84.エルディオンの最期
フランフランにフランシーヌ。
名付けを失敗したことに今更ながら気付いてしまいました…分かりにくくて申し訳ありません(´Д` )
なお、作中フランと呼ばれているのは全部フランシーヌのことです。
ゲミンガの見せる過去視は本当にリアルで、過去の出来事をまるで今現実に起こってるかのように映し出していた。
俺たちの目の前にいま映し出されているのは…ミクローシアが兄であるエルディオンになにかを詰め寄っている姿。魔法学園の制服を着た初々しい少女が大声でわめいていた。
「なんでよお兄ちゃん!あの人を紹介してくれたって良いじゃない?」
「やめとけ、ミクローシア。アンクロフィクサは今ちょっと落ち込んでるんだ。確かにあいつは美男子だけど、あんまりちょっかいかけるのは良くないぞ?」
「なによ、けちー!ばかー!」
エルディオンに散々悪態をついたあげく、捨て台詞とともにミクローシアは立ち去っていった。そんな妹の姿を、エルディオンは困った表情で見送っていた。
なるほど、ミクローシアはアンクロフィクサに一目惚れしたんだな。兄に紹介を頼むあたり、なんだか年頃の女の子って感じがするよ。
次のシーンでは、ミクローシアが楽しげにアンクロフィクサに声をかけているところだった。でもアンクロフィクサのほうは彼女にあまり興味がないようであった。適当にあしらって相手にしていないように見える。それでも一方的に話しかけているミクローシアの姿に、俺はなんだかいたたまれない気分になった。
「…アンクロフィクサはな、クリステラに失恋した痛手をずっと引きずっておったんじゃよ。ミクローシアのことは、おそらく眼中に無かったんじゃろうな。それでもあの娘は…アンクロフィクサを追いかけ続けた」
ロジスティコス学園長が、ため息混じりにそう教えてくれた。
ミクローシアがどんなにアプローチしてもつれない対応をするアンクロフィクサ。悔しそうに兄や父に愚痴を言うミクローシア。
やがて場面は、アンクロフィクサが背中に天使の翼を具現化させた姿を映し出す。
どこかで『天使の器』を手に入れたのだろうか。天使化したアンクロフィクサは、天才画家が教会の壁面に描いた天使のように美しく気高かった。
さらに次のシーンでは、アンクロフィクサの横に小さな少女が立っていた。なんとなく黒目の部分が多く感じる瞳と、ショートカットの黒髪の…無邪気な笑い顏を見せる少女。
「もしかしてこの少女は…」
「そうじゃ。この子がアンクロフィクサが最初に召喚した魔族…フランフランじゃ」
俺は驚きを隠せなかった。
なぜなら、いま映像で見ているフランフランに、『魔族召喚』で喚び出されたとき特有の”狂ってる”ような気配が感じられなかったからだ。
ゲラゲラ笑いながらアンクロフィクサの腕にまとわりつくフランフランと、それを疎ましそうに見ているミクローシア。印象としては、子供っぽい無邪気さを持った普通の女の子のように見えた。
…間違いない。このときのフランフランは狂ってはいない。ということは、フランフランは狂わずにこの世界に喚び出されたということになる。
では、『魔族召喚』で呼び出された魔族が狂ってしまうのは…どうしてなんだ?
俺の疑問などお構いなしに、目の前に映し出される場面はどんどん変化していった。
フランフランと睨み合ったり、ときには取っ組みあってケンカをしているミクローシア。そんな二人を少し困った顔で仲裁するアンクロフィクサ。どうやらアンクロフィクサを取り合ってケンカしている二人を、当の本人であるアンクロフィクサが必死になだめているようだ。いかにも典型的な”三角関係”といった感じなんだけど、見ている方が受ける印象は、聞き分けの悪い妹二人に振り回される兄…といった感じだった。
「今思えば…この頃は平和じゃった。フランフランもさほどおかしくなかったし、アンクロフィクサも安定しておった。親のひいき目かもしれんが…ミクローシアが良い影響を与えておったような気がするんじゃ」
寂しそうにそう口にするロジスティコス学園長に、俺は何も言葉を返せなかった。
ところが、ここにきて映し出される映像の雰囲気が突如変化する。
燃え盛る街…いや村だろうか。
炎を噴き出しながら焼け落ちる家や小屋を前にして、呆然と立ち尽くしているのは…フランシーヌだった。その腕には血まみれで事切れた子供が抱かれている。
ここでまたフランシーヌ目線に戻ったのか?それにしても…なんの場面なんだ?
