75.想い重ねて
その日の夜。夕食に出されたマグロみたいな魚をたらふく食べて満腹になった俺は、気分転換にふたたび海辺を一人で散歩していた。海からの夜風は心地よく、日焼けで火照った肌を優しく冷ましてくれる。僅かに聞こえる波の音が、高ぶった俺の心を穏やかにしてくれた。
今日はとても楽しかった。こんなときがずっと続けば良いのに、そう思ってた。
だけど…ふと心の片隅をよぎるのは、サトシのこと。
あいつはいったいどこに行ってしまったのか。結局学園に来て散々調べまわったものの、あいつに関する情報が増えることは無かった。異世界からの来訪者という意味では、魔界関係を除くと、俺とサトシ以外の事例はひとかけらも見当たらない。
だけど…なぜだろうか、以前よりもサトシに近づいている気がするんだ。サトシは間違いなく…この世界にいる。最近の俺はそう考えるようになっていた。
海辺に落ちた貝殻を無造作に拾う。前の世界と同じような、薄いピンク色の貝殻だった。そのまま軽く振りかぶると、勢いよく海へと放り投げた。貝殻は月明かりに反射してキラキラと煌きながら、放物線を描いて波間へと消えていった。
そのとき、俺は不意に思い出した一言があった。
それは…霊山ウララヌスに登った時の、【霧】の一言。
『お前は一体…なにものなんだ?お前は…そもそも一人なのか?』
あのときはミストの言葉が、俺が異世界から来たことや、俺が他人の体を乗っ取ってることを指しているのかと思っていた。だけど…よくよく考えると違和感が生じてきた。
【霧】の言葉は、本当にそのことを指していたのか?もしや【霧】は…俺の能力のことを言っていたのではないか、と。
考えてみると、俺の能力である【新世界の謝肉祭】は奇妙な点の多い能力だった。
まず最初に挙げられるのは…俺は別に天使に覚醒していないのにこの能力を使うことができている点。最初は俺が別世界から来た人間だからかと思っていたんだけど…本当にそうなのだろうか?
次に挙げられるのが…この能力が意思を持っている点。実際何度か…俺の意図とは関係なく動こうとしたことがあった。これまでは強い意志で全部はじき返して事なきを得ていたものの、意思を持って勝手に動く能力というのは【新世界の謝肉祭】以外に聞いたことがなかった。
そして…最も奇妙な点が、俺の知らない誰かの魂を喰っていることだった。
【新世界の謝肉祭】は、身体の部分に併せて誰かの魂を喰っている。
《目》は…スカニヤー。
《右腕》は…シャリアール。
《左腕》は…ゾルバル。
《心臓》は…俺自身だ。おそらくは自身も1つと数えるのだろう。
《右足》は…カノープスの狂った魂の欠片を喰らうのに利用した。やつが一心同体と言い張る所以だ。
《左足》だけは、いまだに未獲得だ。
問題は《頭》だ。ここに…俺の知らない何かが収まっている。
実は俺、この事実についてこれまで敢えて見て見ぬ振りをしてきた。だって…これ以上知らない誰かの魂を喰ってるなんて考えたくもなかったから。
だけど、冷静に考えてみると今の状況はおかしい。本来であれば【新世界の謝肉祭】は俺自身の能力のはずだ。であれば、能力の持ち主であるはずの俺が『わからない』というのは、どう考えても異常な事態じゃなかろうか。
もしかして…《頭》には別の何かが存在してたりするのか?たとえば…能力を発動しようとしている時話しかけてくるアイツ。あるいは…別のなにかが 《頭》に居て…
《頭》?《頭》だって?
そのとき俺は、ひとつの可能性に気づいた。
俺がこの世界に来た最初から、俺の頭に存在しているもの。それは…”グィネヴィアの額飾り”という【覇王の器】。
もしや《頭》の部分に囚われているのは…この”グィネヴィアの額飾り”なのではないか?
どくん、どくん…
胸の鼓動が高くなるのを感じる。
だとしたら、俺は…
もしかして……この【覇王の器】を運ぶために存在しているのか?
どこ運ぶ?それはもちろん…真の持ち主の元へだ。
つまり俺は…この【覇王の器】の真の持ち主を探すために選ばれた”運び屋”だったりするのか?
