【断章】ディアマンティーナ
ユニヴァース魔法学園を襲撃し、ティーナを攫った【解放者】たち一行は、アキたちに宣言したとおり【グイン=バルバトスの魔迷宮】に向かっていた。
途中、率いていた部下たちを分離させながら。
「【悲惨】、あなたはこのままここに残って学園を襲撃する魔獣部隊のリーダーを努めなさい。余計なものを私のほうに来させないように、ね」
黒いスライム状の魔物と化したミザリーは、ぶるんと震えて同意を示すと、そのまま霊山ウララヌスの麓へと消えていった。
続けて【魔迷宮】の入り口付近にある石像群にたどり着いたとき、今度はエニグマに対して指示を出した。
「【暗号機】、あなたはここで邪魔者を排除しなさい。でも、最低限の人…【魔迷宮】に入宮できるだけの人数は通してあげてね?そのとき、必ずその中にエリスは含めるのよ」
「はっ、しかし【解放者】様、なぜにこのようなお戯れを…?」
「黙りなさい、【暗号機】。あなたは黙って言うことを聞いていれば良いのです。分かりましたか?」
「…承知いたしました」
悔しげな表情を浮かべながらも片膝をつくエニグマ。そんな二人の様子を色々と疑問に思いながらも、ティーナは黙って観察していた。
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魔力の光を浴びて輝きを増した四体の石像が動き出し、目の前にある巨大な扉が軋む音を立てながら、魔迷宮への入り口がゆっくりと開いていった。
既に【魔傀儡】のコントロールを取り戻したヴァーミリアンと【解放者】がそれぞれ2つずつの石像に魔力を注ぎ込むことで魔迷宮への入宮を果たした3人は、そのまま下層へと歩いていく。
ティーナにとってはおよそ1年ぶりとなる魔迷宮訪問。だが今回は、当時を懐かしく思い出すような状況ではなかった。
カツカツと足音だけが響き渡る迷宮の通路を歩き続ける間、彼女たちの間に言葉が交わされることは無かった。
やがて第9層に達したとき、【解放者】はヴァーミリアンにこのフロアに残るように指示を出した。
頭を下げて指示に従うヴァーミリアン公妃の、まるで人形のように張り付いた表情のない顔を見て、ティーナは悲痛な面持ちを浮かべた。
学園にいたときのように、一瞬でいいのでもう一度ヴァーミリアンが自我を取り戻してはくれまいか。そんなティーナの細やかな願いは、残念ながら天に聞き届けられることは無かった。
そして…【解放者】とティーナは、たった二人で最下層である第10層へとやってきた。
グイン=バルバトスの魔迷宮、第10層。
そこはかつて、魔戦争を引き起こした14枚の翼を持つ【最凶の魔王】グイン=バルバトスが鎮座していた場所だ。
黄金によるきめ細やかな装飾が施され、真紅に染まった天鵞絨調の豪華な椅子は、この世界で最も深い場所にある玉座。魔王と呼ばれる存在のみが座ることを許された椅子に、【解放者】ミクローシアはゆっくりと腰をかけた。
「長旅ご苦労様、ディアマンティーナ。あなたはここでゆっくりしてなさい。約束通りエリスが来るのをしばらく待つことになるから」
「【解放者】、いやミクローシアだったか。お前は…何を考えているんだ?」
二人の間で初めて交わされた会話は、一方は友好的な、だがもう一方は極めて非友好的な態度の応酬から始まった。
「なにをって…まぁいろいろかしらね?」
「ボクにはお前の考えていることがわからない。これまでの行動を見ている限り、お前は極めて用意周到で、いつも万全の準備をした上で自らが表に出ないように細心の注意を払いながら事を運ぼうとする”冷静さと頭の良さ”を併せ持っていた。
なのにいまのお前がやってることは、場当たり的で大事な部下を捨て駒にするような…刹那的・快楽的なことばかり。まるで行動に一貫性を感じない」
