【番外編】 宿命の戦い 〜後編その1 悠久の風 〜
不意にバレンシアの口から漏れた人物の名前は、ボウイに大きな驚きを与えた。なにせエリスはともかく…いつも仮面を被ってるような変人を、この赤毛の女戦士が”親友”と呼ぶのがどうにもピンと来なかったのだ。
ただ話を聞いてみると、バレンシアはティーナの幼馴染であり、かつてティーナの店でエリスと三人で働いていたのだという。
そこまで聞いてなるほど、そういう関係だったのかとボウイはようやく納得した。
簡単にお互いの自己紹介を済ませたところで、戦況を一通り見渡していたバレンシアが改めて二人に尋ねてきた。
「それで、ティーナとエリスは?それにハインツの双子の姿も見えないみたいだけど…」
「あぁ、実は…」
ボウイがどう説明したものかと頭を回転させていた、そのとき。いつのまにか接近してきたミザリーが、粘液状の体を鋭く伸ばして再度襲いかかってきた。
どうやら今は悠長に説明をしている状況ではないようだ。
「詳しくはあとで話す!まずは目の前のこいつをどうにかしよう!」
バレンシアは頷き、横に立つシリウスとともに再び剣を構えた。
最初の触手の雨は、シリウスの剣技によってあっさりと撃退された。あまりに凄まじい斬撃に驚いたのか、今度はミザリーがすっと距離を取る。そのスキにシリウスが尋ねてきた。
「で、ボウイくん。こいつはいったい何なんだ?ただの魔物では無さそうなんだけど…」
「シリウスさん、あいつは…ミザリーっていうやつだ。【解放者】によってあんな姿に変えられちまった。魔法をほとんど受け付けない体を持っている」
「えー?アタシがさっき放った光魔法は効いたみたいなんだけど?」
「なんやなぁ、ウチの天使の歌と光魔法だけはちびっと効くみたいなんや」
ナスリーンの話に、チェリッシュの顔がパッと喜色に染まる。
「ほんと?そしたら…もしかしてアタシ今回大活躍って感じ?」
「うるっさいわね!ほら、行くよっ!」
呑気に胸を張るチェリッシュの頭をバレンシアがポカリと叩きながら、剣を構えて再び襲撃してきたミザリーの触手をズバッと両断した。
ブリガディア王国の騎士学校の生徒シリウス、ティーナとエリスの親友であるグラマラスな女戦士バレンシア、そして魔法学園の卒業生であるミニスカ魔法使いチェリッシュの登場。
さらには騎士学校の生徒…総勢30人強の出現により、戦況は一気にユニヴァース魔法学園側に傾いた。
チェリッシュの光魔法の効果は劇的で、暗黒スライムとなったミザリーをまったく寄せ付けなかった。ふざけたような格好をしているものの、魔法学園の卒業生だけあってかなりの実力者のようだ。彼女の光魔法は直接的な攻撃が出来なかったものの、足止めと撹乱にはかなりの貢献を見せた。
その間、バレンシアも鋭い目で周りを確認しながら、迫り来る触手をボウイとともに撃退していく。バレンシアも、大ぶりな剣を持つ立ち姿はなかなか堂に入っていた。全身から発する威圧感は、思わずボウイが見惚れてしまうほど。
魔法屋の店主なんてやらずに冒険者にでもなれば大成しそうなのにな。ボウイは無邪気にもそんなことを考えていた。
でも、特に凄まじかったのはシリウスだった。
彼の手から放たれる、実戦で鍛え抜いたボウイの目にすら止まらぬ鋭い剣技。剣を一閃させるだけで、襲いかかってきたミザリーが放つ無数の触手がすべて細切れになってしまった。
剣戟という次元を通り越して軌跡すら目で追うことのできない彼の剣さばきは、他の騎士見習いたちと比べても明らかに別格だった。
「す、すげぇ剣技だな…」
呆気にとられるボウイに、既に出番が無くなりつつあるバレンシアが近寄ってくると、自慢げにシリウスについて教えてくれた。
「シリウスはね、ブリガディアでも『剣聖』って呼ばれるくらい凄い剣の使い手なんだよ。実はあいつ、卒業後に『明日への道程』にスカウトされてるくらいなんだ」
「ええっ!?それってレイダー様たちに認められたってこと?」
「あたしも詳しくは知らないんだけど、そうみたいね。まったく、あいつも凄い奴になっちゃったもんだなぁ。昔はただの泣き虫たったのに…」
そう口にするバレンシアは、ほんの少しだけ寂しそうだった。
「…それにしてもキリがないな。いくらダメージを与えているとはいえ、体力がありすぎる」
何度目かのミザリーの波状攻撃を跳ね返したシリウスが、息ひとつ乱さないままボウイたちのもとに戻ってきた。状況はかなりボウイたちに有利になったものの、確かに彼の言う通り…このままでは決定的な一撃が与えられないままだ。