……そこまで考えて、俺はかぶりを振ってその考えを却下した。
いやいや、そんなわけがない。もしそうであれば、ティーナに出会った瞬間に俺の役目は終わっているはずだ。
なのに、『グィネヴィアの額飾り』は未だに俺の額に固定化されたままだし、外れる気配もない。
ふー、ちょっと変なことを考えすぎたかな。少し頭を冷やそう。
俺は流木から立ち上がると、少し伸びをして全身の緊張を解きほぐした。
ひゅぅぅぅ。
海風が…俺の頬の横をすり抜けていった。伸びた髪が、風に弄ばれて舞い踊る。
気分転換にふーっと息を吐いて海辺を眺めていると、ふいに背後に人の気配を感じた。
「…アキ、こんなところにいたんですわね」
俺に声をかけてきたのは、ポニーテールに束ねた髪を海風に踊らせる少女…スターリィだった。
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とりあえず俺たちは、海辺に打ち上げられた流木に腰をかけることにした。なんというか…会話が出てこない。寝巻き代わりに俺が着ているワンピースの裾が、柔らかな風にあおられて少しだけはためいた。
俺の心に引っかかっていたのは、たぶん先日見た光景のことだった。俺のよく知らない男から告白されるスターリィ、それを即座に断らなかった彼女。俺にとって衝撃的だったあの光景…
「今日は…楽しかったですわね?」
「え?あ、うん。すごく楽しかった」
「アキってば、他の女の子たちの水着にばかり目がいってましたもんね?」
少しふくれっ面のスターリィの視線に、俺は思わず吹き出してしまった。ヤキモチを妬いている彼女は、やっぱり可愛らしかった。
「それに…なんだか最近アキはいろいろな人と仲良くしてますわよね?特に…レドリック王太子と仲良くしてるみたいですし」
「い、いや。それは違う!」
「違うって、どういうことですの?」
「そ、それは…」
相手がいくらスターリィとはいえ、さすがに俺の口から何の(誰の)話をしてるのかは言えなかった。なにせ、レッドとエリスの血縁は極秘事項だからね。
何も言わず黙ってしまった俺に、スターリィが冷たい視線を投げつけてくる。再び俺たちの間に冷たい空気が流れ始めた。
そんな空気に耐えられなくなったのは…俺の方だった。
「…そういうスターリィだって、人の事言えないだろう?」
「…えっ?」
思わず口をついて出た俺の言葉に、それまでうつむいていたスターリィが驚いた表情を浮かべながら顔を上げた。
「そう言うスターリィだって…例の先輩となにやらゴニョゴニョしてたじゃないか」
「例の先輩って、アークトゥルス先輩のことですの?それにゴニョゴニョって……あっ、もしかしてアキ、あなた知ってますの?」
「っ!?」
スターリィの鋭い質問に、俺は思わずサッと目を逸らした。やばっ、余計なことを言いすぎて盗み聞きしてたことがバレそうじゃないか。冷や汗が、俺の背筋を流れ落ちる。
そんな俺の両頬をスターリィが強引にガッツリと掴むと、無理やり自分の方に振り向かせたんだ。
「ムガッ、にゃ、にゃにを…」
「アキ、大丈夫ですわ。あたしがアークトゥルス先輩のお気持ちに応えるようなことはありませんので」
「ふぇ?じゃあにゃんで…」
「あの方はいろいろと良くしていただいたので、言下にお断りすると角が立つと思ったんですわ。ですけど…アキの態度を見て決めました。中途半端な態度の方が迷惑かけますもんね…はっきりとお断りいたしますわ」
スターリィのきっぱりとした言い方に、俺は心の底から安堵したんだ。
本当はスターリィだってちゃんとした女の子。俺みたいな中途半端で将来いなくなっちゃうかもしれない男女よりも、ちゃんとした相手のほうが良いに決まってる。なのに…そう思う反面、どうしてもスターリィを独占したいと思ってしまう俺は、もしかして救い難いヤツなのだろうか。
