106.誇り
「ゾルバル!!」
これは夢じゃないのか。そう思ってしまうくらい、これまで何度も夢にまで見た男の姿があった。
2年前とほとんど変わらない、白い髪に白いひげを蓄えた、壮年の戦士ゾルバル。ただ一つ依然と違うのは…失われたはずの右腕と右目が復元していたこと。
以前と変わらない優しい瞳で俺を見つめるゾルバルに、俺は涙が止まらなかった。
「ゾルバル…会いたかった。そして…謝りたかったんだ」
《何を言っているアキ。謝る必要なんてないさ。
なによりお前は十分立派になった…見違えるようだ。俺はそれが嬉しいよ》
優しく俺の頭を撫でるゾルバル。思ってもみない優しい言葉に、俺は涙を流しながら頷いたんだ。
あ、そういえば以前から、ゾルバルにもう一度会えたら必ず聞いてみたいと思うことがあったんだった。ぐいっと涙を拭うと、思い切って尋ねてみる。
「なぁゾルバル。俺の歩んできた道は…間違ってなかったのかな?もしかしたらもっと別の最善策があったんじゃないかって、俺はいつも悩んでたんだ」
俺の問いかけに、ゾルバルはニヤッと笑った。
《ははっ。アキ、お前は間違ってなんてないさ。それにお前だったらもし道を間違ったとしても、反省して立ち戻り、また歩き出すことができる。ワシはお前がそういうやつだって信じてる》
「でも俺は…ゾルバルを犠牲にしてしまった。サトシだってもっと早く気付けたかもしれない。なのに俺は…」
だがゾルバルは、俺の言葉を遮るように首を横に振ると、微笑みながらこう言ったんだ。
《そんなことはない。お前が歩んできた道が、最善策だ。胸を張れ、アキ。自分に自信を持て。お前はそれだけのことをやってきたんだ》
ゾルバルの言葉に、俺は思わず彼の顔を見つめた。
《…アキ。お前は本当に苦しい道を歩んできた。だけどその中で…たくさんのものに出会い、そして成長していった。気付けば…邪神に届くほどにな。そんなお前のことを、ワシは…”誇り”に思っている》
ゾルバルから発された、思いがけない言葉。
俺は溢れる涙を止めることができなかった。
なぜなら俺は、この世で最高の戦士であり、誇り高き男であるゾルバルから認められたのだから。それだけじゃない、「誇り」とまで言われたのだ。
…こんなにも嬉しくて名誉なことは他にない。
「ゾルバル、俺は…」
熱くなった目頭を押さえる俺の肩を、ゾルバルがポンッと叩いた。
《ははっ、泣くなアキ。まだ終わってないぞ。続きは…目の前のあいつを倒してからだな》
そうだ、まだサトシとの決着はついていない。俺が…サトシに引導を渡さないとな。
俺はゾルバルの言葉に頷くと、目の前で黒い煙を発し続けてるサトシへと…再び視線を戻したんだ。
すでに4つの魂を失い苦痛に呻くサトシは、顔を歪めながら俺のことを睨みつけていた。
『くぅ…今度はアンクロフィクサとミクローシアが消えやがった。…アキラァアアァ!きさまいったいなにをした!
…こうなったらもう許せん。今度こそ…消してやる!!』
ずくん…
サトシの全身が、小さく震えた。次の瞬間、全身の肉が盛り上がり、その姿を変貌させていく。
全身を黒い毛が覆い尽くして、サトシの姿を…黒い獣へと変えていった。
しかもそれだけではない、獣と化したサトシの手には、黒くて大きな剣が握られていた。もしかしてあれは…さっき見せたグィネヴィアの能力か?
『ははっ、恐るがいい!嘆くがいい!お前は邪神たるこの俺を完全に怒らせた。
今こそ…先代魔王グイン=バルバトスと、先々代魔王ゾルディアークの能力を見せてやろう』
声高らかに宣言しながら、サトシは剣を大きく振りかぶった。凄まじいまでの魔力と邪気が、サトシのもとに集まっていく。
『さぁ、かつて世界を滅ぼしかけたこの力…その身で思い知れ!
…変身、【超・獣・化・身】!!