やがて…炎の中からゆっくりと二人の人物が現れた。
一人は…魔法学園の講師が来ている法衣に似た服を血で赤く染め、血まみれの剣を手に持った黄金色の髪の美青年…アンクロフィクサ。あの剣は…たしか見覚えがある。【解放者】が学園長を刺した魔剣だ!
そしてもう一人は…手に不思議な形の杖を持ってケラケラ笑うフランフラン。背中に黒い翼を具現化させ、楽しそうにステッキをクルクルと回していた。
背後から炎の赤い明かりに照らし出された二人の姿は、まるで地獄の底から出現した死の使いのように見えた。そんな二人と正面から対峙した過去のフランシーヌが、声を震わせながら語りかけた。
「ど、どうしてこんなことを…アンクロフィクサ!」
「…あれ?誰かも思えばフランじゃないか。どうしてこんなところに?」
「どうもこうも、私の領域でこんなことをしていたらすぐに分かるわ!どうしてあなたは…自分の親を、血縁一族を皆殺しなどしたのっ!?」
「きゃはっ!なんかトカゲが煩いわねぇ!しかもアタシと名前被ってるからウザいしー!」
「黙れ魔族っ!私はアンクロフィクサと話をしているんだっ!」
「いやーん、怖いー!」
激昂するフランシーヌを怖がるようにアンクロフィクサの腕にしがみつくフランフラン。その態度は、フランシーヌのことを小馬鹿にしているようにしか見えない。
フランフランに同調するかのように、アンクロフィクサがフッと笑い声を漏らした。だけどその笑みは…昔の映像で見せていたような無邪気なものではなかった。
「ねぇフラン。あなたにひとつクイズを出そうか。この辺に死体で転がってるこいつらだけどさ、15年前に捨てた息子がわざわざ会いに来たとき、なんて言ったと思う?」
「…なんて言ったんだ?」
「【災厄】が来た、だよ。血が繋がる息子である私のことを、こいつらは【災厄】と呼んだんだ。
それだけじゃない。なんでも生贄が生き残っていればさらなる災厄を呼ぶから、今すぐに捧げなおさなければならないと言って、私のことを殺しに来たんだよ」
「なっ…」
あまりにも酷い、アンクロフィクサへの仕打ち。映像に映る過去のフランシーヌだけでなく、見ている俺も絶句してしまった。
畳み掛けるように、アンクロフィクサが言葉を続ける。
「こいつらは私のことを一度捨てただけじゃ飽き足らず、もう一度殺そうとしたんだ。だから私は…こいつらの望み通り【災厄】になってやったんだよ。皆殺しにしてやることで、ね」
「アンクロフィクサ、お前は…なんということを…」
「フラン。私はね…自分を捨てた肉親にただ会いに来ただけだったんだよ?なのにあいつらは私を殺そうとした。
それを返り討ちにして何が悪い?フランだって襲われたら反撃するだろう?」
まるでポッカリと穴が開いてしまったかのように暗黒色の光を宿したアンクロフィクサの両眼。その瞳に見つめられ、フランシーヌは反論もできないまま一歩後ろに後ずさった。
「それにさ、超文明ラーム時代から続く王族の血筋だかなんだか知らないけど、自分の息子を生贄として魔獣に捧げるような…そんな下らない一族なんて、この地上に存在する価値なんてないと思わない?」
「ま、良い魔道具はいっぱい持ってたけとねー、きゃはっ!」
「フラン、私はね…この一族が長年守り崇め蓄えていた古からの魔道具を全部頂いた。その中にあったこいつが…私の二番目の『天使の器』なのさ」
アンクロフィクサは笑いながら手に持った赤い剣を天に掲げた。あれは…アンクロフィクサが複数覚醒したときのオーブだったのか!