俺が落ち着いたのを見て、ようやくスターリィがガッシリと掴んでいた両手の力を緩めてくれた。そっと彼女の手に触れて改めてスターリィに向き直ると、とりあえず俺は”言える範囲”で誤解を解くことにした。
「スターリィ、私は…レドリックとはなんでもないよ。むしろ困ってるくらいだった。だけど、スターリィの今の話を聞いて私も…キッパリと話すようにするよ。ありがとう」
「いいえ、お礼を言われるようなことは何もしていませんわ」
やっとスターリィが笑顔を取り戻してくれた。うん、やっぱり彼女は笑顔が一番だ。俺はちょっとだけ安堵のため息をこぼしたんだ。
「それにしても、不思議ですわね」
「ん?」
トレードマークとなったポニーテールを解きながら、スターリィがふいにそう口にした。海から吹き付けてくる柔らかな風が、彼女の長く伸びた髪をなびかせる。
「あたし…アキとこんなに長い付き合いになるとは思ってませんでしたわ」
言われてみれば、俺とスターリィとの付き合いはもう丸2年になっていた。なんだかんだで俺がこの世界に来てから、ずっと一緒に居るような気がする。
「あたしね、最初アキと…あの森の中の湖で出会ったとき、結構びっくりしたんですわよ?」
あの時俺は、たしか真っ裸で泳いでたんだっけ?それを溺れてると勘違いしたスターリィが助けに飛び込んできて…思えば変な出会いだったな。
「あのころのアキは、ガリガリに痩せてて…だけど目だけはハッキリと輝いてる不思議な女の子だった。でもあたし、あなたときっと親友になれる…そんな予感がしてたんですわ」
「そっか…」
「ですけど、いつしか…あたしの中でアキの存在がどんどん変化していった。最初はただの女の子だと思っていたのに、いつのまにか男の子のように見える瞬間が増えていった。アキがどんなに可愛らしい格好をしていても、お化粧をしてもそう。いつしかあたしには…アキのことが男の人にしか見えなくなっていったんですわ」
ハッとしてスターリィの顔を見る。月明かりの下で彼女はニッコリと微笑んでいた。
そして確信した。スターリィは…ずっと俺のことを、俺として見ていてくれたんだと。
同時に俺は…これまで目を逸らしてきた一つの”事実”を、ついに…受け入れたんだ。
あぁ、俺は…この子のことがいつの間にか大好きになってたんだな。
優等生で真面目で、ちょっとおっちょこちょいでヤキモチ妬きなこの可愛らしい少女のことが。
俺にとってスターリィは、もはや他の何ものにも変えがたい…かけがえのない存在になっていたんだ。
「…なぁ、スターリィ」
「ん?なんですの?」
「この学校を卒業したら、私…いや俺は、サトシを探したり魔本をこの世界から消し去るための旅に出ようと思っている。その旅に…俺と一緒に行かないか?正直やることは曖昧だし、ゴールも見えない旅かもしれない。だけど俺は…スターリィとずっと一緒に居たいんだ」
もしかしたらこれは、俺にとって生まれて初めての”愛の告白”なのかもしれない。いままで俺がずっと言うことを避けてきた…正直で素直な気持ち。
たけどそれを口にした今は、妙にスッキリしていた。まるで心が解放されたような…そんな気分だった。
俺の言葉を聞いたスターリィは、これまでにない最高の笑みを返してくれた。そして…ちょっぴり照れながらこう言ったんだ。
「ふふっ、アキ、やっと言ってくれましたわね?あたしはずっとそのつもりでしたわよ?」
そっと、スターリィが俺の方に頭を乗せてきた。俺は…驚くのと恥ずかしさで顔を真っ赤にながらも、スターリィの手をぎゅっと握りしめた。すると彼女も俺の手を握り返してくれる。
手に伝わってくる、スターリィの暖かな温もり。
この時間が永遠に続けば良いのに…そう思いながら、俺たちは寄せては返す波をずっと見つめていたんだ。
どのくらいそうしていただろうか。
どちらともなく、互いの顔を見あった。
互いの視線がぶつかって、距離が近づいていく……
と、そのとき。
がさがさっ!