「なぁ、シリウスさん、バレンシアさん、チェリッシュさん。少し頼みがあるんだ」
ボウイはそう口にすると、自分の横にいるナスリーンのほうにチラッと顔を向けた。真剣な表情で自分を見つめるボウイに、ナスリーンは…彼がいよいよ決着をつけるつもりであることを悟る。彼女は何も言わずに黙ってコクンと頷いた。
「ミザリーの弱点は、たぶんあの…体の中心にある顔の部分だと思うんだ。だから、次の攻撃で俺があそこに突っ込む。そのとき…みなさんに俺の援護してもらいたいんだ」
「あ、あんなところまで突っ込むのっ!?」
バレンシアが驚くのも無理はなかった。なにせボウイの言う”ミザリーの顔”というのは…全てを溶かすスライム状の体のまさに中心部分に埋もれていたからだ。
あそこまで攻撃を届かそうとするのであれば、それは…ミザリーの肉体という名の溶解液の海の中に飛び込むようなものだった。
「きみ、ムチャするね。下手すると溶かされるぞ?」
「シリウスさん、俺にはナスリーンがいるんでなんとかなります。それよりも弱点にたどり着くまでの間にミザリーに邪魔されたくないんです」
「いやーん、信頼し合う男女ってステキ!アタシも彼氏欲しいなぁ、出来れば王子様とかで…あいたっ」
ふざけたことを言って茶化すチェリッシュを、バレンシアがポカリと殴った。
「…分かったよ、ボウイくん。俺たちでギリギリまで君の援護をする。だから…決して無茶するなよ?」
「ええ、ありがとうございます」
三人に頭を下げたあと、ボウイは泣きそうな顔をしているナスリーンの頭を優しく撫でた。
「ボウイ…ウチが全力であんたの攻撃を補助するで」
「ああ。信じてるよ、ナスリーン」
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暗黒スライムとなってしまったミザリーには、ほとんど思考回路が存在していなかった。
一度滅びかけたミザリーの身体は、濃厚な”魔薬”の培養液の中で新しい魔体を手に入れた。しかしその代償は莫大で、彼女は理性や知性のほとんどを失っていた。
ゆえに、通常であればどんな状況であっても動じないはずであるのに…現在のミザリーは焦っていた。
強力な敵…魔体の弱点である光魔法の使い手や、無敵と思われていた肉体を切り刻む騎士や女戦士の出現は、彼女に与えられたミッションである”学園の生徒たちの足止め”を不可能にするのではないかと思われた。
このままではまずい…
相手を皆殺しにしなければ…
ほとんど喪われてしまった思考能力の中で、【解放者】の指令だけに従う存在と化してしまったミザリーの脳裏には、同じ言葉が呪文のように繰り返されていた。
「……レット…!」
そのとき。
微かに残されたミザリーの意識に、かろうじて届く声があった。その声は…遥か遠くから聞こえてくるかのようにか細く弱々しい。だけど強い力を持ってミザリーの心に滑り込んできた。
なにか聞こえる……もしかしてこれは、自分を呼ぶ声?
ミザリーはもはや存在するかも怪しい聴覚を凝らして、なんとなく声がするほうへと意識を向けた。
やがて、ミザリーの耳にもはっきりと言葉が届くようになってきた。
聞こえてきた声の主は…
「リグレット!!ウチが、あんたの友達であるウチが…あんたを成仏させたるでぇ!!」
ミザリーのもとに迫りくる、ナスリーンの魂の叫びだった。
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ナスリーンの声を聞いて、暗黒スライムであるミザリーの動きが止まった。
「今だ!いくぞっ!」
このスキを逃す彼らではなかった。『剣聖』シリウスのかけ声に合わせて、全員が一斉に動き出した。
「飛び出せ!光魔法『光の妖精』!」
まず最初にチェリッシュが放った光魔法が、ミザリーの体に直撃して弾け飛んだ。ぶるぶる震える魔体から、粘液状の表面が弾け飛ぶ。
「だらぁぁぁ!!」
そこにバレンシアの一撃が加わり、ミザリーのドス黒い身体に大きな穴が開いた。穴の奥には、かすかに見える白いもの…ミザリーの顔だ。
「見えたっ!そこだっ!ブリガディア流剣術…『餓狼閃』!」
シリウスの神速の剣閃が、ミザリーの体を大きく引き裂く。この一撃により、ついに…ミザリーのスライム状の体が、最奥にあるミザリーの顔の部分まで届くほどに深く抉られた。
「今だ!ナスリーン!」
「いくでぇぇえ!【桃源郷への誘い】!」
これまでで最大の魔力を込めてナスリーンが放った天使の歌が、桃色の閃光を放ちながら向かった先にいたのは……なんとボウイ!