「ついでに超文明のいろんな知識も手に入ったしねー!見て見て、アタシたちの魔力、すごいでしょー?」
甲高い声で笑いながら魔力を放出させ始めるフランフラン。彼女の全身から溢れ出す暗黒色の魔力は…正直七大守護天使に匹敵するくらいの凄まじいものだった。
こいつら…いったいこの村で何を手に入れたんだ?あるいはなにかを失ったのか…。いずれにせよ、さきほどまでとは明らかに別人のようになっていた。
「それもこいつらが保管していた…『パンドラの箱』のおかげさ。一族の秘とかって後生大事に守ってたんだけど、私たちが全部頂いてやった」
「頂いちゃったー!きゃはっ!」
パンドラの箱…それが何なのかよく分からない。アンクロフィクサの言う通りなら、恐らくは超文明ラーム時代の知識や魔道具なのだろう。
だけど…そいつは間違いなく呪いの品だ。でなければ、多少危ういところはあっても普通の青年だったアンクロフィクサが、こんなにも恐ろしい形相に変わるわけがない。
「フラン。これはただの幕開けに過ぎない。私たちはこれからこの腐りきった世界を滅ぼす。虫にも劣る人間どもを全て消し去って、綺麗さっぱり無に浄化するんだ。どうだい?素晴らしいことだろう?」
「きゃはっ!さっすがマスター!ついでに魔界も滅ぼしちゃおうよ!」
身の毛もよだつような二人の会話に、過去のフランシーヌは強いショックを受けているようだった。今のフランシーヌも顔色が悪い。やはり…かなりショッキングな出来事だったんだろう。
「フラン、あなたはこの世界から捨てられた私を育ててくれた。その恩に免じて…あなには手を出さないであげる。だからこのまま龍の山のあの洞穴に隠居して、世界が…人間どもが滅びるのを大人しく見ていてくれないか。もし邪魔するなら…殺すよ?」
そう口にしながらポンっとフランシーヌの肩に手を置くアンクロフィクサ。過去のフランシーヌは最後まで呆然としたまま、なんの言葉も返すことが出来ないでいた。
こうして黄金色の美青年と黒髪の魔族は、フランシーヌの前を立ち去っていった。フランフランの甲高い笑い声だけを残して…
立ち去っていくアンクロフィクサの背中をじっと見つめながら、俺の横に立つ現在のフランシーヌが口を開いた。
「今の私だったら、もしかしたらアンクロフィクサになにか言葉をかけてあげられたかもしれない。あなたは私の大切な息子だって、胸を張って言えたかもしれない。だけど…すべてはもう手遅れ。私はこのとき、かけがえのない息子を…永遠に失ってしまったのよ」
そう口にするフランシーヌの瞳から、ゾルバルが死んだときですら流さなかった涙が零れ落ちた。おそらくフランシーヌにとってアンクロフィクサのことは、思い出すのも辛いくらい悲しい出来事だったのだろう。
そんな彼女に…俺はかけるべき言葉など持っていなかったんだ。
空間が歪むような動きをしたあと、場面は再び変化した。見覚えのある校舎やグラウンドなどが目に入る。どうやら今度の舞台は魔法学園のようだ。
目の前に立っているのは、先ほど以上に目つきが悪くなったアンクロフィクサと、彼の横に佇む黒髪の少女…邪な表情で笑みを浮かべたフランフラン。
邪悪さを体現したような表情を浮かべる二人を呆然と見つめていたのは、エルディオンとロジスティコス学園長…それに顔を真っ青にしたミクローシアだった。
「な、何ということを仕出かしたんだ!村を一つ滅ぼすなど…アンクロフィクサ!」
「ふふっ、エルディオン講師。私は別に大したことはしてませんよ。ただ…ちょっとした復讐しただけ」
「アンクロフィクサ。このような残虐な行為を犯したお主を、学園長として認めるわけにはいかん。そなたを…この学園から除名する。その上で捕縛し、王国に必要な裁きを求めよう」
「まって!おとうさん!」
空気を切り裂くような声をあげて、険悪な空気が流れるアンクロフィクサたちとの間に割って入ったのは、他ならぬミクローシアだった。
「ミクローシア、父さんの邪魔はするな!」
「いやよ!アンクロフィクサを除名なんて…彼もきっと辛かったのよ。本当の両親に酷い対応をされて…そうでしょう?アンクロフィクサ!」
縋るように問いかけるミクローシアに、アンクロフィクサは何も返事を返さない。