草木が揺れる音がして、なにやら背後の方から人の気配を感じた。
「そこにいるのは誰だ!」
鋭く声をかけると、ガサッとひときわ大きな音が聞こえてくる。そしてようやく観念したのか、ひとりずつ茂みの中から立ち上がり始めた。
そこに居たのは…カレン、ミア、ティーナ、エリスの4人だった。
「…おいおい、お前ら何をしてたんだ?」
俺が苛立ちを隠しながら声を投げかけると、バツの悪そうな表情を浮かべる四人。
クソッ!こちとらいい雰囲気になってたのに何邪魔してんだよ!特にカレン!てめーにはエリスとうまくいけるようになるべく機会を作ってやったっていうのに、まさかその恩を仇で返してくるとはなっ!
さすがに頭にきた俺は、思いっきり冷たい視線で…主にカレンを睨みつけてやった。
「いやー、ゴメンね。別に覗き見するつもりはなかったんだけど、たまたま散歩してたら良い雰囲気の二人を見かけちゃったから、つい…」
一同を代表して最初にミア王子が、ペロッと舌を出しながら悪びれることなくそう口にする。おいおい、つい、じゃねーよ!
「ごめんねアキ、スターリィ。ぼくとエリスはやめようって言ったんだけど、姉さまとティーナがどうしてもって言うから…」
「あ、こら変態王子!そこでボクまで売るなよ!」
「へ、変態王子って!?ティーナその言い方は…」
「そうだそうだー!やれー!やっちゃえー!」
「はいはい、そこケンカはやめましょうねー。ミアも煽らないよー、あなたが言い出しっぺなんだからね?」
「げっ、そこでサラッと暴露するエリス怖っ!」
そんな感じで俺たち二人のことを無視して勝手にケンカを始める四人。俺からするとテメーラ全員同罪だっちゅーの!おかげでスターリィさんが黙り込んじゃったじゃないか。
気になってさっきから大人しくなってしまったスターリィの様子を確認してみると、真っ赤な顔をして俯いていた。あちゃー、さすがに恥ずかしかったのかな?と思いきや、なぜか俺の手は握りしめたまま…
えーっと、スターリィさん?そろそろ離してもらわないと、まずくないかい?みんな気付いてるよー?
「…ふふっ。せっかくだからさ、キミたち一緒にに”創立記念祭”のダンスを踊ってみたらどうだい?」
そんな俺たちに、ティーナが気楽な感じで妙なことを言ってきた。
創立記念祭?ダンス?なんだそれ?
「そういえば…もうすぐ”創立記念祭”の時期ですわね」
「スターリィ、創立記念祭って何なの?」
俺の問いかけに、スターリィがギョッとした表情を浮かべた。そ、そんな顔しなくても良いのに。
「アキ…本気ですの?まさか創立記念祭も知らないとは…」
「う、うん…知らないんだけど…」
俺の発言に、ハインツの双子やエリスまで呆れたような表情を浮かべている。
スターリィが教えてくれるには、なんでも夏の終わり頃にこの学園の創立を記念するお祭りが行われるのだそうだ。なんとなく前の世界の学園祭みたいな感じかな?
「へーそうなんだ。ちょっと楽しみだね。それにしてもダンスってのは?」
「あー、”創立記念祭”の最後に行われるダンスパーティのことだよ。仲の良い相手を誘って踊るのが通例なのさ。ここでカップルになるやつらがすごく多いらしいよ」
おぉ、なんか面白そうな企画だな。ダンスの相手を探すにあたって、なんかいろいろドラマとかありそうな気がする。
「あー、そういえばカレン。創立記念祭のスペシャルゲストに”アフロディアーナ”をエントリーしといたからね?あんたがんばってね!」
「ちょ、ちょ!?姉さまそれ本当!?な、な、なんてことをしてくれるのさっ!」
「えー?だってあんた最近女装がすっかり板についてきてるじゃん?だからお祭りを盛り上げるためにも良いかなーってさ。だいたい、今更照れてることなんてないでしょ?」
「ふ、ふぐぅ…」
なんだなんだ?意味がわからないので側にいるエリスに聞いてみると、「あ、アフロディアーナっていうのはカレンの”イベント用に変装した姿”なんだ」とのこと。どうやら姉のミア王子によって勝手に祭りのイベントにエントリーされちゃったみたいだ。プププ、カレンめ良い気味だ。バチが当たったんだよ。…だけど相変わらず振り回されてるみたいでちょっぴりだけ可哀想になった。
「ふふっ、アキ。せっかくだから一緒に回りません?」
「いいね、そうしよう!」
