【番外編】 宿命の戦い 〜後編その2 魔王の器 〜
全身に10発もの銃弾を受けて、身体中に穴を穿たれ血を流すカノープスの傷は決して浅くはなかった。
それでも…壮絶な笑みを浮かべながら彼が口にした言葉に、白髪の青年エニグマは不可解な表情を浮かべながら小首を傾げた。
「死ぬのが…本望だって?それはどんな負け惜しみなんだ?」
「なーに、大したことじゃないさ。ぼくにはもともと…生きてる価値なんて無かったんだよ」
「おい!カノープス!?」
撃ち抜かれた右肩を押さえながらも心配して近寄るプリムラを制して、カノープスは一人で立ち上がった。
カノープスの全身を貫通した弾丸は、彼に非常に深刻な傷を与えていた。噴き出す血は止まることを知らないようで、ぽたり、ぽたりとカノープスの身体からとめどなく流れ落ちていく。
本来であれば苦痛と衝撃から立っているのも困難な状態。なのに…カノープスはむしろ嬉しそうに笑っていた。
「…キサマはそんなに死にたいのか?だったら…今すぐ殺してやるよ!蜂の巣になって死ね!【獣王弾丸】!」
ぎぎき…
奥に鎮座していたハリネズミ状の発射台が不気味な音とともに全身の砲台をカノープスのほうに向けた。次の瞬間、カタパルトとエニグマの指先の双方から、一斉に無数の弾丸が放たれた。
避ける隙間も無いほど分厚く放たれた弾幕が、カノープスたち2人に向かって容赦無く襲い掛かってくる。
だが…弾丸の雨を目の前にしても、カノープスの顔から笑みが消えることはなかった。
「…だけどね、エニグマ。ぼくはお前ごときにむざむざ殺されるつもりは無いよ。…【消滅空間・蒴】」
カノープスの言葉に呼応するように、彼を中心として黒い膜が発生した。勢いよく発生した黒い膜は、あっと言う間にプリムラを含む範囲を覆い尽くす。
いや…その膜はただの黒い色では無かった。まるで乾燥した血のような…赤黒さだった。
ちゅいんちゅいん!
耳障りな音ともに、エニグマの放った弾丸が全てカノープスが創り出した赤黒い膜に命中した。
本来であれば、それでカノープスたちは原型すら留めないほどの蜂の巣になってるはずだった。
…だが実際には、エニグマの放った弾丸はカノープスの創り出した膜を打ち破ることが出来ないどころか、逆に赤黒い膜によって消滅させられていたのだ。
「なっ…!?」
つい先ほどまでには見られなかった【消滅空間】の凄まじい威力に驚きを隠せ無いエニグマ。なにせ…彼の渾身の【獣王弾丸】が全弾あっさり防がれてしまったのだから。
エニグマは、【解放者】によって作られた『合成生物』だった。
キメラとは、複数の生物を繋ぎ合わせて作られた生命体。彼の場合は、人間を素体としたうえで…ゾルバルの右腕と【魔獣王】ガーガイガーの死骸などが組み込まれていた。
かつての魔戦争のおりに、【獣王弾丸】にて数多くの人間たちを蜂の巣にしてきたガーガイガーの能力と、七大守護天使の一人で戦闘の天才と言われたゾルバルの右腕を与えられたエニグマは、まさに最強の魔獣と言っても過言では無い存在となっていた。
そんな彼の最大の奥義ともいえる技が、現在放っている【獣王弾丸】であり、現在分離して稼働してる移動式砲台…【獣王の発射台】だ。
一度分離した【獣王の発射台】は、エニグマの意のままに操ることができた。現在はカノープスたちを挟撃する位置に配置し、そのまま前後から挟み撃ちにする陣形を取っていた。そうしたのは…彼の【獣王弾丸】を唯一防ぐことが出来るカノープスの技【消滅空間】が、ある一方向のみにしか効果を発現できないと見て取ったからだ。
だが…予想に反して今のカノープスは、全面に防御膜を発動していた。これは、エニグマの予想を上回る能力をカノープスが発動させていることを意味していた。
まずい、あの男は…もしかして俺の攻撃を全て防ぐことが出来るのではないか。
エニグマの背筋に、冷たいものが流れ落ちていった。
「バカな、俺の攻撃を全方位的に防ぐなんて…なぜそんな技が使えるなら最初から使わない?」
狼狽えるエニグマの問いかけに対して、カノープスは小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら答えた。
「何故かって?それはねぇ、今じゃないと使えないからさ」
滴らせている自らの血を、カノープスは自らが作り上げた黒い膜に注ぎ込んでいた。そんな彼の行動を見て、エニグマは瞬時に理解した。