「あら、それは褒めてくれてるの?それとも貶してる?」
まるでティーナを挑発するかのように、軽い口調で話しかけてくる【解放者】。
対するティーナは、高ぶる激情を必死に抑えていた。本当は今すぐにでも【解放者】に襲いかかりたい。なにせ目の前にいるのは、ずっと探し続けていた…デイズを殺した仇なのだ。
でもそれをしなかったのは、少しでも【解放者】から情報を引き出したいと考えていたからだ。
実はティーナは、【解放者】ミクローシアの行動について一つの仮説を立てていた。もし彼女の推測が当たっているのであれば、おそらく”彼女が大切に想う存在”に害が及ぶことになる。そのような事態を避けるためにも、より詳しい情報を得ることは必要不可欠であるといえた。
ゆえにティーナは、最愛の人物を殺した相手を目の前にしたことで溢れ出そうになる激情を懸命に封じ込め、必死に冷静さを装いながら【解放者】から話を引き出そうとしていたのだった。
「なぜ…お前はあのとき引いたんだ?あのまま攻め続けていたら、お前にとって最大の要注意人物であるロジスティコスのじいさんは仕留められたんじゃないか?」
「あなたはあの男…ロジスティコス=ユニヴァースを甘く見過ぎているわ。ああ見えて”世界最高の魔法使い”の称号は伊達じゃないのよ?窮鼠猫を噛む、ではないけど、あの男はそう簡単にくたばらないわ」
「であれば、余計あのとき仕留めたほうがよかったんじゃないのか?回復されたら…お前では勝てないんじゃないのか?」
「ふふっ、挑発しても無駄よ。それに心配は不要。なにせ私がもともと求めていたのは、ロジスティコスを始末することじゃないから」
「そうだろうな。だって…お前が求めていたのは…誰にも邪魔されずにボクとエリスをこの場所に連れてくることなんだろう?そのことさえ叶えば、他のことはどうでも良いんだろう?違うか?」
ティーナの言葉が、悪魔の目の前にそびえ立っていた見えない壁を鋭く切り裂いた。
「…本当に賢い子ね。誰に似たのかしら」
【解放者】はティーナの発言を否定も肯定もせずに、妖しい笑みを浮かべながら黄金の髪の美少女のことを眺めていた。その態度に、ティーナは確信を深める。
間違いない、こいつの狙いはボクとエリスだ。何故かは分からない。でもそれが分かった以上…どんな手を使ってでも、この悪魔を生かしておくことはできない。
ティーナ自身、ただ黙って攫われることに同意したわけでは無かった。アキにはああ言っていたものの、あわよくばヴァーミリアンを救出し、【解放者】を仕留められればと考えていたのだ。そのためなら…自分の命を捨てても良いと。
ティーナには奥の手があった。限られた人にしか見せたことのない『七翼の翼』。恐らくは世界でも類を見ないほどの量の魔力を彼女は隠し持っていた。
『七翼の翼』発動時に溢れ出す膨大な魔力を一点に集めてぶつければ、複数覚醒者である【解放者】の魔法障壁をも打ち破ることは可能なのではないか。そうすれば…彼女の攻撃は届くのではないか。
でも、まだだ。今はそのときではない。できるだけ情報を集め、かつ相手がもっとも油断したとき…研ぎ澄ました牙を一気に剥くんだ。
ティーナは自分の心にそう言い聞かせながら、【解放者】の考えを探るように…さらに会話を続けた。
「でもボクが目的だったんならさっさと固有能力で支配すれば良いだろう?なぜそれをしない?」
「それはね。その必要が無いからよ、ディアマンティーナ」
「必要が無い?違うね。できないんだろう?お前の【魔傀儡】には厳しい制約がある。誰でも無制限に操れる訳ではない。事実、今のお前はヴァーミリアン公妃を操るだけで精一杯なんだ!」
ティーナの言葉に、【解放者】はやはりなにも返さない。
「…図星か?」
