【アナザーサイト】扉と鍵
紅茶色の髪の毛を持つ、一見ごく普通の女の子のように見える一人の少女。彼女の名は…エリス=カリスマティック。彼女はかつてエリス=パルメキア=インディジュナスという、今とは異なる姓を持っていた。
エリスが別の姓を名乗ることになった経緯については、実に複雑で数奇な運命の悪戯に起因する。
ブリガディア王国の中流貴族の一人娘として平凡な人生を歩んできたエリスに、人生の大きな転換期が訪れたのは…いまから二年前のことだった。
普通の…ちょっと病弱な女の子として平凡な日々を過ごしていたエリスが、偶然入った“魔法屋“で出会った黄金色の髪の美少女と“魔法の鍵“。その出会いが…彼女の運命を大きく変えることとなる。
その魔法屋でアルバイトを始めたエリスは、いつも仏頂面をしている黄金色の髪の美少女店主ティーナや、明るく元気で思いやりのある赤髪の女性バレンシアに支えられ、徐々に働くことにやりがいを見つけ、彼女たちと友情を深めていく。
そんな中、知らされる出生の秘密。運命のオーブとの出会い。そして天使への覚醒と別れ…
かくして育ってきた実家に別れを告げてただの平民の少女となったエリスは、親友ティーナたちと共に新しい生活を始めていくことになる。
その先に待ち受ける、過酷な運命など知らずに。
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「ティーナ!」
真っ青な顔をしたエリスが、歪な彫刻が全面に掘られた不気味な門…『冥界の門』と同化した親友に必死に呼びかけた。だが、かろうじて胸が上下しているのは確認できるものの、ティーナからそれ以上の反応は無い。
「いけない…このままではティーナが”門”に飲み込まれてしまう!」
そう考えたエリスは、胸元に下がる魔法の鍵…『ラピュラスの魔鍵』を取り出すと、祈るように両手でギュッと握りしめた。
「…お願い、“ラピュラスの魔鍵“。私に…力を貸して。ティーナを…大切な親友を助けるための力を!」
ぶわっ!
エリスの全身から光り輝く魔力が発せられると、彼女の髪や服が舞い踊り始めた。すぐに彼女の背に巨大な天使の翼が具現化されていく。
「さぁ…いくよ。私の『天使の歌』」
歌うように発する言葉に合わせて、エリスを中心として大きな魔力の渦が巻き起こった。
魔力の渦は七色に輝きながら次第にエリスの目の前に集約していき、やがて…巨大な鍵の姿へと型取られてゆく。
「解錠せよっ!『心の扉を開く鍵』!!」
エリスの”天使の歌”によって具現化された“巨大な鍵“が、彼女の手を離れ門に埋もれたティーナに向かって勢いよく放たれた。狙い違わずティーナの胸元に命中した“鍵“は、そのまま彼女の胸へと沈み込んでいく。
鍵がすべてティーナの胸の中に吸い込まれた瞬間、ティーナの身体が七色に輝き始めた。その光に吸い込まれるようにして…エリスの意識は光の中へと落ちていった。
光に吸い込まれたエリスの意識は、まるで闇夜の中を落下していくような感覚に包まれていた。気を抜くと吹き飛んでしまいそうになる意識をなんとか保ちながら落下の感覚に耐えていると、やがて…彼女の足がふいに足場となる場所を踏みしめた。
「どこかに…着いた?」
何度か足場を踏みしめ足元がしっかりしていることを確認すると、恐る恐る周りの風景を見回してみる。
エリスが立っていたのは、ほとんど光の届かない真っ暗闇に包まれた空間だった。
ときおり流星のような光が上空で輝き、辺りを数瞬だけ明るく照らし出す。だが…流星のような光はある程度輝くと、出てきた時と同じように不意に消えていった。
「…もしかしてここは…ティーナの意識の中?」
摩訶不思議な光景を眺めているうちに、エリスは…自分が『天使の歌』によってティーナの内面世界に入り込んでしまったのではないかと思い至った。
エリスの”天使の歌”である『心の扉を開く鍵』は、人間の内側にある問題を解決する魔法だ。今回の場合この魔法は、ティーナの精神的な問題を解決するために、エリスをティーナの内面世界に送り込むという荒治療を選択したようだ。
