最終話 親友(とも)よ
崩壊し始めた俺の肉体を見て、スカニヤーがハッと息を飲んだ。
その横で、グィネヴィアが崩壊する手を抑えてくれながら声を上げる。
『ねぇ、アンゴルモア様!なんとかアキのことを助けられないの?』
『…うむ、我輩もなんとかしたいのだが…こやつは既に人間の限界をとっくに超えた力を発揮してしまったんだ。魂がその負荷に耐えられなかったんだよ』
必死の形相でどうにかしろと迫るグィネヴィアに対して、アンゴルモアが申し訳なさそうに首を横に振った。
『それに我輩自身にも…終わりのときが近づいてきたみたいだな』
アンゴルモアの言葉通り、俺の手にある“霊剣アンゴルモア“も、バキバキにひび割れていた。おそらくは限界を超えた力を発揮したせいで、その役目を終えたのだろう。
そのことはすなわち、アンゴルモアも力を使い果たしたことを示していた。
『そんなのいやっ!アキ、消えちゃイヤだよぅ』
スカニヤーが泣きながら俺にしがみついてくる。彼女たちの気持ちは嬉しかったんだけど、こればっかりは…もはや誰にもどうにもならないことは俺自身が一番よく分かっていた。
なにせ神に匹敵する力を発揮したんだ。
アンゴルモアの言う通り、無事で済むはずがない。
だとしても、俺は同じ機会があれば必ずアンゴルモアの力を借りに行っていただろう。それだけが…唯一の解決策だと分かっていたから。
俺は、ベストを尽くしきった。
あとは…定めを受け入れるだけだ。
ゆっくりと崩壊を始める自分の身体を、俺は満たされた気分で眺めていた。
やるべきことは全て果たした俺には、もはや思い残すことはない…はずだった。
…いや、それはウソだ。本当は思い残すことなどたくさんある。
男に覚醒?したカレンと買い物に行きたかった。
元気になったエリスと、喫茶店でガールズトークしたかった。
おてんばミアと一緒に街で買い物をしたかった。
カノープスと一回くらいデートしてやってもよかったかな。そしたら…プリムラも連れていって無理やり二人をくっつけても良かったな。
あと、ボウイとナスリーンは…あいつらはほっといてもくっつきそうだから良いか。
…そして、スターリィ。
俺の最愛の人。
きっと…彼女は悲しむだろうな。いや、やっぱり激怒しそうだな。
だけど、許してほしい。
俺だって、めいっぱい頑張ったんだから。
きっと彼女なら褒めてくれるだろう。
「よく頑張りましたわね、アキ」って…
気がつくと、俺の手足の先がすでに消滅していた。いよいよ…俺自身が消え去るときが迫ってきたんだろう。
もはや周りで必死になって何かしようとしてくれているグィネヴィアたちの声も聞こえにくくなってきている。
俺は…黙って目を閉じて、死を受け入れる心の準備を整えようとした。
そのときだった。
《…だめよアキ!諦めないで!》
俺の頭の中に、目の覚めるような凜とした声が聞こえてきた。今一番聞きたかった声、だけどこの空間で聞こえるはずのない声。
驚きのあまり、消え去りかけていた俺の意識が一気に覚醒する。
「その声は…スターリィ!?」
声が出た。
掠れるような俺の声に、凜とした声で返事が返ってくる。
《そうですわ!アキ、あたしを置いて逝くなんて、絶対に許しませんからねっ!何があっても…あたしの元に帰ってきて!!》
《アキ!可愛い彼女を泣かすんじゃないよ!》
スターリィだけじゃない、ティーナの声も聞こえてくる。
…そうか、二人とも無事だったんだな。本当によかったよ。無事を確認しないまま異世界に飛んできたから、声を聞けて安心した。
…でも、なぜだ?
どうして異空間に、スターリィたちの声が聞こえる?
もう一度気力を取り戻した俺は、すぐに目を開けると周りの様子を伺う。
最初に視界に飛び込んできたのは、俺の頭を支えてくれている…白髪の男性、ゾルバルだ。
ゾルバルは、俺の頭を抱えながら心の声で俺に話しかけてきた。
『…ふふふ、気力を取り戻したか?そう簡単に諦めるもんじゃないぞ、アキ』
そう、奇跡を起こしたのは…
逆立てた白髪を手で撫で付けながら、俺に語りかける壮年の男性…ゾルバルだったんだ。
「ゾルバル!?どうやってスターリィたちと通信を?」
『おいおいアキ、お前はワシの固有能力を忘れたのか?
