76.創立記念祭
ここから完結編となる第5部 サトシ編 となります。
ベルトランド王国のほぼ中心近くに、サーランドという名前の町があった。
サーランドの町はその恵まれた立地から、規模は小さいながらも交易には欠かせない陸の要所としてそれなりに発展していた。
ゆえに野盗などから狙われることも多かったことから、町の周りには人の二倍ほどの高さの土壁をめぐらされており、さらには入り口には警備兵が立ち出入りを厳しくチェックすることで不審者の侵入を防いでいた。
この日も、青年兵と老人兵の二人が物見櫓から町の近郊を監視していた。周囲を平原に囲まれたサーランドの町は、この櫓から見回すによって何かあってもすぐにわかるようになっていたのだ。
「なぁじいさん、どうせなんも来ないんだからのんびりしようぜ?」
若いほうの兵士が気の抜けた様子で老人兵にざっくばらんに声をかける。しかし老人兵のほうは真剣な表情で遠方を監視していた。
面白くない青年兵は、チッと舌打ちをするとぶつぶつと文句を言い始めた。
「…ちっ、つまんねぇなぁ。がんばりすぎだってばよ、じいさんは」
「…おい、若造。あれはなんだ?」
それまで無言で双眼鏡を覗いていた老人兵のほうが、急にあわてた声で青年兵に確認を促してきた。
「えー?どうせ馬とかの群れじゃないの?じいさんこの前もそう言って…」
「おい、いいから黙って見ろ!」
老人兵にせかされて、渋々双眼鏡を受け取って示された方向を確認する青年兵。次の瞬間、それまで浮かべていた気の抜けた表情が、一瞬にして凝結する。
「……見たか?若造」
「…あぁ、見たよ。ありゃなんだ、じいさん?」
ぶるぶると震えながら返事をくる青年兵に対して、老人兵が毅然とした声で答えた。
「わしはあれに見覚えがある。…今から20年前にな。
間違いない、あれは…魔獣の群れだ。しかも10や100なんてレベルじゃねぇ。…おそらく、数千匹はいるだろう」
そう。彼らが覗いた双眼鏡に映っていたのは、とてつもない数の魔獣の群れだったのだ。
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赤青黄色…様々なイルミネーションが魔法学園を照らし出している。
これは何かの魔法なのだろうか。前の世界にあった電飾を思い出し、俺は思わず懐かしさからため息を漏らした。
晩夏というのか、早秋というのか。そんな時期になって暑さも和らいできたころに、いよいよここユニヴァース魔法学園の”創立記念祭”が開催の運びとなった。
今日はたくさんのイベントが行われるそうで、まだダンスパーティの相手が見つかってないやつは必死にその相手を探したりと、朝から他の生徒たちも慌ただしく走り回っていた。
そんな喧騒をよそに、今日の俺はまったくのフリーだった…と言いたいところなんだけど、実はちょっと忙しかったりする。その理由は…俺のすぐそばに座っている”絶世の美少女”にあった。
「ねぇアキ、ぼく…変じゃないかな?」
怯えた子犬みたいな表情を浮かべながら確認してくるカレン姫に、俺は生唾を飲み込みながら頷いた。
そう、今日の俺は…カレン姫が『アフロディアーナ』としてイベントに参加している間、そのお手伝いをするよう【白銀同盟】の名の下に命じられていたのだ。…まぁ別に良いんだけどさ。
ちなみに…俺はまったく知らなかったんだけど、『アフロディアーナ』という”カレンの変装姿”は、ファッション業界では『幻のスーパーモデル』として有名らしい。なんでそんなことになったのかカレン姫本人に聞いてみたところ、「全部姉さまが…」とのことだった。相変わらず可哀想なやつめ。
今日のカレン姫は、最低限のお化粧しかしないいつもと違ってバッチリ化粧をしていた。
透き通るような肌によく合った薄いピンクのワンピースドレス。髪の毛の色は”変装魔法”とやらでティーナみたいな黄金色に染められていた。ぶっちゃけ丸っきり別人みたいだ。
だけど、完全武装したカレン姫は恐ろしいほどに輝いていた。いつものカレン姫やティーナとも違う…身震いがするほどの美少女オーラを醸し出していたんだ。
正直、俺はカレン姫のことを舐めてたのかもしれない。相手は所詮男、どんなに綺麗になったところで男であることには変わりないだろう、と。
だけど俺はいま、そんな自分の認識がダダ甘だったことを痛感させられている。それくらい…目の前にいる美少女は堪らなく美しかったんだ。もう、相手が男か女なんてどうでも良くなるほどに…
「ねぇアキ、そんなに見つめて…やっぱりどこか変なところある?」
「い、いや全然ないよ!驚くほど似合ってるね!大丈夫!」
「そ、そう?ありがと…」
リップグロスまで塗ってツヤツヤに光る唇を艶めかしく動かしながら、カレン姫が安堵の吐息を漏らした。
ちなみにいまカレン姫の手伝いをしているのは、俺とエリスだけだ。なにせカレン姫の秘密を知る人は少ないからね。
そんなわけで、俺とエリスは昼からずっとカレン姫の準備の手伝いをしていたんだ。
他のメンバーたちについては、それぞれが個別に動いていた。
まず…スターリィは、生徒会の臨時手伝いでレドリック王太子ともども駆り出されていた。もっともレッドは正式に生徒会に入ったって言ってたから、お手伝いじゃなくて本仕事になるんだろうけどな。
ボウイは、いつものようにナスリーンに引っ張られてデートの真っ最中。…あいつらもう付き合っちゃえば良いのにな。
あとは…ティーナはお祭り自体に興味が無いらしく不参加。ミア王子に至っては、なんと一人で勝手に遊びに行っていた。…おいおいミアさん、勝手にカレン姫をエントリーした張本人なのにこっちはノーフォローなんて、そりゃないんじゃないの?