何度も何度も、上空を瞬く流星群。瞬いては、すぐに消えていく。
…やがてエリスは、空を舞う流星が瞬いて消えるとき、一瞬だけなんらかの映像が映し出されていることに気付いた。
よく見るとその映像は…ときにはエリスの笑顔であったり、ときには…もう一人の親友である赤髪の女性バレンシアの怒った顔であったり、また別のときは…見たことも無い怖い顔をした老婆ーーおそらくはティーナの育ての親であるデイズの、呆れたような表情を浮かべた顔だった。
「あの瞬きは…ティーナの記憶?」
暗闇の世界で時折瞬いては消えていく、映像を伴った流星群。それはまるで、ティーナにとって楽しかったときの記憶が、真っ暗なこの世界を一瞬だけ照らし出す“希望の光“となっているかのように見えた。
とはいえ、現状ではそれ以上の大きな変化がないようなので、しかたなくエリスはこの暗闇の世界をゆっくりと歩いてみることにした。
ザッ…ザッ…
足元すらおぼつかない暗闇の世界を、一歩ずつ歩いていくエリス。
どれくらい歩いたであろうか。
やがてエリスは、この暗闇世界の果てと思しき奇妙な場所にたどり着いた。彼女がそう思った理由は、薄暗い空間の最奥である突き当たりにぼんやりと浮かんで見える、レンガ造りの壁にあった。
赤茶げたレンガ壁の上部や左右は暗闇で覆われており、どこまで続いているのかを確認することはできない。エリスの周辺をぐるっと回ってそびえ立つ…無限に続いているかのような巨大なレンガ壁。その壁を背にして座り込む一人の少女の姿が、エリスの視界の中に入ってきた。
座っているのは、体操座りのように両膝を抱え顔を埋めたまま微動だにしない黄金色の髪の少女。
その少女に、エリスは見覚えがあった。恐る恐る…声をかけてみる。
「…あなたはもしかして…ティーナ?」
エリスの予想は正解だった。そこに座っていたのは、エリスの記憶よりもかなり幼い…おそらくは10歳くらいの年齢のティーナであった。
「ティーナ?ティーナなのね?私だよ!エリスだよ!」
「……なんでここに来たの?」
幼い姿のティーナが、顔を俯せたまま返した返事は、怖いほどに低く…か弱い声だった。
「なんでって…あなたを迎えに来たんだよっ!」
「もう…ボクのことは放っておいてくれないか?ボクは…このまま死んでしまいたいんだ」
「…えっ?」
ティーナが口にしたのは、明確な拒絶。彼女は親友であるエリスの申し出をキッパリと拒否したのだ。
「…解放者に聞いたんだろう?ボクは…最低な存在だ。デイズおばあちゃんを殺したのは…他の誰でもない、このボクだったんだ」
暗く押し殺したような声で発されたティーナの言葉に合わせるかのように、彼女の背後のレンガ壁がボンヤリと輝き出す。なんとそこに…何かの映像が映し出され始めたのだ。
エリスは目を凝らして映像を確認する。レンガ壁に最初に映し出されたのは…古びた小屋の映像だった。
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「あれ?もしかしてここは…“作業小屋“?」
エリスの記憶によれば、その場所はブリガディア王国の王都イスパーンの近所の森の中にある“作業小屋“と呼ばれる…ティーナが管理していた小屋だった。
懐かしい場所の映像は切り替わり、今度はその小屋の中で二人の人物が対峙している姿が映し出された。
対峙しているのは…手にホウキを持った魔女のような風貌の女性と、背中に黒い悪魔の翼を具現化させた女性。在りし日のデイズと、解放者だ。
しかも、よく見るとこの場にいるのは二人だけではなかった。解放者に首根っこを捕まれた…現在よりも少しだけ幼さを残したティーナの姿もあったのだ。ティーナは頭を抱えながら苦しげに呻き声を上げている。
映像は、音声も伴っていた。先に口を開いたのは、年老いた魔女…デイズのほうだった。
「…5年前に徹底的に封印したつもりだったんだけどねぇ。性懲りも無くまたやってきたのかい!このバカ娘がっ!」
「…酷い言い草ね、母さん。私は愛しい娘を取り返しに来ただけなのに」