ワシの能力はな、【夢旅人】という、異空間を渡る能力なんだよ。そいつの力で…ちょっと新世界エクスターニヤと声だけだが繋いでみたのだ』
まるでイタズラが成功したときの子供のようにニヤリと笑うゾルバル。
すると…次々にいろんな人の声が俺の頭の中に飛び込んできた。
《アキ!帰ってきて!もっとたくさん語り合おうよ!》
《そうだそうだ!このままトンズラなんて許さないぞ!》
《アキ!お願い、帰ってきて!》
これは…カレンにミア、それにエリスだな。よかった、エリスも無事に目を覚ましたみたいだ。
《アキ!ぼくは君の帰りをいつまでも待ってるよ!》
《アキ様!絶対にご帰還くださいませ!》
畏まった言い方の二人は…カノープスとプリムラだな。こいつら最後まで俺のことを魔王だか魔神扱いだったなぁ。
《アキー!帰ってきてまた模擬戦やるぞ!》
《うちらのイチャイチャぶりを見せつけたるでー!》
今度はボウイとナスリーンか、あいつらほんとに…なにやってんだか。思わず苦笑してしまう。
《アキ、帰ってきて。ゾルバル様、アキを…お願いします》
《オギャー!》
この声は…フランシーヌとゲミンガ。泣き声が元気そうでなによりだ。
《アキ、帰ってこい!俺たちは…『明日への道程』の枠を空けて待ってるぞ!》
《お前なら大歓迎だ!なぁ?》
《ですね!彼女には興味が尽きません》
《アキちゃーん!かえっておいでー!》
《アキ、あなたの帰還を待ってます!》
これは…レイダーさんたちだな。よかった、ザンジヴァルに勝つことができたんだ。
勝てると信じてたけど、改めて声を聞いて安心したよ。
他にも、七大守護天使であるデインさんやクリスさん、学園長やヴァーミリアン公妃の声まで聞こえてくる。
…あぁ。俺はこんなにもたくさんの人たちに、大切に思われてたんだな。
改めて湧き上がる…感謝の思い。
だけど、俺にはもう…これ以上生き残るだけの力は残されていなかった。
既に手足は消滅し、崩壊は身体の中心部分にまで及ぼうとしていた。みんなの声を聞くことが出来たのはすごく嬉しかったんだけど…
最後に、ゆっくりと歩み寄ってきたアンゴルモアが、無念さを浮かべながら俺に語りかけてきた。
『アキ、我輩はお前のように素晴らしいやつを失うのは本当に惜しい。なんとかしてやりたかったんだが…これが限界だった。せめて我輩が、あの世への旅の共をしよう』
申し訳なさそうに俺に頭を下げるアンゴルモア。役目を果たした“霊剣アンゴルモア“も、刀身がボロボロと崩れ始めている。
でも仕方がないよな、もともと分かっていた結果だし。限界を超えて力を使ったものに訪れる…これは当然の結末。
『せっかく私たちを救ってくれたきみに、なんとか報いたかったんだけど…』
『わたしたちは、あなたが消え去るのを見守ることしかできないのね…』
アンクロフィクサとミクローシアが悲しげな表情を浮かべながら、俺の側に立っていた。
『アキ…本当にありがとう。あたしたちも…あなたとともに逝くわ』
『せめて君が寂しくないように、我々がお供しよう』
スカニヤーとシャリアールが目を伏せながら、俺の肩に手を置いてくれた。
…大丈夫、俺は寂しくなんかない。
こんなにも…送り出してくれる人たちがいる。
さぁ。俺も、旅立とう。
一足先に行って俺のことを待っている、サトシがいる場所へ…
俺は…もう一度ゆっくりと瞳を閉じた。
…
……キ…
………ア…キ…
『……アキ』
最後の意識が途切れようとした、そのとき。
俺の心の中に、誰かの声が飛び込んできた。
しかも、この声は…
まさか……
……サトシ!?