「キサマ…もしかしてその能力は…」
「ふっ、気付いたかい?そうだ。ぼくの固有能力であるこの【消滅空間】はね、ぼくの血を混ぜることで…性能が飛躍的に向上するんだよ。大量の血を混ぜれば混ぜるほど、ね」
全身から血を滴らせながら壮絶な笑みを浮かべるカノープス。彼の言葉の意味を理解して、エニグマは…生まれて初めて戦慄した。
この男は…カノープスは、もしやわざと自分の攻撃を受けたのではないか。だとしたら…自分の攻撃はもはや通じないのではないか、と。
だが、ふらりと身体のバランスを崩して倒れかけたカノープスを見てその考えを改める。
いや違う。奴は間違いなく瀕死だ。このまま戦い続けていれば、いずれ奴の命の炎は尽きるだろう。それに奴は、防御は出来ても攻撃はできないのではないか。であれば、攻め続けていれば…いずれ時間切れで力尽きるはずだ。
必死に自分にそう言い聞かせることで、かろうじて落ち着きを取り戻したエニグマは、改めてカノープスに向き直ろうとした。
だが…そんな彼の目に映ったのは、信じられないような光景だった。
「…【消滅空間・因果】」
身体をユラユラとふらつかせながも、カノープスは掌の上になにやら黒くて丸い粒のようなものを出現させた。その…小さな黒点に軽くフッと息を吹きかけると、まるで風に舞う花びらのように黒点は飛んでいき…そのままエニグマの反対側にそびえ立っていたハリネズミ状の発射台に接触した。
ぐわぅん!
次の瞬間。鼓膜を破壊するような耳障りな音ともに発射台がぐにゃりと変形したかと思うと、壮絶な勢いで黒点の中に吸い込まれていった。
まるで黒い点を中心としたブラックホールに吸い込まれるような現象が、エニグマの目の前で起こっていた。ほんの僅かの時間で、エニグマが秘密兵器として体内に留めていた【獣王の発射台】が…綺麗さっぱりこの世界から消え去ってしまったのだ。
「ば…ばかな…俺の発射台が…【魔獣王】ガーガイガーの力が…」
「さぁ、次はお前の番だな。エニグマ」
優しげに微笑みながらそう口にするカノープスの姿が、エニグマにはまるで…魔物の王、魔王のように見えた。
じり…じり、と思わず後ずさりをしてしまうエニグマ。こんなことは初めてだった。彼が感じていたのは…紛れもない恐怖。
だが、そのとき。
ぐらり。再びカノープスの身体が大きく揺れると、さらに口から血をごばっという音とともに吐き出した。もはや一人で立ってられなくなり、体勢を崩して片膝をつくカノープス。
ゲホッ、ゴホッ。それでもカノープスの咳は止まらず、連続して血を吐き続けた。傷付けられた彼の内臓が、負荷に耐えられず悲鳴を上げていたのだ。
「カノープス!?」
堪らず側に控えていたプリムラが駆け寄ろうとするも、そんな彼女に…カノープスは歯を食いしばりながらまだ辛うじて動く左腕を前に突き出した。
「…【消滅空間・輪廻】」
「なっ!?」
ふわり。カノープスの動きに合わせて、プリムラの全身を赤黒いシャボン玉のような泡が包み込んだ。泡は中からは破壊できないようで、プリムラはカノープスの作り上げた血のシャボン玉の中に完全に閉じ込められた形となってしまった。
「カノープス!何をするっ!?」
閉じ込められたプリムラが力いっぱいシャボン玉を叩いて割ろうと試みるも、カノープスの放った泡はとてつもなく固く、割れる気配はない。それでも諦めずに泡を破ろうとするプリムラに、カノープスが口元の血を拭いながら声をかけた。
「…黙って…そこで見てな、プリムラ。その泡の中は【消滅空間】によって守られてるから、エニグマの攻撃を受ける心配はないよ」
「カノープス、お前何を考えてるんだ!?」
「あいつは…ぼくが倒すから。大丈夫、心配しないで…そこで見てて」
「カノープス!出せ!出すんだ!そうしないとお主の命が…」
プリムラの必死の呼びかけをカノープスは無視して、再びエニグマに向き直った。だが…立ち上がろうとした途端、またしても激しく咳き込み血を吐く。
深く傷付き今にも倒れそうなカノープスを見て、彼に恐怖すら感じていたエニグマはほんの少しだけ余裕を取り戻した。まるで己を鼓舞させるように、あえてカノープスを小馬鹿にするような言葉遣いで声を出した。
「くく…強烈な攻撃手段を持っていながら、貴様はもはや死にかけじゃないか?そんな状態で女だけを守ろうとしてどうする?そんな行動に意味なんてあるのか?」
