは堕天使、いや『悪魔』ですわねっ!」
スターリィ、今『悪魔』って言ったか?
『悪魔』…その名をフランシーヌに教わったことがある。
私利私欲のために魂を汚し、悪の心に染まった天使は、その翼を黒く染める。
それこそが、堕ちた天使である『悪魔』と教わった。
先の魔戦争でも、『堕天使』ミクローシアと、『原罪』アンクロフィクサが”悪魔”だったと聞いている。
人間が辿り着く、最悪の終着点。それが…『悪魔』だ。
「そのとおりヨ、『英雄の娘』スターリィ。それに『堕ちた守護者』シャリアールの娘、スカニヤーもいたワね。ミーは『次世代魔王』カノープス様の忠実なる配下、新・七魔将軍が一人…『化け猫』ヴァイロン」
バキバキッ!バキバキバキバキッ!
嫌な音を立てながら、目の前の男の背中の”黒い翼”が大きくなっていく。
こいつ、気持ち悪い格好のくせに、なんて禍々しい魔力を持ってやがるんだ。
ゾルバルに瞬殺されたヤツと同じ、いやそれ以上の魔力を持っているかもしれない。
ということは、未だに”魔力覚醒”していない俺やスターリィよりも、はるかに高い魔力を持っているということになる。
…これって、かなりのピンチじゃないか。
「スターリィ、アナタを”人質”に取るためにミーはその人間を操っていたのヨ。でも、そこまでする必要は無かったかしラ?慎重を期すぎたようネ」
余裕の表情で語りかけてくるヴァイロン。
たぶん、余裕を見せても問題ないと考えているんだろう。
悔しいが…確かにそれだけの魔力差を感じる。
まるで、小さな池と海くらいの差だ。
その事実が意味するところは…絶望。
「しかも…スカニヤーのほうは、なぜかレガリアまで持ってるじゃないノ!これは実にラッキーだワ。おかげで今回の功績ナンバーワンはミーに間違い無しヨ。くくくっ、笑いが止まらないワ」
「レガリア?レガリアって何だよ!」
どうやら俺の”額飾り”のことを指してるみたいだが、意味不明だから問いただしてみた。
少しでも話して時間稼ぎしたい、そんな思いもあった。
…足が震えてるのが、サマになんないけどさ。
「なぁにアナタ、そんなことも知らずにゾルディアークからもらい受けたの?…まぁいいワ、せっかくだから教えてア・ゲ・ル」
まるで猫のようにペロリと舌舐めずりしながらニヤリと笑う悪魔。
なぜだろう、こいつから猛烈な悪意を感じる。
「それはネェ…”グィネヴィアの額飾り”と言われる、特別な『天使の器』なのヨ。それを用いて”魔力覚醒”したものは、世界を制する力を得ることができると言われていることから、別名『覇王の器』と呼ばれているワ。アナタたちなんぞには、勿体ないしろもんだワ」
”覇王の器”とは…これまたえらい名前がついたもんだな。
見た目は完全に”おもちゃ”みたいな宝石付きだってのに、ずいぶんお高くとまったもんだよ。
そういやゾルバルは”曰く付き”と言っていたけど…それはこういうことだったのか。
「そもそも”天使の器”ってなんなんだよ!?魔力覚醒させるための道具じゃないのかよ?」
「アナタ、本当に何も知らないのネ。アナタは…その”天使の器”がどうやって出来てるか、知らないの?なぜゾルディアークがその『覇王の器』持ち続けてたのか、本当に知らない?」
…こいつ、何か知ってやがる。
俺が知らない…何か重大な秘密を。
だが、これ以上悪魔は乗ってこなかった。
俺が食いついてきたのを見透かして、あえて強引に話を打ち切ってきやがった。
「…さて、そんな話はどうでもいいワね。そんなわけで、アナタたちには予定通り”人質”になってもらうワ。別に反抗してもらっても全然構わないワよ?まぁそんときには、多少おいたしてもらうことになるけどネ。もっとも、ミーに敵わないのは…分かってると思うけど?くくくっ」
くそっ、あいつ…俺の足が震えているのを見て、嘲笑ってやがる!
悔しい…悔しすぎる。
だが、そう言われても仕方ないくらいの魔力差があるのは事実だ。
この世界の魔法のダメージが、単純な魔力量の引き算ということを考えると、この差は致命的だ。
ーーここは大人しく従って、スキを探す方が良いのか?
ーーいやダメだ。こいつの固有能力はおそらく『他者操作系』。下手したら…操られちまう。
ーーくそっ、まずいな…八方ふさがりじゃないか。
「それにしても、スカニヤー。アナタは自分の父親が殺されたっていうのに、よくもまぁノコノコと親の仇であるゾルディアークについて行ったワねぇ?生き残るためにヤツに這いつくばって『助けてください』とでも土下座したのかシら?だったら…今すぐミーに同じことをしてみなさいヨ?多少は大目に見てやらないでもないワよ?」
ピクッ。
こいつ、いま…なんて言った?
なぜかあいつの中ではゾルバルが”スカニヤーの父”を殺したことにらなってるみたいだけど…この際、それは関係ない。
俺はおそらく、この身体に入ることで、宿主の少女の命を奪ってしまったのだろう。
それであれば…これから先この身体を、彼女の名誉を守るのは、俺しかいない。そんな想いがあった。
それは…俺にできる、せめてもの贖罪。
だが、目の前のこいつは、俺の身体の主を…”スカニヤー”のことを、明らかに侮辱しやがった。
込み上げてくるのは、強烈な怒り。
俺のことはバカにしてもいい。だけど、”スカニヤー”のことをバカにするのは絶対に許せなかった。
「くくっ、なにを睨んでるの?図星だったぁ?しかもアナタ、どういうわけか『覇王の器』まで持ってるし。アナタ、どうやってゾルディアークに取り入って『覇王の器』を手に入れたのかしら?あれかぁ?色仕掛けでもしたのかぁ?まぁ、そんなチンケな顔や身体でヤツを満足させれるとは思えないんだけどネェ、ギャハハ」
ブチッ。
その一言を聞いた途端、俺の頭の中でなにかが切れた。
こいつ…貶めやがった!
スカニヤーだけじゃない、ゾルバルのことまでも!
許せねぇ…
こいつだけは、絶対に許せねぇ!
俺の頭の中が、真っ赤に染まっていくのがわかる。
ーー上等じゃねーか。
ーー悪魔だろうが何だろうが関係ねぇ。
ーーやってやるよ!
とりあえず、すぐそばで青くなっているスターリィに近寄って耳打ちする。
「…おい、スターリィ」
「…えっ?な、なんですの?アキ、なんかキャラクター変わってません?それに、スカニヤーというのは…」
「今はそのことはどうでもいい。それよりも私は…あいつのことが許せない!このまま人質になるなんて、到底受け入れられない!」
俺は精一杯の力を込めて、目の前の悪魔を睨みつけた。
大丈夫。あの技があれば…あいつの魔法障壁は貫ける!
「だから…協力して、あいつを倒そう」