今日開催される”創立記念祭”は、大きく分けて3つのイベントに分かれていた。
まずは…つい先ほど行われた”仮装パレード”。これはリクシールの街の中心街を、仮装した生徒たちがパレードするというものだ。ちなみミア王子はこのイベントにヴァイキングの仮装で参加して、観客から大歓声を浴びていた。
次に…もうしばらくしたら始まる、有名人による特設ステージ。こいつにカレン姫が”アフロディアーナ”として参加する予定だ。
そして3つめが、学園内で行なわれるメインイベント…”ダンスパーティ”だ。
これらに付随してたくさんの出店や小規模なイベントも行われるんだけど、そのへんは割愛させて頂く。
そんな感じの…年に一度のビッグイベントだというのに、学園内には厳戒態勢が引かれていた。学園の生徒以外が学園内に入れないように、ロジスティコス学園長による特別な魔法が学園全体に展開されていたのだ。
魔法学園は普段からそこそこレベルの警備はなされてるんだけど、特に最近世界中が不安定な情勢にあるので、念のために警戒を強めているらしい。
…それにしても、学園全体を覆う警戒網をたった一人で張ってるロジスティコス学園長はすげぇよな。それだけでも十分凄いのに、この警戒網はいざとなれば魔獣や悪魔を弾く防御壁にもなるらしい。
ロジスティコスのじいさんも伊達に七大守護天使の一人じゃないってことだな。
カレン姫の準備がようやく整った頃、エリスが席を外したスキに、カレン姫が俺に話しかけてきた。
「そういえばアキ、このあとスターリィとデートでしょう?」
「あ、あぁ…まぁそんな感じかな?」
「だったらここはもう良いよ、ありがとう。あとは…ガンバってね」
ニヤニヤしながら親指を突き出してくるカレン姫。ったく、こいつは何を言いたいのやら。
「アキ、ぼくはね…きみに勇気付けられたんだ」
「へ?俺に?」
「そう。アキはぼくに、外見なんて関係ないってことを実際に示してくれた。ぼくがどんな格好…たとえ女装をしていたって、好きな女性に気持ちは伝わるんだって…ね」
うーん、はたしてそれはどうだろうか。確かに俺とスターリィはなんとなく良い感じになっているかもしれない。だけどそれが万人に通じるとは、俺には思えないけどなぁ?
「だからぼくも勇気を出して、エリスをダンスパーティに誘ってみるよ!」
「そ、そっか。がんばれよ、カレン」
とはいえ、俺にカレン姫を落ち込ませるようなことが言えるわけもなく…結局適当に相づちを打って誤魔化したんだ。まーでもエリスだったら大丈夫かな。なんとなくこの二人は相思相愛っぽいしね。
そんな訳で、ようやく夕方近くになって俺はカレン姫のお手伝いから解放された。と言うより、ここから先はカレン姫とエリスの仲良しタイムかな?お邪魔虫は退散、退散っと。
スターリィとの待ち合わせまではまだもう少し時間がありそうだ。せっかくだから街の方に繰り出してみようかな。
そう思い立った俺は、一人でリクシールの街の散策に出てみることにしたんだ。
リクシールの街では、至る所で出店や露店、大道芸人のショーなんかが行われていて、非常に活気に満ちていた。試しに近くで売っていた肉の串焼きを買って食べてみる。うん、美味い。なんとなく懐かしい味がした。
今の俺はいつもの制服姿じゃなく、薄い水色のノースリーブのワンピースを着ていた。おまけに薄くだけど化粧もバッチリ決めている。ちなみにこの服はカレン姫のチョイスだ。
本当はこんなに可愛らしい感じの格好はどうかと思うんだけど、カレン姫が頑なに「ぼくだけがこんな格好するなんて我慢できないっ!」って駄々こねたから、仕方なく同意したんだ。
ちなみに俺が着替えている間に、カレン姫はエリスに対して「エリスがこのあと、ぼくとダンスを踊ってくれたらもっと頑張れるんだけどなぁ…」などとさりげなくぶっこんで、苦笑いするエリスにちゃっかりオーケーをもらってやがった。こいつ、あんがいやるときはやるじゃないか。
さて、そんな話はさておき。
串焼きを平らげた俺は、今度は焼きとうもろこしに手をつけながら、近くで行われていたピエロの手品をぼーっと見ていた。頭には夜店で売っていた怪しい猫のお面を装着している。…だってさ、祭にお面って万国共通の楽しみ方だろう??
