14.三つの勢力
「出来れば知られたくなかったのだがな」
そう口にするゾルバルの口調は、どこか苦々しげだ。
だけど、俺にはそれを気にする余裕など無かった。
確かに、この世界に来て、なんで″女の子″の身体になっちまったのか…それは気になってたんだ。
こんな答えも、あまりにも元の顔と違ってたから、可能性として考えないではなかった。
だけど…目の前にこうハッキリと証拠を突きつけられると、嫌でも思い知らされる。
俺は…『誰かの身体を乗っ取ってしまった』のだということを。
「なぁ…ゾルバル。ひとつ…いやふたつ、聞いてもいいか?」
「…構わない」
葉巻を咥えたまま、紫煙を吐き出すゾルバルを睨みつけながら、俺は問いかけた。
「まず、ゾルバルは…知ってたのか?」
「…何をだ?」
とぼけてるのか、それとも俺にハッキリと言わせたいのか。
ふざけんなよ…ゾルバル!
込み上げてきたのは…怒り。
「決まってるだろ!この身体の持ち主がいたってことをだよ!」
「…ああ、もちろん知ってた」
ああ?
知ってただぁ?
だったらなんでそんな大事なことを黙ってやがった!
気がつくと俺は、自分よりはるかに背の高いゾルバルの胸ぐらを掴んでいた。
それでも…ゾルバルに動じた様子はなかった。
「それはな…お前には関係ないからだ。アキ」
関係ない…だと?
どうしてそう言い切れるのか。
だって、俺の身体が…実は別人のものだったんだぜ?
関係ないわけ無いだろーがっ!
「それでもなぁ…関係ないんだよ、アキ。なぜなら……お前は何も悪くないからだ」
その一言に、俺は殴りかかった手を止めてゾルバルの顔を見た。
彼の顔は…これまで見たことが無いくらい、悲痛な表情を浮かべていた。
「いいか、アキ。お前は自分でも分からないままこの世界に飛ばされた。そして気づいたらその身体の中に居た。そうだろう?」
「あ…ああ」
「だったら、お前は何も悪くない。そうなってしまったのは…不幸が重なった結果なんだ。お前が罪の意識を感じる必要は無い」
堂々と、そう宣言するゾルバルの言葉に、俺は全身の力が抜けていくのを感じた。
胸元を掴んでいた手が、そのまま力無く垂れ下がる。
…気がつくと、涙を流していた。
俺は…本当は、怖かったんだ。
自分が、他人の身体を奪ってしまったという事実を、受け入れるのが。
いや、そうではない。
本当に恐れていたのは……
「なぁ、ゾルバル。もう一つ、聞いていいか?」
「…なんだ?」
「この身体の持ち主…″スカニヤー″は、どうなったんだ?」
その問いに、ゾルバルはすぐに答えなかった。
でも、それで十分だった。
おそらく…俺が身体を乗っ取ったことで、『消えて』しまったのだろう。
それが意味するところはーー『死』。
ーーそう、俺は。
ーーこの世界に、のんきにやってきたことで
ーー見ず知らずの、一人の少女の命を
ーー奪い取ったのだ。
耐え難い事実が、圧倒的な存在感をもって、俺の前に突きつけられる。
逃げられない、避けられない現実。
それでも、かろうじて自我を保てたのは…ゾルバルの言葉のおかげだった。
『お前は悪くない』
その一言は…俺の心を、ギリギリのところで繋ぎ止めてくれた。
ズルイよな、だけど…実際そうだったんだ。
「……なぁアキ。それを知ることに、何の意味がある?お前の目的は、友人を見つけて連れ帰ることだろう?そこに”スカニヤー”のことは関係無いはずだ」
冷静になった今ならわかる。
ゾルバルは…情報を隠すことで、あえて関係ない風を強調することで、俺を守ってくれていたのだ。
ーー俺の心を。
ーー真実を知ることで、傷つかないように。
「…ごめん、ゾルバル。取り乱して」
「…すこしは落ち着いたか?なら、話そうかな、ワシらがいったい何をしているのかを。そして…お前がこの世界に来たときに、何があったのかを。お前は知りたいのだろう?」
そうだ。俺は知りたい。
いったいこの身に何があったのか。
もしかしたら、何も知らないままであれば、聞かなくて良かったのかもしれない。
だけど…知ってしまったからには、中途半端な知識のままでは我慢できない。
もしかしたら俺は…一人の少女の命を、奪ってしまったのかもしれないのだから。
「覚悟は良いか?」
俺は涙を拭って頷いた。
後戻りなど、もう出来ない。
それであれば、知ること…受け入れることが、俺にできるせめてものことだ。
俺の顔を確認すると、ゾルバルは難しい顔をしたまま…ゆっくりと語り出した。
俺の知らない、この世界の話を。
「実は…20年前の"魔戦争"は、まだ完全には終結していないのだ」
いきなり出てきたよ、爆弾発言が。
正直、俺はこの世界の人間でないから、事の重大さを完全に理解しているわけではない。だけど、大変なことであることだけは分かっていた。
それにしても、スターリィからは『魔王』と『七人の魔将軍』はあの戦いで滅びたと聞いていたんだけどな。親玉たちが死滅しても、戦争は終結していなかったのだろうか。
「まぁ、そういう意味では終わっておる。ヤツらは間違いなく滅び去った。だがな、その”遺志”を継ぐものたちがおったのだ。しかも…大きく3つの勢力に分かれて、な」
遺志を継ぐ?