だがカノープスは、エニグマの発言に何の反応も示さない。ぺっと吐き出す唾は、血で赤く濁りきっていた。
「…エニグマ、お前は大きな勘違いしている。ぼくにとってはね、死ぬこと自体が一つの目的なんだよ」
「…は?」
「なぜか教えてやろうか?なぜなら…ぼくが死んだら、ぼくの魂はアキの能力の一部になることが決まっているからさ」
「カノープス!?」
カノープスの口から飛び出した言葉は、エニグマよりむしろプリムラに大きな衝撃を与えた。赤黒いシャボン玉に包まれたまま驚愕の表情を浮かべるプリムラに対して、カノープスは少しだけ申し訳なさそうな顔をした。
実はカノープスは、随分前からある一つの事実に気づいていた。
以前自身を救うために、アキの能力『我儘な偏食家』によって魂の一部を喰われてから、彼はずっと言葉にできない違和感を感じていた。その違和感の正体が…自身に残された魂がアキに引き寄せられていることだと気付いたのは、つい最近のことだった。
違和感の正体に気付いたとき、カノープスは一つの推測をしていた。
おそらく『我儘な偏食家』という能力とは…”魂の予約”であり、彼が死したときに残された魂が全て吸い寄せられ、アキの能力の一部と化すのだろう…と。
その事実に気付いたときから、彼はいつでも死ぬ覚悟ができていた。いや寧ろ、死ぬこと自体が一つの目的となっていた。
最後の最後まで、アキの力になる。それこそが…カノープスの一つの目標となっていたのだ。
実はカノープスには…ずっと自身の心の中だけに秘めて決して口にしなかった過去の出来事があった。その出来事こそが、今のカノープスを突き動かす要因となっていた。
カノープスがシャリアールによってこの世界に召喚されたとき、彼はまだ固有能力【消滅空間】に目覚めていなかった。
故にシャリアールによって無用と判断され、処分されようとしたとき…一人の少女によって彼は命を救われた。
カノープスは、あのときの会話を今も一言一句覚えている。
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「お父さん!やめてっ!」
カノープスを散々痛めつけたあと、首を絞めながら【流星】を放とうとしていたシャリアールの動きが、まだ若い女性の制止する声を聞いてぴたっと止まった。
「…なんだ?スカニヤー。お前は父であるわしの邪魔をするのか?」
真っ赤に血走らせた目でギロリと娘を睨みつけるシャリアールは、半ば以上正気を失っているように見えた。
だがそんな恐ろしい形相の父親に屈することなく、スカニヤーは必死に食い下がった。
「だってこの子は、固有能力もない魔族…いえ魔人なんでしょう?であれば、このまま放置しても問題ないはずではない?だからお願い…無闇に殺したりしないで!」
娘の必死の申し入れを、シャリアールは簡単には受け入れなかった。怒りを吐き出すかのように、低い声を絞り出して娘に語りかける。
「…だがな、わしが多大な犠牲を払って準備を整えて行った『魔王召喚』の儀式が失敗したんだぞ?呼び出してみれば…なにが魔王だ、ただのゴミじゃないか。わしのこの失望の念と苛立ちの気持ちをぶつける相手は、このゴミ以外いないのではないか?」
このときのカノープスの精神は、異空間によってズタボロにされた挙句、ほとんどの心を壊されてしまっていた。だが辛うじて残されていた意識の中で、この少女が必死になって自分を救おうとしていることには気づいていた。
父親の言葉に、スカニヤーは僅かな時間考えたあと、意を決したかのように真剣な表情で顔を上げた。
あのときのスカニヤーの顔を、カノープスは決して忘れることがない。今のアキでは見せることのない、切ないあの表情を…
「ではお父さん。次は…わたしが生贄となります」
「…なんだと?」
「”七大守護天使”の娘であるわたしが生贄となれば、魔王たるべき魔族を召喚できるのではないでしょうか?」
今のカノープスなら分かる。これは…スカニヤーなりの賭けだったのだ。父が正気を取り戻すかどうかの、自分の命を捧げた一世一代の賭け。
だかスカニヤーは…結果としてこの賭けに負けることとなる。
「…なるほど、それはなかなか面白い提案だな。確かにお前の魂であれば今回足りなかったなにかを補えて、魔王クラスの魔族を呼び出せるやもしれんな」