苦しみもがくティーナの首根っこをグイッと掴み、自身の前に晒す解放者。ティーナを盾にすることで、デイズの攻撃を防ごうとしているようだ。
そのせいで、解放者の意図を察したデイズは、憎まれ口を叩くだけでそれ以上の対応をできないでいた。
「…デイズ母さん。あなたは私と五年前に対決したことを誰にも言わず、さらには父さんの反対を押し切って離婚してまで、私から奪い取ったディアマンティーナを育てたそうね。…なぜ?」
「あたしゃあんとき、あんたを永遠に封じたつもりだったからね。下らない真実なんて誰にも言う必要無いと思ってたのさ。…まさかたった5年で復活してくるとは、さすがのあたしも夢にも思わなかったけどね。
不死身の身体…だったっけ?厄介なもんだね。もはやお前は人間ですらなくなってしまったんだね」
「…そうね、私がエルディオン兄さんを殺したときに…もう人では無くなってしまったのかもね」
けっ。デイズは忌々しげに舌打ちをすると、背中に在る天使の翼をはためかせた。
「それで…どうしてディアマンティーナを育てたの?」
「そんなのただの気まぐれに決まってんだろ!あんたの子育てに失敗したくらいだからね、ロクな子には育たなかったけど…それでもあたしにとっては外道となったあんたなんかより百万倍もマシさねっ!」
「それは悪かったわね、不肖の娘で…。まぁでも私たちの因縁もここで終わりよ。ねぇ?ディアマンティーナ?」
「うぅ…はい…おかあ…さま…」
「っ!?」
解放者の呼びかけに対してティーナの口から漏れ出た言葉に、デイズが思わず息を飲んだ。
「…ミクローシア、あんたティーナに何をした?」
「…別に。ただ、誰が本当の親なのかをみっちりと教えてあげただけよ。手間はかかったけど、ちゃんと思い出してくれたみたいね?」
ブルブル身体を震わせながら頷くティーナの姿に、デイズは沈痛な表情を浮かべる。
「…可哀想に、ティーナ。キツイ思いをしてるんだね。大丈夫、あたしがすぐに楽にしてあげるよ」
そう口にすると、デイズはゆっくりとティーナに向かって歩み寄ってきた。ほぼ無防備な状態で歩み寄る彼女を、ティーナは苦し気な呻き声を上げながら…思いっきり殴りつけた。
「うぐっ!」
苦痛の声を上げながら、吹き飛んでいくデイズ。その様子を解放者が嘲笑いながら眺めていた。
「あははっ!母さん、あなたはバカなの?生まれる前から仕込んでいたのに、そんなことで変わるわけないじゃない?」
「…煩いね。黙ってな、外道」
「なっ!」
嘲笑う解放者を一喝して黙らせると、デイズは再びティーナに向かって歩み寄っていった。
「…辛いだろう?苦しいだろう?ティーナ。可哀想に…あたしがなんとかしてあげるからね」
「うぅ…うがあっ!」
苦しげに呻きながら、それでもやはりデイズを殴りつけるティーナ。ガツッという鈍い音がして、デイズは声も上げずに床に倒れ伏したものの、それでも歯を食いしばりなおも立ち上がろうとする。
そんな母親の姿を、解放者は冷めた目で眺めていた。忌々しげにチッと舌打ちをすると、横に立つティーナに語りかけた。
「…もういいわ。見るのも不快になってきた。…ディアマンティーナ。これで…あの女にトドメを刺しなさい?」
解放者がティーナに手渡したのは…紅い刀身の剣。数多くの命を吸い取ってきた魔剣を手にしたティーナは、虚ろな瞳でデイズに向かって剣を構える。
それでも…デイズの様子は変わらない。
「…ティーナ、大丈夫。あんたのことはあたしが守ってあげるさ」
目の前で禍々しい剣を構えられても、優しい笑みを絶えることなく浮かべるデイズ。
その胸に…ティーナの持つ紅い魔剣がスッと突き立てられた。
はっと息を飲むエリス。そこで…レンガ壁に映し出される映像は途切れた。
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「…そんな……」
「見ただろう?エリス。ボクが…デイズおばあちゃんを殺したんだ」
未だに膝を抱えた状態で俯いたまま、そう呟くティーナ。だがエリスは…ゆっくりと首を横に振った。