それはどんな遺志なんだ?
正直、ロクなものである気はしないんだけど。
「そうだな…。簡単に言うと、『この世界の、人類の滅亡』だな。そのための手段として3つの方法があり、それぞれをその3つのグループが追っているのだ」
あー、やっぱりロクでもなかった。
それにしても、世界の滅亡だって?そんな意味の分からないことを考えている奴らが、3つもあるのかよ。
なんかこの世界も随分と物騒なものだな。
ゾルバルの話によると、3つの勢力とは…
第一が、自らが新しい魔王となり、この世界に害をなそうとするもの。
第二が、新たな魔王を、この世界に呼び寄せようとするもの。
そして第三が…死んだ魔王を復活させようとするもの、なのだそうだ。
ぞれぞれが異なる手段ではあるものの、目指すところは似ていて、かつ必要としているものも重なっているらしい。
「それが…この『新訳・魔王召喚』と、アキ…お前の額に埋め込まれている『天使の器』だ」
俺の手からリュックを受け取り、出されたのは…例の赤い本。
それを見て、フランシーヌが顔色を変えた。
「ゾルバル様!あなたはこの前『魔王召喚』は”燃やした”と言ったじゃないの!あれはウソだったのねっ!?」
「…すまない、少し考えがあって未だ処分していなかった」
「…あなたという人は、いっつもウソばかり!おかげでわたしは…」
「ごめんフランシーヌ、その話はあとで。それで、この本や…私の額にあるこのオーブ?が、なぜ必要なの?」
フランシーヌには悪いが、話をぶった切らせてもらう。
あ、膨れちゃったよ。でもなんかフランシーヌ…可愛くなった?気のせいか?
まぁいい。それよりも、早く知りたい。
もう…知らない話に踊らされるのは、たくさんだ。
「さっきアキに話した…『魔族』をこの世界に”召喚”するための、ワシが知るもうひとつの手段。それがこの…『魔族召喚』と呼ばれる本を用いる方法だ。ちなみにこれは、『原罪』アンクロフィクサの固有能力によって創られた本でな、世界中に幾つか散らばっておるようだ。すでに奴がこの世に居ない今、新たに創り出す手段は無いのだけが救いだがな」
魔族を喚び出すためのもの、それが…『魔族召喚』。
しかも、喚び出された魔族たちは、魔力が増強された上に”狂って”しまうという。
まるで、やっかいな怪獣を喚び出すようなもんだ。
ロクでもない…まさに”最悪の代物”だな。
「そのとおりだ。だからワシの…ワシらの目的は、これら『魔族召喚』という魔本を、この世界から消し去ることだ。これ以上、不幸な人々を出さないようにするために、な」
なるほど、ゾルバルたちはそんな活動をしていたのか…
デインさんやクリスさんなんかも、英雄になったあとまでも、世界を救おうと努力しているんだな。
そんな事実に、胸が熱くなるのを覚える。
「その中でも、ゾルバル様が持ってる赤い本が…『新訳』と呼ばれる特別製なものでね。ヤツらが血まなこになって探しているの。その理由はね、その赤い魔本が…『魔戦争』のときに『魔王』となった”グイン=バルバトス”を喚び出した本、そのものだからよ」
これが…魔王を喚び出した本だって?
そりゃヤバいなんてもんじゃないだろ、そんなもん持ってて大丈夫なのか?
…あぁ、だからこそフランシーヌはさっき怒ってたのか。
それじゃあ、この本がそれだけヤバいものだとしたら…俺のこの”額飾り”は一体なんだっていうんだ?