「ふふっ。やっぱりあなたは別格ね、ディアマンティーナ。さすがあの人の血を引くだけあるわ。でもね、残念ながらそれはハズレ。正解はね、そんなことをする必要がないからよ」
「…必要がない?」
なぜ…必要がないのか?妙に気になることを言っていたものの、あえてそこは無視して問いただすティーナ。
本来であれば操ったほうが楽なはずなのに、必要がないとはどういう意味なのか?疑問の表情を浮かべたティーナに、【解放者】は笑顔を浮かべながら答えた。
「ふふふっ、ディアマンティーナ。それはね…私にはあなたが手伝ってくれるっていう確信があるからよ。なぜならあなたは……私の娘なのですから」
今度は【解放者】の口から、強烈な威力を秘めた言葉の爆弾が放たれた。
「…ふっ、ふふふっ…」
だがティーナの口から漏れたのは…失笑だった。悪魔が放った爆弾は不発に終わった。
「お前は何寝言を言ってるんだ?ボクがお前の娘だって?言うに事欠いて、まさかそんなことを言ってくるとはね…ボクがそんなウソを信じると思うかい?そもそもボクとお前じゃあまりにも姿形が似ていなさすぎる」
「まぁ信じられないのも無理はないわね。なぜなら、あなたはあのデイズによって記憶が消されてるのだから」
【解放者】の言葉に、ティーナは一瞬にして頭に血が上るのを感じた。地の底から湧き出す熱いマグマのように、込み上げてきた激情を抑えることができずティーナは絶叫した。
「違うっ!ボクの記憶はデイズおばあちゃんがわざわざ封印してくれてるんだ!ボクが過去に押しつぶされないように…。その証拠に、適切な時期が来たら確認できるように”解除キー”も教えてもらってるんだ!」
「…それは本当なの?」
「えっ…?」
「あなたはその解除キーとやらで、本当に記憶が戻ると思ってるの?」
不意に放たれた悪魔の投げかけに、ティーナは言葉を失った。
「いい?ディアマンティーナ。あなたにひとつ良いことを教えてあげましょうか。デイズはね、あなたの記憶を解放させる気なんてさらさらなかったのよ」
「…な、なにをバカなことを…」
「ウソだと思うなら、その”解除キー”とやらでも使ってみなさい?どうせ失われた記憶なんて戻ってこないのだから」
「だ、黙れっ!」
悪魔の言うことを聞いてはいけない。でもティーナは悪魔の言い分に明確に抗議が出来ないでいた。
実はティーナは、仮に解除キーを使ったとしても『記憶が戻らない』という事態を薄々想定していた。なぜなら、デイズが封じたくらいの過去であれば、恐らくロクなものではないことが想定されたからだ。であれば、優しいデイズが記憶を戻させない…ということは当然想定された。でも仮にそうだったとしても、それはデイズの優しさゆえのこと。…これまではそう思っていた。
悪魔の囁きが耳に入るまでは。
疑問を払拭したいのであれば、この場で解除キーを唱えればいい。でももし本当に記憶が戻ってこなければ…自分は悪魔の言い分を認めてしまうことになるのではないか。そんな考えから、ティーナは解除キーを行使することができなくなっていた。
ティーナは悪魔によって前にも後ろにも進めないよう徐々に追い込まれつつあった。
そんなティーナの心の隙を、悪魔は確実に突いてきていた。【解放者】は、はぁぁ、とわざとらしくため息を吐いた。
「…たぶんデイズの仕業ね?あの女は記憶操作の固有能力を持っていたものね。そういえばあの女、今際の際に何かやってたわね、どうやらあのときにあなたの記憶を封じたのね。だから…あなたは今も綺麗さっぱり忘れて、何事もなかったように生きている」
「お…お前はなにを言っているんだ?」
「あなたはデイズにまんまと騙されていたってことを言ってるのよ。本当の記憶を消されて、嘘の情報を刷り込まれて…挙句、都合の良いように踊らされているだけ。
私が真実を教えてあげましょうか?あなたはね、今から7年前に私の元からデイズに攫われたのよ」