ガックリと項垂れているカレン姫を横目に、俺とスターリィは互いに笑いながら頷きあったんだ。
笑い声が、波音だけが聞こえる夜の海辺に広がっていった。
だけど、このときの俺たちはまだ知らなかった。
今話題にしていた”創立記念祭”を機に……俺たちの運命が激変していくことを。
ーーー
ここはアキたちが居る場所から少し離れた、椰子の木が密生した場所。そこで一組の男女が並んで海を眺めていた。ただ、その男女の間にはあまり色っぽい雰囲気は漂っていない。
立っていたのは、カノープスとプリムラだった。
身長はプリムラのほうが高いのと、いつもの言動からまるでプリムラのほうが姉のように見える。実際プリムラ自身もカノープスのことを”世話の焼ける弟”くらいにしか見ていなかった。
しかし、最近プリムラは彼のことがわからなくなっていた。以前とはまるで違う人物になったようにさえ感じていた。
たとえるならそう…大きな秘密を抱えているような、そんな違和感。
「カノープス。おぬしはこれから先どうするつもりなんだ?このままアキ様についていくつもり?それとも…」
「もちろんついていくつもりだよ。なにせアキはぼくら魔族の新しい【魔王】候補だからね。ふふふっ」
面白おかしそうに笑うカノープスを、プリムラがキッと睨みつけた。
「そんな目で睨まないでよ。冗談だってば。だけど…アキだったら本当に魔王様でも良いなって思ってるよ。実際1対1なら相当強いしね」
「なぁカノープス、前からおぬしは本心を語らない人だったけど、いったい何を考えている?」
「だから、アキと一緒に魔本【魔族召喚】を全て滅するつもりだってば。それは今も変わらないよ」
「であれば、別にアキ様にこだわる必要はないだろう?別行動でも良いはず。それでも離れないのは…」
プリムラの瞳に、真剣な光が宿る。まるでカノープスの心を見透かすかのように…。
その視線に観念したのか、カノープスが大きくため息を吐いた。渋々といった感じで口を開く。
「プリムラ…ぼくはね、決めてるんだよ。アキのことを…何があっても守るってね」
カノープスがぎゅっと右足に力を入れた。彼には誰にも言っていない秘密があった。
実は…カノープスの右足は、あのときからずっと痺れたような状態が続いていたのだ。それは、彼の命を救うためにアキに吸収された魂の代償。
だが同時にメリットもあった。常時魂が繋がった状態になったアキから、強い魔力が流れてきていたのだ。それがカノープスを、魔族としてのより高みへと導いてくれていた。
「カノープス、おぬしがアキ様を守ろうと思うのは…例のスカニヤーという少女を守れなかったことや、ゾルディアーク様を傷つけたことを悔いているからか?」
「…そんなんじゃないよ。ただぼくは…まだ誰にも、なにも返せていないからね」
そう口にすると、カノープスは儚げな笑みを浮かべて笑ったのだった。
実はカノープスには、もうひとつだけ誰にも言っていない秘密があった。それは…アキと魂が繋がった状態である彼にしか分からない秘密。
プリムラに隠し事ができないと悟った彼は、その秘密を隠すためだけに別の”真実の思い”をひとつ語ったのだった。
幸いにもその作戦は功を奏したようで、プリムラは彼にそれ以上追及するのをやめたようだった。
カノープスが隠していた秘密。それが判明するのは…もう少し先のこととなる。
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真夜中。
俺はなんとなく眠れなくてベッドから起き上がった。ちなみにこの貸別荘にはたくさん部屋があったので、今回は全員に個室が与えられていた。
なんで眠れないんだろう…よくよく考えてみると、俺一人で眠るのがずいぶん久しぶりであることに気づいた。
そういや、ずっとスターリィと同室だったもんなぁ。案外俺は寂しがりやだったりするのだろうか。
ふと思うことがあって、俺は持ってきた荷物袋に手を入れると、ごそごそと中を漁りはじめた。やがて荷物の中から取り出したのは、赤黒い表紙に禍々しい文字が刻まれた本……俺がゾルバルから託された『新訳・魔族召喚』という魔本だった。
俺はこいつを、常に手元から離さないように持っていた。ゾルバルからこの本を託されたときに交わした約束を守るため、そしていつか…目的を達成したあかつきに、俺の手で焼き払うために。