まさかの誤爆?ナスリーンの天使の歌が、そのままボウイに直撃する…かと思われたとき。
ボウイの全身を一陣の風が覆い尽くした。
スライム化したミザリーにも一定の効果のあるナスリーンの『天使の歌』が、ボウイの周りを取り巻く風に乗った。そのまま桃色の魔力を、風とともに自らの剣に重ねる。
ボウイを中心として、桃色の竜巻が発生した。
「うぉぉぉぉぁあ!!喰らえぇぇ!!奥義、【悠久の風】!!」
あまりに激しい魔力の渦に、ボウイの毛細血管が耐えられずに全身から出血を起こした。だがボウイは気にしない。ピンク色の竜巻を纏わせた剣を腰に構えると、勢いをつけて…一気にミザリーに突撃した。
一陣の風と化したボウイが、ミザリーの魔体に激突した。飛び散るミザリーの黒い体液。
「だりゃぁぁぁぁあ!!」
だが、ボウイはまだそこでは止まらない。ナスリーンの魔法を乗せた剣を両手で握りしめると、ねじ込むように…さらに深く突き出した。
激しく回転しながら突き出されたボウイの剣が、ついに…ミザリーの魔体の中心にある顔の部分まで到達した。なんの表情も浮かべていないミザリーの白い顔…その額の部分にボウイの剣が当たった瞬間、桃色の魔力が一気に流れ込んだ。
ピシリ、白い顔にヒビが入った。ずぶり、ボウイの剣がさらに額のなかに埋まって行く。
そして…ついにミザリーの中心にあった白い顔が、粉々に砕け散った。それでも勢いが止まらないボウイは、身体ごと一気にミザリーの体内を突き破っていった。
ボウイの渾身の一撃は、ミザリーを貫通し…そのまま反対側まで突き抜けていった。
防御や体制維持を完全に放棄した渾身の一撃だったため、着地姿勢をちゃんと取れなかったボウイはそのまま地面に叩きつけられた。
「ボウイ!大丈夫!?」
慌ててナスリーンが駆け寄ると、全身血まみれのボウイはニヤリと笑いながら…親指を上げて勝利のポーズを取った。
「あぁ、やったぜナスリーン!」
一方、ミザリーは最期の時を迎えようとしていた。
ぶるぶると小刻みに震えながら、少しずつ暗黒スライム状の魔体が霧状に拡散していく。
様子を伺っていたシリウスが、構えていた剣を鞘に収めた。シリウスほどの剣の達人が、もはや戦闘体制をとる必要がないと判断したのだ。
同じく剣を構えていたバレンシアと、彼女に震えながらしがみついていたチェリッシュがその様子を見てホッと息をついた。
「シリウス、終わったのかな?」
「ああ、バレンシア。聞いた話では魔力により産み出された魔物は、滅びると魔化が始まって消滅するという。いまはまさにそんな感じだよな」
「うわー、これが魔化なんだ。…気持ち悪ーい」
やがて…暗黒スライムの身体が魔化して消え去ったあとには、灰色となった一人の人物の身体だけが残された。
倒れ伏した灰色の人物…ミザリーのもとに、ボウイとナスリーンがゆっくりと近寄って行った。ミザリーは最期の力を振り絞るようにして、ひび割れたその口を開いた。
「あな…たは…ナスリーン……。まさかあなたたちに…やられるなんてね…」
既に体が動く様子はない。徐々にミザリー本体の身体の崩壊も始まっていた。遺された時間はあと僅か。
ナスリーンはそんなミザリーの頭を優しく持ち上げると、自分の膝の上に乗せて膝枕をした。
「そうや、リグレット。あんたの負けや。相手が悪かったなぁ」
「ほん…とに…ね」
最期のときを迎えて、リグレットの心の中に去来したのは…後悔だった。
彼女は【解放者】によって産み出された人造人間だった。フランフランの遺伝子をベースに組み込まれ、人造人間として生体カプセルから誕生したミザリーは、生まれた瞬間から【解放者】に忠誠を誓わされた”試験管子供”であった。
ゆえに、ミザリーにとって【解放者】は親であり、主君であり、守るべきものであり…全てであった。ミザリーは【解放者】のためならなんだって出来ると思っていた。命すら捧げる覚悟だった。