嬉しそうにそう語るシャリアールの暗い炎が宿った瞳の奥に、スカニヤーはいったいなにを見たのか。カノープスは最後まで立ち会うこと叶わず、そのまままるでゴミのように放り捨てられたのだった。
「…わたしの分まで、生きて」
それが、カノープスが聞いたスカニヤーの最後の言葉だった。
それからの彼は、完全に狂ってしまっていた。
怒りに任せて習得した【消滅空間】は、彼に絶大な力を与えた。加えて彼は…本来持っていた才能に目覚め、これまでにない強大な魔力をも手に入れていた。
だが、このときの彼の心の中をずっと占めていたのは…猛烈な『怒り』。自分を勝手に呼び出しておいて、勝手に捨てたものたちへの激しい怒りは、やがてこの世界に生きるもの全てに向けられるようになる。
新たな力を手に入れた彼の周りには、同じように世界に恨みを持つ数々の悪魔たちが集まっていく。
気がつくとカノープスは、『新魔王』としてベルトランド王国の森の奥深くに君臨していた。
しかし、一度彼を狂わせたものは…徐々に彼の精神を蝕んでいった。このままでは、最後に精神が完全に崩壊するのを待つだけだった。
そんな危機的状況に陥っていた彼を救い出したのは…二人の人物だった。
狂ったまま暴走していた彼を追い続け、最後は命を捨ててまで救おうとしてくれた七大守護天使の一人【断罪者】ゾルティアーク。
そして…シャリアールの娘スカニヤーの姿で彼の前に現れた一人の少女アキ。
特にアキの存在がカノープスの心に与えた影響は甚大だった。
魔王を名乗るのがおこがましいほどの才能を持ちながら、その能力のあまりの禍々しさゆえに多くの命を奪ってしまったアキ。
自分ですら気付かぬ間に、人の魂を喰らっていたという重すぎる事実。容赦無く襲いかかる悍ましい現実に押しつぶされそうになっているアキの姿は、同様に他人の命の上に成り立っているのではないかと苦悩していたカノープスにとって、自分自身を重ねる存在となっていた。
スカニヤーとゾルティアークによって生かされた自分。他人の魂を喰らって成り立つアキ。
スカニヤーを喰ったアキがこの先どうなるのか。カノープスは自然とアキの行く末を見てみたいと思うようになっていた。
カノープスから見たアキは、苦悩しもがき苦しむ存在だった。
だがそんな彼女も…やがて自身が抱いていた困難を必死で乗り越えていく。
新たに覚悟を決めて、歯を食いしばりながらも前に進もうとするアキの姿は、カノープスにとっては…他の何にも代えがたいほど眩しく輝いて見えた。
自らを犠牲にして無残にも命を散らしたスカニヤー。
命を捨てて自分たちを救おうとしたゾルティアーク。
そして…自分以上に重い咎を背負いながらも、それすら乗り越えて強くなっていったアキ。
自分には無い強さが、そこにはあった。カノープスは、彼や彼女たちの心の…魂の強さや気高さに、強く心惹かれたのだった。
だから彼は誓ったのだ。一生をかけて…スカニヤーの儚い姿を、ゾルティアークの願いを守ろうと。
そのためにも…誇り高い魂を持つアキを、今度は自分が命を賭けて守ろうと。
カノープス自身も苦悩の先に新しい力を見つけた。それは、自身の能力【消滅空間】に秘められていた大いなる力。血を…命を注ぎ込めば込むほど威力を増すということに彼は気づいたのだ。
気付けたのは、ほんの偶然。自身の不甲斐なさに拳を壁に打ち付けたときに発現した。
思えばこの能力は、まさに今の彼に打ってつけだった。なにせ、使い続けることは彼の命を削ることを意味していたのだから。
自分が死んだときには、自身の魂はアキに喰われ、彼の能力の一部となる。
そのことに気づいてからのカノープスは、ずっと死に場所を探していた。正確には…もっともアキの力になれる方法と場所を探し続けていた。
ぼくが探し続けていた瞬間というのは、まさに今このときだ。少なくともカノープスはそう確信していた。
ゆえに…最後の命の残りを振り絞って、ありったけの血を…魂を、彼の【消滅空間】のなかに注ぎ込んだ。
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「さぁ、終わらせようエニグマ。ぼくに遺された時間は少ない」
「ッザケルなぁ!!」
エニグマが激昂しながら指先からありったけの【獣王弾丸】を撃ち込んできた。だが、竜ですら殺すと言われたかつての魔獣王の攻撃でさえ今のカノープスにはまったく届かない。