やっぱりヤバいものなのか?
「それは、『新訳・魔王召喚』のオマケみたいなもんだ。ちょっと”曰く付き”の『天使の器』でな。まぁ…『天使の器』関しては”選ばれたもの”にしか意味がないものだから、これを求めるのは、単なる”箔付け”みたいなもんだと考えているけどな」
おいおいおい、なんだよ”曰く付き”ってさ!
…まぁゾルバルが言いたがらないってことは、ロクなもんじゃないんだろうけどさ。
それにしても、なんでそんなものが俺の身体にくっついてたり、あの…上半身が無くなってた”シャリアール”って人が持ってたんだ?
そう尋ねると、ゾルバルは…苦々しい顔をしながら、葉巻に火をつけた。
「それについてはこれから話そう。あの戦争で、ワシらは全てが終わったと思っておった。だからこの『魔王召喚』も、その『天使の器』も…ワシが責任を持って管理しとった。だがな、魔戦争から10年以上経ったあるとき…ほかにも『魔族召喚』があることに気付いた。いや、気付かされたと言った方が良いか。なぜなら、世界中に狂った魔族が出没するようになったのだ。その原因を調べるうちに、ある事実が浮かび上がった。どうやら意図的に『魔族召喚』を広めているヤツがいやがったのだ」
「それが…『解放者』と呼ばれる女悪魔を中心としたヤツらよ」
ゾルバルたちは一生懸命『解放者』を追いかけたんだけど、未だにその正体が掴めていないらしい。
あのデインさんたちでさえ完全に後手に回っているそうで、かなり慎重で用意周到な存在のようだ。
ただ、彼女らが…魔戦争で滅びた『魔王』を復活させようとしていることだけは、かろうじて知ることが出来たらしい。
それにしても、一度滅びた魔王を復活させようなんて、正気の沙汰とは思えない。
「『解放者』はなかなか尻尾を出さなかった。世界中に『魔族召喚』をばら撒き、災厄の種を蒔いては消えていく。それはまるで、様々な実験をしているようだった。ワシらは様々な手を尽くして『解放者』を追った。…そんなとき、最悪の事態が起こったのだ」
悲しげな表情を浮かべながら、葉巻をもみ消すゾルバル。
そんな彼を気遣うように寄り添うフランシーヌが、話を引き継いだ。
「当時ゾルバル様は、『七大守護天使』の他の人たちと手を組んで戦っていたのですけど…そのうちの一人、『星砕き』のシャリアールが裏切ったのよ」
ああ!シャリアール!
思い出した!
どうりでどこかで聞いたことのある名前だと思ってた、シャリアールったら、『七大守護天使』の一人じゃないか!
あのときの屍体は…かつての英雄の亡骸だったのか。
そうすると、この身体の本当の持ち主、スカニヤーとは…
『星砕き』シャリアールの娘だったのか。
「シャリアールの裏切りにあって、ワシは管理してい『新訳・魔王召喚』と、その『天使の器』を奪われた。そして、シャリアールはさっそく『魔王召喚』の術を実行した」
「そうして喚び出されたのが、一体の魔族。その名は”カノープス”」
”七大守護天使”によって喚び出された”魔族”とは、どれほどの力を持っているのだろうか。
しかも、ゾルバルは言っていた。魔界から”召喚”された魔族は”狂う”と。
…ということは、その”カノープス”という魔族も”狂った”のだろうか。
「そのとおり。喚び出されたカノープスは”狂って”いた。召喚され狂った魔族は、例外なく強くなる。シャリアールほどのやつが喚び出したのだ、カノープスもそれなりの存在ではあった。だがな、それでも……シャリアールからすると、カノープスはまったくの期待外れだった。本物の『魔王』とは、比べものにならないくらい弱小だった。だからやつは”カノープス”を切り捨てたのだ」
「もちろん、捨てられたカノープスはそれで収まらなかったようね。相当暴れたみたいよ。その結果…カノープスは、自らを『魔王』と名乗りだした」
なるほど。それが、もう一つの勢力である『自らが新しい魔王になろうとしているもの』か。
そうすると、シャリアールが残りの『新しい魔王を召喚しようとしているもの』になるわけだな。
「うむ。シャリアールは喚び出した魔族では満足しなかった。失敗した原因を研究したようだ。そして…最悪の手法に辿り着いた」
ーー最悪の手法。
嫌な予感が、背筋を走る。
ごくり、思わずつばを飲み込んだ。
