13.ポートレイト
「ゾルバルは自分のことを”魔族”って言ってたよね?それは…どういう意味なのか、教えてくれるかな?」
家に戻るなり、俺はすぐにゾルバルに詰め寄った。
スターリィが、心配そうな顔でこっちを見てたんだけど、残念ながら今の俺には余裕がなかった。
フランシーヌに促されて、別の部屋へと連れて行かれるスターリィ。
…せっかくの送別会を台無しにしちまったな。ごめんな。
今度ゆっくり謝ろう。
それよりも今はゾルバルだ。
俺に詰め寄られ、観念したかのような表情を浮かべたゾルバルが、渋々説明を始めた。
「ワシはな、この世界とは別の世界…こっちで言うところの"魔界"の住人だ。ちなみにワシは魔界のことを”ルナティックムーン”と呼んでいるがな。なぜあっちの世界が”魔界”と呼ばれているのかというと、そこに住む人々の魔力が異様に高いからだ。そのせいで、魔界に住む人間は、この世界では"魔力の高い人"…略して『魔人』と呼ばれている。その中でも、特に魔力が強い者のことを『魔人の貴族』…すなわち『魔族』と呼ぶのだ。決して"魔族"とは『悪魔的な一族』の意味ではないからな?勘違いするなよ?」
なんてこったい…魔族とは、『悪魔的な存在、魔の一族』ではなく、『魔力に長けた人種の中の貴族階級』のことを指していたのかよ。
完全に勘違いしてたぜ…
ミスリードにもほどがある。
でも、問題はそこじゃない。
やはり、異世界間を行き来する手段はあったのだ。
ただ、ここでいう”異世界”は…俺の生まれ育った”場所”とは別のものではあるが。
「…ゾルバルは、どうやってこっちの世界に来たの?」
「この世界と魔界の間は、異なる世界とはいえ…行き来する手段が無いわけではない。ワシの場合は、自分専用の異世界間移動スキル…【夢旅人】という固有魔法を持っていたので、それを使ってこの世界にやってきたのだ」
やっぱり…。
ゾルバルはその手段を知っていたのだ。そして、知っていながら、俺には教えなかった。
その理由は…おそらくゾルバルの言う通り、『ゾルバル専用の固有能力』だからだろう。
でも…待てよ。
もうひとつ気になることがある。
20年前の"魔戦争"において、この世界の人たちを苦しめた敵のうち、魔族の王である"魔王"グイン=バルバトスと、7人の魔将軍のうち3人…『魔貴公子』スケルティーニ、『凶器乱舞』パシュミナ、『魔傀儡』フランフランの計4人が、魔族であるとスターリィに教わった。
そいつらは、どうやってこの世界にやってきたのか。
その答えは、ただひとつ。
ゾルバルの固有能力以外にも、魔界とエクスターニヤを行き来する手段はある、ということだ。
それを簡単に教えないということは、もしかして…その手段に何か大きな問題があるのだろうか?
「アキ、よいところに気づいたな。確かにワシの能力以外にも異世界間を行き来する方法はある。だがな…その方法には”致命的な問題”があるのだ。だからお前には教えなかった。使えないのでは意味がないからな」
「致命的な…問題?」
「うむ。ワシのように自力で来たもののことを"漂流者"と呼ぶのに対して、無理やり…たとえば特殊な魔法で魔界から"強制召喚"されたもののことを"召喚者"と呼ぶのだが、この"召喚者"の多くが"狂って"しまうのだ」
「狂う…?」
「異世界間を移動をする際に必ず通る"道"があって、そこに…ひとの心を狂わす"濁流"のようなものが存在しているのだが」
あぁ、それならなんとなくわかる気がする。
俺がこの世界に来るときに通った場所が、恐らくゾルバルの言う"濁流"なのだろう。
「で、これはワシの考えなのだが…"漂流者"は自力転移者なので、どうもこの"濁流"に精神的抵抗があるらしく問題ないのだが…無理やり召喚された"召喚者"は違う。"濁流"に揉まれることで…精神がその負荷に耐えられずに、おかしくなってしまうのだ」
確かに…あれはマジで精神的にヤバい場所だった。とてもではないが、まともな精神では耐えられない。
俺も、"宝物"が無ければ、いつ正気を失ってもおかしくなかっただろう。
「その結果、ほとんどのものが狂う。すなわち『極めて独善的で残虐な性格』に変化してしまうのだ。実際、”魔戦争”に参戦していた四人の魔族は…いずれも"召喚者"だった」
…なるほど。
それではリスクが高すぎる。