ピエロが行っている手品のタネは、たぶん前の世界と大して変わらないように思われた。魔法を使えばもっと楽にできるのに…そう思ったものの、よくよく考えると魔法をそんな使い方ができるのは”天使”くらいだと気付き、自分で失笑する。いくらなんでも天使がこんなところで大道芸なんてするわけないしな。
ピエロの手品にそろそろ見飽きてきたし、そろそろこの場を離れようかな。そう思って焼きとうもろこしの最後の一口を頬張ろうとした…そのとき。
トントン。
不意に肩を叩かれて、俺はゆっくりと振り返った。
すると、そこには…
「やぁアキ、こんなところで一人で何をしてるの?」
「…レッド?どうしてこんなところに?」
紅茶色の髪の優しげな雰囲気を持った少年…レッドことレドリック王太子が立っていたんだ。
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ユニヴァース魔法学園の中心付近に、ロジスティコス学園長の居住場所となっている塔がある。その塔の地下部分に、学園の中でも限られた人しか入ることが出来ない空間が存在していた。
ちょっとした教室くらいの広さがあるその部屋の中央には”巨大な黒い箱”が置かれており、ときおり青白い光を放っていた。
この黒い箱の正体は、【大通信網】という名の魔道具。各国間の通信を行うことが出来るという、極めて貴重な魔道具だった。
開発したのはもちろんロジスティコス学園長。先の”魔戦争”の混乱の教訓を踏まえ、世界各国が情報を迅速に共有化できる仕組みを構築したのだ。今では【大通信網】は世界各国の王城や中枢機関などに配備され、厳重な警備の元、管理されていた。
ここユニヴァース魔法学園においても状況は同様であり、ロジスティコス学園長の居住塔の地下にある【大通信網】管理室では、24時間体制で要員が常駐し、不測の事態に備えていた。
外が”創立記念祭”で浮かれている今日であってもその状況は変わらず、現に今も二人の管理要員が緊張感をもって待機していた。
ジリリリリッ!
そのとき、凄まじい警報音が突如【大通信網】から鳴り響いた。
「せ、先輩!こ、この音は!?」
二人の管理要員のうちの若い方が、急に【大通信網】から発された不気味な音に驚きの声を上げる。彼が配備されてから今まで、何度か穏やかな音での通信は受け取ったことはあったものの、このような音は聞いたことがなかった。
一方、彼の横にいた年配の管理要員の反応は異なっていた。もちろん彼もこの音を聞くのは初めてである。しかし…学園長であるロジスティコスからは何度も注意とともに教えられていたことが頭に残っていた。
「この音は……間違いない、最上級警報だ。俺も初めて聞く!」
最上級警報。それは…”戦争”、もしくはそれに準ずる事態が発生したときのみに鳴らされる特別な警報音だった。それが鳴っているということは…
「発信元は…ベルトランド王国かっ!おい!お前は上に行ってロジスティコス学園長に知らせてこい!通信内容は俺が受け取っとくから!」
「は、はい!分かりました!」
若い同僚を送り出したあと、年配の管理要員は伝達されてきたメッセージを受け取るために【大通信網】を慎重に操作した。やがてカタカタという音とともに魔道具から吐き出された紙片を手に取る。
紙片に書かれた内容に目を通して、彼は思わず呻き声を漏らした。ベルトランド王国からもたらされた通信内容。それは…
「むぅぅ。こ、これは…本当なのか?
『ベルトランド王国に大量の魔獣の群れ出現。…【真・魔獣王】エヴルガイガーを名乗る巨大な魔獣に率いられ、周囲の町を襲撃しながら現在王都へ向けて進行中』…だと?」
もたらされた情報は、ベルトランド王国に襲いかかった恐ろしい【魔災害】の情報だった。
これは一大事だ。急いで学園長に知らせる必要がある!…そう考えた彼が、待ちきれずにこの場を離れようとした、そのとき。
ジリリリリッ!
ジリリリリッ!
立て続けに…しかも今度は二つ同時に、【大通信網】の”最上級警報音”が鳴り始めた。
「ば、ばかな…これは何かの間違いでは無いのかっ!?」
常識では考えられない”最上級警報音”の連発に戸惑いながらも、何度も修羅場をくぐってきた彼はギリギリのところで精神の均衡を取り戻した。
今にも崩れ落ちそうになる気持ちをなんとか保ち、【大通信網】から吐き出された二つの紙片に書かれた内容を確認する。
そこに記載されていたのは…世にも恐ろしい内容だった。
「ハインツ公国に巨大な龍が2体同時に出現。それぞれが【冥界の使い】ベヒモス、イグニートと名乗り、ハインツ公国を蹂躙中。しかも七大守護天使である公妃ヴァーミリアン公妃は行方不明」
「ブリガディア王国にて、大量の悪魔が蜂起する事態が発生。彼らは【解放同盟】と称する団体であり、現在王国騎士団にて応戦中も、天使の数が足りずに苦戦中」
…のちに【第2次・魔戦争】と呼ばれることとなる争乱の、これが幕開けとなったのであった。