同時発動…破滅の奥義【世界を滅ぼす剣】!!』
能力発動に合わせて、サトシの体が一段と大きく膨らんだ。その姿は…もはや巨大な魔獣。しかも天高く掲げる両手には、禍々しい邪気を放つ巨大な剣が握り締められていた。
サトシは振りかぶった剣を俺に向かって一気に振り下ろしてきた。あまりの邪気に、異空間の風景が剣の周りだけ歪んでいく。
だが、やはり俺に焦りはなかった。
なぜなら…今度は俺の目の前に、光り輝く一人の女性が出現したからだった。
彼女は、ゾルバルたちと同じように薄っすらと白く光り輝いていた。
腰まである白くて長い髪。少し華奢に見える腰元。強い意志を感じられる眼差し。初めて見る彼女の面立ちは、父親の面影を色濃く残している。
俺にはもう彼女が誰なのかわかっていた。だから…迷いなく声をかけたんだ。
「あなたは…グィネヴィアだね?」
《ええ、そうです。初めまして…アキ》
俺の問いかけに、かつて『魔王』グイン=バルバトスと呼ばれた女性…グィネヴィアは微笑みながら頷いた。その笑みは、まるでバラのように可憐だった。
「ははっ、予想以上にゾルバルに似てるね。だけど…すごく美人だ」
《あら、ありがとうアキ。でもそれは褒めてるのかしら?それともけなしてる?
でも良いわ。なにせお父様ったら、いつもわたしのことを「おてんば」って呼んでらしたから…》
《こらこら、ワシがいつお前のことをそう呼んだ?》
娘の苦情に慌てた様子で否定しているゾルバルが、なんだからしくなくて俺は思わず笑ってしまう。
同調して笑う彼女は、俺に擦り寄りながら《あのひと、ひどいの。女心ってのはいっつもわかってないのよ。死んだお母様もいつも苦労してたわ》などとわざとらしく俺に耳打ちしてくる。
うーん、なんというか思ってた以上にお茶目な女の人なんだな、グィネヴィアさんは。
《こらこら、グィネヴィア。油なんぞ売ってる暇なんてないんだぞ。ほら、もう邪神の攻撃が目の前まで来ておる》
《ええ、そうだったわね…わかったわ》
グィネヴィアは急に真顔に戻ると、大きく息を吐いて…俺の目を見て語り始めた。
《アキ、わたしからあなたに伝えたいことがあります》
「…私に?」
《ええ。わたしは…死ぬまでの間ずっとサトシと一つの肉体を共有していました。そんなわたしだからこそ分かることがあります。
彼は…サトシはずっと苦しんでいたんです》
「…!?」
思いがけず知らされた、20年前のサトシの様子。やはりサトシの身に…なんらかの異変が起こっていたのだ。
《あなたも薄々気づいているかもしれませんが…サトシはこの世界に来る途中の”異空間”で、精神に異常をきたしてしまったようなのです。その原因は…”異空間”を埋め尽くす『超文明ラームの呪い』にあります》
「超文明ラームの…呪い?」
グィネヴィアの口から初めて聞かされた単語は、悍ましさと禍々しさを伴っていた。おうむ返しに確認する俺に、首を縦に振って頷くグィネヴィア。彼女の美しい白髪が、ゆらりと揺れる。
《かつて超文明ラームは、『天使の器』という究極の魔道具を得るために、この異空間にある仕掛けを残しました。それが…”異空間を通るものを『天使の器』に変える”という、あまりに無慈悲な呪いです》
なん…だって?
彼女の口から語られる恐ろしい情報に、俺は絶句してしまった。想像だにしなかった、魔族が死後オーブになってしまうからくりの真相。
その正体は、超文明ラームが遺した負の遺産だったのだ。
《超文明ラームの支配者層の魔導師は、異空間にそのような…誰にも解けない恐ろしい魔術を仕掛けました。その結果、異空間を通るものは全て狂い…挙げ句の果てに、死した後『天使の器』へと変貌を遂げる恐ろしい呪いを問答無用でかけられるようになってしまったのです》
「じゃあ…魔族たちが死んだら『天使の器』になってしまうのは…」
《ええ、そう。すべてこの”超文明ラームの呪い”と呼ぶ、恐ろしい魔術のせいなのです》