いくら異世界間移動が出来たとしても、狂ってしまうのであれば…それは使えない手段だ。
「それにしても…なんで今まで教えてくれなかったのさ?」
「アキよ。ワシは、お前が必要としている情報は『サトシ』という友人の行方に関するものだと理解していた。だから、異世界間移動の方法についての知識は、お前の中でも優先順位は高くないと判断したのだ。そもそも先ほど言った通り、ワシの知る情報は、今のお前にとってはほぼ無意味なものだ。だから特に教えなかった」
ぐっ…確かに一理ある。
でも、そんな大事な話だったら教えてくれても良いじゃないかと思う。
そもそも肝心のサトシについての情報も教えてもらってない。
「あぁ、残念ながらその点に関する有力な情報は集まっていない。ロスやデインたちにも頼んでいたのだがな…」
あらま、そういうことでしたか。
やっぱり…サトシのことは自分で探すしかないのかな。
「アキ、ワシは…お前がこの世界で生きていくのに必要となる知識と力を授けようと考えて、この三か月の間ずっと鍛えてきた。その目的は、現時点で十分達成しておると思う。だがな、これ以上は…時間が足りなすぎる」
時間が…足りない?
どうて足りないんだ?
何か理由があるのか?
「なぁアキ。お前は…知りたいのだろう?ワシらが何が目的で、なにをしているのかを」
「う…うん。知りたい」
「そこでだ。良い機会だから、お前には全てを話そうと思う。だがそれには…ひとつ"条件"がある」
条件?
また条件かよ…なんかドキッとする単語だな。
なんとなくゾルバルの出す条件って、ろくでもない気がするし。
「なーに、たいしたことではない。フランシーヌの…"能力"を受けてもらうだけだ」
フランシーヌの能力?
なんだそれ?
ゾルバルが、いつの間にか居間に戻ってきていたフランシーヌに目配せをする。
…フランシーヌ、なんだかいつもと雰囲気が違う?
にっこりと微笑みながらこちらに近づいてくるフランシーヌ。正直、いやな予感しかしない。
「こーら、アキ。あなた変な想像をしてるわね?そんなにへんなことはしないわよ?」
そんなことを言われても、まったく信用できない。
だって、ドラゴン…じゃない、"古龍"の固有能力だろう?もしかして、ドラゴンブレスでも食らわせられちゃうのかな。
「そんなに不安なら、わたしの能力を先に教えてあげるわ。わたしたち"古龍"はね、だいたい特定の能力に特化しているの。これをわたしたちの専門用語で"特化龍力"って言うのだけど…それが、わたしの場合は"知る"ことなのね」
「知る…こと?」
「そう。だからわたしの"特化龍力"は、【龍の英知】という名前の…相手のすべてを知ることができるものなの。だけど…深く知ろうと思うと、それだけ深いお付き合いをしないといけなくてね。簡単には使えないのよ」
へぇー、なんだか便利なのか不便なのか判らない能力だなぁ。
それじゃあ、もしかして…俺にこの能力を使うっていうことは、俺の持つ【不思議な固有能力】の正体を知りたいってことなのかな?
「ええ、そのとおりよ。あなたのその…不可思議な能力のことをちゃんと確認したいの。あなたも知りたいでしょう?自分の能力がいったいどんなものなのかを」
確かに知りたい。
一応これまでの修行のおかげで、【流星】をある程度使えるようにはなった。
でもそれは、単に"使える"だけであって、原理や仕組みを理解して"使っている"わけじゃない。
本来であれば天使しか使えない能力を…なぜ俺が使えるのか。
これから先…俺がこの世界でサトシのことを探すうえで、自分のことを知るのは必須の前提だ。
それに、もしかしたら、自分が女性化してしまった理由も分かるかもしれない。
それであれば、こんなの前提条件でもなんでもない。率先して受けるべきものだ。
「うん…わかったよ、フランシーヌ。ぜひお願いします。私のことを…調べてください」
「うふふ、わかったわよ。それじゃあアキ…目を瞑って?」
俺は覚悟を決めて、言われたとおりに目を瞑る。
…これからなにをされるんだろうか。
ドキドキするぜ。
「いくわよ…【龍の英知】」
次の瞬間、俺の唇が…何か温かいものに包まれる。
「…っ!?」
こ…これは…もしかして…
うっすらと目を明けてみる。そこにあるのは…フランシーヌの顔。
ふえぇぇ!?