ただ、ずっと手元に置いていたこの魔本を開いて見ようと思ったことは、これまで一度もなかったんだ。
だけど今日の俺は違っていた。なぜか急にこの本のことを思い出して…無性に開けてみたくなったんだ。だから俺は今回初めてこの本をパラパラとめくってみることにした。
初めて開く魔本の中に書かれていたのは、血のような赤いインクで書かれた気持ちの悪い文字や魔法陣の羅列だった。まるで呪われたメッセージを見せ付けられてるようで、見ているだけで気分が悪くなる。
うーん、こりゃ読んでみる価値はないな。そもそもこれは『魔族を召喚するための触媒』だから、たぶん内容にはほとんど意味がないのだろう。
俺はため息とともに本を閉じると、再びバッグの中に本を戻そうとした。
そのとき、パラリと何かが本の隙間から落ちてきた。気になって拾い上げて確認してみると、その正体は…封のされた『便箋』だった。
「なんだろう、これは…」
魔本から出てきた封筒という存在が気になった俺は、思い切って封を開けると…中身を取り出して確認してみることにした。
便箋の中には、二枚の紙切れが綺麗に折りたたまれて入っていた。ここで躊躇しても仕方ないので、思い切って開いてみる。
どうやら中身は手紙のようだ。1枚目の紙に書かれている内容にさっと目を通す。
「これは…」
ひと通り目を通した俺は…完全に言葉を失ってしまった。
手紙には、こう書かれていた。
『お父さんへ
もしお父さんがこの手紙を読んでくれているなら、もうバカなことは止めてください。
魔王など呼び出しても、死んだお母さんは帰ってきません。そんなことは…七大守護天使である聡明なお父さんなら理解しているでしょう?
私はお父さんを止めるために、生贄になるつもりです。
だけどもし、お父さんがこの手紙を読んで思い留まってくれるなら…私はあなたの娘に生まれて、これ以上の幸せはありません。
あなたの娘、スカニヤーより』
そう、こいつは…娘であるスカニヤーから、父親であるシャリアールに宛てられた手紙だったのだ。
ぶるぶる震える手を必死で押さえながら、続けて2枚目のほうにも目を通す。
2枚目もまた手紙だった。ただしこちらは…今この手紙を読んでいる人物に宛てられたものだった。
『この手紙を読まれている方へ。
いきなりで大変申し訳ないのですが、貴方様にお願いがあります。
貴方様がこの手紙を読まれているということは、おそらく私はもう生きていないでしょう。父は娘である私をいけにえにして、新たなる魔王を召喚しようとしているのですから。
私は最後まで命を賭して父を止めようとしましたが、どうやら失敗してしまったようです。
ですから、私に代わって父を…シャリアールという人物を殺してもらえませんか?
父は私という娘の命すらも軽く扱うような存在です。もはや父は…人間ではありません。これ以上、私のような不幸な犠牲は出してはいけません。
そして最後にもうひとつお願いです。この本を焼いてもらえませんか?
この本は、この世に存在してはならないものです。在るだけ世界中を不幸にします。ですから、必ず焼いてください。
残念ながら私の力ではこの本を焼くことはできませんでした。私は…この魔本に込められた【魔法障壁】を破るだけの魔力を持ち合わせていなかったのです。
見ず知らずの方、このような願いを託してごめんなさい。無力な私には、こんなことしかできなかったから…
願わくば、素晴らしい心を持った方が、この手紙を読んでくれますように。
スカニヤー=アラドメレク』
俺は、溢れる涙を抑えることができなかった。
これは…スカニヤーの”遺書”だった。初めて知る、スカニヤーという少女の人となり。
彼女は…俺の思っていた通り心優しい人物だったのだ。そして命を懸けて父と戦おうとして…儚く散っていった。
俺は涙を拭うと、そっと手紙を本の間に綴じなおした。
スカニヤー、ごめんよ。
時が来たらこの俺が…必ずこの本に最後の引導を渡すから。
これ以上の不幸は、もうこの俺がぜったいに起こさせない。
ーーーーー 第4部 完 ーーーーー
これにて第10章および第4部は終了となります。
次から
第5部 サトシ編(完結編)
第11章 『第二次・魔戦争』
開始となります。