「そ、そんなのはウソだっ!!」
このままではまずい、相手の思う壺だ。ティーナは必死に自分に言い聞かせた。
どうにかなってしまう前に、すぐに決着を付けなければ。ティーナは心の内の混乱を断ち切るように、腰に差した【アーバイの蛇短剣】という名の剣に手を触れた。手に入れて1年ほどとなる短剣の形をした『天使の器』の金属特有の冷たさが、沁みるように彼女の掌に伝わってきた。
「ウソじゃないわ。そしてあなたは記憶を消されてデイズの元で育てられた。そんなあなたをやっと見つけて、迎えに行ったのが2年前のこと。だけどそのときも…デイズに邪魔された。あなたはまた記憶を操作された。まぁでもそのときに忌々しいデイズは死んだのだけどね」
こつり…こつり…
ゆっくりと歩み寄ってくる【解放者】。
「さぁ、ディアマンティーナ。全てを思い出しなさい。もし思い出せないというのなら…私があなたの記憶を呼び覚ましてあげるわ」
慈愛のこもった笑みを浮かべながら、ミクローシアが目の前までやってきたとき、ティーナはそれまで伏せていた顔をゆっくりと上げて口を開いた。
「…ざけるな」
「ん?なぁに?」
「ふざけるなっ!貴様が…キサマがおばあちゃんを殺したんだろうがぁぁあぁあっ!!」
絶叫とともに、ティーナは腰に差していた短剣…【アーバイの蛇短剣】を一気に引き抜いた。同時に自身の背中に『七翼の天使の翼』を具現化させる。
強大な魔力を秘めた七翼の翼から溢れ出す力の本流を前に、【解放者】はまるで見惚れるかのように目を細めた。そのとき、悪魔は完全に無防備となっていた。
そのスキをティーナは逃さなかった。一瞬のうちに懐に潜り込むと、【解放者】の胸に…全身全霊の魔力を込めた短剣を一気に突き立てた。
ズドンッという鈍い音とともに、膨大な魔力を受けて七色に輝く『アーバイの蛇短剣』が【解放者】の胸に吸い込まれていく。そのまま…柄の部分まで埋まっていった。
やった!仕留めたっ!
ティーナは自分の手に確かな手応えを感じていた。相当量の魔力を込めた一撃だ。どんな魔法障壁や物理障壁でも貫く一太刀は、きっと【解放者】の命を刈り取ったはずだ。
…ティーナは確信を持ってそう思っていた。
「…うふっ、うふふふっ」
だが、【解放者】の口から漏れたのは…断末魔の叫びではなく、心の底から愉しそうな笑い声だった。
「バカな……効いてないのか?」
「ふふっ。残念だったわねぇ、ディアマンティーナ。せっかくの渾身の一太刀だったのにね。これで満足した?」
あまりに余裕のある態度に【解放者】の胸元を確認して…ティーナは驚きのあまり剣から手を離して後ずさった。なんと【解放者】の傷口からは一滴の血も流れていなかったのだ。
「なんなんだお前は…?もしかして生きていないのか?」
「さぁねぇ?でもね、一つだけ教えてあげましょうか。あいにくとね、こんなことでは私を殺すことができないのよ。
そういえば学園でもシャリアールの娘…スカニヤーだったかしら?あの子が私と刺し違えようとしてたわね。無意味なことやろうとしてるなって心の中で嘲笑ってたのよ。あなたが横槍を入れなかったら、面白いことになってたんじゃないかしら?うふふっ」
だめだ…こいつはヤバイ、ヤバすぎる。
ティーナは確信を持った。この存在は…ほんとうに危険だ。アキは自分が斃すと言っていたけど、恐らく【解放者】の言う通りアキの固有能力でもこの存在は消せないだろう。
ガタガタと震えだしたティーナを優しく諭すように、【解放者】が肩に手を置いた。
カランカラン…乾いた音とともに、【解放者】の胸に刺さっていた短剣が地に落ちた。すでに胸の傷口は塞がっており、傷跡ひとつない真っ白な胸元がティーナの目に飛び込んできた。
こいつは…化けものだ。この世にいてはならない存在なんだ。絶望が、ティーナの心を覆っていった。