ちょ、ちょっと!?俺、もしかして今……フランシーヌにキスされてる?
「ん、んん!?」
「…静かにしてて、お願い」
唇を重ねたままでそう言うと、今度はフランシーヌが…なんと舌を入れてきやがった!
マ、マジかよっ!?
むぐぐ…こ、これは……なんという甘美な…
いや、ち、ちがう!だけど…う、上手い。上手すぎる。まるで抵抗できない。
しかも、なんだか全身の力が抜けてきたぞ……
しばらくの間、俺は…フランシーヌの猛烈なディープキスを受けていた。
ねちゃ…くちゃ…
何とも言えぬ音が耳に入ってくる。
いつの間にかフランシーヌの姿が変化してきていた。
瞳はトカゲのように縦長に。さらにツノが伸びて、肌が一部ウロコと化してきている。
それでも彼女のキスは止まらない。
ちらりとゾルバルのほうを見てみると…無表情のままこちらを見ていた。
さすがだオッサン、まったく動じていないな。
永遠に続くかと思われた、甘美な時間。
それが…じゅぽんっというすごい音とともに、終わりを告げた。ようやくフランシーヌの舌が俺の口から離れていく。
「ふわあぁあぁ…」
俺は一気に全身の力が抜けて、その場に崩れ落ちてしまった。
全身にまったく力が入らない。へにゃへにゃだ。
同時に襲いかかってくる、猛烈な徒労感。
もう指一本動かす気力すらない。
そんなことを思いながら、俺の意識は徐々に薄れていった。
最後に俺の視界に映ったのは、フランシーヌが満足げにぺろりと唇を舐める…その艶めかしいしぐさだった。
どれくらい意識を失っていたのだろうか。
ハッと意識を取り戻すと、俺は自分にあてがわれた部屋のベッドで寝ていた。
あぁ…あの強烈なキスのあと、気絶しちゃってたのか。とんでもないキスだな、すごすぎるぜ。
しかし、ディープキスで本当に俺の能力がわかるのかいな?
でも、分からなかったら、もう一回やってもらいたいな…マジで。
それにしても、俺はいったいどれくらいの時間、寝てたんだ?
時計を見てみると、意識を失って2時間ほどしか経っていない。
よかった。とりあえずさっさと起きて、さっきの話の続きをゾルバルとしなきゃな。
あと、フランシーヌに俺の能力がどんなものだったのか確認しないと。
ベッドから起き上がると、リビングとして使われている部屋に足を向けた。
その途中…
廊下を歩いていて、ふと違和感を覚えた。
違和感の正体。それは、普段は閉じているゾルバルの部屋の扉が、少しだけ開いていることだった。
ここでの3か月間の生活で、フランシーヌの部屋には入ったことはあったものの、ゾルバルの部屋には決して入れてもらえなかった。
リビングのほうに注意を向けてみると、二人の話し声が聞こえる。
例によって音声遮断をしているようで、何を話しているのかはまったくわからない。
これは…千載一遇のチャンスだ。
いっつも隠し事ばっかしやがって。
だったら…こっちだってやってやるよ。
ゾルバル。あんたの部屋を、秘密を、俺が調べてやる!
細心の注意を払ってゾルバルの部屋に入ると、そこは…非常に殺風景な部屋だった。
シンプルな机と椅子、それに服をしまう棚があるだけだ。
ほかには、壁に分厚い剣や斧が立てかけられている。
それにしても、なんという…機能的な部屋なんだ。遊び心もクソもないな。
おや…机の上に置いてあるのは…なんだ?