「そんなことない。あれは…解放者に操られてたんでしょう?だから…」
「そんなの関係ない!ボクが…この手でおばあちゃんを殺したんだ。ボクが、ボクさえこの世に存在していなければ…こんなことは起こらなかったんだ…」
そう吐き捨てるように言いながら、ガタガタと震える幼いティーナ。
彼女は呪っていた。忌々しい己自身を。愛するものを不幸にしてしまう自分の存在を。
だから消し去ろうとした。これ以上誰も不幸にしないように…元凶たる自分をこの世から葬り去ろうとしたのだ。
だが、そんな彼女のそばにゆっくりと近寄ってくる人物がいた。
ティーナの親友であるエリスだった。
エリスは泣きそうな顔をしたまま…そっとティーナを抱きしめた。その瞬間、ティーナの震えがピタッと止まる。
「…そんな悲しいことを言わないで、ティーナ。あなたが居てくれたから…いまの私がいるんだよ?」
「……」
「…ティーナ、あなたがデイズさんの死にずっと特別な思いを抱いていたのは知ってる。だけど…それは本当にデイズおばあさんの望んでいたことなのかな?」
「……」
「私はデイズおばあさんと直接の面識はない。だけど…あなたに対して抱いていた気持ちは近いんじゃないかって思うんだ。デイズおばあさんは、きっと…あなたが苦しむことなんて望んでいないよ」
エリスの言葉に、それまで伏せていたティーナがガバッと顔を上げた。彼女の顔に浮かぶのは…涙。エリスはティーナが泣いている姿を初めて見た。これまで決して誰にも自分の弱みを見せようとしてこなかったティーナが見せる、初めての涙だった。
「エリス!ボクはね、おばあちゃんを殺したやつに絶対に復讐するって誓ってたんだ!その相手が…このボクだったんなら、ボクが死ぬしか無いだろう!?違うかっ!?」
「それは違うっ!!」
ハッキリと断言したエリスの言葉に、激情を発していたティーナがキッと鋭い視線で睨みつける。
「エリスに何が分かるって言うんだっ!ボクや…おばあちゃんの何が…っ!!」
「分かるわ!だって私も…デイズおばあさんと同じ気持ちを持ってるから!」
「っ!?」
一瞬動揺を見せるティーナ。そんな彼女を畳み掛けるように、エリスが言葉を重ねた。
「私は…あなたに出会わなければ、イスパーンの街で本当のことをな何も知らないまま、つまらない人生を終わらせていた。そんな私に…新しい道を、自分の足で歩く道を示してくれたのは、あなたよ!ティーナ!」
「……」
「私はティーナに…すごく大事なものをたくさんもらった。あなたと過ごした時間が、いまの私の原動力になってるんだよ?それは…あなたと5年も一緒に暮らしてきたデイズおばあさんだって同じじゃないかな?
あなたと共に暮らしてきた私だから分かる。デイズおばあさんは絶対にあなたのことを恨んでなんかない。きっと…あなたのことが大好きだったはずだよ」
エリスの言葉に、ティーナの瞳が揺れた。必死に語りかけるエリスも、気がつくと大粒の涙を流している。
だがエリスは頬を伝う涙を拭おうともせず、ティーナをじっと見つめながら…優しい声で語りかけた。
「生きて、ティーナ。生きて…一緒にまたあの魔法屋に戻ろう?」
そのとき、ティーナの首から下げられた紅い指輪…“エンバスの紅玉指輪“に異変が生じ始めた。突如、赤い光を発し始めたのだ。
突然の発光現象に、ティーナとエリスは泣くのも忘れて互いに“光る指輪“に見入ってしまう。
「…おばあちゃんの形見の『天使の器』が輝きだした。どういうこと?」
「ティーナ!後ろっ!」
エリスの驚きの声に反応して、慌ててティーナがすぐに後ろを振り返る。幼い姿を止めたままのティーナの目に映ったのは…レンガの壁に映し出された新たな映像だった。
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今回映し出された映像は、どうやら先ほどティーナがデイズを紅い魔剣で刺した後の出来事のようだった。本来であればティーナが見ていないはずの過去を、“エンバスの紅玉指輪“が映し出したようだ。