そんな彼女に、悪魔が追い打ちをかけていった。
「ディアマンティーナ。私はね、ご覧の通り簡単には死なない身体を持っている。だからね、ロジスティコス=ユニヴァースなんて本当はぜんぜん怖くないの。私が真に恐れていたのは…ただ一人、デイズ=カリスマティックだけよ」
「ウソだ…さっきも恐れていたくせに…」
「恐れてたんじゃないわ、邪魔をされたくなかっただけ。これまで私は十分待った。これ以上無駄な時間を過ごしたくなかったのよ」
悪魔は、遠い目をしながら過去を回想するように独り言を呟き出した。
「それにしても、本当に長いこと待たされたわ。
7年前、私はデイズによって心を封印された挙句、大切に育てていたあなたを攫われた。いくら不死身の肉体を持ってても、精神魔法は防げないのよね。おかげで私は5年間もの間ほとんど身動きが取れなかった。
でも私はなんとか復活した。覚えてる?私はね、2年前にあなたをデイズの元から取り戻しに行ったのよ?」
2年前のことをティーナは思い出す。最愛の存在を永遠に失った、あの夜のことを。
「あのときもデイズは私の邪魔してきた。私はなんとかあなたを取り戻そうとして…またもや深いダメージを負ってしまった。
幸いにもデイズは死んでくれたけど、再びあなたを取り返すには準備が必要となった。そして…2年経ってようやくこうしてあなたを迎えることが出来たのよ」
満面の笑みを浮かべながら、両手を広げる【解放者】。
「本当に長かったわぁ。さぁ…私の元へ帰っておいで、ディアマンティーナ。あなたの…生みの親のもとへ」
そうして【解放者】から差し出されてきた手を…ティーナは鬼のような形相を浮かべながら激しく叩き返した。
「ふっざけるなっ!なんでボクがキサマなんかの元へ行かなきゃならないんだっ!そもそもデイズおばあちゃんを殺した仇を、ボクが許すとでも思っているのかっ!?」
「…なにを言ってるの、ディアマンティーナ。そういえば学園にいる時もそんなことを言っていたわね。でもね、私はデイズを殺してなんていないわ」
「じゃあ誰が殺したっていうんだよ!」
「…ディアマンティーナ、あなたは本当に覚えてないの?」
【解放者】の目が、冷たく光った。
「…何をだ?」
「本当は誰が…デイズを殺したのかを、よ」
次の瞬間、ティーナの瞳に灼熱の炎が宿った。
「ふざけるなっ!おばあちゃんを殺したのはキサマだろうがっ!!2年前のあの日…あの小屋に現れたのはキサマだった!そのことだけは、おぼろげながら覚えてる。なのに…他に誰が居るっていうんだよっ!!」
「ディアマンティーナ、あなた本当になにも覚えてないのね?」
「っ!?」
確信を持って話すかのような悪魔の口調に、ティーナは完全に気圧された。何か物凄く嫌な予感がしている。これ以上こいつの聞いてはいけないという確信がある。
だが同時に、【解放者】が言うことを聞きたくて仕方がないと思っている自分もいた。すでにティーナは悪魔の掌の上で踊らされていたのだ。
「仕方ないわね、教えてあげましょう」
駄目だ。悪魔の言葉に耳を傾けてはいけない。ティーナは必死に自分にそう言い聞かせようとした。しかし、止めることはできない。
「デイズを殺したのはね…」
静かに微笑む、【解放者】。
「……あなたよ、ティーナ」
ティーナの顔から、血の気が完全に失われた。
悪魔の口から放たれた呪いの言葉は、ティーナの精神を根こそぎ削り取った。
顔面蒼白となったティーナは、跪くように膝から崩れ落ちる。彼女の背中に具現化していた七翼の翼…その中で透明だった4枚のうちの一枚が、徐々に黒く染まり始めた。
「ウソだ…」
それでもまだ呻くようにそう口にするティーナに、悪魔は容赦無い言葉を投げかけた。