これは…写真立てか?意図的に伏せられているようだが…
本当は見てはいけないものなのかもしれない。
でも俺は…好奇心を抑えられずに、伏せてあるその写真を確認することにした。
そこに映っていたのは、二人の人物。
一人は…おそらく少し若い時のゾルバルだ。30台後半くらいに見える。
まだ右目も塞がっていないし、右手も存在していた。
そして、横に居るのは…可愛らしい少女。
面影がゾルバルに似ているから、たぶん彼の娘なんだろうな。
あんな強面の親父からこんなに可愛らしい娘が生まれるんだから、世の中は不思議なものだ。
年齢は…今の俺より年下くらいかな?でも、その年でこれだけ可愛かったら将来性は高そうだと思う。
…もし、生きていたならば。
――そうか、ゾルバルには娘が居たのか。
俺は無言のまま、そっと写真立てを元に戻した。
ゾルバルの娘は、たぶんもう…この世にはいないのではないだろうか。そんな予感がした。
もしかすると、彼がやっていること、やろうとしていることは…復讐とかなのかもしれないな。
そんなことを考えながら、視線を棚のほうに移したとき…
俺は、激しい衝撃を受けた。
無造作に棚に置かれていたもの。
それは…薄汚れたリュックのようなもの。
だが…俺はこれに見覚えがある。
どこで、どこで見たんだ…?
そうだ!あそこだ!
俺がこの世界に飛ばされてすぐの時、目の前にあった…上半身の無い"屍体"。
その側にあったリュックだ!間違いない。
なぜこれがこんなところに…
いや、よく考えたらあのときゾルバルが俺を拾ってくれたんだから、ここにあってもおかしくない。
中身を確認しよう。
俺はゆっくりと手を伸ばすと…リュックの中のものを確認した。
そこには、『一冊の赤い本』と『紙切れ』のようなものが入っていた。
まずは赤い本のほうを取り出してみる。
それは、少し動物臭のする皮でできた…禍々しい雰囲気のある本だった。
勝手に開けないように、がっちりと封をされているので中身は確認できない。
とりあえず本の題名を読んでみる。
…えーっと、ノーヴ…アポカリプス?
って、【新約・魔王召喚】だぁ!?
なんちゅうとんでもない名前の本なんだよ、これは!
持ってるだけで呪われそうな気がしたので、慌てて本をリュックの中に戻した。
気を取り直して、今度はもうひとつの…紙切れのほうに手を伸ばす。
手に取ってみると、それは…紙切れではなくて"写真"だった。
こちらの写真にも、男女二人が写っている。
ゾルバルの写真と同じく、やはり"父娘"のようだ。
実際、写真にはこう書かれていた。
『わが娘"スカニヤー"とともに。 シャリアール』
…ということは、父親のほうがシャリアールで、娘のほうがスカニヤーなのだろう。
父親…シャリアールのほうは、見たこともない男性だった。
少し暗い表情を浮かべた…なんというか、科学者のようなイメージの人だ。
あの"屍体"の持ち物だったということを考慮すると、もしかすると"シャリアール"というのが"彼"の名前だったのかもしれないな。
今までとなっては知る由もないんだけど。
それにしても、シャリアールって名前…どこかで聞いたことあるな。
なんだったっけ…
まぁいいや、とりあえず横に写ってる娘の方を見てみよう。
そこに写っている少女は…
「…えっ?」
その少女の顔を見た途端、俺は思わず声を出していた。
…これはいったい、どういうことなんだ?
そこに写っていたのは、父親と同じように暗い表情を浮かべた少女。
あまり健康的でないのか、かなりやせ細って伏し目がちだ。
決して美人という感じではないだろう。
だが、問題はそこではない。
これは…ここに写っているのは…
背筋に、冷たいものが流れ落ちていく。
…手の震えが止まらない。
あぁ、これは…
ここに写っているのは……
今の俺じゃないか。
「…そいつを見つけてしまったようだな」
突然、背後から声がしたので振り向く。
そこには…葉巻を咥えたゾルバルと、心配そうな顔でこちらを見ているフランシーヌがいた。
「おい、ゾルバル…これって…ここに写っている娘って……」
俺の問いかけにゾルバルは…はっきりとした口調で答えた。
それは…俺にとって、最悪の言葉だった。
「あぁ。そこに写っているのは……"スカニヤー"。すなわち、今のお前の身体の……元の持ち主だ」
これにて、第2章は終了です。
アナザーサイトを挟んで、いよいよ前半戦最後の第3章に入ります。