99.ウララヌス、再び
霊山ウララヌス。
そこは、かつて『魔神』と呼ばれ超文明ラームを滅ぼした魔族の神…【アンゴルモア】の『覇王の器』が眠る聖なる山だ。
俺は以前にも一度この山にチャレンジして、【霊剣アンゴルモア】に拒絶されていた。
だけど…もう一度俺はあの山に登ろうと思う。目的はもちろん、【霊剣アンゴルモア】を手に入れるためだ。
この場にいるメンバーの中で、俺だけが未だに魔力覚醒していない。今の俺は間違いなく最弱の存在だ。
そんな俺がサトシに届く唯一の方法。それが…『覇王の器』とまで呼ばれる【霊剣アンゴルモア】を手に入れ、天使として覚醒することなんじゃないかって考えたんだ。
もちろん、世の中そんなに甘くないのはわかっている。なにせ相手は…歴史上これまで一度も誰の手にも渡らなかった伝説のオーブだ。事実、俺も一度【霊剣アンゴルモア】に拒絶されている。
だけど、俺には僅かながら勝算もあった。以前とは違う要素が…今の俺にはあったからだ。
あの時の俺は、サトシの力を借りているだけの”借り物”の存在だった。だけど今は違う。良くも悪くも…素の俺自身だ。
もしかしたら、素の俺であれば受け入れられるのではないか。そんな…願望にも等しい思いがあったんだ。
…ただ、その逆だって十分ありえた。むしろ霊山ウララヌスに拒絶される可能性のほうが高いのかもしれない。
もしかしたら…あのとき頂上まで登れたのは、サトシが中に居たおかげかもしれないのだから。
様々な不安は付きまとうものの、今の俺にはそれ以上に良いアイディアなんて浮かばなかった。たとえ拒絶されたとしても、俺は【霊剣アンゴルモア】にすがるしか手が残されて無かったんだ。
袖の通っていない右腕の部分を風にはためかせながら…ウララヌス行きを宣言した俺に、レイダーさんが優しく語りかけてきた。
「…なぁアキ、実は俺も霊山ウララヌスに向かうつもりだったんだ。目的は…もちろんお前と同じだろうな。それでも君は行くのか?」
このようにレイダーさんが俺にわざわざそう確認してきたのは、暗に俺をリタイヤさせたかったからではないだろうか。
なにせレイダーさんは、世界最強と呼ばれる冒険者チーム『明日への道程』のリーダー。一方の俺は、既に片目と片腕をサトシに奪われたせいで、凡人程度の魔力しか持っておらず…戦力にすらならないちっぽけな存在だった。
実力は間違いなくレイダーさんのほうが上。もし霊剣アンゴルモアに選ばれるとしたら…間違いなくレイダーさんのほうだろう。
だけど俺は、レイダーさんの意見を受け入れるつもりはなかった。
行っても無駄かもしれない。簡単に弾き出されるだけかもしれない。でも…行かないなんて選択肢は俺に無かったんだ。
「…すまない、レイダーさん。でもこれはもう俺自身の問題でもあるんだ」
「…アキ自身の?」
「うん。魔迷宮の最下層に待つのは、俺にとってはかけがえのない存在であり…そして大切な恩人だったひとなんだ。だから俺は、あいつとの決着を、絶対に他人任せになんかにはできない」
俺の頑なな意思を察してか、レイダーさんはそれ以上なにも言わなかった。黙って頷くと、怪訝そうにこちらの様子を伺っていたウェーバーさんに合図を送ってくれたんだ。
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はぁ…はぁ…
疼く右腕を抑えながら、俺は霊山ウララヌスを半ば駆け足で登っていた。
参加メンバーは、俺と…『明日への道程』のメンバーであるレイダーさん、ガウェインさん、ウェーバーさん。それに、どうしても付いてくると聞かなかったカノープスとプリムラの姿もあった。
本当はボウイも付いて来たいと言っていたのだが、きっぱりと断った。巨龍に乗って帰ってきた俺たちを出迎えに出てきたボウイとナスリーンは、隻腕隻眼になった俺の姿にかなりの衝撃を受けたみたいだった。
…まぁそりゃそうだろうな。結局詳しい説明もせずに再出発したのは申し訳なかったと思う。無事帰ってこれたら謝らなきゃな、帰ってこれれば…だけど。
ちなみにパシュミナさんはロジスティコス学園長を治療するために残った。ベルベットさんもその付き添いとして、レイダーさんに強く要請されて渋々残留となっていた。