デイズに剣を突き立てたあと、ティーナは全身の力が抜けてその場に崩れ落ちていた。そんな彼女を、剣を引き抜き胸から血を流しながらも優しく抱きしめるデイズ。
「…ティーナ、可哀想な子。あんたを地獄の苦しみから…このあたしが命を懸けて救ってあげるからね」
「ふふふ。死にかけの老婆が何をほざくの?あなたはここで死ぬのよ、母さん」
「…最後まで救いようのないバカな娘だったね、あんたは。少しでも更生を期待したあたしが愚かだったよ」
致命傷を負ったデイズに対して勝利を確信する解放者。一方、かつて“ほうきの魔女“と呼ばれた偉大な魔法使いデイズは、ティーナに向けていたものとは全く別の鋭い視線を解放者に向けながら、背中の天使の翼をさらに大きくしていった。
それはまるで、命の最後の炎を燃え上がらせるかのように…凄まじい量の魔力がデイズの両手の前に集まっていく。
「ミクローシア。あんたは不死身かもしれないけど、魂を分離しているせいで精神魔法に弱いことは分かっている。あたしがあんたの魂を…再現不能になるまでぶち壊してあげるよ」
「…私がこの世界で一番恐れていたのが、精神魔法の達人であるあなたよ、母さん。でも…これで終わり。全ての邪魔者を排除して、私は目的を達成するわ」
睨み合う、母と娘。そこに…かつて共に暮らしていた頃の面影を見ることは出来ない。
一度狂ってしまった歯車は…もう二度と元に戻ることはないのだ。
「…滅びなさい、ミクローシア!…【精神抹殺】」
「さようなら、母さん。…【災厄の光】」
互いの死力を尽くした二つの極大魔法が、小さな小屋の中で激しくぶつかり合った。
人里離れた山小屋の中で繰り広げられる、光と闇の激しい共演。
宿命の母娘対決において先に悲鳴を上げたのは…解放者のほうだった。
「うぎゃぁぁぁっ!!」
胸元を抑え掻き毟るようにして、苦しそうにもがく解放者。対するデイズのほうは、壮絶な笑みを浮かべてその場に立っていた。だがデイズの胸の中心には…ポッカリと穴が空いていた。
解放者の一撃が、デイズの胸を貫いていたのだ。
「ガフッ…完全には、決まらなかったようだね、ミクローシア。…ゴホッ。だけど…さすがのあんたでも暫くはまともに動けなかろうて。良い気味だよ…ゲホッ」
「おのれぇぇぇ、デイズゥゥ、ァウァァァ!」
「あんたなんかにティーナは渡さないよ。あたしゃこれで死ぬけど…この子は強い。きっと…あんたなんかを乗り越えていくはずさ」
「あぅぅ、がぁぁあっ!」
「消えな、ミクローシア。仕留められなかったけど、それだけ魂を傷付けたら当面ティーナに近づくことは出来ないだろうさ。それまでに…この子はきっと強くなる。あんたを超えるくらいにねっ!」
だが、解放者にはもはやデイズの言葉は聞こえていないようだった。胸を押さえ苦しみながら、かろうじて赤い魔剣だけを回収すると…逃げるようにしてこの小屋を後にしていった。
解放者が立ち去ったのを確認したデイズは、強敵が去ったことに安堵して力尽きたのか…その場にガクッと崩れ落ちた。
「まだ…だめだ。まだ死ぬわけにはいかない。ティーナに…魔法を…」
だが歯を食いしばって立ち上がると、文字通り最後の力を振り絞って…デイズは何かの魔法を発動させた。
魔力を集めた右手をそっとティーナの額に乗せると、それまで苦しそうな表情を浮かべていたティーナの表情が徐々に和らいでいく。
「…気付かなくてすまなかったねぇ、ティーナ。まさかあんたの中にミクローシアの呪いが残ってたとは思わなかったよ。でももう大丈夫、あんたの過去は今日の最低な記憶と共に消すことができたからね。ただ…もう一つ何かの仕掛けが残ってるみたいだけど、そいつまでは消せなかった…ゲホッ」
血を吐きながらも、優しくティーナの頬を撫でるデイズ。彼女の顔に浮かぶのは…満たされたものだけが見せる満足の笑み。
「…18歳になったら記憶が戻るなんてウソを教えてすまないね。だけどあんたなら…きっと乗り越えられるさ」
大量の出血により力を使い果たしてしまったのか、ここでデイズがドサリと音を立てて床に倒れた。それでも…最後の力を振り絞ってティーナの手を握りしめる。