「…学園長、エルディオン講師。お世話になりました。私はこの学園を去ります。それでは」
「きゃははっ!ばいばーい!」
後ろ髪を引かれる様子もなく学園の服を脱ぎ捨てて放り投げると、アンクロフィクサの背後に巨大な扉が現れた。そのまま振り返ることもなくアンクロフィクサは扉の中に入っていく。
「待って!あたしも行くっ!」
そんな彼を追いかけたのは、ミクローシアだった。驚くロジスティコス学園長とエルディオンに、ミクローシアが素早く伝える。
「おとうさん、お兄ちゃん。あたしがアンクロフィクサの側について、きっと元に戻してみせる!だから…それまで待ってて!」
そうやってアンクロフィクサを追いかけていくミクローシアの姿を、二人は呆然としながら見送っていた。
「このあとアンクロフィクサは【魔王】グイン=バルバトスを召喚して、世界に戦争を仕掛けることになる。このときになって事態を重く見たエルディオンが『教え子がおかしくなったのは自分の責任だ』と言って、ついにアンクロフィクサを討つ決心をしたんじゃ。じゃが…ん?なんじゃ?」
話の途中でロジスティコス学園長が妙な声を上げた。
見てみると、なぜか懐のあたりが赤黒く光っている。学園長が懐に手を入れ、光の原因を取り出してみると、それは…例の“赤黒い剣“だった。たしか【解放者】が『紅呪剣』と呼んでいた、アンクロフィクサの『天使の器』だ。
どうしてこいつがこのタイミングで光りだしたんだ?首を捻っていると、今度は胸に抱いているゲミンガの様子がおかしくなってきた。小刻みにプルプル震えている。
「フランシーヌ、ゲミンガの様子が変なんだけど…」
「気付いてるわ。…もしかしてゲミンガ、あなた新しい能力に目覚めようとしてる?」
フランシーヌの問いかけを理解してか否かは不明だが、ゲミンガが母親の方を見て「だぁ」と一声発した。
「もしかしてゲミンガ、あなたは“道具の過去“まで視れるようになったの?」
返事の代わりに、ゲミンガが俺の胸を揉む。おいおい、なんだよその手癖の悪さは。しかも触り方上手ぇじゃねーか。
…次の瞬間、視界が歪んで場面が急変した。
今俺たちが立っているのは、草木も生えていない赤茶げた大地に無数の岩が転がった荒地。そして目の前では…アンクロフィクサとエルディオンが対峙していた。
アンクロフィクサの背には巨大な悪魔の翼、エルディオンの背中にはそれを凌駕するほどの大きさの天使の翼が具現化してる。
そんな二人の様子を隠れて見ていたのは…ミクローシア。今にも泣きそうな顔で二人のことを交互に見ている。
「むむっ!?こんな記憶、ワシにはないぞ?もしかしてこいつはさっきフランシーヌが言っていたように…」
「ええ、どうやらその剣が持つ記憶を映し出してるみたいね。さすがはゲミンガ、すごいわ」
二人の戦闘はすぐに始まった。
伝説として語られる二人の死闘は、いきなり信じられないくらい強大な魔力と魔法がぶつかり合いから始まった。
「【天の裁き】」
アンクロフィクサは無数の扉をエルディオンの周りに召喚した。数十…いや数百だろうか。くるくると回遊する小型の扉がアンクロフィクサの指示によって一斉に開かれた。扉の中から噴出したのは色とりどりの魔力の塊。七色の光線が一気にエルディオンに襲いかかる。
「【世界樹の万能板】」
エルディオンの手に、なにやら銀色に光る板状のものが具現化した。なんだあれは…?タブレット型の電子機器みたいに見えるぞ。
指を華麗に動かしてタブレットを操ると、エルディオンの周りに光り輝く魔力のバリアのようなものが貼られて、アンクロフィクサの放った攻撃はすべて防がれてしまった。
「アンクロフィクサ。教育者としての責務として…君を討つ!」
エルディオンがふたたび指を動かすと、今度はアンクロフィクサの足元に巨大な穴が空いた。慌てて飛び退くアンクロフィクサに、今度は天から雷が降り注ぐ。息もつかせぬ連続攻撃に、アンクロフィクサが喜びの声をあげた。
「ふふっ!さすがエルディオン講師!…【黒死天使】」
アンクロフィクサが赤い血色の剣を振ると、目の前の空間が割れて雷をすべて吸い込んだ。そのままひび割れは広がっていき…エルディオンへと襲いかかる。