何か指示を出されていたみたいだから他の用件もあったんだろうけど、ベルベットさん少し寂しそうな顔をしてたな。
フランシーヌやカレンたちは学園に置いてきた。双子はともかく、エリスやヴァーミリアン公妃がかなり深刻な状態だったからだ。
ヴァーミリアン公妃は、ロジスティコス学園長秘蔵の魔道具でとりあえずの命の危機は脱したものの、すぐにハインツ公国の”還らずの塔”に戻る必要があったし、エリスに至っては結局最後まで意識を取り戻さなかった。
そんなわけで、落ち着いたらミアがヴァーミリアン公妃を母国まで送ることになっていて、エリスの看病はカレンが学園に残ってすることになっていた。
「アキ。そんな状態のあなたにこんなことを頼むのは本当に心苦しいんだけど…ティーナのことをなんとか救ってほしいんだ」
去り際にカレンが申し訳なさそうに頼んできたので、俺は力強く頷いた。
「あぁ、もちろんだ。ティーナもスターリィも…俺が必ず救い出してみせる」
「うん。信じてるよ。あと…アキも無事に帰ってきてね」
俺たちは最後に固く握手を交わした。
もはや彼らの物語は終わったのだ。このあとはゆっくりと休んでいてほしい。
ここから先は…俺の物語だ。
久しぶりに登る霊山ウララヌスは、以前と変わらず濃い霧に包まれていた。中腹より先が分厚い霧と雲に覆われていて、もはや先ほど一瞬だけ見えた頂上の様子を確認することはできない。
圧倒的な存在感を放つ霊山ウララヌス。ある人はこの山を”魔の山”と呼び、また別の人は”神の宿る山”と呼んでいた。
未だに誰の手にも渡ったことのない霊剣を頂きに抱き、常にその姿を隠し続け選ばれた人間しか頂に立つことの許されない聖なる山。それが…霊山ウララヌス。
その山の中を、俺たち6人は無言で登っていた。
ザッ、ザッ、ザッ。
歩く足音だけが耳に入ってくる。
いつのまにか霧が濃くなり、目の前の人すらはっきりと見えなくなってきた。
…数か月前に登ったときと同じ状況だ。
だが、あのときと決定的に違う状況がある。それは…今の俺がただの平凡な人間であるということだ。
大きな魔力もない。他を圧倒する固有能力もない。そもそも…天使に目覚めてすらいない。
そんな俺が、はたして再び霊剣アンゴルモアの元まで辿り着けるのか。正直、不安がないわけではない。
だけど、今更この山から逃げるなんてことは微塵も考えられなかった。ただ無心に…一歩ずつ足を踏みしめながら、俺は山頂へと続く山道を突き進んでいった。
気がつくと、もはや一寸先すらも見えないほど霧が濃く深く覆い尽くしていた。もはや前後を歩いていた人の姿は見えない。自分の足元すらも見えない状況。一歩先は崖かもしれないという恐怖すら感じてしまう。
…どうやら他のメンバーとはぐれてしまったようだ。いつのまにか他の人の気配は完全に消えていた。
でもそれも前回と同じ状況。おそらく…山の”選別”が始まったのだろう。
俺は山に受け入れられるのか、それともこのまま降ろされてしまうのか。
「頼む…俺を頂まで導いてくれ…」
祈るようにそう呟くと、また一歩ずつ歩を進めていった。
やがて霧がうっすらと晴れていき、徐々に道が見えるようになってきた。だが目の前に広がる光景は…これまで見たこともないような壮絶な景色だった。
人が一人通るのがやっとといった感じの細長い背が、霧間からゆっくりと姿を現した。その幅およそ50センチくらい。どこまでも伸びているかのような背は、霧の奥へと続いていた。
今にも崩れ落ちそうな細長い背の左右には、底の見えぬ深い谷が存在していた。あの高さ…恐らく落ちたら命は助からないだろう。
しかも、谷底からは嵐のように強烈な風が吹き上げてきており、僅かでもバランスを崩してしまったら風に煽られ谷底への転落を免れないだろう。それはまるで背を通ろうとする者を…容赦なく左右の谷へ落とそうとしているかのよう。
さらには…時折ゴロゴロという雷鳴の音さえ聞こえていた。背を渡るものを打ち倒さんとする雷撃まで待ち構えているようだ。
確実に…俺の前進を拒んでいるかのような恐ろしい自然の猛威。
でも俺は、そんなもので引き下がるわけにはいかなかった。ほとんど躊躇することもなく、俺は僅か50センチほどの幅しかない細い背をゆっくりと歩き始めた。