デイズが今際の際に口にしたのは…これまで一度も本人に伝えたことのない言葉だった。
「ティーナ…ありがと…う…。ずっと…言えなかったけど……愛して…る…よ」
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映し出されていた場面が暗転し、そこで映像が途切れた。
呆然と立ち尽くす幼い姿のティーナ。そんな彼女にそっと語りかけたのは…止まることなく涙を流し続けるエリス。
「…ほらね、言ったでしょう?デイズおばあさんはティーナのことが大好きだって」
「…デイズおばあちゃん…エリス…」
それまで堪えていたティーナの表情が崩壊する。もう…ティーナは我慢することができなかった。声を上げて大声で泣いた。
そんなティーナを抱きしめ、一緒になって泣くエリス。
二人は強く抱きしめ合い、声を上げて泣いた。
ティーナは、デイズを失った日から泣くことは無かった。デイズの仇を討つまでは、決して涙は見せない。そう心に決めていたから。
だが、今の彼女は…ずっと心を縛り付けていた呪いから解放されたかのように泣いていた。
まるで、これまで欠けていたなにかを埋め合わせるかのように…
暫く泣いたあと、エリスが涙を拭って顔を上げた。続けてティーナも目頭を擦って顔を上げる。ひとしきり涙を流したあとの二人の顔は、雨上がりの空のように清く澄んで晴れやかだった。
「さぁティーナ、戻りましょう?みんなが待ってるよ。帰ったらバレンシアにうーんと説教してもらうからね?」
「…ははっ、それはキツイね。でも…実はそう簡単には戻れないんだ」
「えっ?」
まだ何かあるというのか。疑問に思うエリスに対して、10歳程度の幼い姿ではあったものの…すでにいつもの調子を取り戻したティーナが、困ったような表情を浮かべながら説明した。
「さっきおばあちゃんの言ってた“ボクに残されたもう一つの仕掛け“ってのが、今ボクが埋まってる…『冥界の門』の召喚なんだ。どうやら解放者によって、何らかのきっかけであの門を呼び出すように仕込まれていたらしい。
しかもこいつは自力では解除できない。ボクはこのまま『冥界の門』に飲み込まれるしか無いんだよ」
「…大丈夫、私が開けてみせるよ」
迷うことなく胸を張りドンっと叩くエリスに、ティーナが苦笑いを浮かべた。
「でも、今のエリスの魔力じゃあ『冥界の門』は手に負えないよ。あれは…文字通り“冥界“につながる門だ。そんな物騒なもの、そう簡単には開けられるもんじゃない。たぶんロジスティコス学園長でも無理だ」
そう聞かされても、エリスの態度は変わらない。むしろ自信に満ちた顔でティーナに切り返した。
「…あのね、ティーナ。私の能力が『鍵』だったのって、偶然ではないって思うんだ」
「…うん?」
「ティーナの能力が“扉“で私の能力が“鍵“。それってきっと、定められた運命だったんじゃないかってずっと思ってた。だから…大丈夫、きっと開けられるはず」
すうぅ、と息を吸うエリス。彼女を中心として、大きな魔力が集まっていく。
「ティーナ。私はね、天使になるとき『大切な人たちの力になりたい』って思ったの。それは…まさに今のこの時だよ。今度は私が…ティーナの力になる番。さぁ来て、私の中に眠る力…」
エリスは自分の体の中心で、何かが溢れてゆく。
…この感じ、いける!エリスは自分の中にある大きな力に手を伸ばした。
きぃぃぃん!
エリスの中で、何がが弾け飛んだ。途端に、エリスの全身から凄まじい量の魔力が湧き上がっていく。
目の前で激変するエリスの奇跡を前にして、ティーナが驚きのあまり目を見開いた。
「まさか…この土壇場で限界を超えた?エリス…もしかしてキミは『超越者』になったのか?」
「わ、わからない!でも…力が溢れてくるの!」
まるで溢れ出る魔力を抑えきれないかのように、エリスが両手を前に掲げた。彼女の動きに合わせて、エリスの目の前に…巨大な“鍵“が具現化していく。
「これが…私の本当の力?だったら、ティーナを救い出して!!
さぁ、解き放て!【明日への扉を開く鍵】!!」