…つい、先日までは。
だけど…今の自分の姿は何なんだろうか。
もはや人間としての尊厳すら喪われ、ただの醜い粘体生物と化してしまった。
これが自分の望んでいた未来だったのか。 【解放者】様を敬い慕ったその先にあったのは…ただの悲惨。
「あたしの…ことを…嘲笑ってるんでしょ?」
そう呟くミザリーに、膝枕をしていたナスリーンが首を横に振った。彼女の瞳に浮かんでいたのは大粒の涙。
自分の無様な姿に涙を流すナスリーンのことを理解できないミザリーは、大いに困惑しながら彼女に問いかけた。
「なぜ…泣いてる?あたしは…あなたを洗脳して…堕落させようとしたのに…」
「だって…リグやんは、ウチの友達やんか」
ナスリーンの言葉に、ミザリーの目が大きく見開かれた。
これまでミザリーは、常に何かに飢えていた。飢えの正体は分からなかったものの、【解放者】に褒められたときだけほんの僅か満たされた気分になった。
だから彼女は、その飢えを満たすために【解放者】に褒められようと一生懸命努力していた。
だが、ナスリーン言葉を聞いた瞬間。ミザリーは自身の心の中をずっと占めていた”飢え”が…一瞬のうちに満たされていくのを感じた。
ここから先は無様で惨めな死が待つだけ。そんな状態になって初めて…これまでミザリーがどうしても手に入らなくて渇望していたものを、最後の最後にミザリーのもとへと届けてくれたのだ。
彼女の飢えを満たしてくれたのは…ナスリーンが口にした、たったひとつの言葉だったのだ。
あぁ、あたしがずっと欲しかったものは…
「ナスリーン…あなた…バカ?」
「そうや、ウチはバカや。ずっといっしょにおったのに、そんなことも知らんかったんか?」
「あぁ…そういえばそうだったわね…あなたはいつも…あたしを困らせてばかりで…」
それまで苦痛に歪んでいたミザリーの顔に、ほんの僅か笑顔が戻った。そこにいるのはもはや【解放者】の配下ミザリーではなかった。ナスリーンの友人である一人の少女…リグレットだった。
「ねぇ…ナスリーン…。あたし…生まれ変わったら…あなたの…親友に…なりた…い…な」
「バカやなぁ、リグやん。あんたはな、もう…うちの親友やで?」
ナスリーンの言葉に、リグレットは…最高の笑顔を浮かべた。
リグレットが探して求めて…ずっと手に入れることが出来なかったものが、最後の最後に彼女のもとにスルリと落ちてきたのだった。
「あり…が…と……」
最高の笑顔をうかべたまま、リグレットの身体はゆっくりと…塵になっていった。
そして、リグレットは…そのまま風の中へと消えていったのだった。
「リグやん!リグやん!!うわぁぁぁん!」
リグレットの最後のひとかけらがナスリーンの掌から風に飛ばされていったとき、ナスリーンが大声を上げて絶叫した。まるで膝の上から消えた温もりを探すかのように、両手で宙を抱きながら号泣するナスリーン。そんな彼女に、ボウイがそっと寄り添った。
ボウイが横にやってきたことに気づいたナスリーンが、今度は彼にしがみつきながら泣き始めた。ナスリーンの背中を優しく撫でてあげながら、ボウイは改めて周りの状況を確認してみた。
親玉であったミザリーが滅びたことで、指揮官を失った魔獣の軍団はすでに戦線を維持することが出来なくなっていた。
そうなるともはやブリガディアの騎士見習いたちと魔法学園の講師や生徒たちの敵ではない。魔獣たちは各地で各個撃破されていった。
学園側は…見事魔獣の軍団に勝利したのだった。
自分たちの勝利を確信したボウイは、既に戦闘体制を解除していたシリウスやバレンシア、チェリッシュに親指を上げて勝利のサインを送りながら、遠い空を見上げた。そして穏やかな笑みを浮かべながら、空に向かって一人つぶやいたのだった。
「アキ。俺たちは勝ったぜ?あとは…お前たちの番だ。しっかりがんばれよ」