代わって、カノープスがまだなんとか動く左腕を持ち上げた。その手に、赤黒い消滅空間が集まっていく。
あまりに高濃度な魔力の集結に、カノープスの身体が大きく揺れた。今の彼の傷付いた身体では、大きな力に耐えられなかったのだ。
だがカノープスは必死に堪え、その手に…触れるものを全て消す巨大な暗黒剣を具現化させた。
既に焦点がぶれ始めた瞳を凝らして、カノープスは剣を構える。…だがその向きは、エニグマのいる場所とは全く違う方向であった。
「…ははっ、はははっ!もしかしてきさま、もう…目もロクに見えてないのか?」
フラフラと蹌踉めくカノープスをあざ笑うように、エニグマが大声で笑った。
彼はこの瞬間は勝利を確信していた。目の見えない奴の攻撃など当たるわけがない、そう思っていたのだ。
エニグマの高笑いを無視して、カノープスが…彼の渾身の力を振り絞った能力を発動させた。
「…終わりだよ、エニグマ。【消滅空間・邂逅】」
カノープスが、エニグマが立ち尽くしている場所からは全く別のあさっての方向に対して、振り上げた左腕を…握りしめた剣を振り下ろした。
「あははっ!バカめっ!そんなところに……げえっ!?」
だが、エニグマの予想に反してカノープスの剣は…剣を持つ腕ごと空間から消滅した。自爆?いや違う、カノープスは剣を持った腕を消滅空間のなかに突っ込んだのだ。
では消えた腕はどこへ?再びカノープスの腕が現れたのは、なんと…戸惑い狼狽えるエニグマの真後ろ。
カノープスの能力は、ついに空間すら超えた。エニグマの背後まで空間を飛び越えたカノープスの暗黒剣が、完全に油断していたエニグマの脳天に…ざっくりと突き刺さった。
このときになって初めて、エニグマは…自分がカノープスの攻撃を喰らったことを認識した。
「がっ…空間を…超える攻撃だと?」
信じられないといった表情で、自身に突き立つ暗黒の剣を眺めるエニグマ。そんな彼に、カノープスはニヤリと笑いながら最後の言葉を送った。
「だから言っただろう?強い肉体だけ手に入れたって、それは無意味だってね。だからおまえは…ぼくに敗れたんだ」
「ま、まて…頼む!殺さないで…」
「消えろよ、ザコ」
カノープスが剣をさらに深く突き立てると、黒い空間が広がって、一気にエニグマを吸い込んでいった。
あとには…かけら一つ残されていなかった。
決着がついた瞬間、プリムラを覆っていた黒いシャボン玉が割れて消滅した。同時にカノープスが力尽きてその場に崩れ落ちる。
「カノープス!!」
慌てて駆け寄ったプリムラがカノープスを抱えたものの、既に大量の血を喪ったカノープスはガタガタと震えており、もはや一人で立つこともできない状態だった。
非常に危険な状態だった。
「プリムラ…」
「カノープスの愚か者!なんでおまえはいっつも一人で背負うんだ?挙句、こんな状態になって…」
ぽたりとカノープスの頬に何かが落ちてきた。震える手で触れると、それは…プリムラが零した涙だった。
「泣いてる…のか?」
「死ぬな。死なないでくれ、カノープス」
あぁ、プリムラだけは泣かしたくなかったんだけどな。結局ぼくはプリムラに、今度は自分がずっと抱いていたのと同じような辛い想いを抱かせてしまうことになるんだろうか。
カノープスは震える左手を持ち上げると、ずっと戸惑い続けていたプリムラの頬を伝う涙をそっと拭った。
「ぼくは…もう、大切な人を失いたくなかったんだ。だから…プリムラ、きみが傷つくのを…見たくなかった」
「そんなの…拙者だって同じだ!拙者…いや私だって、カノープスを喪いたくない!」
「…きみを…守れてよかったよ、プリムラ」
最後の力を振り絞ってそう口にすると、カノープスの視界が一気に暗転していった。
力なく崩れ落ちる、カノープスの左腕。
「おい!カノープス!しっかりしろ!死ぬんじゃない!死なないで…お願いだ…!」
プリムラは絶叫しながら、既に全身の力が抜けてしまったカノープスを必死に抱きしめた。
命の灯火が喪われようとしているカノープスをなんとかしようと、必死に彼の全身を摩るプリムラ。そのせいで…彼女は自分の背後に人の気配が有ることにまったく気づいてなかった。
不意に…そっと肩に手を置かれて、初めて自分たち以外の存在に気付いたプリムラは慌てて涙を拭うと後ろを振り返る。
そこに立っていたのは…
「あ、あなた様方は……」