「シャリアールはな、自分の娘を生贄にすることを思いついたのだ。そして、スカニヤーに『天使の器』を身に付けさせてな、その身に『魔王召喚』の儀式を施した」
あぁ…
なんということを。
それで、喚び出されたのが…
ーー俺だったのか。
「ワシはシャリアールをなんとか止めようと探し回った。だが…残念ながら間に合わなかった。その結果が…今のこの状況なのだよ」
そう、俺は…シャリアールによって喚び出されたのだ。
残念だけど、その期待には応えられそうもないんだけどさ。
それにしても、『魔王召喚』なんていう仰々しい手段で喚び出されていたとは…
「そんなことまでして喚び出されたのが私だなんて…とんだ失敗だね」
「くくく、そうだな。だから、何度もいうように、お前は何も悪くないのだ。なぜこうなったのかはわからんが、不幸な出来事が重なった結果だと、ワシは考えている」
それは、ゾルバル流の慰め。
だけどおかげで、だいぶん心の整理がついたよ。
それにしても…この話が事実だとしたら、本当に切ない話だよだ。
自分の娘を犠牲にした挙句、シャリアールは命まで落としているんだから。
英雄の最期としては、なんとも報われないものだよな。
「そんなわけで、先ほど言った3つの勢力のうちの一つである『新しい魔王を喚び出そうとするもの』…シャリアールは死んだ。次は、やつの遺した”厄介モノ”の始末となるわけだ」
「”カノープス”がね、この辺りに潜んで、何かを画策してるっていることが分かったの。だからわたしたちは”大魔樹海”でいろいろ調べていたんだけど…カノープスのアジトが大体わかったから、一気に決着をつけようと思っていたところなのよ」
なるほど、だから最近慌ただしかったんだ。
デインさんやクリスさんも出ずっぱりだったし。
「だから…アキ。お前は明日、スターリィとともに里に降りろ」
「は?」
「お前はもう、十分この世界でやっていける。スターリィという友人も出来た。心配だったらロスのじいさんを頼れ。あいつはああ見えても『ロジスティコス魔法学校』の学園長だ。悪くはせんだろう」
ゾルバルは何を…言ってるんだ?
ここで、お別れ?
これだけ世話になっといて、はいサヨウナラってか?
そんなのって…無いだろうよ!
「わ、私にできることはないの?これだけ世話になったのに、何も返せずにお別れなんて…」
「いらん世話だ。これは、ワシら過去の人間の問題だ。お前は黙って、自分の目的を達成しろ」
「で、でも…」
「そもそも、足手まといだ。”天使”にもなっとらんお前なぞ、なんの戦力にもならん」
足手まとい。その一言が、ぐっと胸に詰まる。
そうだよな。俺の力なんて、ゾルバルは必要としてないよな。
…いや、待てよ。
そういえばさっきフランシーヌに調べてもらった俺の固有能力は、一体何だったんだ?
もしかしたら、ゾルバルの力になれるようなモノじゃあ…
「お前の固有能力は、『その目で見た相手の能力を劣化コピーする能力』だ。残念だが、そんなまがいものの能力では、この戦いには役に立たん」
ほほぉ、『相手の能力の劣化版コピー』か。
面白そうではあるけれど、『劣化版』って言われると、なんかガッカリしちゃうよな。
汎用性はありそうだけど、なんとなく中途半端な能力かも。
がっくりと項垂れる俺に、フランシーヌが慰めるためにそっと手を添えてくれた。
「ゾルバル様はああ言ってるけど、あなたの固有能力はそんなに悪い能力じゃないと思うわ。ただ、彼は…あなたのことをこれ以上巻き込みたくないのよ。その気持ちはわかってあげて。それに、あなたには別の目的があるのでしょう?だったら…先に進むべきよ。心配しなくても、ゾルバル様はとっても強いんだから」
うん、それは分かる。
たぶんゾルバルは、すごく強い。
分かるんだけど…
「明日の朝、スターリィの迎えが来る。そしたら一緒に旅立つのだ。わかったな?」
そんな話は、簡単に受け入れることは出来ないよ。
なんの力にもならないことは分かってる。
だけど…
返事を出来ずにいる俺を見て、ゾルバルが大きなため息をひとつついた。
頭をボリボリ掻きながら、ぐっと近寄ってくる。
そして、また何かを言おうとした…
そのとき。
どぉぉぉぉおぉぉぉぉおおん!!
空気を激しく振動させる爆発音が、”大魔樹海”を切り裂くように鋭く響き渡った。