なんという恐ろしい呪いなのだろうか。グィネヴィアは便宜上”呪い”と言っているが、俺が魔眼で見る限りこれは一種の魔術の術式だ。異空間全体に張り巡らされた、呪いと言う名の究極の悪意。
そんなものが…この空間を埋め尽くしていたというのか。だから、召喚された魔族たちはことごとく狂っていたのか。だから魔族は…死んだら『天使の器』へと変化したのか。
《超文明ラームの呪いは、異空間を通るもの全員に、例外なく降り注ぎました。それは…異空間を伝って新世界エクスターニヤへやってきたサトシも例外ではありませんでした。彼もまた”超文明ラームの呪い”のせいで…精神を狂わされてしまっていたのです。
でも彼は、とても意志の強い人だった。完全に狂った訳ではなく、ときどきは正気に戻る時があったのです》
…確かにサトシは不意に正気に戻ることがあった。事実、一瞬だが…サトシが俺に救いを求めるような言葉を発したこともあったから。
《20年前のときも、彼が正気に戻った隙に、パラデインとクリステラに力を借りて…私たちはなんとか一度死ぬことができました。でも…サトシはそれでは完全に滅びなかったのです》
結果、異空間に再度飛ばされたサトシは、俺とともに新世界に蘇ってきた。そして、完全に狂ってしまったあいつは…今度こそ世界を滅ぼそうとしている。
それが、サトシ変貌の真相だったのだ。
しかし、だとすると…俺はなぜ無事にエクスターニヤにやってくることができたのか。どうして俺は…狂わなかったのだろうか。
ふいに蘇る…異空間を通ってきたときの記憶。
異空間に放り出された俺は、訳のわからない濁流の中にもまれて消え去りそうになっていた。
今にも消えてしまいそうな俺を救ったのは…微かに聞こえてきた俺を呼ぶ声。
あの声を聞いた直後、俺の体は一気に軽くなった。
俺を呼ぶ声の正体。あの声は……今ならわかる、あれはサトシの声だ。
その瞬間、俺は理解した。
俺が異空間で狂わなかったのは…サトシのおかげなのだと。
俺がこの世界に飛ばされていたとき、狂いそうな心を包み込む暖かい存在を感じた。荒れ狂う濁流の中、俺の精神はその存在によって…守られていたのだ。
俺を守ったものの正体は、間違いなくサトシ。あいつは…俺を守るために魂だけで俺に張り付き、身代わりとなって”超文明ラームの呪い”を一身に受けてくれたのだ。だからサトシは…ずっと俺の中にいたのだ。
そのおかげで、俺は精神を崩壊させずに新世界エクスターニヤにたどり着くことができた。
だけど身代わりとなって呪いを受けたサトシは……
《残念ながらもう…今の彼の精神は崩壊寸前です。このままでは…この世界ごと完全に滅びてしまうでしょう。
だからアキ、わたしたちの手で彼を止めるのです。
サトシはずっと死にたがっていました。同時に…アキ、あなたに強く会いたがっていたのです》
呆然とサトシを眺める俺の胸を胸を鋭く突き刺す、グィネヴィアの言葉。
そうか、あいつはずっと…俺に会いたがっていたのか。
俺は改めて目の前に迫るサトシの姿を確認した。目は血走り、完全に狂気を宿したその目に、もはや正気は感じられない。
だとしたら、今の俺に出来ることは…あいつがこれ以上苦しまないようにしてやることだけだ。
…分かったよ、サトシ。ならば俺が…お前に引導を渡してやるよ。
「覚悟は決まったよ、グィネヴィア。俺が…あいつを滅ぼす」
俺は覚悟を決めると、グィネヴィアにそう伝えた。彼女は力強く頷く。
《ええ、アキ。それでは…わたしとお父様もあなたに力を貸します。一緒にサトシを…呪いから解放してあげましょう》
《うむ、アキ!ワシも全力でサポートする。存分にワシの力を使うがいい》
声高らかに宣言すると、グィネヴィアとゾルバルの父娘は…俺に向かってガッツポーズをしたんだ。
《よし、ではいくぞアキ!!
…今こそ我が奥なる力をこの者に!
…神の能力、【神・聖・獣・変・化】!!》
《神の器たるものに、大いなる祝福を…!