「お前、もしかして…サトシ…なのか?なぜ先に逝ったはずのお前の声が?」
『アキ、お前に…渡したいものがある。手を…伸ばせ』
なかなか無茶なことを言ってくるな。もう俺の手は崩れ落ちてしまっているというのに。
だけど俺はサトシの言葉に従うように…本来は無くなっているはずの右手を前に伸ばした。
ところが…
無くなったはずの俺の右手が、何かに触れた。
『…そいつは俺からのプレゼントだ。じゃあな、アキ。俺の…親友よ…』
消え入るようなサトシの声が、かすかに俺の頭の中に聞こえたような気がした。
ずしり。
次の瞬間、俺の右手になにかの重みを感じる。
反射的に手のひらを握りしめると、俺の手は…何か小さくて硬いものを掴んでいた。
失ったはずの手の感覚を感じて、俺は慌てて閉じていた目を開け、右手のある場所を確認する。
すると、崩壊したはずの俺の右手の部分に…なんと、透明に透けた右手が出現していたのだ。
しかも透明な右手は…なにか赤い光を放つものをしっかりと掴んでいた。
硬い…?これは…?
俺はゆっくりと指を開いて、握り締めたものを確認する。
そして俺は…
言葉を失った。
うそ…だろ?
なんでこいつが…今俺の手の中にあるんだ?
俺の手に握られていたもの。
それは…俺の宝物だった”オモチャの指輪”。
見間違いようがない。こいつはサトシと一緒に買った、子供向けの…プラスチックの赤い宝石のついた、ちゃちなオモチャの指輪だ。
だけどこの指輪は、この世界に来るときに喪われたはず。それがなぜ…いま俺の手に?
次の瞬間、おもちゃの指輪から俺の中に物凄い力が入り込んで来た。
なんだこれは!?どういうことなんだ!?
一瞬慌てたものの、俺は…この感覚に似た経験をしたことがあった。
それは…天使に覚醒したときの感覚。あのとにの感覚に極めてよく似ていたんだ。
「もしかしてこれは…『天使の器』なのか?」
俺は掌の上に転がるオモチャの指輪を眺めながら、確認するようにそう独り言を呟いた。
俺の言葉を裏付けるかのように、崩壊したはずの俺の体が…指輪から流れ込んでくる大きな魔力によって徐々に復元していく。
何が起こっているのかわからないまま、俺は手に持ったままの”おもちゃの指輪”を確認した。
指輪には一言、こう刻まれていた。
”サトシの指輪”と。
あぁ、なんということだろうか。
この指輪は…やはり『天使の器』だった。サトシは…死して『天使の器』となったのだ。
しかも、どうやらこのオーブによって俺は天使に覚醒したみたいだった。
現に、天使化により湧き上がってくる魔力によって、俺の肉体がどんどん復元されてゆく。
サトシは…再び俺の前に姿を現した。
俺の命を救うために。
その身を…『天使の器』へと変えて。
「サトシ、お前ってやつは…」
俺は溢れ出る涙を止めることができなかった。サトシは…最後にまたもや俺の命を救ってくれたのだ。
俺は、復元してゆく身体でサトシの指輪を抱きしめた。だけどもう…あいつからの声は聞こえてこなかったんだ。
少しずつ肉体を取り戻していく俺の姿を見て、それまで悲しみに包まれながら俺のことを眺めていたアンゴルモアたちが一気に色めき立った。
『これは…なんという奇跡!我輩もお主を救おうとして適わなかったが…まさがこのような奇跡が起こるとは』
俺のすぐそばで、アンゴルモアの唸るような声が聞こえてきた。どうやら彼も俺を生かそうとがんばってくれたみたいだ。ありがとう…アンゴルモア。
『今がチャンスよ!アキを新世界に送り出しましょう!』
興奮気味に声を上げるグィネヴィアの言葉に反応したのはゾルバルだった。
『それならワシにまかせろ!【夢旅人】がある!』
『我輩も残された霊気を総動員しよう!だがゾルディアーク、それでもアキを送り込むには魔力が足りないぞ?』
『…魔神アンゴルモア。私の扉の力があれば、その足しにならないだろうか?』
そう言って会話に割って入ってきたのはアンクロフィクサ。だけど彼の言葉にもアンゴルモアはまだ良い顔をしない。
『…それでも届くかというと、やはり厳しいだろうな。…まだ足りん』
『『だったら、私たちがいる!』』
異口同音に声をあげたのは、スカニヤーとグィネヴィアだった。少し遠慮がちにミクローシアとシャリアールも頷いている。
《こっちからも手引きする!ボクが…こっち側の扉を開く!》
さらに、念話のよる声が聞こえてきた。この声は…ティーナか!?