ごぅっ!と、うなるような音を立てながら、強弱織り交ぜた風が俺を谷底に落とさんと吹き付けてきた。片腕と片目を失ってバランス感覚を失ってる俺にはかなりキツイ仕打ちだ。
でも…歩みは止めない。時折片膝をついては、歯を食いしばって立ち上がり、俺はまた歩き始めた。
加えて激しい雨も降り出した。俺の全身に、まるで弾丸のように打ち付けてくる大きな雨粒。
バァァン!と破裂するような音がして、俺の目の前に雷が落ちてきた。目の前の大地をえぐり取った雷は、石つぶてを俺にぶつけてくる。それでも…俺は歩みを止めない。
崖がなんだ。
風がなんだ。
雨がなんだ。
雷がなんだ。
そんなもので俺は止められない。
俺はそんなもの、恐れてなんていない。
俺が恐れているのは…自分の無力さゆえに、大事なものを失ってしまうこと。
それに比べたら…俺自身へ与えられる恐怖や痛みなど、何も怖くない。
「…『魔神』アンゴルモアよ!俺に…こんな子供騙しは効かないぞっ!」
激しく吹き付ける風雨の中、俺は声の限り叫んだ。大きく開いた口の中に雨が飛び込んでくるが、そんなの御構い無しだ。雷鳴が俺の声をかき消すかのように鳴り響くものの、それすら意に介さない。
「だから、小細工は止めて俺をお前の前に導いてくれ!俺は…お前と話がしたいんだっ!!」
ガウゥン!!
幾筋もの雷撃が、俺の周りを打ち付ける。
ビリビリと空気が振動しているのが肌に伝わってくる。
これは…山が拒絶しているのか?
だが、たとえそうだとしても、俺は簡単には引き下がる訳にはいかない。
「…アンゴルモアよ、俺を拒絶しているのかっ!?だとしたら、なぜ俺に雷を直撃させない?」
ごぅっ!
返事代わりに一段と強い風が俺に吹き付けてくる。
俺は…手を広げて空を見上げた。全てを…委ねるかのように。
「…もし俺を拒むなら、俺を雷で打て!崖に突き落とせ!そして…殺せっ!!そうでもしない限り、俺は…絶対に止まらないぞっ!」
ガガガッ!バァァン!
激しい落雷。だがやはり…俺には直撃しなかった。やはりこいつは、俺を拒んではいない!
それであれば、俺は訴え続けるだけだ。
激しい雷雨が降り注ぐ中、俺は無防備に手を広げ声を張り上げた。
「アンゴルモア、俺は…大切な人を守りたい。もうこれ以上誰も失いたくない。だから俺に…力を貸してくれ!頼む…!!」
ぶわんっ!!
そのとき、これまでにない強烈な風が俺に吹き付けてきた。
逆らいようがないほどの強風により、俺の体は…まるで風に舞い飛ぶ凧のようにあっさりと吹き飛ばされると、そのまま崖から転落していったのだった。
あぁ、俺はついに拒まれてしまったのか。
このまま…崖から落ちて死ぬんだろうか。
だけど、不思議と諦めや絶望は無かった。自分としてベストの選択をした結果だと受け入れていたからだろう。
たとえどんな結末になったとしても後悔はない。そう思っていたからこその達観だった。
だけど、俺の予想していたような結末は待っていなかった。
吹き飛ばされて崖から落下していたはずの俺の足が…ふいにどこかの大地を踏みしめたのだ。
…あれ?
これは…どういうことだ?
不思議に思って周りを見渡すと、俺は小さな島のような場所に立っていた。島の周りには水ではなく霧の海…雲海が広がっている。
ここは…見憶えがあるぞ。
たしか…この場所は…
既視感に従って視線を近くにある大きな岩の上に向けると、そこには…1本の剣が突き刺さっていた。
不思議なオーラを放つその剣は、見間違いようがない…唯一無二の存在。世界最強のオーブであり、これまで誰の手にも触れられることのなかった伝説の『覇王の器』。
その名も、【霊剣アンゴルモア】。
間違いない。やはりここは…霊山ウララヌスの頂上だ!!
俺が自分のいる場所について確信を持ったとき、ふいに俺の頭の中に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『…おいおい。なかなか無茶するぢゃねーか、お嬢ちゃん』
岩に刺さった霊剣アンゴルモアにもたれかかるようにして俺の前に姿を現したのは…
「…あんたは、【霧】か?」
そう、前回登山したときにも俺の前に姿を現した、全身黒ずくめの正体不明の存在…【霧】が、再び俺の前にその姿を現したのだった。