「ウソじゃないわ。2年前のことをゆっくりと思い出してごらんなさい?ディアマンティーナ」
「う…あ…」
「ほら、覚えてるでしょう。デイズの胸から迸る赤い鮮血を…あれはね、あなたの仕業よ?」
「やめ…ろ…」
「さぁ、私の元へ戻ってらっしゃい。ディアマンティーナ」
「やめろぉおぉおぉぉぉぉっ!!」
ティーナは悪魔の囁きを打ち消すかのように絶叫した。そして歯を食いしばり、血の涙を流しながら…ゆっくりと立ち上がる。デイズとの絆を信じて。目の前の悪魔の戯言を否定するために。
「ボクは…ボクはキサマの言うことなんか信じない!たとえボクがマトモな人間じゃなかったとしても…デイズおばあちゃんとの間にあった絆は本物だ!」
そんなティーナを、ワガママを言う娘を見るような目で見つめながら、【解放者】ミクローシアは困ったといった口調で諭し始めた。
「なかなか頑なな娘ね。どうやったら信じてくれるのかしら?」
「……お前の言うことなんて、絶対に信じない」
「困ったものねぇ。でも聞き分けのない娘ほど可愛いって言うものね。…仕方ないわ」
ふっと笑う悪魔の目に、この世の闇を全て集めたような暗黒が宿った。
「あなたは自分の正体を知らないのでしょう?だから私が…あなたの正体を教えてあげる」
悪魔の言葉が、最後の抵抗を試みていたティーナの胸に突き刺さった。
「あなたはこれまで疑問に思わなかったの?自分が普通の存在ではないことを」
悪魔の言葉が、ティーナの胸を…魂を深く抉る。
自分の正体について、これまでティーナは常に考え続けていた。どんな【天使の器】でも天使化できる力。人類に他に類を見ない七翼の翼。膨大な魔力。それらの源は…一体なんであるのかを。
それを、この悪魔は知っているという。自分に教えてくれるという。ティーナはもはや、悪魔の言葉に抵抗することができなくなっていた。
「ボクの…正体?」
「ええ、私はそれを知っている。だからあなたに教えてあげるわ。知りたい?」
悪魔の問いかけに、ティーナは…コクリと頷いた。
「じゃあ教えてあげる。あなたの正体はね、フランフランが遺した研究を基に私が創り出した…人工生命体よ」
「な…なんだって?」
悪魔がくれた情報は、ティーナの精神に絶大で致命的な打撃を与えた。
「うふふ、驚いた?そういえばあなたはさっき私にこう言ったわね?私と自分は似てないって。…それはある意味正解よ。なぜなら私とあなたでは血の繋がりが無いのだから。私はね、あなたの生みの親なのよ」
「なっ…」
自分はまともに生まれた人間ですらない。これまで戦ってきた【悲惨】や【暗号機】と同じ、創られた存在だった。その事実は、ティーナの…辛うじて残っていた最後の心の砦をあっけなく砕いた。ぼろぼろと両方の瞳から零れ落ちる涙にも気付かず、うわごとのように言葉を発した。
「じゃ…じゃあ…ボクは…ボクは……」
「そう。あなたはね、究極の人工生命を生み出すためにアンクロフィクサとグイン=バルバトスの細胞を掛け合わせて創り出された…『許されざる存在』。この世界の法則の枠の外に生まれた、禁断の私生児なのよ」
黄金色に輝く髪と類稀なる美貌を持っていたと言われている【原罪者】アンクロフィクサ。
14枚の翼を以って世界を滅ぼし掛けた【最凶の魔王】グイン=バルバトス。
自分の黄金色に輝く髪とこの美貌は…
そして膨大な魔力を持った七翼の翼は…
このようにして与えられていたのだ!!
【解放者】の口から語られた真実により、全てを知った瞬間。
ティーナの世界が崩壊した。
「そんなあなたを、この世界で私だけは受け入れるわ。
…さぁ、戻っておいで。【許されざるもの】ディアマンティーナ」
暗黒色に染まったまま崩れ落ちているティーナに、【解放者】が優しく肩に手を置いた。
その言葉に応えるようにゆっくりと持ち上げられたティーナのその顔は……