《俺たちもいるぞ!》
《こっちは任せとけ!》
《なかなか難題ですが、力を合わせましょう!》
《ティーナに力を貸すわ!》
《さぁ、今こそ力を合わせるときよ!》
さらに聞こえてくるのは…レイダーさんたち『明日への道程』のメンバーの声。
《あたしたちも…力を注ぎますわ》
そして、この声は…スターリィ。
そうか、あっちのみんなも…力を貸してくれるというのか。
俺は、胸がいっぱいになってぎゅっと唇を噛み締めた。
皆の態度を確認して、アンゴルモアが微笑みながら頷いた。
『ふむ…これだけの魔力があれば、もしかしたら届くかもしれないな。ただし、そなたらは元々アキの霊気で呼び出されただけの存在。そんなに力を使ってしまっては、もう…消えてしまうだろう』
『ワシらはもともと死んでたんだ。別にアキを助けて昇天できるなら本望さ。それに…あんたも同じ気持ちなんだろう?魔神アンゴルモア』
ゾルバルの言葉に、他の五人も同意を示した。その様子にアンゴルモアがニヤリと笑う。
『はははっ。アキ、本当にお前は幸せ者だなぁ?』
アンゴルモアが笑いながら、徐々に復元しつつある俺の肩をぽんっと叩いた。
アンゴルモアを中心とした7人が…俺を取り囲むように陣取った。
『それじゃあ、全員で力を合わせてアキを新世界へ戻すぞ』
ゾルバルの言葉に、全員が「おうっ!」と答えた。
次の瞬間、俺の目の前に光り輝く黄金色の扉が出現した。ゆっくりと開かれる扉…その先は七色の濁流が渦巻いていた。
そこに、ゾルバルを除く5人の魔力が注ぎ込まれる。扉がさらに…輝きを増した。
『さぁ、門は開いたぞ!ゾルディアーク、アキを送り出すのだ!』
アンゴルモアの言葉を合図に、ゾルバルが俺の身体をそっと持ち上げた。
いやだ、俺はまだゾルバルたちと話したい!
それに…こんなの嫌だ!俺だけ戻るなんて、そんなの…我慢できない。
そう伝えたかったものの、ようやく復元しつつある俺の身体は言うことを聞かなかった。言葉もろくに発することができない。
そんな俺の様子に気づいたゾルバルが、ニヤリと笑いながら語りかけてきた。
『さらばだ、アキ。元気でな…【夢旅人】!!』
ぽんっ、と勢いよく、俺の身体がゾルバルによって突き飛ばされた。
あっと言う間もなく扉の中に放り込まれた俺は、光り輝く濁流に飲み込まれていく。
扉に吸い込まれながらも、俺は必死に身体を捻って彼らの姿を追いかけた。
ゾルバルたちは…扉の向こうで最高の笑顔を浮かべながら俺に向かって手を振っていたんだ。
彼らの姿は、すでに半分以上透明になっていた。それはアンゴルモアも同様で、彼の向こうには崩れ落ちていく“霊剣アンゴルモア“の姿が見える。
どうやら彼らは文字通り、最後の力を振り絞って俺を送り出してくれたみたいだった。
俺は胸の奥から込み上げてくる熱い思いを抑えることができないまま、必死に声を上げた。
「ゾルバル!アンゴルモア!みんな!俺は…あなたたちに…」
だけど…最後まで言葉を続けることはできなかった。
やがて…俺の身体は真っ白な光に包み込まれたんだ。
光のトンネルを落ちるように進んでいくと、その先に…小さな扉が見えた。扉はゆっくりと開き、その先に見える景色は…
「アキっ!!」
涙を流しながら両手を広げるスターリィと、彼女の横で両手を広げるティーナ、それにレイダーさんたち『明日への道程』のメンバーの姿だったんだ。
あぁ、俺はこの世界に…
帰ってきたんだ。
<エピローグに続く>