おそらくはカノープスの【消滅空間】と良く似た攻撃なのではないだろうか。目の前に迫った…あらゆるものを吸い込むひび割れを、エルディオンは指先一つで止めた。魔力を集中させた指先で、空間のねじれを止めたのだ。
…なんという高次元の攻防。
俺は、今から20年以上前の伝説の戦いに完全に見入っていた。恐らくはこの戦闘を初めて見るであろうロジスティコス学園長とフランシーヌも同様だった。それくらい…高度な魔法技術の応酬。
だけど、長く続いた戦況も少しずつ変化していく。エルディオンの攻撃が…徐々にアンクロフィクサを上回り始めたのだ。
エルディオンの能力【世界樹の万能板】は本当に凄かった。なにせロジスティコス学園長の【英知の書物】に匹敵する様々な効果の『天使の歌』を持っていたのだ。
さすがのアンクロフィクサも、あらゆる攻撃が弾かれたうえに毎回異なるパターンの魔法攻撃を放たれては、打つ手は限られていたようだ。
しかもエルディオンは、複数覚醒者であるアンクロフィクサを上回る魔力をも持っていた。戦況は…おのずとエルディオンのほうへと傾いていった。
そのとき、鈍い金属音とともにアンクロフィクサが手に持っていた『紅呪剣』が弾き飛ばされた。
くるくると回転しながら、二人の戦いを観察していたミクローシアの前に剣が突き刺さる。
「終わりだ、アンクロフィクサ。観念しろ」
「…さすがはエルディオン講師。全力でも敵わない、か。まぁあなたに負けたなら仕方ないか」
負けを認めてか、アンクロフィクサが両手を天に挙げた。潔い…いや、むしろこの状況を措定していたかのようなアンクロフィクサの態度に、エルディオンが優しい顔で語りかける。
「アンクロフィクサ。素直に捕まって…一生を罪の償いに当てる気はないか?」
「無いね。私は生きている限り人間を殺し続ける。それが嫌なら…今すぐここで殺すんだな」
「…無念だよ、アンクロフィクサ。お前ならきっと…いや、もう何も言うまい」
エルディオンは無言で腰に差していた剣を抜きはなった。そしてゆっくりとアンクロフィクサの首に当てる。
…狙いを定めた剣を振り上げ、そのまま一気に下ろそうとした、そのとき。
ずぶり。
エルディオンの胸から、赤黒い剣が生えた。
エルディオンの背後から剣を突き立てたのは、他ならぬミクローシアだった。ゴホッと血を吐き、胸を押さえるエルディオン。
「ガハッ!ミクローシア…なぜ…?」
「お兄ちゃん…いいえ、エルディオン。あなたに…アンクロフィクサを殺させやしないわ」
ミクローシアの背中に具現化しているのは、暗黒の悪魔の翼。信じられないといった表情で妹を見つめるエルディオン。
「…ははっ、どうやら天は私に味方したようだね。妹に刺された気分はどうだい?エルディオン講師」
「アンクロ…フィクサ…おまえ…は…」
「さようなら、エルディオン。あなたは強かったよ」
アンクロフィクサは背中に回り一気に『紅呪剣』を引き抜くと、そのまま…エルディオンの首筋に落とした。
俺は堪えられなくなって視線を逸らした。
こんなの酷すぎる。無念の想いで散ったいったエルディオンのことを思うと、俺の胸は張り裂けそうな気持ちになった。
初めて決定的な場面を目の当たりにしたロジスティコス学園長の心中たるや、如何なものだろうか。
学園長の気持ちは俺には何もわからない。だけど実の娘によって息子が殺される瞬間を見させられること以上に辛いことなど、この世に無いのではないだろうか。
…いや、ある。
それは…実の娘を、自分で始末すること。
微動だにせず目の前の過去の光景を凝視するロジスティコス学園長の手を、俺は思わず握りしめた。
「…なんじゃ?アキ」
「学園長、すまない。こんな辛い場面を見せることになってしまって…」
「そんなことを気にするでないぞ、アキ。ワシはもう既に全てを失った。じゃがな…ワシ以外の人にまで、同じような目には遭わせたくはないんじゃ。こんな想いをするのは、ワシ一人で十分じゃよ」
俺はこの老人の願いを叶えよう。そのために全力を注ぐ。
悲しみを通り越した一人の老人の寂しい表情を見て、改めてそう…心に誓ったんだ。