…神の能力、【新世界の聖王の剣】!!》
きゅうぅん!という鋭い音とともに、俺の目の前に突如”巨大な白い剣”が出現した。慌てて俺は手を伸ばし、白い剣をしっかりと右手で掴む。
同時に、俺の両手がみるみるうちに白い体毛に覆われていった。間違いない…こいつはゾルバルの”聖獣”の力だ。一度サトシに奪われて失われた力が…俺の元に戻って来たのだ。
二人の能力を借りて、俺は…天地を揺るがす凄まじい力を手に入れた。
そのまま俺は、白い霊気を発している巨大な剣を振りかぶると、迫ってくるサトシとその暗黒の剣に向かって…一気に振り下ろしたんだ。
激突する、魔剣と聖剣。
宇宙をも切り裂くような空前絶後の一撃が、俺たちの間を突き抜けていった。
打ち合った瞬間は互角のように感じられた。だけど…終わりはすぐにやってきた。
俺が両腕に力を入れると、ずずっ…と剣が前にめり込んでいったのだ。
「サトシィイィイイ!!」
『アキィィイィィイ!!』
不利を悟って絶叫するサトシ。俺も負けじと声を張り上げる。
ずんっ。
確かな手ごたえが、俺の両手に伝わってきた。
気がつくと…俺の剣は……
サトシの黒い魔剣ごと、あいつの体を両断していたんだ。
『ぐあぁああぁっ!!』
真っ二つにされたサトシが、悲鳴のような絶叫を上げた。その声に合わせるかのように、黒い獣と化していたサトシの身体のうちの半分が、大きな爆音とともに爆散した。
『…バカな…俺は神だぞ?邪神ディアス=バルバトスだぞ?それがなぜ……』
残った方の半身から、サトシの戸惑う声が聞こえてくる。だが…彼の疑問に対する明確な答えを、あいにく俺は持ち合わせていなかった。
残されたサトシの半身の方からも黒い煙が発生していき、超獣と化していたその身をゆっくりと霧散させていった。
やがて…サトシの身体に浮き出ていたゾルバルたちの顔もすべて消滅する。
最後に残されたのは…サトシの本体、ティーナによく似た顔と体だけだった。
『ぐぅぅ…なぜだ…』
そしてサトシは…黒いドレスに身を包んだだけの姿で、異空間に呆然と立ち尽くしたのだった。
俺は手に持っていたグィネヴィアの剣を一振りして消し去ると、そのままゆっくりとサトシに近づいていった。サトシは…ショックのあまりガックリと膝をついた状態でうなだれていた。
「…サトシ、わかったか?お前の…負けだ」
『どうしてだ?なぜ…二度の転生を果たした俺がお前なんかに負ける?この俺が…ただの凡人であるはずのアキに力及ばないだと?そんなこと…ありえない』
愕然とするサトシに向かって、俺は首を横に振った。
「それが違うよ、サトシ。お前は俺に負けたんじゃない。…俺たちに負けたんだ」
俺の後ろには、薄い光に覆われた6人の姿があった。
心優しき乙女、スカニヤー。
己を取り戻した天才、シャリアール。
悲劇の堕天使、アンクロフィクサ。
愛に尽くした女性、ミクローシア。
美しく気高き女性、グィネヴィア。
そして…誇り高き戦士、ゾルバル。
俺は、一人じゃない。
たくさんの人たちが支えてくれたからこそ…今の俺があるんだ。
『なんなんだ…アキ、きさまの全身から感じるその力は?』
サトシが震える声で俺に問いかけてくる。
俺は胸を張ってサトシの質問に答えた。
「これが…俺の能力、【新世界の感謝祭】の真の力だよ」
そう、俺の能力【新世界の感謝祭】とは…
俺のことを大切に思ってくれる人が、その力を貸してくれる能力だったのだ。
俺に力を貸してくれる対象に、生死は関係ない。生死をも乗り越えて…彼らは俺に力を貸してくれた。
もちろんこの場には現れていないが、他のみんなの力も感じている。
スターリィ、ティーナ、エリス、カレン、ミア、カノープス、プリムラ…
レイダーさんたち『明日への道程』のメンバーや、学園に残る他の同級生たちの力も感じる。
さらには…デインさんやクリスさん、ロジスティコス学園長やヴァーミリアン公妃など七大守護天使の力も。
彼らの力を貸し与えられた今の俺は、無限の魔力を感じていた。
今の俺なら、きっとどんな相手にも負けないだろう。なぜならみんなが…俺に力を与えてくれているから。
『バカな…なんなんだそのふざけた能力は。そんなの…』
「俺はこれまでもずっと誰かのおかげで生きてきた。そしてそれは…サトシ、お前からもだ」
『っ!?』
「なぁサトシ、もう終わりにしよう?俺と一緒に…逝こう」
俺はゆっくりとサトシに手を差し出す。今の俺に出来る、サトシへのめいいっぱいの誠意。だが…サトシは俺の差し出した手を力一杯引っ叩くと、唾を吐きながら睨みつけてきた。
『…ふざけるな、ふざけるな!!そんなの…ぜったいに…認められねぇ!俺はなぁ…神なんだああぁあ!!!』
絶叫するサトシが、苦し紛れに能力…【新世界の謝肉祭】を発動させた。発生した黒いもやが、行き場なく戸惑った挙句、異空間を漂うなにかを喰い始める。
…いや違う。サトシが食っているのは、まさに異空間そのもの?
《いけない、サトシは…”超文明ラームの呪い”を喰い始めたわ!!》
俺の脳裏に、少し慌てたグィネヴィアの声が鋭く聞こえてきた。




